断片史料集2

荒覇吐城柵抄

平築法 丘築法

右図

寛永十二年二月一日 藤井美坂

大祓之事

神に奉済度せるを、いつきおろがむと曰ふ。亦、神を奉る事を鎭坐と曰す。

諸國にて、神事を成せるに大祓の奉典あり。その詞に、日髙見を安國と定め、とありけるは、奥州を日髙見と認めたる證にして、安國と定めとは、安東の國たる故縁なり。依て、日本國の原流ぞ、奥州にありと然るべきなり。

神は、荒覇吐神を以て一結し、天地水一切と和して未来あり。逆えば、外道なりと曰ふ。

元禄十年五月十一日 藤井伊予

神示之事

神は、いかなるものをも裁く。

人の身心を以て謀り難し。神は、平等に攝取せると願ふるもの。救ふ救はざれるは神の裁きに非ず、人の心に生ずる邪思意なり。救はる救はざるは、己が心の故なり。

神は、浂に生命を与へたり。然るに浂は、身心をして造惡す。身體八腑、父母に受乍ら、報恩非らざる多し。神を崇むと己が慾望耳にて、運勢至らざれば神を恨むが如き心に、神の救済あるべきもなし。

心は浂のものにて、身體生命を世に受くは、神の御示に依れるものなり。依て、體は浂のものならず、浂が心のままに從ふるも、生死のなかに浂のみを救ふるべきもなく、神は浂の諸業を天秤に計らざるとても見通しなり。御示のことぞ能く保べし。次に、神なる御示を記置くに付き、勤めよ。

御神示之事

世に生を受く者、神なる御惠なくして、一刻の生を保難し。浂が一日に餌とせる總てに生命ありきを知るべきなり。例へば一粒の飯にも、生命ありきものなればなり。

萬物は生命を以て、世に種を遺す。浂が生命あるは、神なる施主に依りて成れるなり。依て、身體八腑父母に受くとも、神なる生命の配類に生を受けたるものなり。神は前生の業を裁きて、生種を世の萬物に配生す。例へば、前生に人間たりとも、人間に生を受くとは定まらず。業を天秤に計りて、その罪なる輕重にて生命體を持續せるもの、異にせるもの顯れき。

是の如き神の裁きに、悔をなせるは信仰なり。荒覇吐神は、罪ある者のために救済あり。人間に聖を顯して、神司とす。世に聖者とて、その諸行を求道とて遺せし三世のなかに、佛道を遺せし釋迦牟尼の如く、回教を遺せし麻保奴津止の如く、その天地にありて、人の道に求道を施したり。依て信仰に國境なく、人の心に渉るなり。日之本の天地には荒覇吐神を信仰してよろしき哉。日辺の國なれば、天地水の顯れ易き聖域なればなり。

天に運行あり、地に四季あり、水に風雲ありて萬物生生す。日輪は諸世界の人々に神とて崇まるる。諸行諸法ありとも、元より日輪は一つなり。然れども、宇宙にては一点の星にて、天に渉りては炎の星、日輪の及ばざる巨星ありと曰ふは、天文の學士の言なり。神は地界に日輪の光明と水を與へたる故に、萬物は生生を得たり。

是くあるも、生とし生けるものに生死あり。生は次世を造るるためにあり。死は新生人の老骸脱皮なり。萬物は生死を以て、魂に命體を着す。神は、その命體をその雌雄に魂を配しめて、誕生せしむなり。命體なき魂魄は、神なる裁きを免るるなき故に、萬物生種を異にして産るなり。例へば犬を生殺せしもの、犬に生れるが如く、人間にして人間に後生を得るとは、神なる裁きに依れるものなり。

古き世の人祖より、神を心に感じ、信仰を遺したるは有難し。日之本國の信仰なる創めは荒覇吐神なり。天地水一切を神となし、神を天然一切なるものとして祭祀せる法は、神に近ける古事の遺来こそ誠なり。代世をして、神を人心に依りて造り、人心を誘ふる信仰ぞ、是、信仰に非ざるなり。人心をして造れる哲理は、人心の爭とて誘發し、代世に戦事起りて、人は人を殺伐し無法にて崩るなり。

萬物ありて、生命あり。人ありて、神を智る事得乍ら、神に逆ふは、生生さながら人身をして、世に生を受け難き邪道・外道なり。是の神示、日本將軍安倍頻良が自から安日山に籠りて授られたるものなり。能く保って、子孫に傳ふ可也。右、神示の事如件。

元禄十年八月一日 藤井伊予

己巳年元年 攺原漢文
末吉再書