断片史料集6

唐天竺往来日之下將軍

荒覇吐族をして立君せし治の由は、先づ以て領の中央に髙倉を造りて荒覇吐王及び副王治司を奉り、領中東西南北に分倉を置きて治む。依て、荒覇吐五王と曰ふ。亦、領域廣ければ、更に郡主・県主、その支配にコタン・オテナを配したり。髙倉とは政所にて領中の采配せる處なりせば、才覚ある者をして諸事を謀りたり。軍部・語部・貢部・配脚・神司・地拓・藥師ら役目あり。

古代より飼はれたるは馬・牛・犬にして、侵敵に備はしめたり。荒覇吐神を崇拝に像造るは、土焼像、石神をして祀祭す。東日流にては、海辺及び山岳の自然なる石岩をも神とせり。

依て、東日流及び奥州・羽州・越州・坂東に至るかしこに神處ありぬと曰ふ。亦、人を工を施せしものありて、東日流中山なる石塔山の群塔に見らるるなり。日之下將軍とて継君を位せるとき、必ずや石塔山にて儀式せるも古代の習へなり。安日彦王・長髄彦王、倶に荒覇吐王に卽位の式を挙行せし聖處なれば、古代より不踏・不入峰の山とて、入山を禁ぜる秘境にて、王家の谷石塔山とて、その連峰に魔之岳・魔神山とて山號を稱したり。

依て石塔山にては、はるかなる古代の神秘が今尚漂ふ處にて、逆髪の立つ靈感ぞ、今にして入峰の者を怖らしむ。千古を物語る、ひばの大木をして感應し、荒覇吐神に祀らる安倍・安東・秋田一族の侵敵に重なる怨靈、とこしえに絶ゆむなし。

諸々の靈魂を秘むる處は、十三千坊なる山王日吉神社もまた然るる處なり。安倍則任の入澗城に、子孫の氏季、子無ければ平泉鎭守府より養子とて来る藤原權守左衛門尉藤原秀榮、この山王に十三湊・十三宗寺を建立なし、安倍水軍を起し、北の都とて湊を開き、商益をなせり。

もとより十三宗のみは、朝鮮及び支那より歸化僧を得て、法灯を点せし法場にて、大いに信仰を得たる處なり。十三宗にては、支那直入なる大日宗・倶舎宗・實成宗・眞言宗・天臺宗・法相宗・律宗・華嚴宗・臨済宗・法華宗・念佛宗・禅宗、是に日本の修験宗を加へて十三宗とせり。

法場は金剛界・胎藏界、両界曼荼羅に宇宙相を造り、茲に建立せしは、先づ金剛界の法壇とて山王坊に十三宗寺、福島城、鬼門を鎭む禅林寺、長谷寺、阿吽寺、隆興寺、春品寺、三井寺、壇林寺、十三湊・壇臨寺を建立せり。

もとより大なるはなく、各寺の建坪一棟二十五坪をして掘立より建立なし、大路・小路を開通なして造りあげたりと曰ふ。依て法場の基をなし、やがては平泉の如き法場を一棟毎に築きあぐる大計をなせり。

藤原秀榮、十三湊に法身丸・報身丸・應身丸の船を造らしめ、天竺及び唐土の聖土をこの寺院に祀らんと志したり。法壇の佛像・教典を彼の佛國に求め、長寛癸未年この船をいでませり。益につなみて北海幸を積み、佛像及び佛典の得るためなる黄金も三艘の船に分なして十三湊を、未智なる唐天竺への船路を向はしめたりと曰ふ。

是を佛招使とて、十三左衛門秀榮・藤崎太郎尭季が家臣を相互に選迹なしたる、安東一族が挙げての出船たり。水先人とて支那人・李契民配下六人、各船に同乘なせりと曰ふ。かくして仁安丙戌元年八月、この船歸れり。唐天竺海航記に次の如く記逑ありて、安東一族の海人たる偉様を覚つなり。

唐天竺往来海航記

㝍景画

天竺ガンズシ川・天竺ガンジス河民

天竺ブッダガヤ聖地・天竺釋尊成道之菩提樹

天竺聖地金剛座

天竺、釋迦牟尼法脚

永萬乙酉年於天竺㝍 法身丸
安東三郎道季

大唐國佛聖地、長安之都

長寛甲申年 報身丸
安倍次郎正季

諸行無常是生滅法
生滅滅己寂滅爲樂
佛陀の道を求めて唐天竺に赴く歳月、一千日を經て往来す。是の如き安東船の異土往来に成じたるは、倭朝に於ても未だ試まれざる寶成なりと曰ふ。

寛政癸卯八年 和田長三郎

安東船支那交易

吾が國にては支那國の如く銭を用いて賣買なきとき、東日流にては支那銭を用いたり。古き銭より東日流に流通されし支那銭ぞ、十萬貫と曰ふ。

茲に、十三湊及び飯積石塔山に奉寄なせる銭控帳に見ゆ銭は、次の如くなり。

右、石塔山より掘られたる支那銭也。

明治辛亥八月二日 和田長三郎末吉

追而、支那古銭は渡島・十三湊・糠部湊・外濱に掘らること暫々也。末吉。

東日流荒覇吐神聖書

大古に人は石を割りて刃物とし、土をねり造型を干し、焼きて器を造りたるより、荒覇吐神なる像を造れり。

西濱カムイ丘は聖地なるに、多く見付くるなり。荒覇吐神と曰すも、もとなる稱號はイシカ神・ホノリ神・ガコ神の三神にして、阿蘇辺族・津保化族の崇拝神なり。

此の神像、奥一統に渡り、はるか大和の地に至る分布に於ては、安日彦王・長髄彦王の築きたる荒覇吐王國成れるより宣教さると曰ふ。抑々吾が日之下國は、東の日出づる國とて、日髙國・東日流・日高見とて北辰日本を國號す。依て、國王を継ぐる位を日之下將軍とて、君位仕るなりと曰ふなり。

享和壬戌年四月 越野三郎

〽君が世は 千代に八千代に
  さざれ石の 巌となりて
  苔のむすまで 

吾が日本國は、古今に永く天皇を奉りて國を治むる上とせる、代々の民に當れども、政事常に民を貧苦に制へける、官人の治政・權謀やむことなし。古くは物部・蘇我の爭動より、皇政の代々をして國乱れ、都度毎に民の困窮、筆舌に難きなり。

然るに、古き耶馬台國の王政や、民をして自から國を招き、國益を求め、朝鮮・支那・南藩諸國より天竺までも海陸を越えにして交りたり。稻作を入れ、馬を飼へ、衣を織り、住家を造り、衣食住を暮しの常に用ふるに至りぬ。人互に睦み、信仰を心に入れたる先なる神は荒覇吐神なり。生々のためなる神を信仰せるに依りて安らぎ、生死をいかなる悟道に求道せしかは、荒覇吐神なる理趣に從へたりと曰ふ。

常ながら古代に神を日輪とし、宇宙なる壮大なるものとて、地界に生くる人は、萬物生々のなかに生くること安らかず。天候、洪水、寒冷、飢、地震や津波、火災または噴火、流行病にあいぎ乍ら生々せるなかに、神を自然なる一切に怖れ敬ふたり。荒覇吐神とは、渡り民の宣したるものなれど、是を崇むるに至るまで、永きを渡りて固定せり。

大和のかしこに神護石・岩倉などと稱さる石を神なるものとて崇むるは、支那・朝鮮より傳へられたる天池信仰なり。卽ち、日本各所に祀らる白山・白神・天池・十和田・瀧神・海岩・洞穴・石神ら神と祀らるは、自然の景勝もさながら、三輪大神神社の如く山を御神體とて崇むる信仰ぞ、荒覇吐神なりとて日本最古なる信仰なり。

猿石、天守岩、亀石

石人、寶殿、酒船石

蛇石、神岩、石塔

山海に自然なる神石、亦人の施工せし神石ありて、地人の神と崇むる多し。荒覇吐神とはその型相定まらざれども、神とて崇むも、ただ洛日の方位にいかなる奇型をなしたる岩石ありとも、神とぞせざるなり。瀧また然なり。西方に流落せるを忌みたり。

寛政壬子年 秋田次郎孝季

秘なる平泉金色堂

化外なる奥州の地に平泉中尊寺ありて、北辰の都を天下に示したる藤原一族。此の地はもと安倍一族が荒覇吐王國なる髙倉を置ける處にして、拓きたる平野、水利の稻田は安倍一族の施労に依れる領域なり。平泉中尊寺なる境内にては、安倍頻良日下將軍が發願し、迎日山大日輪寺を建立しける佛場にして、羽州羽黒山修験寺・荷薩丁安日山淨法寺との安倍三大靈山の靈所たり。

然るに前九年なる役にて、平泉耳は灰となり、反忠の淸原氏、是を修築せしにや八幡太郎にて後三年の役にて落慶を得ずして、取潰されき法難の佛場なり。然るに、東日流に落にし安倍髙星丸の念願にて、鎭守府將軍藤原氏、茲にその請願を拝受なし、安倍一族が東日流を挙げて平氏に軍資をまかなうて遺恨の源家を滅亡せしむにや、藤原氏茲に安倍一族・淸原一族・平氏にゆかる平將門一族の菩提を追善なし、奥州にさまよう怨靈を鎭め、北都たる佛場を永世せむとす。

戦の常乍ら、藤原氏は源家をも哀れみ、常盤御前自からの哀願に、京師に幽居せし源九郎牛若丸を佛師弟子とて平泉に養育なし、東日流中山のひば材を寄せにして、中尊寺とて建立を發起せり。ただ、平氏の虎視をさけてその願文を異になし、朝廷の聞上よろしく謀り地益なる産金貢馬その財をなせるに、平清盛是の貢献に奥州への警戒を和ぎたり。亦、東日流なる安倍一族、かくては前九年の役に遺恨なし、源氏追伐の軍資を海運にて援けたる功に、奥州警視の念を特とせざるなり。

依て藤原秀衡、安倍水軍の唐國往来に、佛場建立物資を佛師諸工の請ふるまま、異土なる資材を入れたるに難ずることなかりき。保安辛丑年春着工せしより、天治甲辰年に金色堂を上棟なし、保延丁巳年に中尊本堂、天養甲子年に毛越寺、永暦庚辰年に無量光院を上棟・落慶す。更に長寛甲申年に中尊寺別閣釋迦堂を建立なし、秀衡より三代にかけなし、いづれの上棟にも安倍氏・淸原氏・平氏の菩提を自から書染めたりと曰はれむなり。亦、各寺の石基下に菩提札とて、安倍の旧領たる平泉なれば、埋鎭せりとも曰ふ。

抑々藤原一族とて、もとより淸原氏倶に前九年の役にては反忠の輩たりしに、その悔心を責むらるありき藤原氏の菩提心なり。舎弟藤原秀榮を十三湊安倍氏季なる養子とて縁組むるも昔恨の悔にして、秀榮また十三湊を盛ならしめ、唐天竺までも交易を遂げたる偉業をなし、東日流外三郡に佛場を興したる山王十三宗寺、金剛界・胎藏界なる法壇に卽し佛寺を建立なせり。亦、主筋たる藤崎城下に安日山平等教院を寄棟せる耳ならず、東日流中山石塔山荒覇吐神社に地下法場を造営せし費をまかなふる施主とも相成りぬ。

然れども因果はめぐり、秀榮・秀基・秀直をして藤崎城主安倍氏と睦を欠きぬるは、三代秀直にして藤崎城を圍みたる乱をなし、その存續を絶したり。平泉も亦、先に文治己酉年、源兵二十五萬の討伐に平泉は灰となりけるも、亦因果業報にて、安倍一族の恨靈ぞ、源氏へ反忠の淸原氏へそして藤原一族への仇を赦さざるの怖しき哉。

元禄丁丑年 藤井伊予