渡嶋古抄

記要

地語にしてマツオマナイ、倭人にして松前と稱しけるは、住民の祖みな蒙古にして、人の始めより血統を同うせるものなれば、種性を異にしてその民族を下等にぞ想ふべからずと戒むなり。

民族世にいでましてより、陸海に新天地を求めて渡り、その子孫に依り民族を異稱するも、黄肌の東洋人・紅毛白肌の西洋人・黒肌の南洋人はその肌を異ならしむも、是人類進化の過程になれる人種の三系なり。然るに、人なる知識の相違ならず、風土適生に依れるものなり。

世に神あり、人生に信仰あれと創めたるも、人心に依りて成れるものなり。日輪の赤道をして北と南に、その風土に依りて衣食住の相違ありき。依て、信仰と神の派ぞ生ずるは、然なるべし。

産乍らにして地候ぞ暖なる處ぞ寒かれば、好嫌にかゝはらず自ら生々に衣食住の異る如く、人は何處に於ても風土に馴れ染むるも、親しきもの同志の睦も固むるに、族誓戒掟にて束ねるは民族の國造りたり。即ち國ありて大王あり、長老ありて民これに從ふ。民大いに殖ければ、新天地に移りぬ。

吾れは黄色民なれば、寒暖の風土に馴れ染む速く、北方を道として北極大陸よりアラスカ・メリケン・パナマの地峽を渡りてマヤ・ナスカ・アンデスの大陸に民族の子孫をば、今に遺したり。

然るに近代に於て白人此の地に渡りて、先住の民を征しその古習を滅したるのみならず、國を奪取して先住の民を貧境に追いやりて占領せるより、現代に至りぬ。まさに吾が倭人の渡嶋支配の如し。アイヌ民とは、祖をして吾らと民祖を同じゆせるものなればなり。

明治三年六月
和田長三郎

渡嶋先民史

渡嶋の大古は北にサガリエン即ち樺太、東北にカムイツヤッカ、千島烈島をしてタンネ國と總稱し、住むる民はクリル民族と稱し、黒龍江を蒙古との往来とせり。

此の河を往来せる民の和睦は、交易をして集まれるクリルタイと曰ふナアダムありき。諸民族多採なれども、北域山海の幸を好みてまた婚縁の祭典なれば、幾百里を旅して集ふたりと曰ふ。この祭は、アルタイ・トルコ・ギリシヤ・コプト・シュメール・アラビア・エスラエルなどよりも參ずる夏の祭典たり。通蒙古と曰ふも多民族の混成なりせば、神はもとよりブルハン神なれども、多神崇拝にして天竺の佛法なるラマ教、西洋なるキリスト及びオオデン・ムハメツトなど雑多に信仰せるも自在たり。

亦、シアマンは能く信仰を占たりと曰ふ。シヤマンの神は、西王母・シバア女神・グデア王など神懸りて余言せり。依て渡島にては、その卜部イヨマンテにエカシの神懸りあり。東日流にては、ゴミソ・イタコ・オシラの靈媒や占など振いり。

カムイに多神あれども後世のことなりせば、古くはイシカ・ホノリ・ガコの三神の他なかりき。これをアラハバキ神と總稱せるは、安日彦王・長髄彦が大王となりて以来なり。依て渡嶋にては、オテナのカムイ亦エカシのカムイと、そのヌササンやイチヤルバを山海の聖地にぞ祀れりといふ。

渡嶋の古代ヤントラは、外堤内濠の中に古墳を造りぬ。


タンネヤントラ、熊皮ヤントラ

右は何れも、オテナやエカシやその高位なるもののヤントラなり。

イヨマンテのヌササンは、カムイノミを焚き天の宇宙一切神を奉請し、次には大地の一切神ホノリカムイなり。次には大海湖沼川など一切の水神ガコを祀り、イナウを神代と捧げ奉るなり。カムイの聖地は古きほどに大事とし、道を造らず人の入峯を禁じたり。神の靈を石塔に築きて、大王の即位の他に參詣せず。地のエカシのみがこの聖地を修理固成せり。祭文は古来より攺むなく稱へたり。
アラハバキイシカホノリガコカムイ
たゞくり返して稱名せり。

この祭文の前後に三禮四拍一禮にして、北極星に向へてヌササンを造り、七日七夜カムイノミを焚きて老若男女舞を奉納せるを古傳とせり。渡嶋はカムイの常世に近ければ、はるか北極の天空に不動たる北極星におろがみて民族の泰平を祈りたり。クリルタイ・クリルナアダムと曰ふは、北方民族の祖来の傳統たり。

明治二年
和田長三郎

昭和八年再書
和田長作