イシカカムイ伝える(イシカカムイ傳)

丑寅日本国古事抄 語部録抄壹之巻

イシカカムイ  ホノリカムイ  ガコカムイ

天明二稔四月二日
和田長三郎

語部録譯

本書は、古代文字にして、草木葉皮及び獸皮に記したる古人の遺物より、古きことの由を写し置き、丑寅日本国の古事を記しけるものなり。丑寅日本国は、人祖をして、山靼より渡来し、此の国を日本国と號け、東の日の出なる海国とて、宇宙の總て、天なる總てをイシカカムイと崇めたり。

地稱にして語り遺すは、語印とて、石を地にならぶるより、砂に語印を書くより、更に末代に遺しける古きこと、出来事を遺す諸事、素焼なる器に、また石に木皮に記しきは、故人の智惠たり。

字式七種にして、代々、字數多くなりけるに依りて、その世襲を覚つなり。本巻は古代より代々に遺りき語部文字に歴史のことを記したるものなり。

壬子猛春  秋田孝季

イシカカムイ伝える人祈る

古事の日は、語部に傳ふるツルシと稱さる古代文字にて、はるかなるのぼりての代を知りにける。ツルシとは、丑寅日本国に住にける古人の文字にして、これを語印とも曰ふなり。その流、類ありて代々に併せしは八種にて、代々人は用ひて歴の數を日暮して、月の満欠、海潮の干満を知り得たり。また歳を過して訪れる日月の蝕をも知れり。

神を宇宙とし、大地とし、水の一切を神の崇めとし、天然自然ぞ、みなながら神の声と相として、その信仰をアラハバキイシカホノリガコカムイと稱名して、雲を突けるが如き石神を祀れる三階なる高樓を掘立て、上階にイシカ、中階にホノリ、地階にガコなる神を祀りて祭行せり。

丑寅日本国に住むる人、神の故地は山靼にして、渡来せる往古に溯りては十五萬乃至三十萬年前に溯りての人跡ありぬ。古語にしてクリルタイとは、和なる人の集ひを意趣し、ナアダムとは生命の祭りにして、チャバンドウとは武術なり。山靼にては騎術と意趣せるところありぬ。

古代に黄土嵐、西南山靼に起りて、黄土大地山河を埋むが程に荒るるあり。草木は枯れ、鳥獸は北東に移るを、人はその故地を放棄し、此の国に渡来永住せるは、語部録に遺れる祖人渡来傳に諸併せるところなり。

天明元年七月十日
語部帶川眞悟

ホノリカムイ伝える人祈り

丑寅日本国は古来より、海浜住民・山野住民との定住に、衣食住の生々また代々に異りぬ。山靼は西に紅毛人国あり、その西南に黒人国ありて、その果を知らず。波斯までの域を以て、しるべ非ざるなり。

山靼にクリルタイに集ふる西域商人にて知るは、天山北路を越えにし国にシキタイ、トルコ、ギリシア、ローマ、エスラエル、コプト、シュメールらの国々ありて、有史一萬年の間、国權攻防の盛々崩滅あり、現に尚以て、太平の保つ難すと聞傳ありけるなり。

然るにや、かく遠き異土の移民渡来してより、吾が国にては、その導きにて衣食住の安泰、智識の文字をも遺りて古事を知るを得たり。人の祖に人種は、混血を以て智識を得べく成化あり。国を興し、子孫安泰の護持を以て、今上に至りきを知るべきなり。

享保二年九月七日
十三湊江留間之住人
智照法印

ホノリガコカムイ伝える人祈り

凡そ天地の創りは、宇宙の創より日月星の化を成らしむるものなり。百千萬億兆の阿僧祇に數ある宇宙の誕生は、無の黒暗に一点の聖火起り、無限なる闇を爆焼し、その延光熱に宇宙に焼塵遺りて、集縮せしものぞ阿僧祇の日月星なり。

吾等が見ゆかしむ日輪の週軌になる星、はるけき幻光の星、雲の如き見ゆむも星塵なりせば、その數こそ阿僧祇なり。幾億萬年か先世に誕生せし宇宙の神秘ぞ、日輪、地界、亦、誕生星の一塊なりせば、死滅の際ありて宇宙は成れり。

語部録に曰はしむれば、アラハバキ天地水人祈ると説きぬ。即ち、宇宙誕生の起りは無明の暗黒になれる、物質無き、時も無き無空の一点に起れる因明より、密度ある光熱、無限の大暗黒を焼きける因明光熱のあとに、黒雲の如き焼塵の漂ふ物質ぞ果化して、集縮しける動化起り、阿僧祇の宇宙星に満たり。

語部に曰はしむれば、これをイシカアラハバキカムイと曰ふ。古代シュメール及び天竺にては、これを因乃明果の化と稱し、諸宗教を拔け外道として興りぬ。即ち、・・・・・・・・・・・・と諸法の秘義を世に遺したる多し。

元禄十一年八月一日
藤井土佐
南雲定親

人伝える

流鬼国とはサガリインと曰ふ。山靼の大河、海に出でむる對岸なる嶋、ウデゲ族の居住せるナニオコタンなる邑にして、南に渡嶋オショロ、更には丑寅日本国と續き、此の間二海峽ありて、山靼民の渡来を以て人祖とせり。極北のオロッコ、ギリヤーク、オロチョン、モンゴル、ブリヤート、シキタイの人族を混血して成れるは、大祖定住の人祖なりと曰ふ。

嶋国なるに依りて、海に磯浜を住居とせる麁の民、山野に住むる熟と稱せる民をして、その族黨、流鬼より筑紫に至る二百八十六族のオテナ、エカシを以て治国せるあり。国に境なく異族とて爭はず、その往来自在たるなり。依て、浜道、山道、架橋、古来より開けたり。

神を崇むる信仰の川往来、海航往来あり。古代より舟を造りて、相渡りて、地産のもの商貿す。依て、人の渡り、古来より流通せり。

文化二年十二月七日
渡島マツオマナイ
エカシオムニ

諸翁聞取帳

本書は、東日流の古村に遺れる古語・傳説を記しける諸物語にて、此の内に語部録にまつはる話題耳を拔抄して綴らむものなり。依て、諸翁聞取帳より拔行せしは十五編をして本巻に込む。

一、

アラハバキイシカホノリガコカムイと稱え奉る古き代の神々は、宇宙になる天の總て、大地に續く地界の總て、海、河、湖、川、沼、湲水にそゝぐ雪雨の一切、水と曰ふものになれる一切を、是の如く稱え給ふなり。

天地水これみな神にして、人の造れる偶像、なんら神に非らざるなり。天然、自然、寒暖の候、空に吹く風や飛雲、轟く雷鳴、稲妻、季節に降りし雨や雪、すべからく神の化動なり。地に震起り、山海に火泥を吐く地底の火動みなながら神のなせる化動なり。

人は神を怖れ敬ふは、人の智識に及ばざる生死の背併せしに、神を稱え奉り、諸難を開運し、生死のなかに安心立命を祈すこそ、天地水の神と祀れり。神への信仰、天地水の東西南北に向ひて、唯一心にアラハバキイシカホノリガコカムイと稱名せることをくりかへしのみなり。

萬天の星空に、ただ一星不動なる星ぞ、北極星なり。古代人は此の一星を宇宙への門星とし、魂の行く處とて・・・・・と悟りたり。神に向ひては爭、怒、恨、僞、疑、慾を心にして祈るを戒めたり。心に擴く平等に布施心のなけりける者は、神への救ひあるべからずと、子々孫々戒とせり。

寛永二年六月  生田仁三郎

二、

天地水極星神伝えるとは、古き世の古事を是の如き語印を以て遺し置きける、語部録と稱す丑寅日本国史なり。

此の国は、十五萬乃至参拾萬年前より人の住みける国にして、山靼より黄土嵐を脱し、此の国に渡来せる人祖をして肇められたる国なり。その民の最祖なるはアソベ族、次なるはツボケ族にして、子孫は西南に住分けを擴げたり。依て、古代なる神アラハバキ信仰も諸国に遺りけるは、倭神のたぐいに非らざるを知り置くべし。

寶暦元年十二月  木田己之吉

三、

極星神伝えるとは、宇宙の神秘を曰ふ古傳なり。抑々、宇宙の肇は無明にして時空物質なく、ただ暗黒の他に何事も非らざるなりと曰ふ。宇宙誕生たるの起りを兆したるは、暗黒の中に微々たる暗の重なりに、摩擦にて針先の如き火点起り、その瞬刻に爆烈し、濃き密度たる無限の暗を光熱を以て焼延して擴りて、その焼跡に遺りし物質塵充満し、宇宙塵と相成りぬ。輕き物質、重き物質の動化起り、重きに輕きは集縮し、阿僧祇數星の誕生しけるは宇宙創成にて、語部録にては、これを時空の創めと曰ふなり。

寛政七年二月  磐井金悟

四、

・・・・・・・・・・・・、語部録生物移世の変化進歩の一説なり。生々のものは、各々自生命を護持せんがために、日進月歩の生死轉生のなかに、對生の変化を子孫に遺傳せり。獸物乍ら飛行せるもの、鳥にして飛べざるもの、獸物乍ら海に泳ぐもの、生命誕生の一種より生命種分岐しけるは、地界誕生より今に尚、生命の遺存進歩の絶むなかりき。

・・・・・・・・・・・と曰ふは、生命誕生の要なり、と譯す意趣なり。依て生命の基は、祖をして一種なり。生命とは、各々生命を保つは、自體生々のために他生を餌食として、生々連鎖あり、ますます自體の進歩をなせり。猿より人間と相成り、その智惠は萬物の靈長に至る進歩に達せり。然るに、生命あるものみなながら、一種の祖にて世に誕生せしものなれば、徒に殺生あるべからずと戒め置くものなり。他生のものを魂なきものと心得ふべからず。生命は自他ともに尊きものなり。

一膳の食糧も、生命の數々他生を食して、吾等は生命を保つことの由を心に思いて、生々あるべく他生への殺生なせる罪の意識に、供養心を以て念ずるこそよけれ。ましてや人間同志の殺伐など、天地水の神々に背き最罪の行爲と心得べし。神は萬物をして平等の攝取救済を欠くことなし。

享保二年七月  和田長三郎

五、

・・・・・、是の如く語部録に説きつるは、神は泰平を好み、常に平等を示し給ふも、人は智を以て悪計し、權握を以て世襲を渡世す。

神は天地水に以て、萬物を成長せしむも、人をして人の上に人を造り、人の下に人を造ることなかりき。すべからく是の如く、人界にあるべく理り、法と權なるは人をして造悪なる業と善修なる導念に人の造る多し。神は、人の彫むる像に非ず、人の造れる論理に非ず、信仰の人師論に依る神に非ざるなり。神とは、天地水の一切にして、天然・自然みなゝがら神の創造なる仮にして、神そのものは無常にして、相常に權現なり。

荒ぶれば地を震はし、山に火を吹かしめ、海を逆巻く怒涛を龍巻き、天日を閉じて豪雨を降らし洪水溢れ、或は風を絶し雲を絶して旱魃とし、亦は立木もなぎたおし、風嵐などなど起しける。自然の驚異の怖しきは、生としものの祈りとて、神と怖れ敬ふるに至りぬ。

さあれ、自然また天地水の化成に、神の造化せる四季毎に、山川は草木に深く、渓流にさわやかなる瀬音、瀧の轟き、虹の立つ雨上り、木草の花かんばせ、鳥のさえずるのどけきや、たわわに稔りし秋の實入れ、神の惠みぞありがたく、人の生死を昔より暦に遺して見通しけるも、神なればこそなる、信仰の人はこぞりて敬ひけり。

天なるイシカ、地なるホノリ、水なるガコの神とて祭る神への祭文に曰く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
是の如く稱へ給ひくは古来の傳統たり。人は智の故に、慾の故に、神を偶像に造りて、人の神とて惑はしむあり。極樂・地獄を説きて迷信に導き、神を利して供物をむさぼりきは、まさに神への冒瀆なり。

永禄二年七月  泉左衛門

六、

古代東日流の里は安東浦と稱し、十三湊より行丘、大浦に至る入江にして洋々たるも、岩木山の噴火誕生にて入江は隆起して大里となりぬ。その名残を留むるは十三湖耳にして、これまた年々埋りて、陸地を母なる岩木川の流砂に押やられる現今たり。

東日流大里に郡を区し、有澗郡・璤瑠澗郡・奥法郡・稲架郡・鼻和郡・平賀郡、六郡を以て二区し、南を内三郡、北を外三郡と曰ふ。東に外浜道、中山道切通し、下切道、東山中山道あり。西に浜の途、十三西根道あり。内三郡に嶽道、阿曽部道、大浦道、阿闍羅道、中野道、矢楯道、十和田道あり。太古よりの往来道なり。岩城川を往来川と稱すは、舟往来の故なり。

古きより内三郡に、三千年前より稲作あり。稲架郡と曰ふ由来は、稲作発祥の地なればなり。太古より渡島なるマツオマナイと往来し、海産も盛んにして干物の魚貝、塩漬の保技あり。山辺の民と流通せり。依て澤の邑、里の邑あり。これをナイとホロと曰ふなり。また川辺の邑をベツ、海浜の邑をマと稱せるは古名なり。

古きより海浜にポロチャシありて、人の大集住居あり、エカシを以て統治せり。オテナの塔あり、三階に天・地・水の神を祀りて、年毎の祭りあり。石神を神として祀り置きぬ。天なるイシカカムイとは天空より天降る神石にして、地なるホノリカムイは木の石と化ける神石なり、また水なるガコカムイとは魚貝の石と化せるを神石とせり。

コタンの中央に雲を突く如き高樓、人住む處に見ゆは、神の祭らるためなるヌササンなり。

寛政五年二月  秋田孝季

七、

丑寅日本国は別稱、日高見国、璽汎虞国とも曰ふ。降りての世に、倭より奥侵攻の稱號は、蝦夷国、化外地など愚稱さるゝも、肇国の歴史に溯りては、山靼のクリルタイの盟約になる自立の国たり。民族は、阿蘇部族・津保化族・麁族・熟族・耶靡堆族と分布し、その国土は坂東より以北たりと曰ふ。

丑寅日本国は、流鬼国奈土御湊より山靼黒龍江水戸より蒙古に至る往来あり。大国は波斯紅毛人国、黒人国までも商易せり。古代の傳統ありて、求めて移住せるもの多しと曰ふ。黒龍江なる河湊、津多の地に丑寅日本地名存在せるはこの故なり。

信仰の渡来に要たるは、古代シュメールよりカルデア民族がシキタイ、モンゴルを経て、吾が国に傳へたる信仰なり。語部文字の渡りたるも、是の流通に依れるものなり。

寶暦元年三月  竹島多作

八、

古人は、死しては靈の赴く處は、次なる身體生命を求めて宙を漂飛し、新しき父母となるまぐわいの精なる行爲ある處に入精すと曰ふ。即ち花粉の如く、たどる母胎に入りて新生の運命にやがて誕生す。これは世にある萬有の轉生なりと、語部録に説きけるところなり。・・・・・・とは、生死ありとも靈魂は不滅なりと曰ふところなり。

依て古人信仰にては、死を怖れず、心轉倒せず、新生の次世に安心立命を委たり。古来より、死ある怖れの故に神を信仰せども、何人とて死をまぬがるるぞ難きなり。

正道なる信仰にものたらず、迷信に邪教に入りて惑ふある故に、天地水神を以て無上の信仰とせるは、丑寅日本国の古代信仰の要たり。神は、人を平等に生命を与ふるも、人の生々は神の眞理に背き、己が爲の權慾に、殺生など諸々の悪業を奸計して、人をおとしむる多しは古今なり。

さればこの故に人は怨み、怒り、更に悪業を重むるを、善導の故に、古来傳統の信仰の他に新興の邪教を赦さず。唯一向に、アラハバキイシカホノリガコカムイの信仰に結成し、邪道を封じて、その信仰大いに榮ひたるなり。

寛永十年七月  秋田基季

九、

北の国に何事の歴史ありや、と倭人は曰ふ。また神とは、倭神こそ神代の通ずる直傳にして、天皇の萬世一系に在りと曰ふ。依て權据の者は、こぞりて天皇の血縁に掌握せんとす。皇宮はその權謀術數に、天皇立君毎に暗躍あり、乱麻の如く世の乱れを兆したり。武士の權政となりては、己が子縁に以て、天皇の血縁に系図を誇りとす。

昔より物部、大伴、蘇我、藤原、源氏、平家の如く、天皇たるの継血に、古今の權政深層に汚れ、世襲を保ち来たるを知るべきなり。丑寅の国にては、大王となるゝに、かくの如き王位を、先代子孫に継ぐ累代を重ずるなく、長老の選に依りて大王の人格にある者を立君奉りぬ。依て、代々にありて爭兆のあるべからず。世治り泰平永續せり。

倭人の者は丑寅日本国に侵領し、住民の財を奪取せるに、これを防ぐるを反きとし、兵を挙げて攻めくるは、今上のみならず、古き世よりの權謀術數たり。戦を好まざるは、祖来の信仰になる民習なれど、倭人は和條なく蝦夷とて忌むるなり。

文化二年七月  田代孫三郎

十、

・・・・・・・・・・
語部録に曰く、古き代の此の国を日本国と號け、国を肇むる大王と位に奉じ給へき王は、耶靡堆氏六代・安日彦大王なり。同じくなりませる副王にして登美長髄彦を以て、大御屋を築きませ給ふは、東日流中山なる祖神なる聖地、石塔山のかしこどころなり。

王居を西浜神威丘、東浜外浜にハララヤを築き、防人の住居を集築し給ふ。地領南北に隔つれば、更に四王を位して、西南は坂東堺。北に流鬼の大嶋に至る治領王を、エカシより選びて奉りぬ。

神をかしこみ、荒覇吐神を以て信仰の一統とし、神のなりませる天神地神水神の・・を築きけるは、雲突く如き神社にして、石神を祀り、年三祀の大祭を民總出にて挙行し奉る。アラハバキイシカホノリガコカムイと稱名し、神司オシラ・イタコ・ゴミソの神事、占事、祈事を以てカムイヌササン、大いに人の参詣ありけるなり。

五月、月神としてイシカ、七月、月神としてホノリ、九月、月神としてガコのカムイノミを焚く祭りたり。

天明三年八月
三輪邑 笹本貢藏

十一、

語部録は暦にその文字を遺す。津保化族の通用文字なり。石に多く刻み遺さるは阿蘇部族文字にして、木版及び獸皮に赤色・黒色にて書遺されしは麁族なり。また熟族も同様なり。代々過る程に、八種にその數を多くせしは、山靼渡来民の故なるも、是を併合せしは丑寅日本国・住居民の併合にて荒覇吐族となり、大王治司にて文字の一統をなして成れるは暦なり。太古に溯りては、鳥蟲形・人姿形・獸魚形なして雑多なれども、この一統にて定まれり。オテナとは大王のことにて、エカシとは長老にして、ポロコタンは大いなる邑、コタンは部落、ナイコタンは澤にある邑なり。ウンジャミコタンは浜沿の邑と曰ふ意なり。

大王の居住せる處をポロチャシ、長老の居住せる處をチャシと曰ふなり。防人をアラド、その長をテラドと曰ふなり。敵をアレド、味方をコレドと曰ふなり。男をデゴ、女をメゴ、老人をドド、老婆をモツケ、父をアヤ、母をアッパ、童をビッキと曰ふ。病人をアオダ、死人をアサド、達者なる者をマムシ、貧者をホド、正気ならざる者をホホラ、慾ばる者をホイド、汚い者をヤバチ、神司をゴミソ、靈媒をイダコ、占をオシラ、神をカムイ、天をイシカ、地をホノリ、水をガコ、魚をジョジョ、舟をハタ、刃物をマギリ、家をチセ、神の聖地をヌササン、神木をジャラ、などなどは古語なる丑寅日本住民の言語なるも、今に用ゆ多し。

寛政六年九月四日 境屋九兵衛

十二、

凡そ東日流の国は五千年前に溯りて大王を奉じ、山靼より進歩の渡来あり。人の集うナアダム及びクリルタイをなして盟約をなせる人の交流あり。流鬼国よりナニオの湊に駐り、地民の河舟にて黒龍江を登漕し、途中にして満達の高安嶺を河景に遠望なし、更に人の住ざるチタに至りて陸路に赴き、異郷のパオコタンに辿りぬ。荷をば駱駝及び驢馬に連らねナアダムの場に赴き、諸商人との物交あり。諸国の進歩になる物品に驚きぬ。此の旅は日時を經しとも、吾が国の未来に不可欠たり。はるか祖国を出で、更なる歩を進め、モンゴル、マンダツ、シキタイに人の交りありぬ。

太古に今なる極寒なく、その候、草木の深き大平原たり。半馬・虎・豹・毛犀・毛象・鹿・羊の群、住せる大国たり。然るにや、天異地変に候の定まるなく、黄土嵐の荒ぶる国となりける。依て、生とし生けるものは安住の新天地を求めて移動なせるを追ふが如く、人の渡り東北に群たり。

故地のさま、飛土山野を埋め、草木茂るいとまあらず、荒漠たる不毛の砂漠に果しなかりき国と相成りぬ。地界の永き歴史の過程には海は陸となり、陸は海没するもありける過却出来事は、人の想ひに計り難きものなり。宇宙なる星々さえ、星間に同じきなく隔つるあり、また、しかと碎け更に遠く果消ゆありと曰ふは祖来の傳なり。

文化二年四月廿日 加賀屋喜兵衛

十三、

語部録に曰く、生としもの、子孫を遺すが爲に、支那より大雪山を天竺に飛び越ゆあり。山靼よりはるか吾が国に、越冬せる白鳥及び鶴の群れを觀ずるに、その翼方あやまらず年毎の旅は、つばくらもまた同じなり。

夜行に北極星、昼は日輪、地界の自轉、羅針の感ずるこそ可能なる業なり。生命は絶えずその智覚に進歩し、未来に至りて大空を飛行し、大海を潜行し、宇宙なる星界までも達すること可能ならしむるも、夢ならざる世の来るは必如なり。

語部録に未来の事を次の如く記し遺れり。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
と説けり。依て人の智惠とは、末代に於ては天龍の如く天地を往来し、萬里の海も魚鯨の如く往来すと。

寶永二年三月  法印了覚

十四、

語部録に曰く、荒覇吐神の信仰は無上にして何事の障りなく、一念起して祈願せるもの總ては、平等に攝取さると曰ふなり。神とは、天地水みなながら神の掌中に在り。生死のなかに生命を轉生するもの、その信仰に誠あらば必ず以て、安心立命の救ひに達すと曰ふなり。

無窮なる宇宙より、陰陽の寒暖に化成してなれる生命は、大地の境遇に併せて誕生せしめ、一種の生命より多種の類に分岐せしめ、生命の連鎖を以て遺りきを、神は尚以て強きを遺しむるなり。

神とは天然なれば、人の感得に及ぶ神はなかりき。人は智謀の故に、人の生死とその運命を講話たくみに奇辨して、人を惑はしむ。神と信仰を以て奇想天外なる邪教に、人心の弱きを突きて信を得さしむ。まさに魔道の幻想に、人心を封じ散財せしむ。徒らに神を想定し、像を造り、その伽藍を荘嚴ならしめ、人心を引導せしにや、まさに神を以て冒瀆の演技なり。

神は供物散財を、祈るものに求むるなし。神は自然にして、季節に以てその因果を生としものに施すこと平等の他、非ざるなり。

寛政四年二月  江羅与一

十五、

天地水神とは、丑寅日本国の古きより用らる帆印にして、亦、前九年の役など奥州に挙兵せる軍旗の印なり。その意趣は吾神と倶に在りと、生死を越えたる心の支とせるものなり。

〽幸ありて 安かる心 いとまなく
  国を荒さむ 倭狼寄せ来る

海の幸、山の幸、古来に山靼より授傳せし金銀銅鉄なる採鑛の技、山野に放飼せる馬の蹄音、住人は何事の障害なく暮せる郷を、倭人の軍狼は泰平を踏破りて掠す。是を應戦に荒覇吐族、急挙に起つさま、ねむれる猛虎の尾を踏まれたる如く、倭軍これに敵はずと敗逃す。古来より丑寅の民は、自からの暴挙せる例ぞなかりき。荒覇吐神は、爭に生命をなほざりにせるを神禁とし、生命の大事を尊重せるが故なり。然るにその無法なるは赦すことなかりき。

丑寅日本国の幸を椋奪せんと、古きより陸羽・羽州に倭人の進駐ありけるも、毎に敗れきは史實なり。語部録は是の如き史實を藏せる故に、代々の世襲に世に出づるなかりき。
以上、十五編を諸翁聞取帳より㝍し置きぬ。

寛政六年八月  津田傳九郎

東日流語部録考

心を時の流れに委すほど辛きはなかりけるものゝ、たとへにありつるを知り乍ら、古き代の事を尋ねて、野づら田づら鬱たる山端の草に分け、探す古跡に遺らむ石くれ、土器片に古き代の先を知り得る喜ばしきは、人をして心なきに知る由もなかりき。

語部の傳へ遺れる外浜の、古きはららや跡の土くれは、層厚く掘りて縄模様の瓶片しきりなりけるも、太古の古事を語りけんは、砕けし破片に知る事そ難きなり。

三内より奥内、更に宇鉄にて待つ合の、高山彦九郎、秋田孝季、和田長三郎らと、浜の漁士多作と稱す家に一間借りて、久方に宴むよも話の、夜更く程に尚はずむなり。語部文字の発祥に山靼を愢ぶるも、その旅そ叶はさる世襲のうらめしき。

天明丙午  菅江眞澄

夜な嵐、木立の枝打つ音に覚めければ、よしがなく筆とり、昨日の語部録・・・・・・・なる行を解き記す。外浜の彼岸、宇曽利の山影白らむ、夜な明けつを見みえしを覚つ乍ら、うと寝に覚めては、明け六ツに朝飯の呼ぶ呼ぶ聲、しきりなり。

外なる入水の石くらに、顔洗い口すゝぎける心地よさ、軒せまる東日流中山の景、外浜の海に湧く朝霧に、陽の朝ぼらけ、千金の眺望なり。夜越に友と呑みし深酒の頭痛に覚ふれど、朝げの汁にかきけさるなり。外浜の蟹は子持にてうまし、さあれ今日は中山に入りなん。

天明丙午  菅江眞澄

山靼渡航、幕許隱密使

老中田沼意次、高山彦九郎を密使とて東日流に、秋田孝季・和田壱岐を山靼に赴かしむ旨傳達し、その大命に三春及び津軽○○○例なる公例に驚きたり。渡航の一切は、松前にての選拔せし地住のアイヌエカシらに山靼への水先を依賴し、クリル族・ウデゲ族選れ、樺太サガリインなるナニオ渡りて、明使に通達せり。

天明壬寅年、秋田孝季を使主とし、十七名にて山靼のチタに到り、モンゴルに当着せり。彼の国への旅になるは、波斯天山路シキタイより、ギリシヤ、トルコ、エスライル、コプト、シュメールを巡りて、歸国せるは天明戊申なり。古代オリエント遺跡、その遺證物を得て来たるも、幕府にてはこの勞放棄、老中は松平氏に代りて何事も不問と相成りせば、かく遺證持参始末を東日流中山荒覇吐堂の窟穴に秘藏せり。

然るに、此の旅にて語部録の解明を得たるこそ、大いなる史證たり。

寛政六年二月 和田長三郎

知らずして世に生れ

父母を知り兄弟姉妹をして育つ童の頃は、世にある事の怖しさ、嬉しき事の少なきは、老にし今に尚貧しき生々にいとまあらざるなり。人の世に生を受け、憎しみ悲しみ悩み苦しみに脱せむとて、人をおとしめ、殺生に盗み掠むる悪業の術數、生死轉生の太古より人世の悪は絶ゆまなし。

人は安心立命を求めて、神の信仰を以て救済の世を願ひども、世襲は衆をして戦に權に慾望の浮沈、今にして權謀術數たり。

吾が丑寅の民は太古より惑はず、荒覇吐神を以て信仰を一統し、人師の論に惑ふなく、天地水の理りに神の眞理を求めて達成せるは、神こそ天然自然みなゝがらの神の化にあるものとして、語部録の法典を神の教としてあやまらず、今に以て崇拝はいにしのままなりき。

(※ここに図あり)

享保二年五月七日
江流澗語邑之住人 語部宗五郎

抑々語部文字の由来は、山靼に発祥せるを、此の国に渡来し、住民能く是を用たり。古傳に曰く、語部文字の類、八種は代々にして加はれたるものなり。

(※ここに、図あり)

東日流語部は、古来より、師より学ぶは生涯にして修了のなかりき。師寂して後、後継す。依て史傳の如きは、その加談を許さず。他、話併合も禁ぜられたり。

常にして遺すべく、歴史とならん世にある事の事実を、あやまらず言に遺すを語部と稱し、永代に傳ふるものなり。丑寅日本国の史傳は、是くの如く遺れども、後世の世襲に遺り難きは、非理法權天の故なり。

延享乙丑年二月四日 堺屋仁介

(※ここに、図あり)

津軽を訪れし有志の者多けれど、その志ぞ果さず歸るよしがなき多し。朝幕藩、何れも公たる許なく、山靼渡航を禁じたれば、はるか来たれども空しく渡嶋の海景のみ遠望して却りゆきぬ。

幸にして、山靼をはるかに蒙古・波斯及びオリエントの地を旅程果したるは秋田孝季、和田長三郎吉次のみなり。

天保二年六月一日 和田權七

吾が丑寅日本国は古代にして、山靼より多くの歸化人ありて、陸海の幸にその業を智識せり。代々にして、サガリインのナニオより黒龍江を登りて蒙古にクリルタイに盟約し、その加盟にあるシキタイ、トルコ、ギリシヤ、オロシア、ペルシア、シュメール、エジプト、エスラエルなど紅毛人国との商易に達して、茲に採鑛に至る技を得たるは、倭国より幾百年の先に進歩せり。金銀銅鉄を各處に得たり。世降りて安倍日本將軍の代々をして、その国力を得たり。更に安東船をして海を道とし世界に海路を開きたり。

民の心は信仰に一統し、唯一の神・荒覇吐神を以て安心立命とし、人の造れる偶像を神とせず、大自然みなながら神と崇拝し、天なる一切と地なる一切、水なる一切を荒覇吐神とし、三禮四拍一禮の拝行に稱名せるはアラハバキイシカホノリガコカムイとくりかえし、コタンのチセにヌササンを造りて神祭りぬ。

嘉永三年二月廿日
山口庄左ヱ門

(※ここに、図あり)

山靼語部抄

丑寅日本国は、倭人をして蝦夷と稱し、住むる民を、まつろわぬ化外民とて、永きに渉りて下践至極たり。依て奥州はもとより、渡島・千島・樺太の如きは、たゞ反民意識に以て倭人に從はざれば、これを反賊として征夷討伐の官軍挙兵して侵略し、民の財を掠め、更には女人を犯し、鬼畜の如き行爲さながらなり。語部録に遺れるは次の如し。

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是の如く傳ふは史實なり。

丑寅の国は森林深く、渓水清し。人住多過せず、鳥獣魚貝、是れに飢ゆるなかりき。鰊、鰰、鮭、鱒、きそふて浜に寄り来るは見事なり。山に狩猟、海に魚𢭐、何れも人はこぞりてこれを得む。是の豊饒を神祭り、高樓のヌササンにイシカホノリガコの神を安じてカムイノミを焚き、即興に老若男女は踊りぬ。これをイオマンテと曰ふ。山靼にてはナアダムとも曰ふ。

古代アルタイのシキタイの民に傳はる信仰に、馬は生死の結界を往来せる靈能を有し、人の生死にかかはりありとて、主の死にその陵に埋葬を伴はしむと曰ふ。また、蒙古民の族主にその習同じくせり。生死結界とは生死轉生のことにて、コプトにては舟、ギリシアにてはハンドラ、天竺にてはリンガ、ユダヤにては聖水、シュメールにてはルガルなど、死に伴はすものを異にせり。

吾が丑寅日本国にては、死は老骸の脱皮にて、七日にして新生すと説きぬ。神は死と生を掌握し、如何なる長命にあるものとて、死の至る轉生の免るゝなかりきを、天地水の神にて司どられ、宇宙なる星々にさえ生死ありとアラハバキ神信仰に説けるところなり。

古代人は何れの国にても、死を怖れたり。依て、信仰あり。神を想定しけるも、徒らに迷信を以て爲せるあるはおぞましき。

嘉永二年七月  香川邦彦

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山靼はろばろと流るゝ黒龍江より、白龍の鱗と曰ふ流水、流鬼海峽を閉ぐ極寒の北海にも渡りくる大鷲の群、白䲷、鶴、ときには白鯨、白熊の見ゆあり。是みな北極星の使者なりとて地民は曰ふ。

山靼は人の住家まだらにて、かしこに居住し、狩獵漁を営めり。かく毎に神の信仰また一統せず、クリルタイにて知れる旅商の祈る神々を聞き覚ゆを信仰とせり。

蒙古、満達の住人にして外道信仰、西王東王なる父母神を崇むあり。また天竺大雪山の羅摩教、及び古代オリエントの信仰も諸々に渡りて、民族各々自在に信仰せるも、古きよりブルハン神を地元信仰とせるは、民族こぞりて一統の信仰たり。

寛政二年四月  柏屋惣吉

歴史の事は、己が空想にして書に遺すべからず。古事の史實は、尚以て奇なり。果てしなき彼方より人祖の渡りあり。地山・地平・氷山・水平をも越え移る、祖来の住み分は、今に想ふて尚奇蹟なり。人は安住の地を求め、衣食住の泰平なる地に定住し、その風土に子孫を適生せしむなり。人は生れて、その生々に住みて、安住なき處なれば、子孫を案じて山海に隔つとも、故地を離れ、新天地に求めての渡りぞ、神より与へらる靈感にして、新土に永住せる適應ぞ、自から覚得し、その風土に馴染ぬ。

人は生れ乍らに、己各の知謀あり。暮しの知惠を人に習へ自得し、尚以て求明し、諸行に学ぶ故に自己を立命せるなり。天に仰ぎ、宇宙に究め、心に神を、その信仰を生老病死の己れをふまえて悟り、安心立命の心境に得成せる四苦諦に、信仰に以て子孫に傳ふ。丑寅日本国の古代にぞ、既にして、その信仰をして求道の眞理に悟りて成道せしは、荒覇吐神信仰なり。

その大要なるは、絶對眞理にして、覚に易く、天なる一切・地なる一切・水なる一切に神の化度あり。人の愚考に成れる神は世に非ず、世にあるすべてぞ、みなゝがら神とて信じ、是れに反くものは、生死のなかに他生移化の変に惑ふなり、と説きにけり。

己れ耳を大事とし、慾望に、權力に、術數に、人を殺生してまでも我望に盡して、その榮枯に、恨念に、復讐を以て人生とせるは、あわれなる生涯なり。人の暮しに掟ありて、護らざるものを天誅してまでも衆を和らげ、祖訓にして遺せる言葉あり。神は何れにも光陰を与へ給ふなり。

人をして、人の上に人を造らず、亦、人の下に人を造り給ふなかりき。とぞ代々子孫をして是を掟とし、人の和につとめたり。語部録に傳ふる大要は、是の如きを基として、人生成道の導きとて、今に遺さるゝものなり。能く心得べき大事なり。

寛政四年八月廿日
秋田孝季

吾が国の風土は、冬寒に期をなし、春の至るを氷雪に久しく待ちにし国土なり。依て、侵敵の至らざる安住地たれども、代々に降り人の増々ければ、その豊領に侵住せんと討物とりて勢を挙し、民の安住を掠むる非道の輩あり。世の泰平を破る戦に、人の死傷ありて、都度に事件に備へて討物造りてかまふるも運命たり。祖来の戒も、侵敵に通用せず。国土の護りに起つは、祖来の国土を護る唯一なる、防人の起りたり。

丑寅日本国にて、永き戦ぞ三十八年、十二年に渉るありきを史に遺りぬ。康平五年を以て、日本將軍安倍氏の敗亡にて、永代に継續されにし丑寅日本国は、その侵略に歴史の實も消滅されたり。

然るに、信仰の祖来を未だに崇拝欠くなくも遺しけるありて存す。荒覇吐神こそ、古代の信仰を遺すそのものなり。丑寅日本国大王の累代になる安倍一族、その家從にあるものに遺る唯一の神なれば代々に遺りきも、朝幕の永き地權掌握にて、現にして倭神に置替りき社ぞ多し。

語部録に曰く。
如何に人は善言せども、罪を造らざるはなかりき。一日生を保つが爲に、生命を保つが故の食なせる數々の生命ありきを食に殺生し、飢食とせしにやも、是ぞ神の許せし生命の連鎖なり。然るにや、人は己慾にて他生を殺生せるは、罰をこうむるなりと曰ふ。まして人を殺生し、その計に戦を謀る者ぞ、神の天秤に裁かるは、再度び人の生命に生を甦すことなけんと曰はれむ。

安倍一族をして戦に敗れしは、徒らに戦の對應は子孫を苦しむる耳なれば、己の死を以て萬死を救済せんの祖訓に從ふ由と曰ふは、厨川太夫の遺言たりと曰はれむなり。

寛政六年二月一日
三春 安倍乙之介

風流誌

(※ここに、画あり)

古事書状集

一、

御事之住居いづくんぞとも知らず一筆参らせ候。昨年、京師に御事の来参に仕り候も、拙者、鎭西に所用在りて不在に候段、如何とて申開きの由なき候所なり。

かねて御事の書置し書状に訪らる叡山山王にまかり候。訪ねの儀なる荒覇吐神の祀らる處、東宮あたり小社數あるに付き、一堂一堂と尋ね候所、今名蝦夷神社なるもの是在り候。宮仕に尋ぬれば、古きより鎭座なりませると聞き及び候。

仕細の儀は不詳なれど、御事の申す山王日吉神社荒覇吐堂の實在の候は事實に存在せし旨、おそまき乍ら一筆啓上仕り候。

宮外のそば處の老人ありて古事を知り候とぞ聞きて訪ぬれば、次の如く彼の蝦夷神社を語り候。

今を去る千年の古事に候へども、出雲荒神谷神社、朝令に依りて廢社とぞなりける神難是在り候みぎり、地人、神器多く埋め候も、御神像の埋むに忍候はず、奉じて叡山にまかり候へば、神職是を境内丑寅の方位に鎭座あるべくを許に安じ候。依て、是を鬼門鎭として蝦夷神社と號け候由に御坐候。

その建立年月候事は堂中棟札に白雉壬子三年九月十九日と御坐候由にて、安和戊辰二年再興に候。後年、長暦戊寅年更に陸奥の日本將軍安倍頻良再建仕候段、棟札に記逑御坐候。

然るにや、治暦丁未三年、源義家参拝の砌り、これを忌み候へば、社處を現在地に移さる旨を聞き及び候。亦、是處に候も元暦甲辰年及び元徳庚午年、更に文明乙巳年に再建なしたる候事も社記に御坐候と聞き及び、急挙御傳達申上候。

京師は春も盛りに御坐候。御事の話題に三春瀧櫻の見事さを聞き及び候も、みちのくは櫻の開華の候はいとどしく候。

癸丑弥生二日
山王前 高賀茂仁兵衛

三春千季殿

二、

久しく御尊顔を拝し候事の叶はず、一筆参らせ候。今年は通年に過して、鮭の豊漁に御坐候乍ら、先づはシオ漬一匹を添へ申し候。

渡島より船に渡りて一日の刻なれど、未だにやぶ用に忙しく暮し居候。先に御申付らるオロシアのサガリイン来舶の件に候は、その領土權、此のまゝに放置なせば、彼の領たる如くの掌握に憂候段、御貴殿より老中田沼様に御申請あるべく願ひ奉り候。

此の地は、古き世に安東船ナニオコタンに湊し、山靼交易に用ひ候處なりせば、今にして一藩の防人耳ならず、各藩連合に出仕り度く願ひ上げ候旨、伏して願上げ候。

天明三年八月六日 秋田季信

秋田孝季殿

三、

老らくの何とて爲べく事や非ず、昨日にいとそもじの久しきを想出し給ひて筆とり候。

若き日に黄海の合戦にいでませて、日夜戦の重なる明暮れを衣川、黒澤尻、紫波、厨川と草枕を倶にせし頃の若き日にありにし汝と我れは、はしなくも命永らひて、故地を隔て両親の草墓にも詣でるも叶はず、今は異郷の土とならむとす。

敗れし者のあわれさ、忿怒やるかたなき候も、老ては如何と詮なく思付くまゝに筆とり候。厨川に脱し姫神に汝と途を分れしより、再度の遇ふ日も叶はず、風の便りに汝、遠野に住居せりと聞き、糠部の漁士に此の状を委候也。

おことの長子黒若は、長じて如何に暮し居候ぞ。若し生々貧かるあらば、早々東日流に参らるべし。汝とて安倍の一族にして臣なりせば、速かに引越ありて然るべきに候。

東日流にては、十三湊に水軍を興し、山靼はるか支那、高麗までもまかり、商益盛んなり。豪族ひもじからず、日に三飯白米に美食たり。人手に不足あり、心団結に、かまえて来るべし。

永保二年八月一日 菅野左京

石江眞悟殿

四、

遠き昔世に、外ヶ浜なる大浜三内の丘に、荒覇吐神祀るハララヤありけるを古老の傳あり。語部録に石神の高樓とあり、カムイのヌササン跡にして、ポロコタンのヤントラありきを傳ふ。

東日流中山奥内の石塔山に道ありけるは、中山切通しをたどりて近きなり。孫内より天田内の川に添ふる山道を登りて至る津保化山の玄武たり。

外浜に古跡あり、山靼船の往来あり、その歸化人多く住みにける處なり。海幸・山幸の豊饒たる東日流にては、神に信仰を深くして、年に一度の祭ぞ大いににぎわいたりと曰ふ。古き世のこととて、定かなるは知るべくよしがなけれど、語部に傳ふところなり。

安永二年二月 堺屋藤吉

五、

古き世より人の生々せる處に、神の祀跡無かりき處なし。人の生涯をして善蹟あり、悪障ありて盡きるなかりきは、人の進歩に達するとも尚、絶むなかりきなり。

宇宙阿僧祇に誕生し、その日輪系軌道に地球星とて誕生せる表殻に、生命をして誕生せし萬有のなかに、人として成長せしむるを得たる人の種因に、地界に人の住ざる處なく相渉り、各々人跡榮枯の跡を遺しきに、人の智能の先進・後進ありきは、その遺跡に證ありける。風土地候は地界をして異り、人は地に適生す。日輪の光熱、黄道・赤道に軌運せる地界の四季、萬有のものはその候に種を適生ならしむは、まさに神の造れる業にして、人は是れに感應して神を想定せり。また、命運を開く爲に信仰起りぬ。

生れて世にある事久しからず。常にして生は死と背を併せ、安心立命を求めて、その信仰に正道・邪道あり。信仰に以て、人は事の正邪を世襲に委せて運命を倶にせり。泰平にはおごり、事に起っては戦となり、神をも冒涜する邪道の宗教に人を散財せしめ、とゞのつまりは諸行無常の自得業報に裁かるゝなり。

人は如何に聖言を論じ、求法を説けども、天地水の大自然を掌握せる神なる非理法權天の眞理を拔く事は叶はざるなり。神の通力化成は、人の思想にもはるかなる隔たりありて、天地水を以て萬有の生命を篩落し、また造化に誕生せしむるなり。如何に人は秘法に達して、化科術を以て生老病死の轉生に不老不死を謀れども、所詮は空しき一刻の慰みなり。

語部録に曰く。化科の学道も、人師の哲理も、總ては非理法權天の眞理に拔くことの叶はざる、諸行無常の天然自然なる荒覇吐神をして成道なかりきと、釋明に生命を越ゆ信仰に達し、他衆の誘迷に己が心身を護り、不動なること北極星の如く宇宙の軸星たれ。さてこそ安心立命に達せん。

寶暦甲戌年 和田壹岐

六、

語部録に曰く。
人は萬有の先端に在り。生死のなかに最も哲理を求道し、その成道に何をかならざらんと、衆に越ゆ理證に究めども、常にして一刻の讃美に了りて、逝く過却は常にして遺るなく、人心は新生の誕生成果に赴く耳なり、と曰ふ。

古き集石を用ひて道具とし、土を素焼きて器とし、鑛を溶して金銀銅鉄を以て道具を造るに至る。人の生々に限りなける発明の究むところに先進あり。後進のものを侵略し、勞奴とて人差を以て久しく保たんと欲す。

然るにや、神はもとより人をして平等に造りしものなれば、その先進も後進の者に追越さるあり。人は常にして爭ふなり。学道に政道に商道に宗教に醫学に武力に、人は衣食住の安泰を求む他に、その極に欲する事やまざるなり。己を越す者をおとしめ、生々常にして油断を赦さざるが故に、泰平と動乱、背併せに起没す。

人はかくありて、より一層に先進の安泰に向上し、現に至り尚やまざるなり。是の故に、人命多く殉ぜるの運命あり。崩壊ありて、歴史の遺る跡の空しきを未だに悟り難く、人は常に征慾は限りなく心中に潜在す、と語部録は力説せり。秘は必ず顯れ、築は必ず破壊あり。石は砂と砕け、雲は雨と散り、生命は必ず終ると曰ふ事の哲理に覚めよと曰ふ。

語部録は常にして、神を自然に求て説き、人の世襲に信仰の要を攺む事はなかりき。人の造れるは、何事に於てもいつしかは泡の如く消滅せむと曰ふ。天然・自然はゆるぎなく永續せども、宇宙にして異変ありせば、瞬時に砕け散るとも曰ふなり。思ひば今上の光陰空しく渡る勿れ。

寛政丁巳年八月 秋田孝季

七、

荒覇吐神之語部録に説く處は、丑寅日本国の歴史に、此の神を知らずして、知ること能はずと常に曰ふところなり。

アラハバキとは、太古シュメールと曰ふ国のカルデア民に崇拝されし六千年前の信仰なり。世に未だギリシアの神、コプトの神、ユダヤの神、天竺の神佛、支那の西王母、東王父の神々、またペルシアのアラー神など世になける世の神にして、カルデア民が宇宙に神秘を想ひ、日輪の黄道・赤道にかゝる十二星座と北極星の不動たる軸星に神秘を感じ、天なるをアラ、地なるをハバキとして神を想定し、マデフのなかに祈りの場を造り、これをルガルと稱して祈願せるより、諸国に神と曰ふ信仰に布教せしものなりと曰ふ。

今は砂丘に埋むるジグラード遺り、太古神殿の跡を遺せども、その信仰にある民族はなかりきと曰ふ。今に遺るは、蒙古のブルハンと曰ふ神、支那の白山神、吾が丑寅日本国のアラハバキ神のみなり。古代オリエントの知にはシュメールのアラ、ハバキ神の渡りに地住民族の加神と相成り、ギリシア及びコプトの神々大いに盛れども、民族多信渉るキリスト、ムハメッド、オーデンの信仰、及び天竺のアーリア民になるヒンズー及びブッダの信仰の消滅せり。

今をして遺るは砂に埋る石像及び金字塔、石殿墓穴に大いなる遺物とて遺る耳なり。また、シキタイの平原や砂漠、モンゴルに渡りきも、ブルハン信仰の他は非ざるなり。

今に遺るゝは丑寅日本荒覇吐神社こその遺光を今に傳ひきも、多くは門神、また客大明神、荒脛巾神または荒羽々気神など多様に攺稱せども、神への禮拝に三禮四拍一禮の行事こそ遺れり。即ち、三禮とは天地水に四拍は四方の神々、一禮は宇宙の軸星なる北極星に捧拝せるものなりと曰ふ。

寛政五年一月 秋田孝季

八、

支那古代神に女媧、伏羲ありて上史に筆頭す。高麗は白頭山降臨の神を以て史頭し、蒙古はバイカル湖及び黒龍江の神ブルハンを以て民族の創め、国の肇めとせり。吾が丑寅の国にては、古来永劫に荒覇吐神を崇拝して今昔不変に保つぬ。依て、丑寅日本国は人跡十五萬年乃至三十萬年に渡りて、アラハバキイシカホノリガコカムイと崇み奉る信仰の深きに不動たり。

一度びは倭国をも信仰の下に征したる荒覇吐神の信仰にまつはるは、倭国とて今にアラハバキカムイの遺宮あり、その行願禮ぞ出雲大社、筑紫の宇佐や国東に遺りけり。三春城下に大元神社のありき、祖拝にして安倍国東の建立なりと傳ふ。築紫には宇佐の大社、国東の大元神のありき。大檀那は安倍一族たりと傳ふところなり。

また磐井一族の奥州亡命に證しありて、奥磐井の郡は、その子孫に縁ゆところなりとも傳ひて曰ふなり。古来、安倍一族は好みて、築紫をこよなく住民の往来あり。安倍宗任の子孫にて、この宮ぞ永代の庇護を受けたり。世襲にて宇佐の宮は八幡宮となりにしも、本来、鎭座の神は荒覇吐三神の宮たり。依て、行禮に四拍をなすの行、今に遺りぬ。即ち是れ古代なる荒覇吐神祭禮の神事にして、丑寅日本国と何事も異なるなかりき行事なり。

享保二年六月 生保内彦作

九、

通稱にして蝦夷の国とは、朝幕に反く民とて意識さるゝ丑寅日本国にして、日本国なるの発祥なる国土にしてはゞかることなき、支那旧唐書にも明らかなり。古きより、倭国におとらず農耕漁獲に民は豊かに安住し、大王を位に立てたる治政立律の国たり。然るに、その幸を掠めんと欲する倭人の侵領盛んにして、坂東は遂にして皇化に掌握され、あたら賦貢の重税に民は苦しみて坂東より出羽、奥州に人の脱住に追ふて、いよいよ丑寅日本国への進駐を倭人は謀れり。

語部録に曰く。
初めに上毛野田道、將軍として陸奥に軍を進めども、伊治の水門にて大敗し、一人だに残らず討死すと傳ふなり。

此の侵領に国土を護らん武威に備へて、山靼より馬を入れ、チャバンドウの武練を以て、奥州は何處も馬を飼ふに至り、馬を以て騎馬軍を坂東境に配したれば、倭人の侵入なかりきも、再度の乱に備へて津軽より陸前宮澤に大王の司處を移し、その八方に道を通し、橋を架け、更には日高見川水軍の川湊を築き、馬牧も一の戸より十の戸まで各八百匹を野飼せり。ポロチャシも堀をめぐらし柵を圍み、攻めて要害の地型を選びて要處を固め、海浜に速船を備はしむ。

倭軍如何に大軍をして奥州を皇化にせんと画策せども、かゝる護りを降す軍謀非ず、遂には商を以て流通せんとす。然るにその盟約破るもの倭人に多く、遂には市を閉ぎ、商易を断じ、倭人を追放して、その商易を山靼に流通を開きぬ。

安倍安国が日本將軍と相成りて、いよいよ通商を盛んならしめ、奥州は一変して異土錦をまとう、満足りる暮しに富めり。倭人を奥州進駐をば許さざれども、山靼よりの歸化人をこばむなく、その成果を得たるは丑寅日本国にては初の鑛山採鑛にて、金銀銅鉄の鎔産を得て、東大寺大佛の金色になせる黄金の献上及び舞草の鉄産などを以て、武威にも富ましめたり。

倭にては、かく金銀銅鉄は支那韓土よりの渡来に便りたるなり。丑寅日本国は、かく倭国に先進して文明を得たるも、執拗にも奥州侵攻をくりかえし、三十八年戦役、阿部比羅夫の海兵侵攻、坂上田村麻呂の征夷、源氏の侵攻、前九年の役にて奥州を掌握せしも、その占領域駐兵ならず、東日流の如きは一歩の侵攻もなかりき。安倍一族は滅亡せず、東日流に安東一族とて再興せり。十三湊に安東船を起し、山靼及び支那、韓国への商易に益を得たり。

倭国にては、源平の戦に世は乱れて泰平遠くして、平氏の滅亡の後、源氏の武家政治と相成り、奥州平泉に兵二十五萬を挙し、灰土に奥州平泉は百年の一期に散りにけり。然るに、安東一族は益々隆興せり。

文化二年五月 伊東繁忠

十、

語部録に曰く神話あり。
丑寅之国は天駆ける馬あり、海を走る白龍あり。荒覇吐の神は常在し、民の祈りに降臨してその願望を果しべく果し、民は富と幸に神祭りて、神を招く石神の高樓を雲を拔くが如く築きたりと曰ふ。祈濤の者にゴミソ、イタコ、オシラの神司あり。生死の靈界を自在に往来し、靈媒すと曰ふ。

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オシラは生死のなかに人の命運を占ふて、萬一にも外るなき的中を餘言して衆を救済し、イタコは黄泉に逝きにし者の靈を招く靈媒にして、遺れる者に告ぐ神司なり。弓絃を打鳴して曰く、
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是の如く稱へて靈を告ぐるの事に故人のあやまりなきに遺族の者はこぞりて靈媒を賴めり。ゴミソとは、生とし者の吉凶判断を占ふる神司なり。
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是の如く祭文し、カムイノミに占いて諸々の吉凶を告ぐる神司なり。古きより神の祭りにて諸人の安心立命に導く神司とて、人は是を怖れ敬ひて今に遺る。

丑寅の民に存在す神は、白鳥を遣して冬を護り、鶴を遣して春を護り、鷲を遣して夏を護り、鷹を遣して秋を護ると曰ふ。また、夜の闇を護るは䲷鴉にして、是をカムイの五鳥とて狩を禁じたり。神を祭るは、年に四度にして満月の出でむ夜を以て行ずるなり。總てはポロコタンのエカシに依り采配さるなり。

ヌササンの前にカムイノミを焚き、メノコが踊る人輪の中にエカシの弓の舞、男衆のマギリの舞あり。イオマンテの宵祭りは盛る神像はなく、幹四本三股の神木にイナウを立てるのみなり。神はこれに降臨して人に幸を施すと曰ふ。メノコらの神に捧げる踊りには、その年に起りたる出来事を即興に踊る。フツタレチュイと口走り、風の踊り、狐の踊り、熊の踊り、鮭の踊りの數々、宵を通して贄となる檻のまわりを踊りぬ。此の踊りにやむや贄となるものは矢にかけて、その靈を神への使者とす。イオマンテには別稱熊祭とも曰ふは、この故なり。贄とは、その生命を断って神への靈使とし、遺されたる遺骸を分つ神の靈施なるものとて宴の遺供物とて祭事に當りし者は、これを料理としていただくの習なり。

神の贄となるは熊に限らず、その年に起りし出来事に依りて選ばると曰ふなり。太古には、はろばろと北極にいでませて、白熊、白狐を生獲りて、それを宵祭りの聖夜まで飼育なし、贄とて供したるありき。東日流にては、カムイヌササンの塔に神石を祀り、油灯を明して神行事の程はまさに荘嚴たりと傳ふるなり。

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是の如く遺れる語部録に遺されきは、事実古代世にある事の実記にして遺るゝものの再譯なり。

渡島住民をアイヌとて忌み嫌ふべからず。彼の民こそ古き世より神の古道を遺せし民なり。クリル族、ギリヤーク族、オロッコ族、オロチョン族、チングース族、ウデゲ族、何れも古祖にして血の縁れる民なるを異にする勿れ。山靼は大陸にして擴し。西果てに紅毛人国あり、黒人国ありて、吾等は黄色人種に屬す。その渡れる方處世界果つる国に住居して、古代の證を遺しつる人の種族なり。

依て、人は祖訓に習ひて護り、睦きを以て暮しとすべく戒を破るべからず。神は慈愛の光熱を以て、萬有を生育し、人をして上下あるを造らざるなり。丑寅日本国の昔ぞ、さもありなんを能く心にわきまふべし。

寛政五年二月 エカシキムエン

十一、

語部録・・・・・・・に曰く處は・・の事なり。年を過し久しきに至りての過却を歴史と曰ふも、傳へし多くは造話作説に依る多し。亦、神なる信仰に於ては尚以て夢想夢幻に占めて遺さるあり。歴史とは世にある事の事実を以て当然なり。

吾が丑寅日本国にては語部文字八種にして、世襲の実相を遺しきは倭の朝幕に恐るゝなく、亦、世襲の權者に知らるなく遺りきは幸なり。倭史の神代にまつわるゝ歴史の事は語部衆の地方都々浦々の古話を皇記に当て、時に当なしたる神話、民話のたぐいを選拔し、歴史の事を古く溯らせたるものなり。また支那・韓書に当て事の作説せるも多し。

倭史の編に当りしは、稗田阿禮、大野安麻呂らの語部に基して記されしは、史行の多く自作、自放の架空談にして、史実に遠き夢幻のあらましなり。人皇を神と直系し、その史談に造りしは、神をも冐瀆せし行爲にして信じるに足らん。

神とは、萬有のすべてを造化せし天地水の化科にして成らしむる因と果に起す天然自然こそ神にして、人の相をせるは人造のものにて、眞理の神に非ざるものなり。神とは見えざる風の如く、ときに雲より起る雷・稲妻の如く、音に目に見ゆ瞬相たるもあり。春夏秋冬の季移になる景相の如し。宇宙に仰ぐれば阿僧祇の星、そして天つ流るゝ流星の神秘ぞ、神なる造相なりと曰ふ。

神は無より因明を起し、その果になるは質物にして光熱なり。宇宙は無限の暗に擴く、星間の光りを以て遠近を測りぬ。星にも生死ありて、語部に曰はしむれば、東空の巨星爆烈の死にざまを人視にせしは、天喜の年間と曰ふ。神とは是の如く、成造と破壊、更に生命の生死を掌握せるものなれば、徒らに神を造り、自然の実相を惑はす勿れと戒言するものなり。人師とて如何なる達辨に説けども、神通の劫、何事の験なく無常たるは眞實なり。

依て、かゝる迷道に惑はず、眞如実相の天然自然に目覚めよと戒むなり。求道にかんがみては、安心立命を導く信仰にてよし。

文政十年七月 和田長三郎

十二、

語部録・・・・・・・・に曰く。
萬有總ては地殻なる大海より生ると説きぬ。水に生る微細なる菌種の如きより生命は誕生し、陸に侵生してその種を殖しけるは、天よりの光熱、寒暖季節にて萬有と適生し、人間とてこの一種よりの分岐なり。

萬有生物は常にして子孫を遺すべく、各々進化成長せりと曰ふなり。空を自在に飛ぶ鳥蟲、獸にして空を飛行せる蝙蝠、鳥にして飛行せざる鳥の類ありとも曰ふ。これぞ進化と退化の交差にて、住むる地候に生ずる生命の保持手段なりとも曰ふ。諸々の生物化なるは久しきに渉りて成れるものなり。總ては風土に對生せる、自からの遺傳成長なりと曰ふ。萬有の何れにも靈あり、進化成長はこの故に永き生死の轉生にて成れるものなり。陸に生々せし獸とて、その生々を海に求めし鯨及び其他の鳥蟲獸ぞ數ありけるなり。天然自然は是の如く生命をはぐくみて今上に至るなりと曰ふ。

古代丑寅の語部に遺る哲理の程や、能く覚つべく寶典なり。大自然は永きに渉りしばしもやまず、萬有を生死のなかに生命をはぐくみながら進化生長せしめ、萬有のなかに人物たるの智惠に向上せる生命を世にいだしめたり。人の智惠は向上尚とどまらず、世の進歩に歩調を併せ、以後如何なる世の当来に成りむや、これを妨ぐなく安心立命の共存を以て泰平を護らむ世に智識を学ぶべきなり。

人生は安しきこと瞬時に去り易く、向上成り難し。然るに、是を越えずして未来はなかりきなり。人の智識は古代より地殻より金銀銅鉄を見付け道具とし、更には生命に起るゝ病藥までも見付くるも、怖しきは萬衆を爆烈殺生せる凶物をも見付くあり。未来は心の時代なり、と戒め置くものなり。

文政五年八月 和田壱岐

十三、

語部録・・・・・・・・・・・に曰く。
吾が国は山靼より祖来して以来、永きに渉りて智識を得たり。また国土をして金銀銅鉄の産あり。平泉ありて馬飼を能くし、荷駄の運道、農耕の道を開き、川に橋を架けにし流通の便を能くせり。

古きより海を道とし、川を道とせし舟の工ありて、遠く山靼往来を欠くなし。異国人は紅毛人に至るまで歸化を赦して、その智識を向上せしめたり。ハタと稱すは古代船にして、トナリとは帆にして獸皮を用いたり。漁舟・客舟・運荷舟は常にして川を往来し、住人の居住する處、道の至らざるはなかりき。奥州は大森林の繁き山を連ねたれば、山海みなながら幸の御園たり。山に海に人の住む處に拓田あり。拓ありて不断にして保食の郷倉を空にせることなかりき。凶作とて郷倉に満つ古きのものをとりかえ民に分つるは、新産の物と入替ふ程に、いざなる時に飢ゆるなかりき。山住の者は海浜の者に毛皮、薪、舟造りの材を呈し、故に海幸・山幸の物交に以て暮しの和を保てり。

石の斧より鉄斧に向上しけるに至り、鑛山に鑄鎔盛んにして、山靼往来は代々に益をなせるも、海住・山住の物交ありての故なり。山靼より歸化せしものにその導師となるべくありて、年毎に鑛脈を見付得たるこそよけれ。坂東より出羽山脈・陸奥山脈をして金銀銅鉄のただら各處に存し、アルタイ鍛治の歸化人、舞草の剣を造りて、倭人是を欲して益せるも、国を犯して以来その益を断てり。諸道具、鍋、釜に至る鑄工も諸邑に渉りて、西も東も寶の山とぞ庶民に唄はれたり。

山靼より牛・馬を入れてより、野飼の牧ぞかしこに、人は𢭐々せり。戦に馬を用ひたるは奥州の防人達たり。山靼に民族祭典クリルタイありて、多くの日本民、参盟して世界を知りぬ。蒙古なる黒龍江のチタに開くナアダムにチャバンドウあり、騎馬術を修得して蒙古弓及び箭、更には馬具として鞍造りなど、部の民とて子孫継續の職人を日本將軍の庇護のもとに置かれり。

安倍頻良の代に、羽陸の方處に分倉と稱して地豪の者を配し、宇曽利に安倍富忠、東日流に高畑越中、陸羽に金寶寿、飽田に火内三郎、庄内に清原武則、吹島に田村式部、磐城に本田賴之介らを選び知行せしめたり。是ぞ倭朝の儀に非ず、日本將軍令とて任ぜり。

是を報せに受けて、朝廷は謀りに謀りて、安倍一族をよしとせず和賀の柵を大修復し、都度に防人を増ければ、次代なる安倍賴良、白河に柵を築き関戸を配して倭侵を警戒せり。日高見川にては川湊をして柵を築き、倭人駐在の郷にもののふの數をそろいたり。かくあるを都度の奏上に承る朝廷は如何とも謀れず、征夷の軍挙に至らざるなり。

羽陸にして安倍一族の勢を爲す者、三十萬、若し征夷の軍挙あらば、一挙に奥州の地に倭の駐りき多賀城、出羽の高清水を失ふ憂を生じ、久しくも奥州の皇土に化を得らざるとして、時機当来の延期となれり。若しこのとき官軍起りたれば、安倍一族の敗亡はなかりきと曰ふなり。

語部に曰く。
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まさに是く傳へを今に遺しけるも当然なり。

朝廷に於ては日毎に策謀を計りて、奥州豪士に官位を与へきて、安倍日本將軍賴良への反忠を募りけるも、是れに参道せるものなかりきと曰ふも、都度にして請ければ金爲時・安倍富忠らゆらぎたり。

寛政四年十一月 秋田孝季

十四、

語部・・・・・に曰く。
古事の国に起りき歴史の溯る處、丑寅の日本国なり。国を肇むる大王の一世を安日彦と曰して、耶靡堆の落人にして東日流と曰ふ處に落着す。安日彦を安日王と稱し、耶麻堆国三輪山の蘇我郷之大王たりしも、筑紫の日向の大王佐怒王に侵領されにして敗れ、傷負ふ膽駒富郷之大王長髄彦王をたすけ丑寅に敗北す。長髄彦は安日王の舎弟なり。

一族大挙し奥州にたどり、長髄彦、澤に湧く温泉に湯治し本復せり。此の地を今に安日山と遺りぬ。かくして東日流と曰ふ国末の地に居をなせしは、稲を以て暮す民ありとて、此の地に永住を定めたり。地に住む二族ありて、阿蘇部族・津保化族と稱し、その長老エカシ、安日彦大王を奉じて聖なる石塔山に日本国大王一世として即位せしむことと相成りぬ。

此年東晋の郡公子一族、東日流に漂着し安日彦大王に救済さる。爾来、国を廣め、陸州の麁族、羽州の熟族從ひて、坂東までも領域をなして、今なる富士山を領内に、安倍川より越の糸魚川に至るを日本国と国稱せり。安日彦王、領内地族百八十五族を合せ、是を荒覇吐の民として信仰を統一せしめ、能く国治を全うせりと曰ふ。

語部に曰く。
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是の如く、古代丑寅日本肇国を説き遺す處なり。依て、荒覇吐神の信仰大いに布教し、更に越えて倭国までも渡りぬ。

東日流より大根子彦と曰ふ五王ありて、倭に攻め故地を奪回して、倭の大王となりけるは、孝元天皇とて秋田系図に遺るは、その眞疑の程は語部録にも記行なかりき處なり。

寛政八年七月一日 佐藤家綱

十五、

語部録・・・・・・・・・・・・に曰く。
北斗の星、四季に仰ぎ、不動なる北極星を軸に卍にめぐりて、古来是を神聖として靈のたどる死門の星と曰はれ、やがて此の門より下界に新生の生命を神の裁決にて天降す門とも曰はれて、コプトの金字塔さえも北極星に靈窓を爲すと傳ふ處なり。古来より死者を枕北にして寝かしむ風是在りて、生死の意義を知り置く處なり。

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とも曰ふは、世界何處も同じく、生死の轉生は天の司る處なりと曰ふ。宇宙に仰ぎ、老若男女運命を星に願ひ祈るも亦、同じなり。古代オリエントの神々を星坐に奉りて天運と占ふは同じなり。支那にては天文学とて人の運勢、吉凶の判断に用ゆ多し。古代より卜部とて、天に仰ぎ星の下に時運を占ふありて大いに流行す。

然るに、宇宙は神秘に満れども、時勢を左右に占ふるは迷信にて、何事の根處もなきことを覚つべし。天文とは暦に用ゆ宇宙の回轉に、月の圓週に依りて潮の干満、日蝕や月蝕のあるべく年月日を測る他、人の占に何事の成果あらざるなりと覚つべし。とかく占とは一刻の気休めなりとて、徒らに深く心に入るべからず。宇宙をして学ぶるは暦に測り、暮しの常とて己が生涯の計を立つるこそよけれ。

星は神話に多く、七夕は年中の祭事たり。ネブタ流し七月七日、藁シベ流し七月七日、虫送り七月七日、やまだし七月七日、かんとう七月七日、ぼんぼり七月七日、鬼剣舞七月七日、やんとら草取り七月七日、イオマンテ七月七日、イチャルバ七月七日、丑寅の祭り渡島の祭りはかくも大祭を七月七日に挙行して、夏の宵を踊り明す。

(※ここに、図あり)

宇宙星を、点に線にぞ結びて星座を示すは、古代シュメールまたはギリシアの信仰に多し。北斗七星を大熊座とし、北極星の尾を小熊座の尾に當つる宇宙図ありて、星座をしてその神話を作るも多きなり。流星を吉凶の判断に用ゆも然なり。星をして占ふは、古代より世界何處の民族も、その神秘に夢想幽幻に思ふも、宇宙とは是くに非ず、その哲理はきわめて解き難きものなり。古代をして人の心にして迷信に堕入易きは、なげかはしき哉。

安政二年三月 小野寺晴光

十六、

春雨けぶる旅路、かしこに山吹の花咲く山渓を、かしこに鳥の聲、草木は若葉の限りを芽吹きて、霞におぼろたり。

丑寅の旅行きは、野ずらに山路に黒繪の如き春景色あり、まさに價千金なり。雪解の水ぞおとろふなく湲さわぎ、苔石に飛泉玉をあびせむ。水音に蛙の聲や、さわやかなり。日永の一日は、時折々に鳴く鳥を旅笠の左右に聞き、道しるべの山景に、しばし腰を休むる峠の小店に、白髪の老婆と翁の造りしか、旅の補ないに草鞋を求め、笹餅を食すも、目は四方の景に見とれて眺むなり。

遠く近く鶯の渡り耳を幽め、麓を閉す霞ぞ天晴れて尚、山木の幹を幽閉すのどかなり。道にかげろふの草いきれ、如何なる草花にも胡蝶の舞を見みえしに、さらなる旅を外浜に出づるなり。

春の海は潮かんばせて、波はのたりて潮騒もなし。水平の彼方に白帆見ゆ、渡島の歸り船と獨り思ふる。浜店に飯を注文し、空腹に肴は美味にして酒またうまし。

中山越れば東日流の里、わが旅は中山にありて、往古なる史跡への尋訪なり。善知鳥の泻、大浜を中山切通しにたどり、津保化山にさして登りければ、その靈跡石塔山にたどりぬ。此の靈山に峯を連ぬるは魔乃岳、津保化山、馬神山、笹山、梵珠山にして史跡多し。

玄武に望むれば眺望山、大倉岳、増川岳、木無岳、十三湊を望むる地位にあり。西に岩木山、東日流大里の地平に越えて西海を幽かに望む。東には外浜、宇曽利に越えて東海を望む。三内、孫内、奥内の古代人跡の邑々に近く、石塔山の古事に語部録あり。想いは歴史に溯る。折りしも春雨けぶり、木草の花かんばせ尚しきりにて、谷水流るゝ石くれに苔なむす處、あすなろの原生林や、昼尚暗き程の枝は天空を閉すと、鬱蒼たる立木の下に立っては、春雨如きはぬれやらず、深山幽湲そのものなり。

太古なる石塔ありて神秘をいやませり。

津保化族の聖なるカムイの祀る石神塔は、いやさかの古事を愢ばしむなり。耶靡堆より此の地に再挙の大王に即位せし安日彦大王、長髄彦大王の即位なる故地。その流胤になる安倍、安東、秋田氏の歴代の陵に草むす代々の跡、歴史の移る今に見ゆれば、苔の香に知る人もなく遺りけるもよけれ。一宇の草堂あり。今は麓の村なる和田氏にて護らるゝ由なり。

献上の神具に名あり。高山彦九郎、林子平、菅江眞澄、秋田千季、秋田孝季の名ありて、更に古きは安倍富忠、安倍頻良、安倍賴良、安倍入道良照、高畑越中、安東髙星、弘智法印、西行法師、更に古くは大峯行者役小角までも訪れ、その仁らの陵もかしこに遺れる數ぞ八十處に及ぶなり。古き版碑、五輪塔、寶筐印塔、石佛らその陵に殉じるがまゝにして苔に埋む始末なり。

〽そま道を 苔踏みたどる 石塔山
  いにしの影は 石塔石くれ

〽春雨に ぬるゝがままに たどりてぞ
  昔を愢ぶ 渓間草墓

学におそまき乍ら二歌を遺して今宵は草堂にねぶるなり。灯なき深夜に佛法僧啼きけるもどかしさに、吾れは更に筆とりて心がまゝに書きしるべは、

〽古き代の 事に語るか 佛法僧
  風みなゝがら さわぎねぶれず

筆置きて聲をいでませて詠ぜれば、早や東の明けに鳥ぞさえづるに、吾れ起きて湲水に顔洗ひて、暫し幾日か宿る旨を祭神に拝して、三禮四拍一禮の拝儀を以て爲す。

嘉永二年五月
奥州千臺之住 安倍忠基

十七、

一筆参らせ候。此度、京師及び大和の旅かけて、歸郷仕り候。御貴殿の案内状にて名所古跡を巡り候間、古近を問はず神社佛閣のやたら人の手工を施せる建物多くして、自曼なる神職佛僧の事になる他、古事来歴の言上是無く、たゞ散財の旅に了り候。

吾れ奥州に育ち候へば、神坐せる處、自然にして飾りなく、天が下天然の造化になる他、人の工を加へざるを神坐と奥州荒覇吐神の信仰に以てかけまく候も、何事の靈感覚つなく歸路に仕り候。まさに御貴殿が曰ふが如く、丑寅の在る者は倭神に染はざると注告あるを身心に悟り居り候。今、奥州も古社非ず、年逝く程に倭神にほださるまゝ上方に馴み候なれば、是も新代の移りとぞ諦め居り候。

然るにや、西にても吾らと同じうせる社あり候へて、三輪の社にぞ感を深く覚つ候。山を神とし崇むるは、まさに奥州と変らず。五葉山、早池峰山、姫神山、巖手山の如き信仰に是在り候。

語部録に傳へ候事は、神の名に、人は神殿伽藍を状大ならしむ候事は、神の求む處に非ず。亦、像を造りて神とて人は示し候事も亦、神の意志に御坐候はずと曰なり。正に然るべく候。神は宇宙、大地、水中みなながら住み處に候。人の都合にて人の造れる神社佛閣に神佛の来臨あるべからずと覚え候と拙者の想ふ處なれば、御貴殿の意見をお叱り候へば攺め度く、是の段お伺ひ申候ところなり。

とかく上方にては衆に強く寄付の奉賀を求め、その上下を社前にあしらふさま、祖訓の曰はしむる神なるは人の上に人を造り給はず、亦、人の下に人を造らず、との祖訓の候は、是くあるを神は如何に想ひ候や、正に世の末を覚ひ候。倭神の候は、丑寅の神とは崇むるにも相違あるべく候。

荒覇吐神と何處にも鎭座ますませると、今はたゞ天に地に水の一切に崇拝を異に深うせるこの頃に御坐候。折ありせば参上仕りて導談の程を願ひ奉り候也。

嘉永二年十月一日 桑原七藏

十八、

・・・・・

老いては子に從ひと曰ふ

(※ここに、図あり)

神は相無かりき 天然の候なり

世にある事の出来事と歴史は実相を書く他に優るはなかりけり。

(※ここに、図あり)

常にして平等に語部は眞実を書耳也

(※ここに、図あり)

筆のまゝに 孝季

語部録ほどに、歴史の誠を記したるはなかりき。倭史にては天皇記及び国記と言ふありけるも、葛城氏・物部氏・羽曳氏・大伴氏・平群氏・和咡氏・蘇我氏・巨勢氏らの内にて天皇を奉りたるなり。神より萬世一系とは何事の證なく、語部大野安麻呂・稗田阿禮ら諸国神話を以て、倭史をばなせるものなり。

天皇記・国記はその実をあからさまなる故に、蘇我氏の掌握より奪はんとて襲ふるも叶はず、火を放つて焼滅せるも、既にしてその書は三河の荒覇吐神社に秘藏されし後に、誰ぞ知る由もなかりきに、これ平將門に掌に渡り、更には安倍氏の掌握せしものと傳ふは実相なり。

寛政五年七月  秋田孝季

十九、

佛の弘布に、外浜なる逢田に至る、金光坊と曰ふ念佛僧ありて、地民の怪奇なる話に耳をかたむけたり。雪解の川に異光放つ者流れ来り、杣夫驚き山に入るを怖しきと曰ふに、金光坊その怪奇なるをたしかむるため、村人を同道せしめ、杣夫の見たる川を尋ぬれば、何の事あろう一躯の佛像、川に投棄されたる像の塗金の光りたり。このあたりに佛寺なく、金光坊、是れ我が布教佛縁なしたる奇蹟なりとて、その像を大事に奉持し、邑に歸りて念佛法會をなしたり。

像は阿弥陀佛にして、巧みなる佛師になる名作たり。金光坊、此の川を阿弥陀川と號け、その川辺に一宇の草堂を建立して安置せしむるも、未だ佛法の至らざる邑人に信仰の心、露もなく、祖来の荒覇吐神、神道に耳、心ありて金光坊が説く佛法に入信歸依せるはなかりけるに、詮なく金光坊、此の像を背負ふて行丘と曰ふ地に駐りぬ。北中野と曰ふ處に堂を建立し、朝夕の念佛三昧にて一人二人と信者を得たるに、諸邑を念佛布教に巡脚せり。

幸にして地頭の安東氏、その巡禮を許したれば、藤崎と曰ふ城外に堂を建立し、東日流一円に念佛布教を弘布しけり。然るに、念佛への信仰ぞこの地には度し難く、金光坊の一生は行丘の地に、建保五年三月入寂せるに至りき。後、その念佛ぞにわかに信仰を得て、行丘に石垣金光坊圓證阿闍梨之墓とて今に遺れり。

文政五年七月 名越与三郎

廿、

大寶辛丑年、大和の葛城上郡茅原の行者にして、役小角と曰ふ修験行者来たりて、中山に入峯して佛道の秘義、金剛界・胎藏界の法界に、役小角が獨自に感得せし金剛藏王權現と曰ふ、修験の山岳信仰を併せたる如き、神佛混合と信行になるを救世の法とて金剛山にて感得せしは、その垂地尊たる金剛藏王權現を感得せしものの、その本地たるを未だ感得を至らず、夢告に依りて此の地に来たりぬ。

小角はかゝる法外の信仰に衆を惑はす、とて八宗の僧より訴人され、捕はれて伊豆に流罪となりて、此の年赦されたるも、小角、本地感得は唐土に得んと欲し、肥前松浦より船をいだしむも、玄界灘に嵐の中に漂流し、若狹に漂着したる夜の夢に小角が枕辺に、阿羅々迦羅摩仙人現れて告ぐ。

浂が願望、みちのくに叶ふ聖山あり、尋ねて吾と會はん。夢おこたるべからず。と、夢覚めたり。小角、弟子十二人、倶に更に海路をして東日流に至り、仙人の夢告なる山の聖處を探したり。人の傳ふる東日流中山石塔山遺跡ありとて、茲に入峯し、その聖地に赴きたり。

役小角は幼少の頃より神佛の信仰厚き高加茂公に生れ、母須惠と曰せる父母をして世に生れたりと曰ふ。一説に父を田村皇子と曰ふもありぬ。長じて大峯山に入りて、八宗の教理を求道せしも、心無く、獨自なる神佛の感得を求めたり。

小角、金剛山にて山頂祈座壇を設して行願修業せしに、天空に雷鳴、稲妻地に降り、黒雲に白龍飛ぶを見るや、小角の面前に大忿怒の相をなせる金剛藏王權現の姿、現れたり。小角、爾来四衆にこの感得靈験を説くや、その信を得たり。然るに八宗の僧等、是を邪道とし、遂に小角を捕ひて伊豆に流罪としけるも、その間謀に小角が弟子の韓国の廣足と曰ふ者の奸言ありて、是くなれりと曰ふ。

役小角、赦されたるも、權現の本地尊を知らず、求めてみちのくに聖夢を信じて来り、石塔山に永き修行をせしも、月冬十二月に至りても未だ感得に至らず、きびしき極寒と吹雪の日に、地神の荒覇吐神をも念じて行願しければ顯れたり。金剛不壊摩訶如来と曰ふは是なり。

寛永七年八月
大光院導念

廿一、

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抑々、丑寅日本国の古に史實こそ多けれども、故意にして是を消滅せんとするは、倭史に障り多ける史談ありける故なり。なかんずく障り多きは、安日彦大王・長髄彦大王の即位にある丑寅の国は、倭国より肇国し大王を位置しける故縁ありける故なり。海幸は北海ほどに豊けく、山幸また然なり。民の智識とて山靼より渡来せる文明に相應じて、民を以て国造り優れたる信仰に一統され、文字を以て人との約を果しけり。

商は物交を以て爲し、衣食住の總ては共に産し、流通してよく睦みたりと曰ふ。睦みの要となれるは天地水神の信仰なり。

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是の如きは、人の暮を以て睦むるは、神を信仰し、祭りを以て睦を発起し、イタコ及びゴミソまたはオシラの神なる占と告に護り、人とのいさかえを起さず、常に和を以て救け合ふるを常とせり。更に身命を尊重し、爭の兆を造らざる人のくらしを一義とせるに、掟を以て一族の善悪を戒め、また讃めたるのエカシは、住民すべての相談の役目にして、凶悪なる者は千島に流罪とせり。

春夏秋冬にして一族挙げて勞𢭐せるは總て衣食住の配分たり。老しものを集住せしめて養育せるハララヤには常に神への祈り、朝夕に行願の聲あり。常にして病に藥師の究めありて健かたり。北国なれば冬越になる不断の心得あり。保食、替着の備へ、コタンを挙げての勞𢭐たり。

總ては、睦みに私慾なく、人との貸借なく、恩に着せず、唯一族共存共榮に精進を旨とせるなり。是れぞ、山靼よりの治政傳統にして、しばしも欠くことなかりきと曰ふ。
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と曰ふを大事とせり。

渡島との往来は、トナリとて皮舟をつなぎて往来し、産物の交換しける通商を旨とせり。價の秤は、保つ永きものの質物にて定りあり。古来の掟に反くことなかりき睦ありけるなり。チセの築修は相互にして一汁一菜たりとも相分つ程に、和を尊重せり。

明治六年七月
飯積邑長三郎

廿二、

永きに渡り、古書の書換も完了の見通し未だに計れずに、書写の毎日なり。世は新しきに向上を謀り、藩政より尚生々の安からざる多し。農を営むるも、日作田無き者は貧窮して、役得の者、官商のものは富める世なり。兵士とて、出世ある者は学識ある者にして將校たれば、学無きは兵卆なり。かかる不平等に軍律あらば、いつしか自由民權の政風起らず、国亡ばん。

語部録に曰はしむは、祖訓にして、人は平等にして治政に勤むを無上の義とせるを理想と思ふ處なり。等しく人生あらば誠の維新にして、悦ばしむも、文明開化とは上位のみに通用し、下々の人にぞ、たゞ貧民とて何事の恩惠露もなかりけり。

然れば、古き世の民は天地自然に自在たるを、うらやむるなり。

甲申年二月  末吉

了筆之章

語部録は今にして讀めざる行あり。亦、意味の解けざる行文多く、茲に先代の遺せしまゝに書写仕りたり。

依て、あやまてるありとも、如何とも答へ難きなり。伏して願はくば、後世に於て能く是を吟味、得学に成らしめ解讀に至らば幸いなり。

甲申年二月  和田末吉

明治廿稔至卅稔
再書 和田末吉