水神伝える(ガコカムイノツタエ)

丑寅日本国古代記抄 語部録 参

注要戒

此の書は他見無用、門外不出と心得よ。語部録は現世襲に染まず、世に示しては科を被るなり。

寛政五年六月  秋田孝季

序言

本巻は失なはれ逝く丑寅日本国の古事を、語部録を譯して綴りたるものなり。依て、倭史に基く史談の一行も記す事になかりき物語なり。古来、永きに渡りて丑寅日本史の出芽なく、常にして欠かるのみなり。依て、古代より祖人が遺しける語部録を綴りて、本巻の永代保存を志して編纂し置くものなり。

寛政五年七月一日
秋田孝季

語部録

一、

宇宙・日輪・地界の誕生以来、常にして生滅有移の時は逝きぬ。去るものは空となり、久遠に甦るなかりき歴史の轉末、須く無常の彼方に忘却さる。その眞如実相は權の威なるは遺るも、世相一変してはうたかたの如く消滅す。丑寅日本国に古き世の、世にある事の史実にかんがみ、茲に子孫永代に遺し、倭史の造話作説に討論せんとするものなり。

凡そ古代をして神世とせる、人祖、萬有の生命祖を異にする勿れ。神と曰ふは神と奉る大自然推移にして、人の祖たるなく、萬有生命の祖たるを知るべきなり。

宇宙の誕生以来、日月星の誕生に至り、地界は日輪との適当なる天體として誕生し、その光熱を受け、陸海の殻を表面せる惑星とて成長しける間、海に微細なる生命種として誕生せしより、その一種より萬有生命の祖となるべく生命種に分岐し、その一種の成長生物より人として成長しけるは吾等なり。是の如き宇宙の阿僧祇なる數の中に吾等は人として誕生せしは、天なる光熱、大地の成化、水の中なる化科の作用にて誕生せる一種の生命體より、萬有に各々子孫を遺すが爲に分岐し、現在にあるものなり。

常に生命は進化し、成長し、亦、進化のなきものは亡び逝く。神は常にして生命に宇宙天変、地候の異変を以て、生物生命を生々せんが爲に篩をかけて、生存進化の轉変をやまざるなり。依て、神とは天然自然にして、人間身なるものゝ直系に非ざるを知るべきなり。

神とは、無より顯れ無限の暗を光熱に爆焼せる神通力にして、その相の大なるは宇宙を掌握し、小なれば見えざる如き透明の分子なり。神は化科の動力にて暗を焼き、また暗に復し、成長と破壊、生と死を萬有にくりかえして存在せるものなり。能く心得べし。

神とは、人の自在になるものに非ず。神をして祀るものにして、その果報を得るとの心に叶はざるものなり。語部録に記逑のあるは是の如き、因と果との哲理なるを覚つべし。

寛政甲寅年  秋田孝季

二、

世は總て、因に起り果にて成長す。生とし生けるものゝ總ては、祖に遠き因あり。現在あるは果の成長なる、生命種分岐なり。宇宙の誕生以来、因と果の化科成長にて生死を輪轉し、新生に進化をなせるは生命存續の法則なり。また、萬有總て成長と破壊を相伴ふて未来あり、現在あり、過却ありぬ。時の過ぎ逝くは法則にて、却っては、たゞ滅消あるのみにして、子孫生命は世の候に併せて進化し、おくれしものは滅亡あるのみなり。これを消滅の哲理とし、時なる法則はしばらくも、とゞまるなし。

古代カルデア民は常にして、宇宙の運行を見て計り、時を知り、暦を知るに至り、大廣野・大洋を渡る陸図・海図を知りければ、故地より戦に脱して、子孫安住の新天地をぞ知りて、人たる生命の滅亡なかりきも、既にして因と果との法則、進化對生化科の哲理を悟りたる故のたまものなりと曰ふなり。

過却は現代の肥にして、現代は未来の肥なり。神は生死を造り、萬有の破壊と起因を造りて、世代を永續せる時の流に乘せて一刻の駐り難き生命の法則を以てなせるは、神の爲せる總てなりと曰ふ。かゝる光陰の移逝くを悲しむ勿れ。生命は私をして未来に必ず甦ると信じ給ひて、現世の境に怖る勿れ。善行は善行ながら、悪は悪乍らに、神はその轉生を裁きぬ。依て、生命ある身をして光陰を空しく渡るべからず。能く道理をわきまえよ。

丑寅の神荒覇吐神は、衆をして心に惑を導くなく、安心立命を以て生老病死の眞理に解脱の法典を与ふなり。

寛政甲寅年  和田長三郎

三、

人身にして世に生れたる今上の生命を、自からも尊重すべきなり。亦、他生の生命あるものにも慈悲あらば必ず報はれん。学ぶ事は生命長寿の長薬なり。死に至るまで学ぶれば、死門に却って新生にその智を得て生ぜむを、心に信じて疑ふべからず。一刻の光陰も空しく渡るべからず。

心せよ、神とは己が三界に見通して、如何なる生々の間も見通して知る處なり。依て、神と曰ふもとに吾等はその陰陽を父母として生を甦したるものなり。前生の善行ありて、授け難き人身をして生れ、その生涯を悪道に渡世あるべからず。心の己れに勝じ、善道に生々の歩を固持し、如何なる惑にも己を失なはず、迷道に外るべからずと、荒覇吐神の信仰に精進あるべし。

倭の神話にあるべく如き神代たるのありまずく、高天原よりの人型なる神の降臨神話ありまずく、荒覇吐神たるの神は、人に造れる神に非ず、天なる宇宙創誕を成らしめたる神を神とせる神の信仰なり。依て、衆をして信仰に惑うなく、迷信に堕ゆるなかりき。眞如実相の眞理に、安心立命を以て生々の衆を救済せんとて、はるかなる古代に、丑寅日本国の国神とて住民の信仰を一統にせる神なり。

寛政甲寅年
大光院法印戒覚

四、

日高見の川に、泡の顯れ消ゆるその相を、人世に問ひ曰ふなれば、日本將軍安倍賴良が曰ふ如し。

〽われはしも 逝くや流れの 日高見に
  一期の際の 白百合の花

是の如く遺歌ぞ遺りぬ。亦、安倍厨川太夫貞任は一族終末に詠ず。

〽わがいほは 火炎の果に 焼失やきふせし
  跡にいかでか 雪を衣に

安倍太郎千代童丸の遺歌にぞ想ひありき。

〽わが知らぬ 三途の瀬踏み みなゝがら
  吾が足跡に 雪ぞ降らしめ

安倍一族の末期にも、一族の信仰は心を乱さず、安心立命にて己が一生を四苦諦せり。憎むべくは源氏なり。古代悠久たる歴史の系累に存續せる丑寅日本国の大王たる安倍日本將軍を、執拗にも、尚且つ一族代々かけての戦と占拠に侵領せしは、南部たるの地稱にまで遺し、古代の證跡ことごとく消滅せし忿怒やるかたもなき行爲にぞ、祖恨の鉄槌あるべく天誅の降ることありなん。

語部録に曰す。
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是の如く今に傳へぬ。丑寅の国日本国とは、有史の史実なり。何事の理由に以て是を消滅せんとするも、荒覇吐神と大王たる日本將軍の證跡ぞ、絶ゆなきを知るべし。

世に安倍・安東・安藤・秋田氏一族の累代ある限り、消滅なき息吹きぞ必ず甦えらん。吾等が日本国は北斗の星を神と仰ぎ、荒覇吐神を移世化科の眞理と信仰とし、萬がひとつの外るゝなく、末代永世に絶ゆなきを祈るべし。天日平等にして見捨給はず、子孫円満に再起の勲を讃へんや。

文政甲申年七月
小野寺幸賴

五、語部祭文之譯

天に光りあり、暑き降り降りて雲ぞ立つ、風ぞ起りて、陸海の生とし生るものはみな、かゝる自然の化科に生き死して肥となる轉生を一生一期にめぐる生死の移りをば、なぜに悲しみ怖るゝか、死出に歸らぬ骸身は生老病死のたどりなり。

生きている身は、幾歳の長寿に願ひ祈るとも、不老不死なる事に叶ふる神はなく、死するの覚悟怖れては、生きている身のあわれさよ、死こそあり。吾が生涯の輝ける道こそ開く新生の、死してぞ至る甦生ぞ、生きてある間に悟りてぞ安心立命と心に救済の求道なし、荒覇吐神に祈りてぞ、叶ふも叶はざるも死は至る。

今こそ祈れ眞理の開き、今こそ脱けよ邪念をば、淨かに想ひよ、若き日の己が歩みし生涯の善にも悪にも、吾れありと悟りて至る死の門に、清ける身にも、けがれし身にも拔け出でゝ、魂魄迷はず新生の門ある處、浂れを待つ若き妹背に生誕の胎に入りなめ。愛し兒と心淨かに思いとり、浂れは逝けども骸のみの脱皮と悟り、新生の末代を、いかでか善道の魂もって生れきた、復生の果報に祈らめや。

あらはばきいしかほのりがこかむい、とぞ稱へてのみの至るなり。是の如く説きけるは、古代丑寅の民が、天に仰ぎ、地に伏して、水に清める身體を行じて祈る所願なり。神を崇めども、神とは天然自然にして如何なる人師・論師の誘導にも心不動にして祈りてぞ、本願に至ると曰ふなり。

生々は安からねども、救への道なれば求めよ、願ひ給へよ、祈り給へよと。荒覇吐神は常にして天然自然に、空風水地の浂れがまわり何處にありとも、神は坐しませり。是の如く心に学び修む人こそ幸なり。神は求むる者を見捨て給はず、幸ある新生の次世身を浂れに与えん。神は心に依りて引導し、心なきものに引導あるべきもなし。死後界に極樂地獄のなかりけく、現世に生るを人にして他生に生れて甦るこそ、因果應報なりと心得よ。

寛政庚寅年五月
秋田孝季

六、

地獄極樂をさもありなんに説くは佛僧なれども、世にある者の誰とて、その両界に見たる者はなかりきは事実なり。死して裁かる死後世界は非ずしも、世にある無法無賴なるゝ輩に戒しむる法便なりしも、總て僞りなり。世にありて地獄あり極樂の遭遇あるは、生々自らも知りにけんことなり。

語部録に曰く。
死すは骸にして、魂は不死なり。骸を離れし魂は總ての自造善悪を離れ、憶測に財産に何事も世に捨つる逝様なり。親も子も兄弟姉妹も継を断って、魂はたゞ新生の肉體にこもる、雌雄の精に求めて飛遊し、その両親をして世に誕生して甦えるなり。

然るに、人なる生前の生命體に生るとは限らず、虫か鳥か獸か魚貝か草木かは前世の己が積念に依りて蒙る、因果の應報なり。荒覇吐神は天然自然なれば、その蘇生を萬有に、生々を異なしむること全能なりと曰ふ。生々のうちに心得ふべくは、人間たるの心を失ふべからず、かまえて往生せよ。

古代人の信仰はかくありて易なれど深く、人の一生は生々の一期にただ煩悩なり。己れを制えず、體慾のまゝは心なき生物の行爲なり。是れを制えず、再度人體をして世に甦りは非ざるなりと曰ふ。荒覇吐神信仰は、かくあるために信仰を重じ、天地水の精靈に行願祈願を眞心以て行ず。カムイヌササンとは、この爲に存す。

寛政甲寅年  和田長三郎

七、

世に光熱なくして、物質は化科せず。水気なくして、生もの生ぜずと曰ふ。宇宙の誕生を起せしも、時空も無き一点に起りし光熱の故に物質は遺り、宇宙銀河の阿僧祇なる星は誕生す。その隅星のひとつぞ、地界星にして、吾ら萬有の誕生あり、現に至るなり。

生とし生けるものゝ生死と進化、その生々流轉のなかに、人となりける吾等あり。萬有に越えて智生す。人は手に道具を造り、石を刃物とし、石土を器とし、更には火を用ひ、石くれより金銀銅鉄を産し、木を伐して住居を造り、農耕を以て保食し、衣食住の安らぎに暮しを全うせしに、人は權を振い階級を造り、更には神をも造りて、代々に久しく衆を苦しめ、現に尚以て往行す。

丑寅日本国にては、先進の智識を民心に渉りたる故に、殺生ものともせざる權力に敗れ、北への脱住に安住せしも尚以て征夷とする倭の侵攻止まず、朝幕何れの世襲にも出芽あらず。丑寅日本国は倭への併合に權政さるなり。税とて地産の略奪は住民の生かさず殺さず、ただ貧窮に置きて救ひなく、神への信仰とて倭神及び佛教にぞ攺むるの行爲に反きては、罪刑容赦なし。信仰とて、散財を布施をと、死する葬儀も階級、戒名にて異りぬ。

かくある代々のいつまでか、必ず是の誅滅あらんや、丑寅の民に悲願、荒覇吐神、救世の神通あらんをば、千秋こめて祈りなん。あなかしこ。

明治丙申年  北屋市十郎

八、

無にして、何ものの質物もなき無限のなかに、一点の因に起る化科の法則は、計知れなく、果の物質を産みなす。宇宙の肇めは是の如して誕生せしは阿僧祇の物質なり。この物質化科、因と果とのはてしなき分岐長の質物を個持し、日輪の如き星光りてなき暗黒塵雲ありて、更に、質に異れる星の誕生ありて宇宙は成れりと曰ふ。

ましてや萬有生命の誕生せし地界は、萬有の中に人たるの生命を産みなしたるに依りて、人の世としての現今に至りぬ。抑々、人の智識にては神の造りし、その神秘に究めんと欲し、地殻のみならず、海に空に人を征するの武男を造りて征行權を掌握せんと欲す。世の末なりとはかくのときに人みなゝがら滅亡すと、天竺外道の教典に記しありぬ。

吾が丑寅の信仰に語部の傳、是ありぬ。人の世の終末は世に残れる生物まれにして、時を経しては日輪と倶に宇宙の塵と破粉すと曰ふなり。天竺にては是をラマヤーナと曰ふなり。人のおごりは常にして絶間なく、如何なる世にもいでませければ、神を以て信仰にぞ暴挙を制へむとす。

然るに權謀術數にて人は爭を止む事なし。心せよ言語一句にも敵を造る勿れと。

末吉

自明治卅参稔至四十三稔
再書 和田末吉