断片史料集4

閉伊猿ヶ丘郷遠野邑

安倍次郎賴任家藏書に依る史談に曰く、

康平壬寅年、日下將軍安倍厨川太夫貞任討死以来、遺兒高星丸は、菅野左京・髙畑越中らに護られ落着。その仮陣砦とて、北貞任山及南貞任山に武具・兵馬を備ふれば、山背の物部和郎と申す者、源義家に間諜せり。源兵壱萬餘騎挙げて遠野邑に進駐なし、安倍一族を北貞任山に攻るも、難攻不落にして、冬至れば、義家軍を引退せり。

此の山は、安倍一族に事あるときに、永く秘藏せし資金を藏し、陸中・陸前の産金を集めたる處なりせば、源氏の掠奪を怖れ、取急ぎ姫神洞に移し、幼君髙星丸を、荷薩丁の淨法寺□□家臣も添ふて移り、北貞任山・南貞任山の砦を焼却す。西法寺遠野邑にあ□□どこれをも焼却して、北に落去りたる後、源軍爾来駐留を解きぬ。髙星丸は髙畑に移り、更には津輕平河郷に落ぬ。

かくして藤崎城を落慶せしは□久庚戌年なり。依て遠野に、安倍太郎秀實残りて旧臣を集め、拓田・拓畑をなし財を得たり。古来より仙境に在り乍ら、里廣き遠野邑は、産金・貢馬の要地にして、穏金山あり。その秘處ぞ、未だに知らるなし。鑛師吉次邸□□れども夜討に遇ふこと暫々なれば、逐電せりと曰ふ。

遠野の諺に、黄金咲く銀の木、荒覇吐神耳ぞ知る。李を伐しべからず、と言ふ。鑛地に鑛草芽ゆ。地底に億兆の金出づる、など謎言今に傳はるは、秘處を解く諺なりと曰ふ。太古に荒覇吐王のハララヤの置きつる頃より、一族の一大事起りたる時に備へたる處なりせば、その秘事は固きなりと曰ふ。

白河文献に依る處は、金山しるべあり□□も遠野なる地産金、凡百萬貫、と記されど見當たるもの未だになし。知るべきは、四郎丸阿武隈ツボケ山に聞け、と曰ふ諺もありける。陸奥津輕中山にツボケ山あり。此の二山と猿石南北に存在せる貞任山の二山、これに解くべき鍵ありとも曰ふ。

遠野邑に今はなき西法寺・佛頂寺は、日下將軍の建立せし寺なりと曰ふ。荒覇吐神社、貞任山二山にありと曰ふも定かならずと地住の人曰ふ。

遠野邑二十六部落は、河童淵・白鳥・多陀羅・金糞原・金洗・天狗平・銀季林・刈萱・袖野・酒瀧・不老□泉・鹿澤・天馬野・湯之澤・□□野・中野澤・菊池平・猿飛・御白田・午引・馬追・鏡澤・神山・日照野・荒神谷・狐火・鉄石・遠野なりと曰ふも、今にして尋ぬるも此の地稱なし。

寶永癸未年八月 藤井伊予

閉伊遠野郷史抄

奥州上閉伊遠野郷説史談。天喜乙□年、日下將軍安倍賴良、開糠前四郎家忠依進言、釜石湊施築工□金銀銅鉄鑄造諸具、諸國交易、画策以大船謀商益稗貫華巻乃至釜石間陸路通貫魚貝牛荷駄便速達爲遠野驛宿、茲軍馬牧産鑛鑄採鑛山錬置爲要馬具兵具諸鉄工具商産一挙住人満寄各々営暮神社佛閣各邑建立。是閉伊郷安倍氏入封始也。

安倍富忠及子息富長父子此之地領代主、築髙舘住居。然天喜□酉年、日本朝庭之蝦夷討征令、安倍一族爲逆賊、源軍攻侵時、反忠誓源氏、羽州淸原一族、閉伊安倍富忠父子也。鳥海柵在戦陣、日下將軍安倍賴良、突不意討死。貞任攻遠野討富忠父子。

爾来地豪忠臣委領、後世南部氏糠部□遠野郷、造鉄産鑛牧馬、皆習安倍以来之営保、如件。

寛政乙卯年 秋田孝季