渡島古抄二

注言

此の書は門外不出とし他見無用とせよ。

和田長作

世評

渡嶋の國は、人住むるまで至りきは、西大陸の蒙古より多混血の民族渡来して人祖となれり。クリル族と曰ふなり。

故地に於てより、信仰あり。ケルと曰ふ住居を、草野に馬羊を飼ひ、草を速生せる地を求めて居住を移りき民なり。今より八萬年の以前に、黒龍江の水流に乘り、東に降りき民あり。流鬼島のナニオ濱に上陸し、更に渡島に渡りき民は、更に東日流にも渡り居住せるより、人の住跡を今に遺したりと語部は曰ふなり。とかく北國の古事一切は倭國の政風に染まぬとぞ、歴史の實相ことごとく抹消され、倭政の作説讃美に公史と遺りぬ。

渡嶋の國は大古より、盟約を大事とせる國たり。依て國主をして民を束ね政の要となし、一族の諸事をクリルタイとて、審議にて決するを旨とせり。渡嶋住民の信仰は、天なる一切をイシカ、地なる一切をホノリ、水なる一切をガコとして、これをアラハバキイシカホノリガコカムイと稱したり。

渡嶋に渡来せる民族はブリヤアト及びカザフ、次にはアルタイなどにして、その信仰はブルハン及びテグリなどあり。そのなかにアラハバキ神・オリンポス十二神・コプト十二神ありて、カルデア民族の宇宙星坐十二神をも既在せり。人の葬儀に於ては、國主らの古墳は外堤・内濠・盛土に築かれ、また方角・長四角の盛土にも築かれぬ。これをヤントラと曰ふ。葬儀をダミと稱して、女神像を復葬す。

東日流及び渡嶋の古人は、ことごとく倭人と衣食住を異ならしむなり。信仰、亦然なりところなり。然るに金銀銅鉄の躊工は、倭國の先なり。人の定着、亦然なり。

渡嶋の住民をアイヌと曰ふも、クリル族と曰ふは正解なり。若しアイヌと曰ふならば、シヤモンと曰ふ渡嶋の住民の意は、情なき殺伐の者と曰ふことである由を知るべきなり。渡嶋は日髙國であり、樺太は流輝國なり。更に、オホオツクは夜虹國と曰ふは正稱なり。東日流も渡島も、太古より文字あり。歴史の事は史實にして、倭史の神代ことき夢幻想定はなかりきなり。

人の造れる彫物を神と祀るは神への冒瀆とし、神の實態は天なる宇宙の一切・地なる自然の一切にして更には水の一切なりと曰ふ。日輪の運行にて起る大地の異変・水に起る異変は神の起せるものとして、古来この三神を崇め来たるは即ちアラハバキカムイの信仰なり。

國を護るは、諸々の武備あり。ハヨクベ即ち鎧を造りきは、渡嶋住民たり。鹿角に造りき弓、鉄に造れるタシロ即ち山刀、マキリと曰ふ小刀は後世に舞草の鍛冶の要基たり。古代より海辺に居住を好みて、衣食住の要とせり。亦、ハタ即ち船を造り、海の外なる通商せるもその實を得たり。

依て、東日流に安東水軍十三湊に起りて、北海を渡りて蒙古のクリルタイに盟約し、その交易ぞ益々隆興せり。北海の海に征濤せしはこれより先にして、陸中山田湊及び宮古淨土浜に往来せるハタは、冬を絶えて春夏秋の期に交易し、安倍一族の治世を益したり。

天喜二年四月東海の空に大客星輝き、奥州爭乱の前兆たる後、安倍一族康平五年厨川に敗れ、一族東日流に脱し、茲に安東水軍を起こしたり。安倍の代より、三好掘り金山・狸掘り金山更に石狩金山の代積は、何萬何百萬とあり。その金子を以て安東船を増築し、唐天竺までも交易しけるとも曰ふ。北海の廻船は、千島船・神威津耶塚船・虹降船
(※以下空白)

昭和八年二月
和田長作