奥州隱史大要 二

古代丑寅之事

古代信仰の遺物にして、土中に埋る古代人の遺品に見つれば、丑寅ほどの古なるは諸國になかりき。割石刃物、素焼の器及び神像、更には巨石の築塔。史傳を傳ふる語印は是皆、古代オリエントの傳導にありけるなり。

抑々、地候をして世界にめぐりては、丑寅の候に似たる地位に遺跡の古なる多し。信じ難けれども是の例を挙ぐれば、ギリシア及びオリエント諸國の候は吾等が國に能く似たりと曰ふ。亦、如何なる信仰にありきとも北斗の極星を神聖とせり。

吾が丑寅の古人が山靼及び紅毛人國への流通ありてこそ、倭の史傳に丑寅日本國號を、倭國を日本ぞと攺むるも、支那なる古書、旧唐書・新唐書に日本國とは倭國の丑寅に在りとぞ證したり。

旧唐書にては語部録と同じくして古代、日本國は倭國征したりと傳へたるも、大根子彦王が耶靡堆を奪回せしを、語部録はその眞實を遺し、新唐書は倭國が日本國を併せたりと曰ふも、古代日本國の世襲事實なるは根子彦王が天皇たり。

元禄二年五月三日  藤井伊予

日本國史

非倭國日本國號、亦非日高見國別號、在丑寅日辺是號日本國亦日髙見國。来人祖山靼、東日流糠部爲日本中央。祖来山靼國住人多渡着、神祀以荒覇吐神爲一統。王政之一世耶靡堆王。阿毎氏之流裔安日彦王爲立君給也。

右は東日流語部録の筆頭也。その表題亦、日本國史とて明記せり。依て、倭國がもとよりの日本國たる國號は、露も存在なきものなり。

倭國とは、坂東の安倍川、越の糸魚川に東西の境せる西南を倭國とし、東北を日本國とせるは實相なり。

抑々、吾が國の古代をして王國の基をなしけるに、倭国にては、奇想天外なる神代たる神話に以て國の創とし、民心を洗脳しけるにや、信仰を異にせる荒覇吐神の明覚に、幻想を以て是を鬼神・外道の神とて、倭史に丑寅日本國をまつろわざる化外地の蝦夷と、代々にして民心を迷誘しける造話作説ぞ、いつ日か事破れむ。

元禄十年二月四日  藤井伊予

丑寅日本國史

支那宋朝の武帝が高麗に安東府を作り、更に丑寅日本國に北魏の明元帝が親睦せるを警戒なして韓人を遣し、元阿毎氏系胤にある丑寅日本國王荒覇吐日本將軍安倍安國に献貢若干を添へにして、宋朝宮位安東大將軍讃號を贈り給ふ。時に丑寅日本國にては、大根子彦王以来王位代々を安倍安國とて襲名を爲したるに、是を入れ、讃美日子と攺めたり。

時に宋號年・永初壬戌年なりきも、元嘉甲子年、讃美日子葬じ、その王子安倍豊東、宋國にまかり玀猇毛皮百枚を献じて、父王の死を奏上しければ、同庚午年、宋朝官位安東大將軍珍號を賜授せり。元嘉壬午年、安倍豊東、宋賜の號を入れざるも、長老の進言にて、豊東葬じて後、珍美糠日子と號けたり。

元嘉甲申年、豊東の王子安倍輝國、渡島砂金を宋朝に献じ、元嘉乙酉年、父王の死を告げければ、安東大將軍斉號を賜りぬ。依て輝國、斉靖日子王と攺めたり。

元嘉辛卯年、輝國葬じ、王子安倍靖輝継ぎて、献貢若干を宋朝に献じて父王の死を報じたれば、時に支那にては文帝崩じ孝武帝即位にして、宋號孝建乙未年なりしも、宋朝官位興を授拝す。依て、安倍靖輝、興美日子と攺む。宋號大明壬寅年、靖輝葬じ、安倍康國王位を継ぎけるも、先王の命脈久しからざるを忌みて、宋朝に赴くを断たんとせるも、荒覇吐五王及び長老の議決にて参宋し、先王の死を宋帝に告ぐるは大明癸卯年なり。依て、安倍安國は宋朝官位安東大將軍武號を賜り、武和美日子と攺めたるも、宋朝、都度に乱れ斉朝相成りけるより、安東大將軍を廢し日本將軍と復したり。是の如く支那に宋朝と交ふこと四十五年にして了りぬ。

此の間、丑寅日本にては王陵の造墓流り、幾多の古陵ぞ奥州に築蹟を遺すも、安倍安東の代に廢し從来の秘陵埋葬に復したり。

寛平甲寅年二月一日  物部継人

安倍安東之國造之事

日本將軍安倍安東こと安國の子なり。日本國に活居異にせる諸處に巡り、丑寅日本國の一統國造りを志して巡り、古代建許呂の國造りに習へて部の民を以て從卆せり。

無從の民を活居せるは南領に多ければ、菊田郷國造り、岐閇郷國造り、石背國造り、石城國造り、馬来田國造り、師長郷國造り、須惠郷國造り、怒多利國造り、耶靡堆郷國造りを強行なせり。

寛平庚寅年二月一日  物部継人

安倍致東、部之臣置事

唐國年號・貞觀丁酉年、倭の毛野形名、丑寅を侵領す。是れに應戦せるは安倍國東なり。齶田及び岩城の防人を寄せて、是を討返してより二十二年を経にして、顯慶戊午年、阿部比羅夫、越より舟軍百八十艘を卆いて西海浜を掠む。時に東日流宇澗浜にて、宇澗之武にことごとく沈められ、降りて歸遁せるも翌年舟軍を大挙し二百艘を以て合浦外浜に攻むるも、後方になる尻部志青比流及び宇曽利になる奴干奴布に應戦され、比羅夫再度び降り、越に七日の補足に追はれたり。

以来、丑寅を侵すものなきの間、古祖安倍致東の國治に習へて防人をして、舟軍・騎軍を山靼に習はしめ屈強に錬へ、部の民とて配軍せしは砂泻の鳥海部、鳴海部、朝日部にて、黄海子部を陸中に、東海に丸子部、白川に大伴部、坂東に丈部を配したり。亦、その兵営に十四柵を造りぬ。

亦、天應辛酉年より唐國に習へて十二階の位を防人の將に與へたるは、荒覇吐王以来初の階級位たり。然るに是に依りて平等天秤の國政を欠くるものとて、延暦元年に廢級たり。

元禄十年八月三日 秋田之住人 物部伊賴

荒覇吐神、渉傳之事

古来世襲に依りて、荒覇吐神の出自・本源は雑多に意趣の説かるあり、漢字を當つる多様・意釋に放走せり。アラハバキカムイと唱へし源は古代なるものにて、漢字に當意趣はなかりける。

抑々、諸地に巡りてあらはばきと書つるは少なく、荒吐、荒羽々岐、荒波々岐、荒羽々気、荒羽吹、荒波羽畿、荒羽貴、荒脛巾、粗脛巾、荒鎺、藁履、阿羅波婆枳、粗脛巾らの當字に見らる。後世にては荒磯、荒神、磯崎、荒鷲、羽々鷲、客人、客大明神、門客神、蜛蝫神、蜈蚣神、荒波亀神、玄武神、亀巻蛇神、亀甲神、鷹羽神など多採なり。

その一統せる起源に於ては、ただアラハバキにして、正しくはアラハバキイシカホノリガコカムイなり。その意趣大要は太古なる山靼語にして、イシカとは大宇宙の天なる總てにして、ホノリとは大地なる總てにして山川草木生々萬物土石砂みなながらにて、ガコとは水の一切にて氷雪、雨雲、露、霧、河、湖、沼、海になる他、生々萬物の生命體に含む水質みなながら神とせる故なり。

アラハバキとは、この三要を一括にして唱ふる神號になりて、その起源を求むれば、ギリシア、トルコ、スキタイ、メソポタミア、エジプトに至る源流にあり、山靼に傳へらるを人祖の渉りと倶に丑寅日本國の神とて統一信仰を得たり。依て、倭國及び筑紫や流球までも傳はりて、今に遺りたるものなりと曰ふ。

寛永十二年九月一日 物部庄内太夫

倭人之丑寅民呼稱

吾が丑寅日本國に住むる住民を、倭人に稱さるは、日本將軍を俘囚と稱し、その民を蝦夷と曰ふ。倭史にては、化外のまつろわぬ東夷、または蝦夷と曰ふ。かく意識になるべき原因にては、支那書物の行になる四周民の記行に北狄・東夷・南蕃・西戎と曰ふを引用せしものなり。大野安麻呂・稗田阿禮に依る倭史の編纂に於て、丑寅日本國に来り見聞にも及ばざる記行なり。

後世にて巡見せる円仁坊や西行法師は後世の作説が多く、信に足るは東日流語部録の他に實相の非らざるなり。若し知るあらば、倭史に安東大將軍の事、丑寅日本國の國號、更には荒覇吐神神格の事、日本將軍の記事ありて然可。

寛永十二年九月一日 物部庄内太夫

丑寅國不滅之事

倭國を神州とて天皇を神より萬世一系とて民心を惑はしめたる天皇族に混血せるは世襲の權者なり。亦、是の如き僞史構成をなせるも、天皇と權者の皮算用なり。

神は天地水の創めより、かかる倭王のみを神の子孫とせるなし。神は萬物生々の祖なり。天皇を神の一系と奉る者は、民を下敷に自慾をほしいままにせん奸計の輩なり。權謀術數、政事と稱して、ただ民に税を科し、己が榮華のままに、意のままざるを賊とし反乱とせるは、天皇を神とせざれば爲らざる故の政事なり。從がはざる者は朝賊とて、討伐を勅令のもと武威を以て誅伐す。

然るに吾が丑寅の王と民は挙國一致し、かかる横暴侵略に應闘し、國と民を護り来たり。然るに倭朝にては、民心に遂從の忠君愛國たるの世にあるべきもなき丑寅日本國を、人獸の如くまつろわざる化外民とて、過却の史を僞作し、三世の國賊とて流布し、治領の民心に怖れと憎悪に誘導し、あたら征夷の修羅場に押出したるは、神ならではの知る由もなかりき。丑寅日本國は、倭國より尚古代の歴史榮ある國の創めにある國なり。

幾千に過却せるとも民心に潜在せる祖恨は、倭のものに報復あらんことを餘言し置くなり。天地水の化に神の世に造り給へき萬物のなかに、神を知る人同志に泰平ありて然るべきを、一片の獨裁主に餘多人命の殉ずる行爲ぞ、神の赦るさざる反行爲なり。

凡そ萬世をして全能の神は、人をして人の上に人を造らず、人の下に人を造り給ふなかりき。萬物生死の法則は、人ばかりなる神の判断なる天秤の平等ぞ、常に輕重の平線にぞあり。神意、私にして計る事なけれ。

抑々天日は一光にして照す、照さざるは三世界になかりけり。神は常にして、平等生々を欠く者を赦し給ふなかりきは、天知る、地知る、吾も知ると曰ふ古諺の聖言なり。

寛政六年十一月廿日 本田常平

日高見川古跡

丑寅の國を東西に浪流せる大河を日川、日之本河、日高上川、後世にして北上川と曰ふ。かつては大洪水を起し、魚漁に惠み、住居の屋根に用ふ葦の大なす刈場にて、人の暮しをたすけ、歴史の流れを絶えざる大河たり。

人の闘爭そして、上は安日の分水嶺を水源に、幾多の川を東西に水量を集めて流る、母なる大河、まさに日之本川とて、古来の名にふさはしかるなり。

此の川辺に幾多古城跡あり。河岸に舟留ありて市をなす。筏に運ぶ材木は塩釜までも河降る。日川舟唄の一節に曰く。

〽水面霧立つ河岸柳 衣の舘に明け鴉
  昔ながらの濠割に 山吹咲きてかんばせは
  櫻川とぞなりにけり
  ヨイコラサノヨーイトナ

〽往くも来るも 風加減
  帆に受く舟は待人を 歸らぬ水を渡し旅
  北に飛立つ白鳥も 春を名残りて空に舞ふ
  ヨイコラサノヨーイトナ

〽流れに湧きて うたかたは
  はかなく消ゆる運命にも しばし淀みにとどまるに
  歴史は遠くとどまらず  鐘は鳴る鳴る中尊寺
  ヨイコラサノヨーイトナ

遠く近く船頭衆の舟唄ぞ聞きほれて、左右の史跡に見ほゆるは吾れ耳に非らまじや。

寛政五年五月一日  秋田孝季

道奥旅狀歌人集

〽都をば霞とともにたちしかど
  秋風ぞ吹く白河の関

能因法師

〽道奥の安太良眞弓はじき置きて
  せらしめ来なば弦はかめやも

萬葉集

〽みちのくの忍ぶもぢずり誰ゆえに
  乱れそめにし我ならなくに

源融

〽心にもあらで渡りし會津川
  憂名を水に映しつるかな

紀貫之

〽最上川のぼればくだる稲舟の
  いなには非ずこの月ばかり

六帖五

〽道奥はいづくはあれど塩竈の
  浦こぐ舟の網手かなしも

六帖三

〽とどまらんことは心にかなへども
  いかにかせまし秋の誘ふを

藤原實方

〽夕されば潮風越して道奥の
  野田の玉川千鳥鳴くなり

能因

〽白河の関屋を月のもるかげは
  人の心をとむるなりけり

西行

〽朽もせぬその名ばかりをとどめ置き
  枯野の薄形見にぞ見ゆ

山家集

〽みちのくの安達原の黒塚に
  鬼こもれりと聞くはまことか

平兼盛

〽吹く風を勿来の関と思いども
  道もせに散る山櫻かな

源義家

安倍一族遺歌集

〽かりがねの月に渡るる衣川
  関に籠りて夢む亡き父

安倍賴時

〽瀬音無きただ水鳥の櫻川
  稲束山を影に映して

安倍貞任

〽月露にぬれて垂るる萩花を
  駒にけたててあわれなりける

安倍宗任

〽國見山今日を限りに極樂寺
  焼かるを惜み急ぐ落道

安倍正任

〽矢巾田に丸田の稲を刈る間なく
  落行く果は厨川舘

安倍重任

〽やごとなきあづさの弓にしつらいて
  そぞろに駒を引手ぞ重し

安倍家任

〽寝もやらで夜攻めに敵を討果し
  明日は吾が身と夜明けまたるる

安倍行任

〽夜もすがら太刀研ぐ音に駒さわぐ
  双子の郷に敵はまだしも

安倍良照

〽老いにしも咲かざる櫻なかりける
  心に決めて散るを謀らん

安倍良宗

俘囚とぞ倭人の言になれど、かかる歌ぞ詠みける、安倍一族の前九年の役になる遺歌に、心打つなり。茲に、吾等心に覚つべく、記逑仕るなり。

寛政六年八月一日  秋田孝季

不攺丑寅日本史實

事實を僞權に破るる倭史の神代に創まりき架空想定の歴史に、丑寅日本史は世に出芽を欠かる世々をして、僞傳久しければ史実も抹消さるなり。

然ありて僞史、公に入りたる多きは倭史の古代史なり。世襲変り、言語に古文献に制圧の科及ばざれば、強きは僞史なり。

抑々丑寅日本國は、古き國號さえ倭史に奪はれぬ。如何なる國も權政力一統せば、道理・誠実も障りとなりて科及す。依て丑寅日本史の、公に障りて隱滅さるまま、久しく遁世す。非理法權天とは、忍ぶる者の願望なり。

自在なる浴天の悲願に以て本書を遺し置かば、心して世襲に乘じて是を證に世に報じべし。丑寅日本は倭史に染ざる日本國史なり。能く保つ、能く覚るべし。侵略の者に神をして報復あらん。

全能なる荒覇吐神の神通力ぞ、必ず浂の智となりて世にいだせむなり。正道果なく、外道は壁々断崖に前途を欠くこと必然なり。神の名に於て、我は此の書を丑寅日本國未来の聖者に遺し置き、故地の化外蝦夷たるの被恥を倭史に覆すべし。

右以て、余の筆了と爲す。

文政五年八月一日  秋田孝季

末吉終言

古紙裏を活用なし、大事たる史傳を記逑せるも、拙者になる乏しさ故に、見難の程を赦し給へとこそ加へ申す。

明治の文明開化、自由なる民權の當来と思へきや、丑寅の歴史を挙ぐれば、幕府に次ぐ尚重けき科の及ぶるを以て、拙者もまた此の書を不出の無爲に忍ばざる得ず、書写永年の苦勞も暫時、門外不出・他見無用に封じたり。

明治四十二年八月十日 津軽飯詰村福泉
和田長三郎末吉
和田家藏書