無題

目録覚

借用申金子之事

一、金拾三両也
右者去亜請
年貢米不足
仕、貰入爲代金。
慥請取申所、
実正ニ御座候。
利足之儀者金
壱両ニ付御蔵米
壱斗半ニ相定申候。
若元利遅
滞仕候はば拙者、
所得之田地髙
三石七斗、御請命
相渡少し茂
殿御損亡申
間鋪候、爲後日
借用手形仍而如件。
明後より當村
検見ニ付、鄙生義
御役人検寸御宿
被仰付候。仗之
近比乍御無心
三幅別進物、毫
繪彩色屏風、借
用仕度候。用事
相濟候者、早速
返納可申候間偏
奉冀候以上。
御手帋致拝見候。
然者其村検見
有之、貴殿御宿
被仰付之由、何程
御心遣奉察候。廻
御用之品々御書
付、是通相心得存候。
猶更應分之御用
可被仰下候。往到來
悪冬、酒一樽・鮎鮭
一桶致進上候。誠寸
志之至候、已上。
今度無障、参
客之御願相叶、
明後日御發足被成
候之由、銑金御事候。
因茲輕微之至候
得と毛、鳥目五拾
疋進之候。恐惶。
北御蔵米上乘り
新泻エ御越之由、乍
御世話、材木・漬
鰯鮡、遠江表之
上品、琉球、別儀
注文之通御認
置可被下候。舩便り
取置可申候間、奉
冀候以上。
當村百姓共夫食
米百俵被成御借
候之間、御蔵より直ニ
御禮掃奉行、流
始不残相動、只今
致歸宅候。明日銘々
に割渡可申候間、
乍御太義貴様ニ毛
被成立會可被下候。
心事者明日可得
御達候已上。
以手帋致啓上候。
頃々病氣相憎
候得共今の所別憂
無御座付、銑金候。
追昨日者遠方
御履被下候処、折節
得内容粗末之
至、打過候。其砌
被仰置候事とも
一々承知仕候。二三日
中是より委細可
申達候間、左様御心
得被成可被下候。清
返迠之申、御舘ハ
御用捨被成可被下候
已上。
内々被成御苦労
被下候、當村樋
水門義御普請
致成就一統、難
有奉存候。早速爲
御礼可進伺出之処、
他所之祝類と毛
参、明日者罷歸、
候付乍心外、先以
書中仰御達候段
被成候、用捨可分耳。
随而阿飲茶三升
鯛壱折致達覧候。
参佞物顔可申上
候、已上。

春たつといふ
 ばかりにや
  みよしのの
山も
かすみて
 けさはみゆ
    らむ

明和六年丑孝季

申置之事

本箱在中之書巻、何も大事たり。依て一巻たりとも失ふ事あるべからず。誘言に心赦して他見せるは、自らを苦科に堕いらしむ憂を招く事あらん。

萬事油断の是無く、常にして他見無用門外不出と心得べし。此の丑寅日本國なる古代實史を末代に遺すは、三十五年に及ぶる尋脚の労々以て諸國の縁りに得たる書巻なりせば、必ず以て吾が戒を聞屆け能く保つべし。

文政五年三月一日
和田長三郎吉次

十三湊懐古

正和元年十二月安倍太郎貞季、山靼乃長老轉倶利依請、十三湊入舟赦自在、唐崎宿船人、今泉村青山城親客、其親戒下船置泊中島許認。

時中島在船検番、異國荷布市、諸國船主是賣買盛市。更唐船韓船来舶常日益商、歸船積荷渡島魚介海獣皮干物、以大益。十三湊十萬人住記録、安倍氏得其利益。十三湊諸國間厦築、町有益得掌中。

寛政二年七月一日
秋田孝季

築湊堤落慶

十三湊三戸口砂力崎、中島唐崎・鰊崎、各築堤相成、茲落慶仕候。

行来川自十三湊藤崎至船場川往来、馬間湊廣田邑川湊築湊。是今湊奉行跡遺、赤堀湊板之木藤崎船場也。

寛政二年八月
秋田孝季
末吉㝍

修験道之心得狀

神佛求道、先以無我境地己心身置可。日々行冒頭想不可。言語一句造敵不可。常己身心練行爲可。

佛行三昧金剛界・胎藏界在大要心、魔障除何事誘不可、能本願遂實成可。三界無安事、常苦悩多受難。神佛於本願一行求道、不異本地垂地行也。即金剛不壊摩訶如来・金剛藏王權現法行也。在春夏秋冬尽夜刻不歸。生死常輪廻三界習也。修験道心身求道行也。能心得可行相。

役小角行者曰、心身不同常己故修験魔障侵誘要行願積念成道外不可。只一向神佛本願心身行願山岳入峯佛法僧王寶保可。石塔山是如道場求道行聖地也。

寛政五年十二月
秋田孝季
末吉是㝍