詳しい解説/和田家文書コレクション

再書者・和田末吉について

和田末吉

所伝を検討すると和田末吉は、天保二年の生れで大正八年の逝去のようです。和田義秀の流胤とは言うものの、世襲の移ろいによって、津軽で農民の生活を送っていたようです。名前から判明する如く末子の生れで、正規の学問は学んでおらず、父から密かに学問を学んだ程度のようです。いわば市井の庶民といえるでしょう。

明治時代になって諸事情により、和田宗家を継ぐことになった末吉は、宗家の祖来の仕事である「和田家文書」の再書・保守に取り組むこととなりました。これは主君・秋田家から委任された仕事です。

明治写本の編集について

現在われわれが見る明治写本は、そのほとんどが和田末吉の再書です。彼の再書の方針は、「古き書は今世に讀み難ければ、時代の新しきに乘じて解書せしものなり。」(東日流外三郡誌362)、「山靼記及び世界の地名、現稱を加へたり。」(東北陸羽史談三)などとあるように明治以降の知識によって編集の手を加えている可能性があります。

また、寛政原本の漢文のほとんどを、末吉が“現代文”に読み下して再書しています。その際、正しく翻訳されているのかは不明です。話の大意はともかくとして、細部に関しては疑問な点も多くあるのが実情です。ですので、現在のところ、和田家文書(=明治写本)を

①物語として読む
②歴史資料の参考として読む

のであれば問題はありませんが、

③江戸期(及びそれ以前)の文献として研究する

場合には、十分な注意が必要です。和田家文書は市井の庶民の手による“書き継ぎ文書”と言われます。通常の文献学で言う「原本尊重」とは異なる見地で再書されています。すなわち、「原本の補修、内容の追加」という立場です。これは、寛政原本の編纂者である秋田孝季の「記載に漏るるあらば、追記自由にして・・・」という遺訓によるものです。