日之本東日流古事録一

序言戒

此之書は他見無用門外不出とせよ。

寛政五年二月六日
秋田孝季
和田長三郎吉次

開巻口上す

抑々、日本の史書は古代を神に以て筆頭とせるは、荒唐相信不可の不實在なる記逑なり。亦吾等が居住せる丑寅の地位を化外とし、住むる民を蝦夷とせしにや、甚々勝手なる綴りなり。

もとより日本國と稱すは丑寅なる國號にして、是を支那にては古き唐書、新旧二書にも明記ありて、坂東より西國を耶靡堆やまとと稱せり。その國主を、阿毎氏を姓とせる耶靡堆彦を一世とせるより、此の國號とし別稱には倭國亦は耶馬臺國とも曰ふ。

抑々阿毎氏之祖は丑寅より進みたる王にして、その大祖は山靼にして世の創より人の成れる故土より、黒龍が白龍となれる大河を渡り来たるものなりと曰ふ。その古事に尋ぬれば、幾十萬年なる前代のこととて、東日流なる語部に言はしむれば、古きより阿蘇辺族次には津保化族次には麁族次には耶靡堆族の熟族にして、降世にこれら併せて荒覇吐族となりて國造れりと曰ふ。

即はち日之本國の創にして初なる國主を安日彦王とせり。王なる髙倉ぞ、日本中央なる津保化山に即位の儀を挙行しけるに、一族挙げて此の地に石塔を築きけるより石塔山と號けたるに古傳遺す。祀れる神は天なるいしか、地なるほのり、水なるがこを一稱に號しあらはばきかむいと天に仰ぎ地に伏して禮拝し、ぬささんとぞ稱す祭所を三股のじやらと曰ふ神木を神なる降處として、かむいのみと稱す神火を焚き祭事を挙行し奉れり。これぞ日之本國神爾之創にて巨石を聖地に築きて神ともせり。

その神置にては、北斗の不動星を神なる常世の國とせる故に人々向へて崇むる方位に築く多し。是なるは安日彦王が成れる昔より、東日流にては山靼の傳来に依りて祀れるものなり。山靼の故事なる傳また多くして、古き世に毛の生えし象・毛の生えし犀・毛の長き牛を狩りて極寒に生々なし、その神を天地水とて天然なる自然の一切を神とて祀れる傳統にありと曰ふ。

北斗は神なる常住國にして、晝夜を一年に及ぶる永きを神の一日とし、この神なる氷国に至りては神なる吐息は夜獨動せし虹の如しと曰ふ。陽光は圓ならず、四角に照るありとも曰ふ。山靼なる國の多くこの極寒にあり。南には支那・天竺を境とし、西に進みては紅毛人國に至り、その南に黒人國ありと曰ふ。紅毛人國にては十二神を祀れる、おりんぽす山あり。その神なる王をぜうすと稱し、女神をへらとぞ稱すと曰ふ。

紅毛人好みて土石を以て神殿亦神像を造りぬ。住むる人々生々平等ならず、權にして掌握し、戦勝の者は敗者を賣買し、勝者の墓なるは積石雲を抜くが如しと曰ふ。山靼國はかく敗者の多く移り住みける地にして、人々皆故祖なる種を併せて成れる民なりと曰ふなり。國を境する多く、國王また甚々多く互に攻防をなせる多く、都度に民多く難ぜる戦史に於てその史書多し。人の智は更るとも是の如きは惨なり。

わが國も亦然なり。住むる民、稻を耕してより戦の史多く、權にある者は勝者讃美に遺し、敗者にありては實をも消滅す。人ぞ權にありては更に望みて、王より神にも自稱し、その民は下々に水浮の瀬なき從々にうつせむなり。言に閉あり、行に禁あり、衣食住に安らぎぞ無し。不平に起ては、反きとしての刑罪は神なる天秤の輕重も善惡の分別もその意がままなり。神を崇む行爲また然なり。何事にして民の權なく、權謀術數のままなる國主に從ふるの他安住なきが故に、吾ら日之本の民は永く朝政の化外にありて、蝦夷の敵名に世襲を彼の西國倭朝史に綴られたり。亦國號までも奪取されにしは、やるかたも無き忿怒なり。

無史空白のわれらが丑寅の國・日之本こそ、本州全土の故祖にあるべく實相の史にして、彼の神州たるべくは實在あるべきもなき神代史なり。世に住むる民は天地水の惠を相違せるなく、神を自然とせる荒吐の信仰に於てをや、平等攝取たる生々の惠權なり。歴史に黒代なせるは、みな非理法權天の推移に免れるなく、善惡の興亡は輪廻す。

茲にわれは丑寅に實在せし眞實史を、いつ代にか讀まれ世の光に堂々たる障りなき世の至れるを、幾歳かわが滅後に經たるともその機を心に念じ信じて記し置く。わが信念を讀むる人に、眞實の人道たるべきを委ね置けるものなり。昔より人の生は五十年を一期とせども、世襲に於てをや、同じくしてもその安住の久しきはまれにて、辛き難遇に多きあり。生死は常に轉生し、人の善惡ふたつとも生滅なく遺りむ。傳継せるこそ憂ふなり。日之本國とは丑寅のわれらが故國なり。その歴史を此の一巻に遺し置かむ。

丑寅に日之本國創誕す

寛政五年四月二日
秋田孝季

凡そわが丑寅日本と曰ふ地稱の創は、東方に日の出づる海圍の國と曰ふ意なり。即はち、日東海に波を楯なめて日を髙く觀る國、と曰ふ意を以て日髙見國とも稱したり。本州の丑寅に果つる國末を東日流と稱し、玄武の海峽を北に渡りて至る嶋を日髙國と稱したり。この嶋より東北に千嶋ありて、神の眠れる國、神威津耶塚國に至る。亦北に海峽を渡りては流鬼嶋に至りて、その嶋末に流れ氷着せる山靼大河ありて、わが國人祖の渡来せし大河なり。黒龍が白龍になる河とはこれなり。

山靼國とは大國にして、白黒黄の種なせる國々に續けりと曰ふ。古きよりわが國に渡り来たる山靼人ぞ、よく交りて歸化せる多くして、採鑛鎔鑄の業を授傳せり。亦、牛馬羊鳥をも飼育に傳ふ。獸皮なめし着衣の物、手足にはく物、寝床に暖とせるものを傳へて、骨工も亦然なり。海河を渡るべく皮舟、木を伐せる金具の造り物を傳へしも山靼渡来人に依る岐工多しと曰ふ。

日髙嶋に遺りける鳥型の語り印ぞ、その要を知るべく古傳なり。亦、山靼語印・東日流語印を以て傳へられし羊皮の巻書の多くは、津輕藩の諸神社由来書収集審判に依りて焚書されき多くして、やるかたなき噴怒なり。印書とは古来より語部の語り引とて神社佛閣に納むらる多し。今にしては一点の納書あるべく寺社も無し。

古来なるは、今にして一点も在せざる故因は、大浦爲信の津輕一統の信仰・一統の民心、一統に策せる唯一の治領主旨なりて、如何なる山間浜沿の寺社に探當し、藩審に添はざるはことごとく焼却せると曰ふは事實なり。なかんじく山靼史にありきもの、安倍・安東・秋田一族にあるは、爲信自から手に執りて焚けり。

今にして遺れるは石塔山の遺物耳なれども、享保二年藩臣等、石塔山築塔をオロシア火薬にて爆砕しけるも、古代なる秘洞を知る由なく安全たり。山靼渡来人の遺物多くは、多く紅毛人が故國の傳多くして、わが國の史に障りあり。故以て禁書とせしは、津輕藩の耳に非ざるなり。

語部録に、今は量の傳少なけれど、我等諸巻に謹㝍仕り、後世に眞史の要を遺しける事を得るを悦とす。とかくして古事記・日本書紀に添はざれば打伐の憂ありきも、もとより犬尾振るに及ばず。朝幕の仇書となるらんに詮なく、一行にして眞を曲るの筆走あるべからず。後世に遺し置くこそよけれ。

丑寅に日之本國の創あるは支那古書にして證あり、山靼書に證ありて、然る處なり。古きより倭國を抜きて、稻作を耕し牛馬を飼ひ、海に漁し船を乘りて日東の彼方に航して、世界の擴きを知りて移りゆきける荒吐の民ぞ、往古の勇ある日之本國なる民なり。吾等にして探史、寛政元年より諸國に走り、亦北辰山靼に渡りて得たる手記の多くは、日本史眞随の誠を後世に遺さんためなり。

紋語露夷土民史の實誌

抑々我等と祖累の血を五臓六腑に累代せる、山靼の紋語露夷土民こそ我らが人祖なり。人の祖に、種を異にする勿れ。永き住居に依りて天地の異土陰陽の化にありて、人の種に異なし。大宇宙にも億兆の星あれど、宇宙の創にありては一種の源に發すと古人は曰ふ。

亦神なる信仰とて然なり。ただ古より人師論師の夢相架空に創られし神話に、亦作像に、寸分の靈験あるべきも無し。我等祖先の遺したる荒覇吐神はその類に非ず。天地水の總てを以て神とし、己が生命、己が身體の一切を以て神とし、神なる天地水の化を蒙りしものにして、己れなるものは物質ならぬ魂なるのみなり。魂に相なく、空に等しきを神より生命人體をいただきては、人に上下を造り慾望故に殺伐し、神を我身に交ふるの王となるありけるも、生死の轉生に免るるなし。依って子孫に己が長久を委ぬるも哀れむべき死にざまなり。

天道は地道にして、水に化をなして萬物は誕生し、理は人心をして造るべく、神論ぞ何事にも叶ふる實相なしと覚つべし。吾れ一人に成れるものなく、天地水一切の諸物相互にわれありと覚るべし。一木一草にも生命あり。生命となるべく種を産むるその生命を保つが故に、餌として他生を断って喰ふる罪を常に心に銘じてぞ、眞の人間なり。依て天地水の一切を神とせる荒覇吐神こそ眞なる神なりき。

山靼より傳はりし身心にこもる一切に、我等往古の歴史あり。權に成れる世襲の人爲になれる歴史ぞ、信じるに足らざるなり。山靼史に曰く、宇宙の創なるは億兆の前なる暗界より成れり、と曰ふ。天にまたたける星々また日月と我等が住むる地界とて、宇宙の起れる光熱の爆裂に依りて成れるものと曰ふ。この爆裂に諸星となれる物質生じ、星と成りては亦爆せる生死の輪廻ありて宇宙は成れるとも曰ふ。日月地界とて一粒の星ぐづにて、幾過久遠に非ざるなりと曰ふ。

何れにか日輪の陽光、熱を失いて爆死なし、その爆塵により復び新星誕生せしさま、萬物の生死に似たり、と紅毛人の博士は曰ふ哲理なり。地界誕生の創に、萬物の種元は同じくして、寒暖の異境、地に依りて種生に分岐を異にせりと曰ふ。人の誕生せるは海にありては、くらげ如き生命體より魚の如く相成り、陸に生を求めては蛙の如く更にしてねずみの如くなりて、猿候となり人間となれる異體進化を經にしてなれり、と紅毛人は曰ふ。

紅毛國の博士に曰ふは眞の學びなり。神をして宇宙は成たるに非らず、神をして萬物は世々誕生したるものに非ざるなり。總ては天地水自からの化によれるものなり。飛雲流水も同じく見ゆれど、同じからず。宇宙また然なり。人の生々流轉然るところにして、山靼史の眞理こそ眞にして、須く眞に非ざるは無し。

日之本の國造り

寛政五年五月一日
和田長三郎吉次

抑々わが丑寅の日之本の國は、耶靡堆國より移り来たる耶馬臺王阿毎氏の累代王・安日彦は、耶馬臺三輪鄕蘇鄕に高倉をなせし王にして、同じくその舎弟なる長髄彦王も同行せり。長髄彦は、北膽駒山鄕富雄の白谷の邑に耶馬臺の分倉王にありきも、築紫の國より勢をなせる南洋の渡り民・髙砂王の佐怒に侵領さること六年の攻防を山陰・山陽の地にくりかえしけるも、出雲及び南海道の住臣に背され遂にして耶馬臺の故地に戦ふるも、敗れて東國に大挙して主從も倶に落にける。

その由因には、舎弟長髄彦王の深傷に應戦振はず、亦重臣の磯城彦の討死、耶陀鴉の背信、弐田物部の反忠に依れるものなり。古より阿毎氏一族の掟とて人命を大事とせる耶靡堆彦王の遺訓を大事とし、住屬みな故地を脱して丑寅の地に落着せり。

時、支那より晋の郡公子一族、故國に亂ありて大船八艘にして東日流に落漂し、東日流大里に稻田を施拓せし一族に併合す。是に地の先住民を併せて、茲に荒覇吐王とて安毎氏を攺めて國王とて石塔山聖地に即位せり。

國を擴むるも戦とせず、農耕を以て地民を導き、その併合を王位七代にして北に日髙國・流鬼國・千島、西に飽田・巌手・越・出羽・多賀・亘・白河・坂東に至る國を併せて日之本國とせり。山靼より渡来せる民を併せて、西の異土諸岐を習ふより、國富めり。

東日流に阿蘇辺森に噴火あり。續ける八頭山の噴火にて、東西稻作を害すより髙倉を宮澤に移し、民多く移住す。時に大根子王なり。その王子に根子彦ありて、西南故地・耶馬臺國奪回に遠征す。進軍無敵にして、故地を回復せるより、紀元とせり。辺の民等、貢をなして從忠を誓発す。筑紫・出雲入誓して太平たるも、大根子派遣せる荒覇吐の軍人ら住むるを嫌って歸鄕多し。依て根子彦、築紫・出雲の國を併せて倭國を創國して荒覇吐王を分離せり。依て坂東を境とて一統ならず國二分せり。

倭にありて根子彦君臨せるを、世に孝元天皇とて秋田系譜に遺れる故縁ありけるなり。孝元天皇の滅後、開化天皇継しとき、荒覇吐神崇を廢し、先帝なる神宮を築紫・出雲の神々に攺めたるより、その信仰、あや及びくやかんの神を併せて天地八百萬神を祀る。依て、荒覇吐なる神ことごとく土中に埋むも、地神に崇む民これを堀りて新社の門神・客神とて祀る多し。

丑寅にては来朝に髙倉を移しめて、益々日之本の國盛んたりと曰ふなり。時に荒覇吐王を安東將軍とて稱し、越より支那に入朝せる使者ありて史に襲名を遺せりと曰ふ。時にして姓を安倍氏と攺め、阿毎氏を廢す。

丑寅に黄金出づ

山靼渡来人・伊古里と曰ふ者にて飽田・巌手に黄金を堀りて産す。山靼に交易せる唯一の寶とて、日之本國の東西に金の鑛を堀り、紅毛人、萬里の山靼荒野𡸴岨を經て来たり。紅毛國なる珍品を商品交金となせり。時に支那より西王母神・女媧神・伏羲神、青銅像器多く渡来す。亦、支那銭多く渡るも、我が民に振はず潰し金とて諸器に用いらる多し。

我が丑寅の國は羽州に鉄なく、巌手に鉄あり。金銀銅鉄みな乍ら鑛有す。茲にして倭國に聞え髙ければ、丑寅を討って取るべくの征夷に起てるは上毛野田道將軍なり。討物楯なめて三萬の軍人をひきいて船にて塩釜に上陸なし、伊津水門に攻めけるも、安倍日本將軍・安國これを應戦して、一日を經ずして討伐せり。伊津水門とは今なる伊津沼辺なり。

倭人の密に入る要所をして是の時より関を設くるは柵の創にして、飼馬を軍に用ゆるも山靼人の戦法にて、騎馬軍大いに振ふ。依て日之本國、縦横なる道を通し敵侵に備ふれば、倭朝謀りて、引田臣阿部比羅夫を將とて越より海路を軍船大挙して羽州を東日流にかけて遠征す。

ときに東日流にては有澗武うまのたける、宇曽利の青比流あおひるら二度にして比羅夫水軍を渚辺にも上陸をゆるさず、彼の船群を多く𣲽めたり。爾来、倭軍の攻め手なく安泰たりしも、丸子の嶋足、日東の分倉にありて倭の奸計に乘りて量金を大量に資持し倭に逐電す。依て髙位に付いて丑寅の要地を倭朝に告ぐ。

天皇して自から謀り、坂上田村麻呂この任にあたりて奥州に赴けど、尋常なる戦にて勝利を望むる段取を望こと叶はず。その思安からずと、謀りに謀りたり。依て、奥州に事なく侵駐を謀りたる策とて、田村麻呂は刀剣弓箭を帶ずして諸職の工を連れにして、至りては時の將軍・安倍國東、是を赦して入れり。

然るにや、膽澤母禮をして彼等の行状を探らしめたり。田村麻呂は長日、亘の地に置かれけむも、事無きに依りて多賀の地に入領を赦されたるも、是をよしとせざる惡路王、不意なる田村麻呂の営を襲ふるも、惡路王、逆死せり。

時に田村麻呂は從卒の工に討物を造らしめて奥州一統を謀り、密かに防人をたぐり寄たるときなれば、事を安倍國東に聞達せしにや生きて京師に還れずと、惡路王の人首を塩漬にて挙げて京師に引揚たれば、田村麻呂の史傳奥州平定の如く史書に遺りて、征夷大將軍たるの實なき史談、今もて軍將無類なりと作説の史に遺れるこそ笑止なり。

寛政五年六月一日
秋田孝季
秋田頻朝
和田長三郎吉次

古事録抄

日之本東日流古事録は六十餘州を巡脚し、隱扉の固く閉せしを探り収せし歴書なり。依て本巻に於ては、通史に無ける史證なり。日本國史とは倭史に非ず、我等が居住せし古今に通せる歴史を本巻に修めたり。文盲多き鄕人に覚らしむべく繪を以て説くは本巻の要にして、画に説き文を繪に交覚するが故の目的なり。

抑々丑寅の我が國は、古期に於てをや華榮たる歴史の所爲を遺したるも、前九年の役を經てより俀侵に依りて崩し、古来なる信仰までも俀神に相染りて一変す。是も世襲なれば詮なきも、丑寅の魂魄ぞ消滅せること久遠に非ざるなり。人の智は踏れて太く育つ麦芽の如く、結實は今に制歳を抜かん世にぞ至ること確實なり。

鉄を水に浮せ怒濤萬里を征く、銀翼を空に飛ばしめて馬乘の如く自在に運轉なして萬尺の上空に飛行せる機を造り、一弾を以て一國の亂を討伐せる爆裂弾。人の智は自然なる進化をも待たず日々發達し、文明はとどまることぞなけん。紅毛國にては數門の大銃を鉄造船に積備い、無智國の住民を征し國土を侵犯し地の幸を奪いたると聞く。我等は貧土に苦しむるも、古習の因果を朝幕に委ねては永代に浮ぶ瀬もなき哉。今こそ起って世界の先進に學を修め、古代なる阿毎氏の歴史に継がんや。

泰平は戦亂の兆なり。戦亂は泰平を招けども、勝者讃美にして總てが塗を異にせる故に、世に亂兆は絶ゆるなし。祖々より人命を大事とせし荒覇吐王の丑寅を護國せしを覚べし。茲に餘言し置く。我等が末代の本巻に讀まるる者よ、心して我が意趣を継ぎ給ふべし。人生を空しく渡る勿れ。老たりとて學ぶを留む勿れ。學ぶ者は朽るなしと覚つべし。迷信に惑ふ勿れ。信仰に没頭する勿れ。生々は己が生世に盡しべし。

書を遺し己が滅後に久しく世人を導くの學びこそ、古来なる我等が實踐に報はる丑寅の日本魂にして、久遠なる荒吐神への無上なるたむけなり。古人は眼鏡もなきに、宇宙の運行を我等に語部を通して遺したるは大いなる英智なり。亦、丑寅なる日之本國こそ古代にして山靼をはるかに紅毛國よりの智傳を授け、信仰に迷信なく、古事録に架空なく、王權は民權を犯さず人命を唯一にして尊重しけるは、大古耶靡堆の故地放棄をしてより前九年の役、東日流の亂に續きて民を新天地に難を脱しめたるは安倍氏・安東氏・秋田氏に相渡りても挙行せるこそ尊とけれ。

家系図に障る世襲の前に國賊たるとて世評にはばからず、安日彦王・長髄彦王を抜ずるなく現世に尚護持せるこそ賴しや。流轉の世襲國をして一人の民を輕んずる國權は自からを亡ぼすなり。天日はいかなる間村にも至り、いかなる民にも平等なり。

官武の權を應利して民を下級に造る勿れ。國ありて民一人をも無用とする勿れ。國頭にありて世襲の怒涛に日乃本列島船を𣲽没する勿れ。我等が丑寅に生なしたる者、今こそ化外蝦夷民と曰ふあらば丑寅をあげて是なる史論の者を粉砕すべきに起つべし。非理法權天は天地水の神告なりと能く心に銘じべし。

古祖總の創は山靼に在り

大興安嶺より東北に流るる大河黒龍江なる水源を分水嶺に越ゆれば、紋語露夷土湖に至るなり。地の民、我が日之本の住人と相面能く同じく相似て、狩獵放牧馬魚撈にして暮しを安住す。古き世に是れなる山河より毛象・毛犀を追いにして渡り来るは地之古老に即聞す。

抑々此の地に西より紅毛人なる商人、毎年更折々に来りぬ。春夏原野に蛟の多く、住民年毎占を湖に、住むる巨龍に會ふ會ざるの觀湖祭に委ぬと曰ふ。

西に旅なせば古代ギリシアの神住むる山オリンポス山ありと曰ふ。紅毛人の多くは岩石を工して住居造る多し。神々多く亦その信仰、異にして多し。何れに觀ぜども擴大なる大地に續く國々の境あり。その民をして戦事多し。

我が旅は満達に至りて明王の都・北京に至り、大黄河に降りて山東に至り地商より古書多く入手なし、揚州より長崎に至るなり。家藏の支那古書は大事としべき寶にて我永旅の汗に満てこそのものなり。

寛政五年七月二日
秋田孝季

中山訪古跡

初夏なる旭日、明け速く外濱なる飛鳥邑より澤道を登りぬ。地なる古傳に、中山分水嶺空沼𡶶を越しにける飯積の川上なる處に石塔山ありけるとて、遀處に聞かむ荒羽吐神を祀れる處とて尋ぬれど、山西に檜の巨木視界を閉じて幽めぬ。折しきり外濱より海霧逆のぼりて尚山道に外れきは足労も尚加ふるに、持負たる寒干餅二切を食ふの間、法羅貝の音ぞ山麓に聞えむ。心に躍りて其方訪れゆきければ一宇の草堂あり。

地民の祭事たる由に奇會せり。丈なせる大石ぞ群立し、是を號けめて石塔山とて申しなん。地之堂主・和田長三郎吉次と會たるはこのときが初なり。此の山に至り来るに、古より道を造らず渓を道とて古習なりと曰ふ。いぶせき乍らも神堂仮式に非ず、本築にして秘にありぬる多し。

堂主亦由来を語らず、參人みな親族にして古より此の靈山を護持せりと曰ふ。神式に非ず參人皆々大鎧に装いて、あたかも源平の昔を觀ぜるが如し。社史是在りて書かず他聞せずの誓書なして、古き由来を拝聞にあずかりきに、驚きたる古傳の數々は、古事記・日本書紀に皇らぎに仇なる書巻にして、安日彦王・長髄彦王を祀祖とせり。

故以て安倍氏・安東氏・秋田氏の古墳連らねき苔むす五輪塔在り。神洞とて、山底を抜くが如く地底に神殿を造り祭所の廣きに抜魂す。澄たる地底湖あり。耳鳴り人聲も屆かざる瀧ありて、その流水ぞ何處にや流れ至るを不可思儀に覚ゆなり。

諸々の石棺祀れる處あり。大古よりの久しき遺靈なり。至る處に古器あり。筆に難かしく、我れは秋田に和田氏なる三春藩ゆかりの秋田孝季との對面を約し、心に津輕藩を離職とぞ決したり。

寛政五年七月八日
白井秀雄拝

石塔山にて
巌神に焚けささぐ火のうなり燃ゆ
 炎乃相神とおぼほゆ

眞澄

神洞記

東日流古期の遠歴に傳ふ、石塔山に築塔せしは津保化族と曰ふ古住民なり、と語部に傳ふは石塔山なる大石神に知るべし。地に洞あり。人に堀りたるに非ず。地自から造りし者也。津保化族、山靼より渡り来着のねぐらとせしにや、神を祀れる聖處とせむ。地上に石塔を築きて祀る向位は北斗の星にそろふれり。

語部に祭文遺りて、唱ふるは次の如し。
〽あらはばきいしかほのりがこかむい
是の如くくりかえしと曰ふ。

おもんみるにこの神の由来にして、尋ぬる古世の山靼に祀られき天地水の神なりと曰ふ。大根子彦と曰ふあり。この神の分社を鼻輪なる三輪鄕の丘にも築きて、稻神とせる石神、今に遺りきも大石神なりと曰ふ。

寛政五年七月廿日
磐井甚四郎

墳築之廢止を布す

和賀之地に荒覇吐王ら好みて倭人王の築墓を習へて築きたるに、安倍國東是を禁じたり。古来山靼之埋葬法を以て古習とせるにや、爾来丑寅に築墳なく古習に基きぬと曰ふ。

寛政五年八月十日
語部 帶川佐七郎談

平泉外濱間卆塔婆

抑々平泉中尊寺より外濱に至るの間に、藤原一門之佛施に依りて建立せし金色塗金なる卆塔婆建立に付きて、世に知る人も無きなり。平泉より東日流道を經て名久井麓を外濱にまかり通るは、厨川大夫貞任が息子・髙星丸が落途の道筋なり。亦古にして安日彦王・長髄彦王の落着路にて故縁ありせば、藤原一族とて是を東日流の佛場・中山千坊たる外濱に山麓をなせる石塔山へのしるべとて、黄金に塗工せし佛塔婆を安倍一族戦殉菩提のため建立しきるを志したり。

道程六里越しに建つるは、南無阿彌陀佛の稱號に本願を願ひ併せて一族長久を發願しての立志なり。佛塔六尺にして檜をば用いたり。黄金十貫を以て塗金泥を造り塔婆に施し、西に南無阿彌陀佛、東に阿閦佛、南に薬師佛、北に釋迦牟尼佛、塔頭に云字を書染たる金色塔婆なり。全柱百六本にして石塔山に立柱せしめて終点とせり。爾来加之立柱地に一里塚を施したる南部藩・津輕藩之施すは、今にして存在まだらなりと曰ふ。

寛政五年八月廿二日
豊間根權十郎

丑寅日之本國白山神由来

白山神は別稱□畔神、亦は姫神と祀る多し。その神祖にたどりては支那西王母に由来し、更にして女媧・伏羲の神々に緣源す。茲に白なる神稱を社となせるは、凡そこれなる故緣なり。白山神・白神山・白山□畔神・姫神・白石・白鳥・白老・白馬・白河・白瀧、等々皆々是れより分布せる神稱なり。亦三輪山大神は龍神にして、大物主神・九頭龍など後代付稱多きも、是くなればなり。