地神伝える(ホノリカムイノツタエ)

東日流語文字譯 語部録之傳 二

序言

丑寅日本国奥州東日流の地は、古来祖なる先人の渡来しける、人の初めて住むる国土たり。十五萬年乃至三十萬年なる先世のことなれば、如何して古事の知るべきや、尋ねてその證あるは、語部録にして、陳寶たり。

古代にして文字あり。住人これを覚つる多く、古事の諸事を記し置けり。文字に七種の字行あり。代々に字數を多くせり。後世に名付けられたるその種字に、七種の一より、

右の七種にして、漢字の用ゆはこの後世なり。

寛政五年八月  秋田孝季

和田氏系図

右、明治辛亥年現在累代にし、相違御坐なく候。此の系図は、出家及び分家移住の者を除き、宗家の實継せしものを系図に要記せり。家紋は丸に三つ引、裏紋丸に剣酢漿、馬印は井桁なり。

末吉写

古き世に山靼より此の国に渡来せる民族が、その故地にて用ひたる語の印になる、人の口言なる話の事を印にして遺す文字の始ありぬ。是を號けてコデと曰ふ。占に、鹿角及び亀甲にコデを印して焼き、その割目にて判断せる法にて、よく用ひられ、地水及び宇宙の運行までも占い、その印を遺したるは暦の始とも曰ふなり。

山靼とは民族の數多く、人の種あり。紅毛人、黒肌人らの国あり、大王をして国の民を治むる。人の智に優れたる国々多きも、常にして信仰に爭い、国勢に爭ふ、榮枯の移に易き乱麻の時代たり。かゝる故地の脱去、安住の天地を求め、東方に移る難民の群にもまたその定着に爭ふあり、遂には軍団となりて戦役各處に、故地奪回の爭掠いつやむぞなく戦乱は續き、陸戦に海戦にその勝敗をめぐりて、昨日の大王は今日の奴隷となり、また敗れし者の残黨の神出鬼没に、民の暮しに一日とて安らぎぞなく、征者の群は遠征をやまず、難民は追手なき無住民、擴野の續く北東の地に新天地を求めたり。

かくして成るはシキタイ騎馬団、モンゴル騎馬団にして、アルタイ平原に覇をなしたシキタイの歴史は今に残りて、やがてはモンゴルの一大騎馬大王国となれる。定住のなき無敵兵団は、大興安嶺、黒龍江の大擴野を駆け、小數なる民族を合せたり。

然るに、是を忌む民は更に東北に安住を求めて、吾が丑寅日本国に渡りし民ありて、安住の樂土を築き、地産の幸に永き泰平の安住地を日本国と號けて国を肇めたり。渡来の民は數度に渡り、最初なるを阿蘇部族、次には津保化族、次には麁族、次には熟族にして、是を一統併合せる大王国となれるは、安日彦大王の即位誕生なり。

国律として、信仰の一統及び民族併合を旨として、更に渡島クリル族、ウデゲ族をも併せ、日本国は坂東の安倍川より越の糸魚川に至るゝ地溝帶を、西との倭国に對する境堺とせり。民は既にして山靼民族傳来に依る八種になる文字を併せ、茲に語文字とて今に遺れるものなり。

通稱、語り印、めくら暦、數印、語部録と曰ふありぬ。此の書は、語部文字になる諸傳を集編して、全八十二巻に修め、永代に遺し置くものなり。

寛政甲寅年  秋田孝季

語部録要記

天地水神伝えるを以て傳ふは、古代東日流より坂東に至る日本国の跡證を訪ねて、地のエカシに傳はる諸々の古傳を集編す。

此の国より西に山靼の大国あり、その果つるところ紅毛人国に至り、西の大洋にて果つるまで幾萬里の山河を以て隔つるなり。北に臨むれば極軸に達して、常に白日夜寒の果に達するなり。陸地擴域なれど、寒気永ければ、人の居住まだらにして獸・魚の群、鳥の渡り阿僧祇なり。住むる民は、何れも山靼民を祖とせる黄色の種にして住めり。

此の国より南に續く大陸あり。南なる常白日夜寒の極軸に達すと曰ふなり。人の渡り、此の極寒にも達し、途中道筋にては日輪の黄道・赤道をして地候の変異ありぬ。地に異なりては、言の葉も異なり、暮しの赴き亦、異なりぬ。とかく人の暮しに導ける一族の主ぞ心に邪ありては、一族にして迷信邪法、また人を贄とせる祈りぞ習ひとし、あたら神を造り、大なる神殿を築きて人を𢭐々せしむあり。他族との戦を誉とせし非道を久しく遺して、滅亡せるありぬ。世々にして世界に絶えざるは、是の如き憂なり。

幸にして吾が丑寅の国は、人命を尊重して人との睦みを以て信仰に迷信なく、倭の侵攻にも泰平の条を以て對するも叶はず、その戦に敗北せり。依て、進みたる智の者は倭国に捕隷とされて、今に遺れる證は荒覇吐神信仰の名残なり。倭国に残れるアラハバキ神社、客神・客大明神・門神とて遺るは倭に移りし吾が国の民住むる道跡とて、何事の餘言あるべからざるなり。三禮四拍一禮の拝行、今に遺る神社はもとなる荒覇吐神社なりと曰ふ。

大神にして遺るは出雲なる荒神谷社にして、大社なる門神とて今に存在し、拝禮の儀、三禮四拍一禮、若くは二禮四拍一禮とて遺續せり。亦、築紫なる宇佐八幡宮、及び国東大元神社にも是く遺續す。更に尋ぬれば伊勢神宮にても、是く拝禮の儀、是在りとも曰ふなり。

荒覇吐神の起元は倭神よりはるかに古き神坐にありきも、その神格を欠きたるは、世襲のきわみなりと曰ふ。古き神、人の信仰無ければ、古代オリエントのシュメールなるルガル神のグデア王、アラハバキ神、ギルガメシュ王をしても亡び、ギリシヤなる神話に出でくる神々、コプトの神々とて今にして一人の信者も無く、砂漠や荒野に埋れき石の神殿遺るのみにして、永きに渡らば何れも砂と砕けむ。

遺跡に見ゆも、子孫にして信仰厚くして欠くことなければ、荒覇吐神六千年の今に至るゝ永きにも、崇拝に欠くなき鎭坐の社を今に遺りけるものなり。

寛政甲寅年 秋田孝季

語部異傳之事

一、

幾百年幾十年の間に宇宙に異星光りて去りゆく魔星あり。その歳に當りては天空の候を異なし、人は罪を犯し、悪疾流りて、戦事兆し、物騒しき世の前兆起ると曰ふ。地は震ひ、山は火を吐き、海濤は異流にして海に漁なく、陸に凶作の續難、人は多く餓死せんと曰ふなり。

語部は暦を重じて、宇宙の運行に暦を以て衆に告げる暦を、通稱めくら暦とて年毎に用ゆなり。・と曰ふ宇宙の運行を見つる日輪をして、炎熱の度を盛強衰弱ありと曰ふなり。宇宙は軸星なる北極星に當て、星坐その位置を異にし、突如として異星の現れ光るは、地界に凶兆を招くと曰ふなり。依て古代人は常に、宇宙の運行とその異星に神をして祈り、祭りを捧挙し贄を以て七日七夜の神行事を施しぬ。

文化壬申年七月  浮奈賴星

二、

吾らの知らざる、遠き過却の古事なる歴史なり。丑寅の国は、倭の国よりはるけき昔より人跡あり。卅十萬年乃至十五萬年に溯れる古事ありきも、世襲は倭人の東侵に征討、以て丑寅の国は敗北し、永きに渡りて歴史事は傳へを欠す。

語部録に曰く、
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と曰ふ如く、世を征して權力を掌握せども、その手段に遺恨多ければ、萬視を以て警護するとも、事は遁行にして、眞の事を代に傳へ遺す術ありとは、倭人に譯難き語部文字こそ、永代に事の眞情を遺す、不漏の方法たり。

丑寅日本国のなかに語部文字を讀むる者、その八種になる種字に覚つ者なく、神司の他に是を讀むを得ず、如何にしても倭人の智者をして解き難きなり。是、幸にして永代に古事を失ふるなく今に遺る寶典たり。語部録とは、かくして世々に遺る丑寅日本国史なり。祖々代々、是を害障さるゝなかりきは、丑寅民の代々に遺せむ法便安隱にして、如何なる世襲にも書續けられたりと曰ふ。語部録とは、是くして遺りきものなり。

古代より、文字を得たる丑寅日本国の実在は、倭史を以て白行なれども、先進の程を知るべし。大王のもと民に税無く、何事も睦を以て身命を大事と尊重し、爭ふを好まず安心立命を一義に、暮しを保つはまさに泰平の民たるなり。互に生々労𢭐し、神を信仰して迷信に惑はず、常にして子孫隆榮に代々爲し来たるはたのしき哉。

寛政甲寅年  秋田孝季

三、

語部録に曰く。
神を拝して安心立命を祈りしも、自から以て神懸りの振舞は、神事の許に非ず、人の心透を惑はし、神業の如く奇術を行ずるべからず。神業とて、人の病に無益無効のもの復用すべからず。不運・凶兆・悪魔を招くとて神への布施を求むべからず。悪靈の祟りありとて人心を脅迫するべからず。徒らに奇辨を以て人心を乱すべからず。神の救ひを己が神通とすべからず。神事に當る者は、無我の境に己れを辞し、神行事に當るべし。

古来、荒覇吐神の信仰に戒むるの条なり。亦、徒らにして物の生命を殺生せず、常にして自然をして神とし、神の相として、崇拝の他神を造り、偶像を神とすべからず。己の心に善とせざるを人に扇誘すべからず。自からを以ての悪心を去るべし。神は總てを見通して、浂の業をその善悪に以て裁きの天秤に決せん。

寛政甲寅年  秋田孝季

四、

語部録に曰く。
神の信仰に於て、人を呪ふるの邪行あるべからず。神は是の如きに、何事の靈験を示す事なかりき。信仰に以て、是の如き祈りぞ、自からをして凶兆を招く邪行爲と心に禁じべし。

浂、怒るべからず。自己にて満心あるべからず。学に長ずるとも、尚以て死の際までも学ぶべし。人は心、完成ある者はなかりき。對して己より言語一舌にも、敵を造るべからず。常に悟りしも、己をして底辺に置き、爭ふべからず。神は人の睦むる心にぞ、救済に天馳け降るなり。神は、人を下敷にして富める者を離れ、心に清き和のある者に、貧しきたりとも来臨救済せるものなり。

浂、人の富めるをうらやむこと勿れ、亦、淫蕩する勿れ。神の偶像を造る勿れ、人を貶める勿れ、盗む勿れ、殺生する勿れ、人の難を見過す勿れ。己れを自放し自殺を行爲すべからず。唯一心にして自他倶々和に望み、陽に隱るべからずと曰す。

寛政甲寅年  秋田孝季

五、

語部に曰く。
萬有の一つだに、生命魂の無きものはなかりける。生々に、己と子孫を案ぜざるものなかりき。子をなすものは、みなその巢立つまで己れを捨身に護らんとするは、人の知れる處なり。先ず生々の、己れをして運命を安かれと神に祈るべきなり。自我をして己が身を神にあずかりて、己が魂を置く身なれば、我れと己が身をして、生命長寿の安堵に盡しべし。

心の放蕩にして、身の置處無くするべからず、また罪を爲して逃亡する身の因を造るべからず。浂が心の悪業に、身を以て行爲に及ぶれば、汝に從ふ身は死の刑を受くあらば、浂は神のあわれみに離れ救済なかりき。

寛政甲寅年  秋田孝季

六、

語部録に曰く。
己がねぶりても、身體は時休むなく脈をなして、寝返り自在にして血行をなし生命を保つなり。身は胎に子をなして、次生の子を造り誕生せしむなり。

是れみな神のなせる業にして、己れの爲すことに非ざるなり。依て、己が魂以て親に孝し、子を愛しみて己が善行の手本を子にぞ不断にして示し、よく導くべし。子は親を見習ひて生育し、やがて己生涯の手本とするなり。子を育て得ずして、他人に捨てたれば既にして浂は親に非ざるなり。子を育みてぞ親なり。神との契約に反かざる善行なり。子をして孝を責むより、孝に自ら發起せる子にぞ育むべし。

寛政甲寅年  秋田孝季

七、逑言一句

語部録に曰くに題して、所見に、東日流にては水をガコと曰ふ、秋田にてはガコとは漬物なり。是の如く、古代語をして地方・地人にては今には意味も異なれり。依て、古語を知らずして語部録は意趣を異なすあらば、歴史の事もあらぬ曲折となりぬ。依て、古語に知るは方言と訛り・古語、何れかに属すや編纂に苦労ありぬ。

語部録は語部文字のみにて書かれしものなれば、是の如く譯書せるも漢字に以て當適するに、意趣正解になる文字を的當に困惑ありけり。スとシ、イとエ、オとヲ、ヒとヘ、是く発聲せるは語部文字にては何れも一字なり。依て本巻もまた、鵜呑に記したるあらば、訂正讀者をして賴みおく次第なり。文才浅学の段、容赦の程。

寛政寅年之如月  和田りく

八、

語部録に曰く。
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抑々、吾が国の古代に溯りては、三十萬年乃至十五萬年前に創れり、と古老エカシ及び語部録に解きぬものなり。西海の彼方に山靼国あり。吾ら祖先・人祖の国なる在りけり。

その昔、地候の大変異あり。黄土嵐荒ぶ世襲あり。氷結の大地暖解し、地殻粉土に砕け、季節の風に黄土風に吹舞ふて、支那の国、山河を埋むるに、今の大黄土平原となり、大黄河はその黄土を黄海に流泥を濁らせしは、今にしてやまざるなり。

支那黄土に埋る下に太古なる人の跡ありて、猿の如き頭骨ぞカナートを掘る毎にいでくるを支那古書に傳ふ。

寛政甲寅年 秋田孝季

九、

語部録に曰く。
山靼百十八族、是れクリルタイ盟約なる民族なり。吾が丑寅の民は、その一族に加盟なる国とて知られたり。依て、日本国の名は支那旧唐書に発稱あるが如きなり。

アルタイの紅毛人国に續く、大平原荒野を駆けめぐる大騎馬民シキタイの民は、古代オリエントの混成民族にして、更にモンゴル平原より大興安嶺、アムール大河なる河岸の平野をして、多くの民族の移住あり。吾が国への流駐ありて人の種、混血に累代し丑寅の民は成れりと曰ふ。

洪河のカナート民、満達のチングース、蒙古のオロッコ及びギリヤーク、支那のアヤ属、波斯のシキタイ族など併せしは、現になる丑寅の民なり。

文化二年六月  オショロピリカ

十、

語部録に曰く。
渡島なるマツオマナイ及びウツケシの湊は、東日流十三湊往来の湊なり。古代より宇曽利の川内及び大間よりの往来、外浜の宇鉄・奥内・三内・平内よりの往来も是ありて、十三湊は小泊・下前・舞戸・金井・吹浦よりの往来たり。

皮帆、大丸木舟にての後、山靼の組木工作の術を知るや、大船と相成れり。安東船の誕生と相成れり。ハタ、トナリなどの古来舟も絶さぬは、漁に用ゆに久しく造られたり。安倍比羅夫が海戦に敗れたるは、この古代舟の攻めに依るものなり。丑寅の国は海を三方に海幸ありて、舟を造れる工作の技は優れたり。

寛政甲寅年  秋田孝季

十一、

語部に曰く。
奥州の地に遺りし古歌あり。西行法師の導きに依る多きも、安倍国東が自から倭に赴きて覚つより始むと曰ふ。

奥州の詠歌には名を留むるものなく、何れも讀人知らずとて遺るなり。優ぐれたるもの遺るに非ず、歴史につなむる多く、今にして盆唄などとに久しく遺りぬ。

〽蝦夷たるの よしなき国と 曰はれしも
  こは日の国ぞ 花も実も成る

〽みちのくの 天にも地にも あらはばき
  神の鎭むる 山の連峰

〽春雨の けぶる外浜 うとう鳴く
  中山續く 海峽東日流

〽三内の 孫内至る 山道も
  中山續く 神懸けの道

〽昔より ヌササン遺る 外浜の
  土に埋れし 歴史野辺跡

〽あらはばき 鎭むる社の 秋風に
  巌手の山は かたむきぬ

〽湯煙りの 立つ影いざや 仙北の
  病去りこそ はろばろ来たる

〽北浦の 冬の鰰 豊漁の
  ぶりこひろいも 恥らふ乙女

〽雄物川 西に流れの 日を追ふて
  日の立つ海に 流がる日高見

〽五月雨 降る程速き 最上川
  砂泻の浜に 沖もにごらす

〽多賀城の 鬼門に閉ぐ あらはばき
  さらに松島 神のしずしめ

〽あぶくまの 流がるゝ果は 丑寅の
  日をば迎へて 水戸や放れむ

〽白河の 関は山吹 華盛り
  陸奥への旅に にしきをりなす

〽坂東の 人を集むる 武藏野に
  鎭むる神は 荒覇吐神

〽富士山の 峯裾かゝる 白雪ぞ
  下しる水と 流れつ三島

寛政甲寅年
するがにて 秋田孝季記す

十二、

語部録に曰く。
丑寅日本国は怪奇なる古語、現実隔つ物語ぞなかりけり。亦、信仰に於ても迷信至極なるを除き、唯一向に荒覇吐神なる信仰の実を以て眞理とせり。

信仰とは、生きて爲す心の安らぎにして、死すまでの轉倒せざる怖れなき行願を祈りきものなり。神をして人との和と睦みを欠かざる人との集いにて、心不動にして神に命運を委ね、国を護り侵敵を防ぎ、民一致の生々に安心立命の境に達し、一心不乱なれば神との定められたる法則に、己れの身心は救済さるゝと曰はれむなり。信仰なる行事儀式にては修して易く、是の如き稱名に依りて叶ふなり。

一、荒覇吐神祭文之事。
仰ぎて願はくばイシカのカムイにかしこみて曰す。母なる地の神ホノリカムイよ、その胎なるガコカムイよ、我が生々の間、人たるの心裡を保たせ給ひ。
ホーオホホウ、アラハバキイシカホノリガコカムイよ、吾が願ひを萬有のため、天にも地にも水の一切に至る神々の掌中に入りて護り給ひ、清め給ひとこそかしこみかしこみも曰さく。
二、拝儀之事
三禮四拍一禮
三、供物之事
四季山海の幸 二品
四、神事之事
カムイノミ エカシの舞
ヌササン  メノコの舞
オテナの言葉

以上にして、祭りは三夜にして、萬月にして行ずる。各々チセにては、ヌササンを北極星の見ゆ高窓の下にかまえて、天降れる石、石となれる木石、石となれる貝の三種を神として安置し、それ無きはイナウ三本を立て神の鎭座とす。

寛政甲寅年  秋田孝季

十三、

語部録に曰く。
栗駒の残雪も見えざる、かげろふ燃ゆる道芝に、朝立つ速く奥路に急ぎては、朝露わらじを濡らし、昼時四丑にたどり、羽州路に歩を向けむ。吾が旅は日本將軍存續に命運かけての道中なり。高清水、山王、土崎、北浦、大森、八盛、吹浦に入りて茶臼の舘に入りて、安東義季に若州羽賀寺におはす康季の書状屆けたり。

既にして十三湊は南部に落にしかば、東日流に行丘なる北畠氏に委施する安東領六郡も、世襲は南朝・北朝に主をして片割れき、世は戦の兆、東日流までも巻込まんとす。

南部守行既にして、津保化族が王居ありにし、うとう安泻より兵を募り、秋田路に回避し、平賀を掌握し、天領とて石川・大光寺・黒石を處陣と聞く、怖れ多くも日本將軍安東康季公は、かしこ處より朝臣大納言辰翰を賜はられ、東日流の乱鎭めんと欲するも、事既にしておくれたり。

辰五月廿日  小野寺辰之祐

十四、

語部録に曰く。
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厨川に自刃せる安倍貞任大夫、落舘前に金忠介に遺言して曰くは、古今に集産せし金塊にして、その量大なりせば鑛穴を閉ぎ、敵手に奪はれまずく久遠の隱藏あるべく遺したり。

渡島、東日流、宇曽利、秋田、火内、仙北、荷薩平、閉伊、和賀らの産金を一つに荷運し、・・・・・・・・に藏したりと曰ふ。

源氏、是を探知せむとて、穏人の者を處々にぞ駐留せしめ、奪取せんとするも、その計ならず、遂に諦らむなり。

安倍氏が山靼、満達、支那、高麗に商易せる唐銭、銀貨の大なり。

寶暦二年一月  桑田四郎

十五、

語部録に曰く。
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と傳へあり。是の事は代々にして秘と護り、一族をしても口外法度たり。

卽ち、安倍一族は康平五年より一族は四散して、敵手に仕へたるもありて・・の用心、益々密とせり。口軽き者は暗に殺し、敵手に仕ふる者も同じくその因を断つぬ。總ては金氏の謀策たり、と曰ふも金氏の安倍氏への忠誠は全うされたり。この故に今をして知る者是無く、源氏が幾代かけて閉伊の山々を探せど、知り得ることなかりき。

秘は上の系図に裏張り、安倍・安東・秋田氏宗家の極秘とせり。此の書は秘にして、世に閉ぐべきものなるも、その要細、三春大火に焼失す。

寛政七年二月一日
栗林友重

十六、

語部録に曰く。
丑寅の神は過去・現在・未来、總てなる天然自然なれば、因明・果明その陰陽ことごとく掌握し、萬有を永く保たしむるが爲に、生と死を以て現在を保ち未来を開く神とて、古代より崇め奉られぬ。化科の哲理、天地水に置き、無上の神とて丑寅に鎭ませ給ふ。

宇宙の運行、大地の萬有、水の萬有一切に神のこもらざるところなしとて、人祖の昔より鎭護されたり。人は神との契約ありて、神は五臓六腑をして生命を保たせ給へき。その契約とは生死の轉生にして生老病死なる四苦諦にして、世にある間の法則なり。生々安しき事少なし。依て絶えざるは、善悪二つ乍ら存續する故なり。神との契約とは、善生にして生れ乍らに法則に從ふべく契約なり。

文政五年七月  和田吉次

十七、

語部録に曰く。
人は集住せる圓満の条は、和解と睦みなり。これを善道する者は、大王にして長老なり。然る世にある者はすべて完璧ならざる故に、神との契約を果すが爲に、神を信仰し崇め奉る。人は煩悩の故に轉倒易く、善道なり難し。煩悩の故に人は己が都合に神をも造り、求道の者に邪の見聞論を以て智者振りに奇論を以て衆を惑はし、己れがまゝに從がわせ、衆施を得て邪盛す。

然るに神との元なる契約の故に、生死はまぬがれず。逝く日の老を懸命に吾が造り神に祈れども、その神は泡の如く、さぎりの如く消滅して授くる無し。能く心せよ、新興の邪教に惑ふべからず。心眼を開くべし。

寛政六年正月  和田吉次

十八、

語部録に曰く。
人を善導する信仰の先達は、自から身心に修験せし旨逑ぶるを神代と曰ふなり。

世に反き、親に不孝し、自放に自拾を離れ、自棄して道を外れし者も、己が悪業に悔い、荒覇吐神の信仰に復して、悔ゆる者は、善になる善生より尚優りて善行強しと曰ふ。卽ち、五體の健全たるを神の加護と知らず、手足何れかを失ひ、また眼耳に見聞を失ひたるものは、生れしまゝの神との世にある契約と行爲の法則と戒に目覚むると曰ふ。

五體健全なるものは、是の天恩を知らず、因果の道理もわきまへざるが故に、生乍ら身心を奈落に堕入りて、長時の苦を受く多しと曰ふなり。

文政八年十二月
和田壱岐

十九、

語部録に曰く。
天竺の世尊が遺したる、佛法僧の悟りは次の如し。諸行無常是生滅法生滅々己寂滅爲樂、是れ即ち無上の悟道にして、成佛の基とて解脱成佛道とせるも、荒覇吐信仰にては、生てある身に己れが在るうちに、人との睦み天地水の一切に和解を先とし、死に至らばそのままに神に裁かるるまま、またの世に出生あるべくを委ぬると曰ふ、易しき信仰道なり。

神は全能故に、救済と誅滅を以て裁きぬと信じ、世に在る間、悪を遺さず善を遺して去らば、神はもとより攝取不捨なれば、人の上に人を造らず、亦、人の下に人を造ることなく、復の世に甦えさむと祖傳に遺る處なり。

寛政五年六月  秋田孝季

廿、

語部録に曰く。
吾が丑寅の国は北方を以て神聖とし、北斗の星不動なる北極星を以て荒覇吐神とも崇拝す。代々にして海幸・山幸に溢れ、人睦み泰平の世を孫々に永代を究めたり。歴史の事は、語部の印にて世にある事を記し遺したる段、正に眞実に外れず、語部録とて文字を以て遺したるに依り、何事の造話作説もなし。

国を肇め、大王を即位せしめたるは、倭国に先なる世にぞ溯るなり。人祖の事は山靼より渡り来たること、三十萬年乃至十五萬年の古事なり。太古に天変地異あり、彼の地に黄土の嵐ぞ荒ぶれば、故地は飛黄土、山河を埋め、鳥獣丑寅に渡り来るに、人祖もまた倶に移り来ぬ。陸海氷凍に久しくも、世の候定まりて解氷し、海は浪して丑寅の地を海に圍みて島となし、茲に丑寅日本国は島国となりぬ。

年を經し毎々に海は満て、今になる国と定まれり。此の地に創めて渡り来たるは阿曽辺族またの名を阿耶族とも稱したり。次に渡来せる民あり、津保化族と曰ふなり。現世に絶ゆれども此の国に大角鹿、象の如き大獸も渡来しけるあり。人の渡来は是を追跡して来たると曰ふ。

依て、始めなる阿曽辺族の神はイシカホノリガコカムイにて、後なる津保化族の神ぞアラハバキカムイなり。丑寅日本国の古代に地震多く、噴火の火吹く山かしこにて、古代人の心に死と背合せなるを神に崇め、その信仰ぞ始まりて、自然をば神の相として崇拝し幾久しきに渡りて変らず、今上に尚、荒覇吐神社の遺れるところなり。

文政八年十二月
物部伊織

廿一、

語部録に曰く。
抑々、古き事の由は久しく遺り難く、溯りての世の記しきは神の代とて神話のみなる話説にぞ傳ふる耳なり。然るに、丑寅の国には津保化族と曰ふありて、天地水一切を神として、その神爾を永代に遺しむ爲に、語印とて文字にて遺すあり。オテナ及びエカシに後生大事とて是を傳へし法便とて、その代々に受継がせしものなり。

文字は類八種にして、地位の域を異にせしも、古人にして讀めざるはなし。一には宇宙の運行、二には地なる經歴暦なり、三には水の一切にして、生々萬有の事及び人の歴史にて、代々の事あるを書き遺しきものなり。

寛政甲寅年  秋田孝季

廿二、

語部録に曰く。
歴史の事は世に無ける事ぞ記し難きなりと序にありける如く、物事を能くわきまひてありぬ。渡島に遺るは鳥型になる筆法たり。・・・・・と書く多し。東日流にては・・・と書きぬべし。

古来、クリル民族は鳥型に書くは習ひなり。大鷲や白鳥、丹頂鶴など神の使者とて崇む鳥の多けるより、語印は是の如くなれりと曰ふ。東日流にては鳥型に用ふるは三字にして多くなかりきと曰ふ。

文字発祥の地は、波斯の彼方シュメールと曰ふ。古代カルデア民はツグリス、ユウフラテス河に都をなしたるグデア王の土版に押したる印の如きを文字に用ひたりと曰ふなり。吾が国に渡れる文字はギリシア、コプト、シュメールらの文字混入にして成れる故に、多様たりと曰ふ。

寛政甲寅年  遠藤要介

廿三、

安倍・安東・秋田氏に渉る歴史の事は、幕府大名となりて後、一族の古事は幽幻の如く朝幕に障りあるを不祥として、貝口を閉したり。先づは、系図及び安東船の異土商易にて、日本將軍を日下將軍とし、平將門との親交を傳説として耳に遺し、安倍氏累代の古事は數代に以て不祥とせり。更に不祥とせしは前九年の役に依れる轉末には奥州金産の皆滅と一族の隱れ郷及び一族の人別長になる諸国への轉居明細などを不詳とせり。

語部文字を以て秘なるを書遺せしは、この故にして、一族のものをして他に讀むこと得ざるは幸たり。

寛政甲寅年  秋田季實

廿四、

安東氏再興をもたらしめたるは、東日流に十三湊ありてこそ叶ふたり。安倍氏の代より陸羽の金山を得て、是を世にぞ費するなく藏積し、その資大なれば異国との通商ぞ、卽ち易に叶ふ耳ならず、山靼より舶来せる馬及び牛、羊の畜産大いに振興せり。未だに陸州に遺りける牧の跡ぞ愢ばるなり。

十三湊より北洋に、渡島及び千島・流鬼国の地産を集め、諸国の船問屋に商ふたるは、祖来の蓄積せる藏金の浪費なく、一族の興隆は益々安隱たり。安東船の渡航ぞ、支那揚州に往来を能くして、その益を得たるは渡島の地産・海産の豊かなる積荷の故なり。

なかんずく海獣の毛皮・干物に依る多くし、亦此の商易故に地民の暮し安養し、安東船の北海航を盛んならしめたり。流鬼国より黒龍江を津多に至る益は大たり。

寛政甲寅年  秋田孝季

廿五、

吾が国は坂東より北辰の地にて、古来の日本国と號しぬ。丑寅に續くは、渡島・千島・流鬼島にして、住むる地民をクリル族と曰ふ。東日流は日本国の北端にして、阿蘇辺・津保化族・麁族・熟族の地民ありて永代とす。

今より二千有余年前、倭国の大王耶馬堆族の王子、安日彦王・長髄彦王兄弟、築紫の王佐怒と曰す者に侵領さる戦ありて敗北し、東日流に落着と相成り、地民のオテナ及びエカシ心よく是れ迎ひ奉り、茲に日本国王とて推挙に選び日本国大王とて、大聖地東日流中山石塔山にて即位奉りたり。安日彦大王、その副王長髄彦王をして日本国を肇めたりと曰ふ。

寛政甲寅年  秋田孝季

廿六、

坂東乃富士山

(※ここに図あり)

靈峯坂東之富士山、是れぞ荒覇吐神のホノリカムイなり。東に波涛千里の海原、日本国の雄姿なり。

東安倍川より、西糸魚川に、地溝を倭国との堺として、坂東は荒覇吐神信仰に一統され、その社は各處に遺りぬ。信仰は実に倭国に越えて信仰を弘めたり。何處より望まるゝこの靈峯を崇む丑寅の地民は、富士山に似た奥州の山々、渡島の山々をホノリカムイとて登山信仰ぞ今に遺るこそよけれ。

寛政甲寅年  秋田孝季

廿七、

東日流とは、陸奥の国末にして先は海峽に盡れども、海の往来は荒天を除き毎日、宇曽利の大間、東日流の十三湊及び外浜に往来欠く事ぞなかりきと曰ふ。海峽の彼方は、渡島にてマツオマナイ・アツケシ・シノリ・キコナイに航着す。渡島十二舘とは、總て安東氏の築港たり。

渡島全域の地産・海産の集むる處なりせば、地民の安住に富ましむ。𢭐労にその益を拂ひて喜ばしむに、異土交易に荷の欠くはなかりき。地民は銭を求めず、物交にて契約せり。依て唐製の銭貨、用を爲さず。幾千貫の銭は十二舘に保留して、支那に再易商貨と爲す。綿織はかくして地民に流りぬ。

寛政甲寅年  秋田孝季

廿八、

金銀銅鉛鉄らの採鑛は、山靼歸化人にて山を當究め、道を開き、木を伐して炭を造り、ただらに鎔鑛して得たり。

山靼にては、かく金屬を悦び、品を賣却せり。次には、海獸の毛皮にてラッコ・トド、陸獸にてはテン・鹿・イタチなど、千金を得たり。北領にして盡るなき地産・海産者なり。地民の好むるは、飾珠及び綿織の反物にして、縫針など好まれたり。

安東船は出船の荷より歸船の荷重ありと曰ふ。造船の事は東日流及び宇曽利のヒバ材にて造り、船速は速し。帆は三十五反にして二柱、他梶帆を前後に斜柱し、支那ヤンク船に似たるものなり。

寛政甲寅年  秋田孝季

廿九、語部古歌集に曰く一、

〽四方の山 拔けてそ陸奥の 外ヶ浜
  こぞに古けき 人住みの跡

〽夢うずる 想ひば涙 敗北の
  つかろ大里 十三の浜浪

〽雨しきり まつおまないの 湊には
  はろばろ見ゆる 東日流陸影

〽語部の あどけき文字の 古事記し
  誰に告げなん 荒覇吐神

〽年ふりて 想ひの夢は はかなきも
  吾が日乃本は 陸奥を遠のく

〽色採ゆる 花ひらふりて 盃の
  ゆかし宴に 山吹きさくら

〽日高見の 川辺の岸に あどけなく
  咲くや白百合 誰にたをらん

卅、語部古歌集に曰く二、

〽落日の くれない染むる 中山の
  峯路を急ぐ 鈴懸けの群れ

〽刀研ぐ 明日の戦に 備へてぞ
  桶の研ぎ水 月影映す

〽わがとまや 今日を限りに 手火を灾け
  落つゆく東日流 星を明りに

〽富士見ても 富士とは言はむ みちのくの
  岩木お山の 雪の曙

〽袖しぼる 別れはつらき ふるさとの
  片富士山の かたむき岩手

〽なつかしの 山川草木 みなゝがら
  旅にいでこそ 夢む瞳に

〽花かほる 米代川の あさぼらけ
  黄金からめる おばこなでしこ

卅一、語部古歌集に曰く三、

〽餅鉄を 川にあさりて 野の鍛治は
  舞草一振り 研ぎて仕上ぐる

〽岩手野に 駒のいなゝく 霧まきば
  黒繪の如く 晴間ぼかして

〽地を鳴らし 駒の駆け群れ 岩手野の
  秋空高し 山はくれない

〽枝たわゝ さくら満開 白川の
  関一面に にしきおりなす

〽いとしきは 子のゆく末に 想いこし
  年逝くほどに なぜか気になむ

〽年ふるも 時の流れに 身をまかせ
  めぐえぬ人を いかでまつらん

〽浪さわぐ 忍ぶの旅に 安しきなく
  だき寝の太刀も あかにまみゆる

〽山靼の 赤き夕日に さして行く
  砂漠に昇る 月を背負いて

〽忘れじな 歴史の事は 聞き見てぞ
  筆書き記す 異国の遺跡

〽眼は青く 髪は紅毛 肌白く
  西の国なる 神の裸ゝ繪は

〽古き神 砂に埋りて 幾千歳
  遺跡に遺る 文字も砕けて

卅二、語部古歌集に曰く四、

〽久しきに 指折り數ひ 年月を
  吾が白髪も 水鏡見ゆ

〽絶え絶えの 便りも聞けず 山靼の
  色にぞ似たる 父母の顔あり

〽夜の星 昼は日を見つ 道しるべ
  擴野は續く 波斯の国

〽高層に 築くる神の 石柱
  コプトの旅の 古代なる跡

〽オリエント 神の興亡 跡に見て
  シナイの山に 崇む暁

〽神の住む オリュンポス 聖山に
  登りてこその 悲願の旅

〽アララトの 舟型山に 登りては
  神話も今は 知らず合掌

〽アラハバキ 此の地に神と 現はるゝ
  シュメール遺跡 砂漠に埋り

〽東日流には 古事ほど盛る 歴史跡
  今にも續く 荒覇吐神

〽世にありて 惑ふ心の 根無草
  いつまでたよる 老いし身に

右は箱に書かれしものにして、よみ人知らざるなり。

明治四十三年  和田末吉

卅三、

島が動く如き軍艦と大砲、弓より射程ある鉄砲、帆と蒸気に船水車をまわして走る黒船は、軍兵數百人乘りて幾百日の航海を得る。黒船を以て西洋紅毛人は、今や世界の諸国を掌握せむとて、天竺国、遂に掌握され、支那にても海賊侵入あり、風前の灯如き運命に在りと曰ふ。

依て、幕府は是れに何事の外交なくば、国亡ばむなり。永く異土開化を知らず。異土なる信仰も閉して、その世情を知らざれば、国㔟の弱體を招かん。木造船と鉄艦の相違は既にして異土文明に數百年の後進なり。

されば吾が国にても水軍の起すあり。四海を護らむは、異土に開湊し、その技を得ざれば国土は殖されむなり。林子平は海国兵談にかく説ぬれば、かまえて罰せず、海兵導師とて召しかゝふべきは正しき吟味にして、彼の仁をば解き放つべきなり。国を護るとの事は、先進の国と大平の盟約をなして、国力を増強しべしと曰ふは、安東船が用ひたる古事の異土外交なり。なかんずく紅毛人は化科に優れ、盟約に及ぶれば犯さずと曰ふ主義たり。

明治二年五月  和田末吉

卅四、

一人の君主、治政あやまり、戦とて決せんに兵を挙ぐれば、明暗、勝と敗に分つなり。何れにせよ、人命を下敷にして双方共に憂あり。勝者は敗者を侵し、敗者は報復に恨む。君主の愚挙ぞ勝手たれば、亡国の因となり、總盟たれば国難をば救済す。依て、国を治むるの義は武を以ておごるべからず、睦みて盟約を長ずれば隆国に長久せん。

君主を以て復継に爭ふは、戦の因兆あり。民の不復にあらば、君政も亡ぶなり。挙国一致とは自由民權あって然るべく、天等は天秤左右に等しければ無上の幸なりと曰ふなり。

国交は交易を以て往来し、世界を知るべし。民を智に欠くべからず。幼にして讀書算の智力を与ふれば、国ぞ進歩に向上せしむなり。士農工商、主權平等なれば暴挙なし。武威長ずれば、非理法權天の法則に降りぬ。依て、民をして平等を欠くべからず。

祖訓のたまはく、神は人の上に人を造らず、亦、人の下に人を造らざるの法則に從ふべし。萬有何れも大慈悲を以て欠くべからざるなり。

明治四十三年  和田末吉

卅五、

祖訓を以て治世の主義たれば、泰平の崩壊ぞなかりけり。船一艘、船頭多くして沈ましむと曰ふ諺あり。主義一統に從ふは安泰なるも、爭はば禍を招くなり。宗教とて大師の法を分派をして爭ふは邪道なりと曰ふも、世襲に障りきは先なく、その法義を攺むるも方便なり。逆らふて出る釘はうたるゝのたとへあり。宗教はとかく權に弱し、依て新興の正邪、倶に世に出でむなり。

人とは誘に惑ひ易く、迷信もその導師に信じ易く、これを断ぜざれば、胎中の蟲とならんや心得べし。正法に外るゝものは、如何なる学際に長ずるものとて奈落に堕ふなり。能く心に清濁を分つべきなり、と余は戒むなり。牛馬は肉食をせず、虎狼は草を喰ふなし。依て己々にして、心に好むと好まざるあり。たとひ親の導とて子にては異なりぬ。

神は萬有を造れども、その生々は己々の心に左右を謀らず。世にある業の因果に以て、次世の判断、何者にか裁き甦えすものなりと曰ふ。

明治四十三年  和田末吉

卅六、

生々流轉と曰ふ夢幻の過却を想ふれば、若きありし日を昨夜の夢とうつろいて、老逝く日々のもどかしき。日永の夏に涼を樹下に、童らの遊になる様を見つるなり。足腰の自在まゝならず、枯れゆく耳の五體感、今更にうらめしく、我れもまた近く落日の如く世に消えんとす。

父の仰せに史書を綴り、生涯かけての筆になる古書の再㝍、もとより下手なる筆走も、吾れなくして爲す者なく、たゞ徒らに急ぎ、拔字誤字もありなんは詮なきなり。東日流にては筆なす者なく、親の手習にて覚つ耳の智得なり。ましてや歴史の事ぞ、年代溯りての事は語部録の他非らざる。

丑寅日本国の史は、書きて遺すも、目安ありせば科を受くの憂あり。かたときも他見にせず、たゞ永代の爲に遺すだけのものなり。貧に窮し、灯明・紙代の費もまゝならず、古紙をいたゞきて記しきは我が恥乍らも詮もなし。未写の書、蟲に食害さるゝの保つ難は残書多く、是を了筆せる見通しすら計れざるは現在なり。然るにや是を了らでは死すとも恥なりとて、一言添遺し置ものなり。

明治四十三年  和田末吉

卅七、

語部録に曰く。
はしなくも異国の荒野を行く旅の道草に、墓石見ゆれど、誰とて人の詣でるなきか、砂中にかゝりて久しけれ。

天山の天池に西王母の故事を聞き、次いで女媧・伏羲の傳をも記しぬ。トルコに差して明日は発つべく備へして、湖面に月影を見つゝ仮寝せり。天山より西への山河を幾多に越けるも、トルコなるアララト山は遠しはるかにもなく、道々のアルタイ草原果つるなし。シキタイの騎馬軍、今は名残りもなく、荒野地平に眺むれど人影も無し。ときをり駆くるは鹿の群か、巢ごもる野鳥を飛立たしむ。

夕刻にして群狼の聲を聞くや、草喰む獸物の走蹄、地を震はして四散す。トルコに至りては、いよいよ紅毛人多く住居し、その住居みな石積亦は土焼の長方かわらを積みける多し。人は身に飾物多く付くるさま、吾が国の民と異り、乙女ら踊を樂しみ、歌舞は路上にて舞台とせり。髪は結ふなく背にぞ垂れ、白肌を恥なくも人目ぞふれさしむなり。トルコは樂器を多量に鳴らしむ、よろしき哉。

アララト山に登りては、神話なるノアの箱舟物語りぞ聖書に遺りぬ。世に旧約聖書と曰ふは、此の物語を記せしものなり。もとより、かく傳説は古代シュメールに起因せる物語なりとも曰ふなり。遺跡に見ゆれば舟型に峯なす處あり、信仰を以て崇むれば、さもありなんと胸熱きを覚つなり。

寛政甲寅年  秋田孝季

卅八、

語部録に曰く。
異土の旅はヒサリックの丘に古事を愢び、トロイア戦を語る翁に宿りて聞き入りて、二日を過ごしたり。海峽を舟降りてエーゲの海をギリシアに至る悲願たり。オリュンポス山に登るを以て、十二神の加護にありける。

ギリシアに於ては、アテネなるパルテノン神殿に拝せども、屋根天井なく、桁に神像ありきも、高き石柱に仰ぎて、古き世の隆盛を靈感せり。かある遺物・遺跡の多きも、今は一人の信徒も是無く、たゞ崩れ逝く神殿を思いば、涙こぼるゝなり。石柱に我名を刻りて、エスラエル及びコプトの旅に出づる。なぜかうしろめたくや、ふりかへりぬ。

舟人に案導されエーゲの島々を巡り、一路エスラエルにたどりて、シナイ山に登りき。かくしてコプトに渡り、砂に埋る金字塔及び神殿跡に巡り、ギリシアに優るナイルの遺跡は、たゞ驚くばかりなり。エジプトよりシュメールにまかりては、荒覇吐神発祥の地に至り、聖地ジグラートに至るも、いづくんぞ砂丘に埋り、往古の跡はたゞ砂丘たり。

寛政甲寅年  秋田孝季

卅九、

語部録に曰く。
古代オリエントへの幾萬里の旅に出でたるは、古来より果したる者、なかりけり。世に擴きとは思いども、人の至らざる處ぞなかりけるは幸いなり。如何なる辺境とて人は神を崇め、国を護るの要は同じけり。

榮ひたる處に、必ず兵乱の戦史あり。敗者はあわれなり。ユダヤの民は国を失ひ、四散流浪の民と曰ふ。人をして神と造りきは、神、天然自然と想はざる冐瀆の故なり。古代なるシュメール、コプト、トルコ、エスラエル、ギリシアなる神は、今にして一人の信仰もなく、聖地みなゝがら砂に埋む。この聖地を犯す墓の遺品盗人、如何なる築工にありきをも侵入して、故人の棺より遺品を盗りて賣却せる品々、異土の市場にぞ商品たり。

モンゴルはかくあるに、墓地は埋葬せし後は馬蹄にかけ、その在處を自然景にせりと曰ふ。吾が丑寅の国もかくあり、死者の大陵を造らず、信仰は荒覇吐神をして他に神を造りて祈る事なけん。

寛政甲寅年  秋田孝季

四十、

語部録に曰く。
異土より得たる、丑寅日本国にまかれたる歴史の事は、はるかなるオリエントの諸国より渡り来たる證あり。大陸横断の永き旅程は、一日とて無駄にぞ過しかたはなかりき。山靼とは、アムール、モンゴル、スキタイ、波斯に留まらず、紅毛人国トルコ、ギリシア、エスライル、コプト、シュメールの彼方にぞ人の交流ありて、世界の廣き彼方より信仰に、学際に諸技の渡来あり。人祖よりその往来ありきを、まのあたりにせり。

なかんずく是の許をなさしめたる、老中田沼意次殿の令ありてこその旅を果したるも、世襲は吾等見聞書を無用とし、世界の海賊和蘭陀国の国交耳に終始せるは、必ならずや世界の先進におくるゝ耳ならず、必如とせるはオロシア及びメリケンの侵略あるを兆すなり。

未だおそからず、吾が国をしてめぐる諸国の航路ぞ、日毎に交易、若しくは明国の如く戦の難を蒙るなり。北領にオロシアありて、東にメリケン、西に南に吾が国を求めて来船せるは明らかなり。

寛政甲寅年  秋田孝季

東日流諸翁聞取帳

一、

凡そ丑寅日本国は、山靼をして交易の道ありて久しきなり。倭国を以て此の国は何事の恩惠も非ず、有史はただ侵略なり。人命尊重の信仰の故に、国を亡ばしむるに至れども、是ぞ民族の美徳なり。

古代波斯の彼方より、此の国はアラハバキ神の渡来に拝し、その信仰に哲理あり、地神との併合におろがみ奉れり。イシカ、ホノリ、ガコカムイとは、まさにアラハバキ神の教理そのものたり。

吾が国は北域にして、北は流鬼に至る擴きにあり、クリル族、ウデゲ族、阿蘇部族、津保化族、麁族、熟族の併合に以て国の民とせり。凡その国肇は、倭国はるかに先進して大王を君臨せしめ、国造り人造りに懸命たり。

日の国・雪の国とは、安倍国東が日本將軍に継君せしより、白と赤なる国章は、日の丸を白雪の地に旭日高く昇るゝを爲せしものにして、誉とせり。国號を日本国、亦は日高見国とも稱す。依て、君主を常にして日本將軍亦は安東將軍とも曰ふ。

寛政甲寅年  秋田孝季

二、

語部録を遺せし祖先代々は、世にある古事を、石に木にまたは獸皮に記したるものを集編綴りたるものなり。語部と曰ふは、部の民と曰ふ役目にて、丑寅日本国諸處にありて、子孫代々に傳へ来たりしものなりと曰ふ。

国の王をオテナ、長老をエカシと曰ふなり。村落をコタン、大邑をばポロコタン、城柵をチャシ、王城をポロチャシと曰ふ。人の住む處にチャシあり道あり、橋を架け海産と山幸との流通を速やかにせり。

山住の者は毛皮、干肉是れをホルツと曰ふ。物資交換をバグロとて市はにぎわひたり。何れもシキタイ、モンゴルの言葉の混合なり。マデニとは大切にと曰ふ意にして、ノノコは精いっぱいと曰ふ意味なり。今にして古代語は年々うすれきも、遺ることそのまゝなるもありけり。

吾が丑寅には昔より変らざるものに暦あり。通稱めくら暦と曰ふあり。今に用ひらるありけり。星暦、月暦、日暦ありて干支を用ふなし。未だ古代のまゝに遺りきは、王国なればなり。

寛政甲寅年  秋田孝季

三、

我れ聞く、古代東日流の古事に諸翁をして尋ぬれば、王国の国肇はオテナ・エカシの時代に溯りては六千年の前なる代々なりと曰ふ。今になる田畑や野辺や山にて鍬先にかゝれる土器片・石鏃らの遺物になる代の想定は六千年前既にして国肇は成れりと曰ふ。思ふに東日流全域に古き世の人造りき土器・石鏃・及び石斧など、唐人にて調ぶれば六千年前なるものと曰ふ。

驚く事に西海の浜里は山靼馬、東海浜里はなんとメリケン馬の系に類せる馬骨の出づるなり。馬の種耳ならず、石鏃の工程はアメリカンインディアンのものと同作なり。依て、古代に彼の国よりの渡来ありきと曰ふなり。思ふにメリケンとの潮流の寒暖は三陸沖にて交差ありけると曰ふ。依て人の種に想ひば、古代をしてメリケンもオロシアとも我らの祖先なる血潮に同じけるとぞ思ふ。

人の肌に異なるは、地に風土によりけるものなり。寒冷・暖暑の地は萬有ことなり、地の對生進化のたまものなり。

寛政甲寅年  秋田孝季

四、

法華宗日蓮の門弟、日持と曰ふ和尚あり。金光坊と稱す淨土念佛の布教僧、陸奥に殉せし後、東日流・渡島に出で人あるコタンを巡脚し法華経の奥義を弘布せしも、安東船にて山靼に赴きて殉すと曰ふ。

東日流佛法の化度難きは、古来の荒覇吐神仰に深層せる民の心固きに依るものなり。坂上田村麻呂が大日宗を陸奥に布教を試みるも、地民はかたくなにも應ずるなく、安東氏が佛法を許せしは唯一の役小角が説ける修験道耳たり。

安東氏に依りて建立されたるは、十三湊の阿吽寺、長谷寺、禅林寺、三井寺、龍興寺、壇臨寺。藤崎には平等教院などありけり。亦、十三湊にては、山王に十三宗寺を建立せし十三左衛門殿にて開山せし寺あり。これを人々の曰く、秀榮寺とも稱さるなり。更には弘智法印が建立せし地藏院は今泉にありしを、今は享保の年間に川倉に移されしも、今泉にてはその跡地に地藏院復興せりと曰ふ。

寛政甲寅年  秋田孝季

五、意味不詳

よろずにかけむ神ごとのはらゝやありて、ぬさゝんにかけまく子等らにおてなのまきり、えかしの弓に舞ありけむ。かむいのみ、天を突くほどごとに火はうなり、かむいのみは燃えなん。三股のじゃらや神降り三柱にいしかほのりがこのかむいら一木に集いける浮舟降りけむに、いなうゆれつる魂神のみえぬ相に、めのこらはふったれちゅいとぞ稱へき。神まえに、あなおそろしき悪靈の退散に、贄を奉じませして神おくらん。

ありがたき、あらはゞきかむいの送り浮舟、天走る雷にぞ消えてのち、海に大漁、山に金銀銅鉄たゝらたからの積むほどに富めり。人々の病と禍これなく、神まもるとこそよけれとぞ稱へて曰さく。ごみその祈り、あらはばきいしかほのりがこかむい、祖に孫子の代までいくひさしくまもり給へ幸い給ひと、朝な昼な夜なべてのかむいのまつるたかきやぐらの灯に降り給ひと、神坐三階かむいのみに灯さん、おしよろしんばらたんねたんねはかしこみかしこみて曰す。

寅年七月  ふとかまえん

六、前文と同

あな遠し、かむいの造り給ひき世の肇め、あなかしこ萬有造り給へき、かむいの臨り給ひき三種の靈に、わがさとの老男女童に至る、日こと夜ことの護り給ひきは、神鎭まむたかとののぬさゝんに集いに集い、かむいのみほごつ起して火柱を天にとどけよと焚きまつるは、いおまんてにかけまく子らに救ひあらんおば、かしこみて請願奉ることの由を、聞こしめせと舞を奉る。

〽おゝ天なる神、いしかよほのりよがこよ、浂れは風なり空なり、寒暖を配して造るゝ四季なり。一種より萬有に命と體を造り、生死を輪轉して世は絶えず生命あり。とこしえに果てざる神の力ぞ全能なり。

おゝあらはばき神よ、我が祈り天地水の間空しきに捨て給ふ勿れ。浂は雷を降し地を水に洪し勿れ。浂れは旱魃を以て地を割る勿れ、木草を枯し勿れ。浂の造りし萬有のものを救ひてそ神にぞ崇めありき。願ひてこそ祀りてこそ吾等かくぬささんかむいのみを捧げ奉る。

甲寅年  えかししゃくまえん

七、

語部に曰ふ。丑寅日本国古事の傳へは、古語のまゝなるに依りて解きがたく、またその意趣ぞとまどふ多し。事の因は地方訛にて異り、エカシ等の助言なくして書に綴り難し。なかんずく渡島・千島・流鬼の民は、族語のままに今も用ゆなり。依て、是れを山靼に赴きて話せども適用不可なり。北域は海峽ありて住人の馴む事久しければ、古代のまゝに遺りたるものにして、是を忌み嫌ふことなかるべし。古語の今に用ゆるは、歴史を尋むるに辭典なり。山靼にては、山ひとつ隔てては言語通用せざる民族あり。モンゴル、アルタイの擴きに渡りては尚のこと混迷せり。

然るに、能く通話に手眞似を用いては通じ、唄をしてモンゴルの明に近きは、陽洛と題しも同じ唄にしてモンゴルにてはコルデントと曰ふなり。我が国にては追分なり。この唄の発祥せる處は山靼にして、流り渡来せしものぞと曰ふ。依て、渡島住民をアイヌとて見下げ、下賎に心致しべからず。遠祖の種に同じかるべきと常に思いとるべし。

寛政甲寅年  秋田孝季

八、

いましふるさとは離れて久しければ、想ひ尚ぞつのり涙さえ誘ふほどに、再度の訪ぬる者多し。山河は昔のまゝなれど人を去り、會ふも老いて思はず我が老いを感じて淋しきなり。生きてあるうちに老骨をたくましめ、子孫に遺すべくは、年を過經しとも萬代に不動なる歴史の事を遺し置くこそ大いなる遺産なり。人は志の同じかるなし。ましてや、己が血に分けし子孫とて是の如きなり。

求めてやまざる道は変れども、人は各位に自己の志望に生きんとて勤むなり。信仰に勉学に修行に武術に工師に漁師に商人に農民に、諸々の志を生涯とせる故に、世は相調和せるも、人は常に慾望あり、志をいつか悪道に曲折せる者多し。如何に秀才を覚つも、悪因に染りては拔け難く常にして心安からず、尚以て人に悪因を遺す。吾等丑寅日本国は、かかる堕者を掟に以て戒むるも、一族を拔けその忠言に報復せむものの事は、歴史にとどめて忘却なかりきなり。

享保元年八月  江羅仁兵衛

九、

語部録は、古事の道しるべなり。古人らは能くぞ是を遺し給ふなり。吾ら歴史の実相を求めての過去にはまさに僞談あり、架空の物語りありて、忿怒さえ覚つありけるなり。

丑寅の国と曰ふは、倭人にして鬼門に当るが故の常言なり。支那渡来の卦にて、吾が日本国の安泰を蝦夷征伐とて官軍を募りて越境侵入しける三十八年戦や前九年戦をくりかえし占領しける後は、白川以北は一山百文たるの貧土に諺じ、吾ら祖より此の地にありて、貧践に見下しまつろわざる化外の蝦夷民と異せる倭史の風評は、忿怒やるかたにもなきところなり。

吾が国の歴史を制ひ、自在の生々を封じて、無学人にて反忠に怖れ、征夷大將軍と幕府の權に、朝廷は任官して賜りたるは、現なる朝廷に遺存すと曰ふ。まさにやるかたなき差の別なり。心せよ、丑寅日本国は久遠にあり。その文明は古代に溯る程に輝きありて美しきなり。

明治二年一月一日
和田長三郎末吉

十、

本巻は百八十冊を以て編せるものなり。語部録は數あれども、時代細く、記を連らねる程に難なり。歴史のしるべはつたなきも、久しくありければ倭史の如き、神代たるの竹木の継目は非らざるなりと逑べ置くものなり。

丑寅日本国は南西と東北に長き島国なれば、人の風習も異りぬ。人祖をして山靼と南蕃に区を分っては、睦むる事の得ざるゝ壁あり、志また異にせり。泰平を祈る民と、誅滅侵略を祈る民との相違なり。

この章を以て語部録之傳、了筆するも、残巻多ければ、是を第三巻とし、以後の續巻百巻以上に達するを祈念して筆を置きなん。

和田末吉

考用書物

以上

自明治参拾稔、至明治四拾四稔
和田末吉