安倍日下王略記

石塔山仕献文  大和国桜井 岸田角次阝

注言一句

此之書巻は藩許なき史編なり。依て他見無用にして門外不出と心得べし。

秋田孝季

日之下國とはに

抑々奥州日之下國は、閻浮の外に置かれける木がくれの民・麁蝦夷とぞ、化外地・隱笠・隱蓑に、澗底の陽に當らざる草木の如き暮しぞ永く、康平の戦い、たゞ安倍一族をして道芝の地踏るるとも、人目をつゝむ月に散りぬる餘命を賭けにして、東日流に落下る春は霞の岩木山、平河の州に舘造りかげろふ人は、再度び起きつるのぼりての世に、遺るる地號をば氏姓となして、安東と宣言す。陸奥の十三湊に船寄せむ、もろこし人の交りにや、中山の峰・阿闍羅の峰に、金剛界・胎藏界の華藏法界三千坊となし、今世に遺しける一族も、世襲に起る運命逆とらず、飽田郷に移りにし、土崎の西に暮れ逝く日輪を、終には梅桃櫻咲く三春に、主□てたる秋田の姓ぞ、いやさかに千秋萬歳日下國久しく。

元禄二年弥生詠む  岸田角次阝

衣川

昔往にのぼりて、安日彦王・長髄彦王を以て祖となし、日下將軍家系ぞ久しきなり。神垣に荒覇吐神を祀りけむは、全能なればなり。一族安倍と號し、陸奥を覇□□日下の主名ぞ、支那韓國に聞え髙らむなり。古けき陸奥の國に原なす住祖人、支那より渡り来ぬるものにして、安蘇部族・津保化族・耶馬台族・晋之民を併せつるを號けて、荒覇吐族とぞ稱しける。初なる王を安日彦王とて東日流に君臨し、爾来一系をして安倍日下將軍とて、安倍賴良の代に至りぬ。

賴良、能く唐□漢學を入れて、文武二道に志したり。依て、一族みなながら文盲なからしむなり。亦、好みて天文の智識を求め、宇宙の運行を極めたりと曰ふ。なかづく干支二十八宿を學びたり。支那にては、黄道に沿ふて天球を二十八区分し、茲に星宿を列し、諸天體の位置を示す基を準し、各々星宿□天空上を西より東へと數え、黄道帶を蒼龍・玄武・白虎・朱雀の四宮とし、更には是の各宮を七分割なして星宿を配したるものにて、各宮には次の如く七宿を存せりと曰ふ。

東方七宿─角・元・氏・房・心・尾・箕
北方七宿─斗・牛・女・虎・危・室・壁
西方七宿─奎・婁・胃・昴・畢・觜・參
南方七宿─井・鬼・柳・□・張・翼・軫

是の如き二十八宿を日・月に配し、古来より吉凶を占ふに用いたりとも曰ふ。亦、漢方医藥學をも極め、干支の暦上で年月日及び方位をさす。暦語にては、甲子・乙丑・丙寅等ありて干支と曰ふ。

十干は、
きのえ=甲、
きのと=乙、
ひのえ=丙、
かのと=辛、
みづのえ=壬、
みづのと=癸
から成りて、

十二支は地支とて子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥から成りぬ。この十種十干・十二種十二支を相互に組合はされきは、六十干支ぞ成り立て、暦を知り、方位判断を智得せりとも曰ふなり。

安倍一族は、安倍晴明より得たる宇宙創起に到るる學をも修得せり。亦、數算術をして測定勘定をも得たり。智識を世界に求め、迷信を除き、以て一族の向上とせしは安倍君臣の掟なりと曰ふ。

然るにや、一族の崩滅ぞ一族より起りて亡ぶる、衣川の水月や手にとり難く、裏斬りし淸原氏、また亡びてなれる世の因縁や、恨めしき。

元禄十年八月  藤井伊予

厨川

上古は安日彦王・長髄彦王に發し、荒覇吐五代を經て、茲に至るは安倍日下將軍賴良、鳥海に討死して、継にける厨川太夫貞任なり。遺恨なる源氏九年の應戦も空しける、厨川の月影に露とこぼるる末期ぞ、哀れなり。

幸いなる哉、遺兒髙星丸、陸奥東日流に落着せしより、安東と再挙に成し、叔父則任と倶に起りて、茲に不死鳥なる王系ぞ、今世に遺しきは天護なるを土とし、人を住はせて日下の主を育みぬ。

古期よりの稻穗の稔れるまま、一族は救はれたり。巌鬼山火吹く毎に、地を造り、湊を造りき、十三泻の出船入船、商に益利む安東の旭日、東に昇ざる日とて久遠に無し。

元禄十年八月   藤井伊予

安東髙星

厨川太夫・安倍貞任の次子にして、幼名髙星丸と稱す。生誕、天性に惠れず、二歳にして父を失ふなり。父君の遺言に仕りて、東日流に落つぬるも、乳兒の覚ざる過却なり。長じて、重臣髙畑越中・菅野左京、乳母・中一の前に養育なりて、茲に安倍日下將軍累代を絶系せざるは幸いなり。

髙星丸長じて過却を知り、一族を起さむの證しとて、大祖立君の古跡石塔山にて元復せり。依て、古稱の東日流安東浦なるを姓とし、茲に安東十郎髙星と攺名なし、一族の主に君臨す。折帽子ぞ、叔父なる白鳥太夫・安倍則任に頂き、遺品を授く。日下將軍安倍賴良の太刀・日下將軍厨川太夫貞任の腰刀・安倍家傳来王位の神器八種、石塔山の聖地にて繼授す。時に、永保元年の猛春なり。

〽千代八千代安倍主君今立てり
    荒吐神の燈り絶ゆまず

則任の一句なり。是より旧臣呼寄せて東日流之星ぞ、旭日いや輝けるこそよけれ。古きは安日彦王起りて國となせる。次に髙星丸再挙せり。

元禄十年八月   藤井伊予

東日流史抄

北斗に安倍日下領とて、不没日國・角陽國・夜虹國・神威茶塚國・西千島・東千島・流鬼國・日髙渡島國を以て日下中央とせり。北土民王族ありて、各々エカシ及びオテナを國守とせり。エカシ四十人・オテナ三十三人、荒吐族とせしにや、海交に益あり。北斗の地産ぞ、唐土にまかりて黄金となりぬ。漢方藥料、海獣にあり。精臓干物・黄金、重きに同價す。毛皮能く得たるも、猟虎・白狐・白熊・鹿角・鯨牙・鮫尾ら髙益たり。

北斗の収荷に及ぶるは、七月より九月にて海交す。屆くる品、マギリ・内物・縫□・□釣・着物・五穀・銅鍋ら北斗民の好むところなれど、鉄は無用にて總て物交なり。

信仰は、祖先と神と一如に心得て、エチヤルバを設けぬ。神像造らず、宇宙なるを神とせり。陸海を母とし、天日を父とて仰ぐは荒覇吐神なる信仰と似たり。

安東船北海に赴くより、その暮し攺むは衣食住にして、獣毛を織なせる智識に到れり。北地の夏ぞ早逝にて、寒冬長けれど日没なく、常白夜なるは日輪の眠れる國なり。

日下領とは是の如き神國なれば、海に獣泳ぎ、魚群海潮に盛りあぐるが如し。氷塊、海に浮遊し、北獣これに乘りて渡るを見屆く。東北の大陸、南に果なく、野馬大地に駆す。大頭牛ぞ、地鳴をして山野を渡る。大角鹿また然りなり。地民是を常喰とし、體力强し。

人相みな吾等に同じく、大祖にして血脈同祖なりと覚つなり。安東一族地住に渡りて、歸らざる若者多く、彼の民族に娘を得て酋長となれる多し。騎馬に長じ、潮流海渡に船交し、彼の馬を得たるは安東船耳ならず、昔にあかりて交ずと曰ふ。

元禄十年八月   藤井伊予

東日流タダラ誌

日下の國領に産金露堀に鑛を得、また流砂に選びて得ること多し。是を塊とせしにやタダラを以て鑄す。

タダラの図

金を得るは安東一族が古来の営にして、馬を飼ふもまた営にして、木戸を設くは一戸より十戸に擴域す。牛は荷駅運に用いられ、馬は軍に騎馬とせる(※この部分二行、判読不能)得るの儀は金を以て途速なりぬ。安倍一族にして鉄を得るも、またタダラ多し。閉伊國に能く産せるは、馬産も同ぢうせるなり。依て政所を茲に長じたり。

古来より産金貢馬を以て秘とせるは、一族の安養を謀りて、倭人の謀に乘ぜざるを旨とせり。世々をして奥州を征夷にて侵略せしは、この財寶をめぐりての奸計なり。飽田金山・渡島砂金・閉伊金山・北上川諸金山・白川諸山金山をして巨資を得たるも、未だその藏處ぞ密にして知る由なし。

秘図を天明に三春城焼きて失せば、是を尋ぬるとも得ること難く、今はただ東日流石塔山の神爾秘交状に耳、内藏せしと曰ふも定かならざる處なり。いかにせん、安倍一族の大事の他は、世にいでたる試し無く、三春城焼失の幕府勘定處借金ぞ即年に返済せるは必中にして、諸藩是に驚けり。

會津藩、朝賊とて、三春・白河・二本松をして官軍を防がむの軍資を三春藩に請ふれども、藩主幼き映季にして主命津輕石塔山に及ばざれば、寶藏閉じたるまま、後盗侵狙に用心なし移しけると曰ふなりしも、それに當りたる人ぞ無し。

元禄十年八月   藤井伊予

和田一族の事

和田一族と安倍一族の縁りは、橘次郎秋田孝季の妹に縁るも、その昔、和田一族なる史傳を逑べ置きぬ。

桓武天皇後胤・平氏の流れ、總州に存し、相模三浦を知行し、三浦爲通を祖先に安じ、以後在庁官人とて代々三浦之介□坂東八平氏一族とて爲通後、爲継・義継・義明と續きけり。衣笠城を舘とし義明、治承四年八月伊豆に挙兵せる源賴朝に呼應なし、打倒平氏の旗をかかげし理由には、前九年の役、源氏の幕下とて出陣せる三浦爲通の故因に縁るもの也。

爾来、平氏にして平氏に非らざれば、和田義盛自ら兵馬を挙げ、石橋山に兵を挙げにし源賴朝に合流せんとす。總勢三百騎、石橋山に兵を挙動せしにや、丸□河の洪水甚々しく、賴朝敗報に空しく衣笠舘に引きぬ。然るにその途中にて平氏の手勢畠山重忠の軍と遭遇し一敗地にまみれ、小坪峠に脱しぬ。

然るに平氏之軍、三浦及び和田の軍を追討やまざれば、一族挙げて房州に落つぬるも、三浦義明一族を安着の楯となりて、平氏の勢畠山重忠・河越重賴・江戸重長らに老將三浦義明討死せり。

時に和田義盛、源賴朝に從いて將と相成り、將軍弟範賴に從へて四國南海道壇之浦にぞ平氏を討亡しぬ。義盛の和田と稱せしは地稱なり。義盛が源義仲を討ちてより義仲の室・巴御前を後室とし三郎義秀を産ましむ。

巴とて義仲の室たるより一途に源家を案じたるも、遺兒なく、戦場にて自害を救いたる義盛と契りて胎すは義秀なり。依て義秀、父義盛が北條氏と相信條合はず幕府を攻めにしや、敗れて義秀のみ浦賀に海宿り、安東船に救はれぬ。爾来一族、秋田河辺に一族ともに住せり。

元禄十年八月   藤井伊予

安東月影抄

古来より安倍安東秋田に縁ゆ多けれど、史證に立する少なく、主また津輕に遠く旧臣散々ぬ。

秋田にても、亦然る處なり。古習に地の行事傳統あるも、歴史と要なすこと少なく、たゞ遺れる處は、人々通はざる石塔山耳なりと曰ふ。

安倍の月影、幾年に待はびよとて歸らざるに逝き、今にして故地に何事の傳やあらん。心淨かに想ふ古代津輕の月影より、天に仰ぎ地に伏せども歸らず。今は津輕藩五萬石の警視に免れるなし。然るに安倍一族の灯ぞ、津輕に消えず。茲に外三郡之聖地さながら藩外之地とて残るるは、奥州東日流里飯積之地なり。石塔山大山祇神社はこのしるべ哉。茲に往古の一篇、此の書に記逑せるは如件の如く也。

元禄二年神無月   藤井伊予

一天之下に日輪ふたつなし
  月照れども陽熱なし
   茲に一点灯さばや

角次郎