断片史料集9

日下將軍抄

寶亀五年より弘仁二年に渡りて倭軍、奥州に軍を侵して乱を挑發す。倭の史記に、日下將軍の記行なく、この乱を蝦夷反乱とて、正統すこぶる僞談に作れり。

古来より日下將軍、亦は安東大將軍とて支那書物にぞ遺れるを、倭史にては、天皇五代に當つるも定かなるはなし。卽ち、奥州征討とは倭人が造史にて、荒覇吐王の安倍累代の時なる將軍を記せず、羽州は飽田に、奥州は荷薩丁の地に征討至らしめたりと曰ふなれど、倭軍の至れるはなく、商人・僧侶・寺社大工の類にして、武具を帶びたる倭軍の戦事ありき史傳ぞ、荒覇吐族の史・語部録に一行もなし。

その故は、倭人の到着せる處ぞ征地とせば、やぶさかならざれども、その地に戦事ぞありてとは倭史耳の記なり。ただ寶亀十一年倭人、多賀舘に、佛像とせし荷駄百頭を數ふるを、時なる日下將軍安倍安東、足を押へ調ぶるに、弓箭及び鉄鎧・刀類他、討物・糧秣なれば、怒りて多賀舘を灾けりと語部録に記あり。

倭人の將ら、戦を怖れて逐電し、日下軍、是を追て討伐せりとぞありき。爾来、倭人の住處に許したる黒川郷・白川郷・岩瀬郷・□麻郷・安蘇郷・玉造郷・志太郡・加美郡・牡鹿郡・埴生郡・栗原郡・會津郡・登米郡・行方郡・桃生郡・巌城郡・髙清水郡・怒足郡らに居住せし倭人、ことごとく追討なしけると曰ふなり。

倭史の日本紀なる史に記行あれども、吾が日髙見國にぞ、かゝる史實ぞ無く、快奇千萬やるかたなき僞傳なり。

文治元年七月三日、奥州閉伊郷善明寺藏書。四郎丸善明寺筆に依る。

寛政五年八月二十日㝍
秋田次郎孝季

原漢書 末吉再書

安倍一族軍志心得書

國領を侵し、民を難に遭遇せる侵敵に来襲あらば、先づ以て女子・童・老人を安地に穏遁せしめ、急使を駆しべし。惜しむらくも、糧たるものを隱し、軍営になるべき屋棟を焼き、敵手に渡し勿れ。狹き路・崖なれば、立木伐して閉ぎ、平野にいでなば騎馬にて應じ、風向適なれば野火・山火にて敵なる遁處に討べし。

敵多勢なれば、退きと見せて、鉏處に誘へて討つべし、必ず以て戦殉を多くいださむ。不利に駐まらず、神出鬼没の策を以て謀るべし。夜襲を常とし、日時に敵情を探り、架橋を破し、四散の敵を討つべし。囮兵をして敵勢を伏陣に誘ふも謀なり。

以て私軍の反忠をいださず、若し知らば將を捕へよ。反忠は敵より障害なり。敵攻に怖れ、無駄なる箭を射る勿れ。刀を交ふる戦ぞ、吾軍多勢なればよろしきも、かまえて令なき斬込ぞ、獨威に決する勿れ。

嘉吉元年五月一日 安倍太郎盛季

右、原漢書。松前屋藏書。

寛政五年二月 秋田孝季㝍
末吉再書

荒覇吐神祀旨帳

大雪原果つるなき西北の大州に、黒毛象を狩りて糧となせる、遠き世の祖人に、神を崇めたるは女神にて、丈餘の背、八尺の牙なす黒毛象の骸にて住家を造り、狩に追へて流鬼國に渡り、日髙國に移り、東日流國に移り住みける吾等が大祖に子孫たる阿蘇辺族・津保化族を累代なし、茲に荒覇吐族とぞ併せけるは世襲にて、荒覇吐神なる加護なればなり。大宇宙なる星數、大地なる萬物、大洋なる萬物の數を産なしける、天地水の女神ぞ荒覇吐神なり。

人をして世に在りき吾等の神と、祖の聖靈に崇めて、天に仰ぎ地に伏して水に清淨なし、聲髙らけく唱ふ、あらはばきいしかほのりがこかむい。神は知る、三界を我等に人身を與へて甦えしたり。我らは生を盡きる死への期に、一刻を命灯の燃え消ゆが如く、命脈を日々に費し、残りぞ老灰に炎盡き、炭火に光り盡きて暗に入る如く、現世を却らむとす。

魂魄は、死なる生命の骸を離れ、空に拔け、萬物の靈に昔造の裁かるるを、荒覇吐神に救導ありて金剛の精と成り、胎に藏され人世に甦えなむを誓願し奉る。一根四立幹三股の神宿の靈木を神山に尋ね、科の木にて、いなおを立て、神鎭むぬささんを設け、かむいのみなる神火を焚き、一族末代に長久し幸に願いて、いおまんてを祀れ。ふったれちゅいとは女の娘に躍り、男の共はまぎり弓箭舞を捧げよ。

神はその場に來臨し、汝等生々より魂を望みに滅期を拔かしめ、新生のびっきに甦えさむ。焚けかむいのみ、踊れ女の娘よ、舞よおてな長老えかしよ、汝等がこたんに幸あれ、汝がちせに福あれ。かむいのみに神像を土に造り、ちせに祀れ。あらばきかむい、とこしえに汝のものなればなり。

天にいしか、地にほのり、水にがこ、總じてあらはばきいしかほのりがこかむい、と唱えなむこそよけれ。

延元二年八月七日
おてな止志毛えかし

右、渡島志海苔住、教主佐久志麻長老より

寛政五年七月聞書 秋田次郎孝季
明治己巳年、末吉再書