陸羽古史探抄全

秋田孝季

前詞

阿毎氏・安倍氏・安東氏・秋田氏の事

抑々、丑寅日本國之正號は日乃本國と曰すは古稱にして、日髙見乃國とも稱す。倭人の通稱せる吾が陸羽の國は、蝦夷地、亦は化外地と曰ふ。古来、陸羽に住むる人の暮しを、人と見ざる獸物の如く、肉を喰い血を飲むる蝦夷と、今にその史稱を攺む事ぞ無し。

倭史に曰ふ征夷とは、吾が陸羽を討つと曰ふ事にて、朝廷がその討伐せる將軍に賜る位官、勅命なり。世、泰平に治まりて尚存續せしは、征夷大將軍の賜授にして、國を司る世襲起つ統一者に代々をして賜り来たるは、天皇にして、朝庭は現代尚以て賜官の儀を攺むるに至らず。

是を特權として幕府が存在する、不平等なる天が下、陸羽の王統をなせる耶靡堆王阿毎氏の後胤・安日彦王より安倍氏とて累代し、世々に日之本將軍、亦は安東將軍とて陸羽の民を併合し、その信仰も統一なし、荒覇吐神を以て陸羽の正民たるを誓ふる證とて、荒覇吐族とて住むる村落、都々浦々に社を祀りぬ。

民なる者皆、アラハバキ・イシカ・ホノリ・ガコカムイとぞ稱神し、かく奉ぜる稱神の聲ぞ、國を越え、倭國の地にありき。民の間に荒覇吐神を念ずる社ぞ、かしこに建立せり。なかんづく、きわだって大社なるは出雲にして、西濱辺民になる奉仕大なるもなり得て、荒神社建つるも、開化帝のときその一切を取り潰されき跡ぞ今、荒神谷とて地稱に遺る耳なるも、祀られき神格に於ては門神とて今に崇め、出雲大社に祀らるぞ、安らけく護らる一の例なり。

陸羽にては、前九年過ぐる神崇攺めにめげず、荒脛巾神社、多賀城に遺りぬ。また坂東の氷川神社、別社に遺り、武藏には古来のままに遺りける。

亦、康平五年に陸羽の覇主・安倍一族が亡びしも、東日流に安東氏とて再興し、更にして飽田に秋田氏とて、世襲に主筋を大名とて宍戸・三春と轉符さるとも、君座今に安泰たり。

古代陸羽史之要

太古在山靼紋吾呂夷土族、渡流鬼國、移渡島、来東日流、號地名阿曽辺森、稱阿曽辺族。次世亦来東日流糠部津保、紋吾呂夷土族、是亦稱地名是號津保化族。渡来民定着之時代、自拾五萬年乃至十萬年前事也。

時選民各々住居適地不邑造、無民長求山海幸不定着、移春夏秋冬訪地、産海産収穫期。依子孫多生定住家造邑選一族束司長爲地領立君、自是爭地領縄張起闘奪、强者弱者所領移、弱者新天地再興、旧恨報復所々建國邑爲族主、相互併合造强國。

古代爲國者流鬼國十七國長渡島日髙國併千島神威茶塚四十二族主在國領、亦日之本國自東日流至坂東二十六族主併合爲一國統卆、越國十七族那古國五十八族耶靡併五十二族一國統卆茲爲倭國、淡路一族南海道六族内海六十八島主山陽五十八族山陰四十一族筑紫七十二族在國主攻防常也。

右、語邑帶川貞祐、自傳来語印

寛政己未年五月七日
語印解 秋田孝季、写

荒覇吐王起東日流併民族

耶靡堆國主阿毎氏、初代王耶靡堆彦王、自立君經代々、時安日彦王、起筑紫日向族主佐怒王侵東征攻耶靡堆國挙討征、時耶靡堆王安日彦其舎弟長髄彦等領民大挙脱東國至東日流、安住併地民創國造。

茲成荒覇吐王於東日流石塔山立君挙即位式儀、攺阿毎氏姓號安倍氏以王稱爲荒覇吐王、襲名更離領統治補泰平治領四王立君是稱日之本將軍五王治統一能。

是支那國飛聞彼国是日本國稱安東大將軍世々泰平、保國能以稻作榮是國給、亦五王以政事置県主及郡主、地民反亂不起地産流通富。

君民山靼國往来知異土、紅毛人國、殊奴留古史、久禮陀島銅鑛古史、義利志亞、織輪比亞古史、圧尻亞、織圓止古史、江治撫止古史等、自日之本國神司往彼國登織輪補素山、大修行紅毛人國修諸神行禮等、學得爲歸郷。

寛政己未年五月七日
語印解 和田長三郎吉次

荒覇吐王移伊治水郷

荒覇吐王安倍安國、稻田進拓田西南、得豊収富國領於過却、東日流稻作噴火洪水冷害起歳々、民適地求移、以水利便、米代河日髙見河辺定住、拓新地爲田畑至現世也。荒覇吐王居併民移毎倶也、古来移跡添日髙河二十八處今數也。

時安倍安東、来耶靡堆國自諸々求永住来倭民、多起爭事、是後世災難招吾國。依禁倭来領、不是從者不男女相討果亦追誅、如是行爲領押反逆、宣蝦夷討伐。茲征夷大將立官挙兵来襲安倍安東。是向白河及武藏、應戦討返、西征誅伐參從安倍川越州糸魚川相對分水嶺横断、自是東日下領西倭領、固警護相對事久永年、國堺跡遺今世。

倭朝無詮、荒吐系自橘氏、安倍女帝立君、誓征夷不可侵、至和睦倭人陸羽永住不爲者耳、許入領陸羽永泰平越年。

寛政己未年五月七日
語印解 秋田孝季

陸羽討伐史之西史皆疑傳

倭朝和銅壬子年編古事記、更養老庚申年日本書紀爲編纂了、是記事中在蝦夷討伐記項之事也。神武天皇紀之夷討歌謡竹内宿祢之東國巡察報調奏上日本武之東征赴之宣更古代田道將軍之征夷記行新記行阿倍比羅夫征夷等之無史實陸羽討伐行如是僞史傳也。

以何事造是否是倭語部大野安麻呂稗田阿禮等作説也。吾國陸羽日之本加之古事記亦日本書紀如記史實無、是實在陸羽荒覇吐王及陸羽之國號日乃國無記中唯赴征夷是誅滅倭讃美記旨也。

吾國爲化外國亦住民蝦夷皆朝賊宣布之史書也。在陸羽日乃本直傳語部眞實史也。・・・・・・語部印無倭朝古代之語史言々是須非眞無記行吾國在丑寅日本國陸羽之國號也。依倭史蝦夷傳惑勿。

寛政己未年五月七日
語印解 秋田孝季

江戸幕府中老之安倍氏縁者

江戸幕府京師所司代

元治甲子元年八月六日
和田壹岐守權七

追筆
何中老稱阿部氏安藤氏名乘、古今本來氏姓安倍氏安東氏、爲獨攺幕籍存續者也。

古史探抄

古来世襲にありまづきもの、渡世の故に事實を隱し、つゝがなく安穏に暮しその爲に祖系を放棄し、姓氏をも攺めて仕官に在りて世に永らふ者ありきは常なるも、三春藩主秋田家耳は自から系図をして朝賊たる安日彦王・長髄彦王を筆頭に記逑してはばからず、東軍大名とて五萬五千石三春藩を現世に継ぎ、祖先及び歴史の實相をあるがまゝにせる大名は六十餘州になかりき。

戦國の世に三河の百姓から天下に君臨せし豊臣秀吉如き、野武士・野盗の輩が大名とて藩主にあるは知れるところなるも、その系図を見つるにその筆頭に藤原氏の流れ、清和源氏の流れ、或は桓武平氏の流れとか、なんなんと事つまびらかに造りて、己が實生を事無く抹消しけるありて、世史に飾れるは現藩に明白なる事實なり。

これも世襲にして、萬代なるはなし。富貴なる者とて一轉して貧窮しあらば、家寶とて祖先傳来なる系図とて賣却せるは、人の生々流轉なり。人を制せる富貴に永らふる、その生きざま一挙に轉じて落目たれば、誰とて救ふべく無し。然るにや、慈悲あり、人をして救いたる者はその報恩に救はるるも人の世なり。

とかく天明なる火魔に、城ともに城下一帯に灰とせしにや、城庫に秘藏せし安倍・安東・秋田なる史書總て失へり。依て時なる藩主秋田倩季、秋田に浪學せる橘隆季こと後なる孝季に、秋田家にまつはれる歴史の再生を賴けるに、その尋史・集史を諸國に縁る一族及び遺跡を巡脚せむとて、先づ妹りくの夫なる和田長三郎吉次を誘って先づ東日流より發脚せり。

諸國巡脚、浪々と三十五年、茲に古史探抄、餘多を得たり。探訪せる脚跡ぞ六十二國に得たる荒覇吐神之由来、耶靡堆國阿毎氏由来、山靼國渡旅記、マカオに紅毛國博士なるロンズ小原の通譯にてトマスエドワード氏より授けにし歴史の編修しるべ、能く學びたり。

宇宙なる構成、生々萬物なる生命、生物なる進化博學、紅毛人國なる古代神格をして山靼往来を五年間に果したり。世界史に縁る安倍遠祖の證、古代より一系なる秋田氏の史縁、まさに海沿諸國の遺跡ぞ多し。

然るに収集せる口傳に於てをや、一實に多説ありて私に除選ならず、その總てを記録せば讀みて玉石混合の疑惑をまぬがれず。その判断を後世の識者に委ねおくものなり。古史探抄は生々相つきるとも、朽ざるものとて信じ、是を綴り置くものなり。

享和庚申年五月廿日 秋田義季

吾名をして三春藩主に同名なりせば、今日より義季と攺名す。

石塔山荒覇吐神社秘傳

古代に津保化族が、此の山を神聖なる神山とせしは、外濱に近く、石神を建立しけるに近き採場ありき、に定めたるものぞと想はるる。初に神祀るは荒覇吐神ならず、天なるイシカ地なるホノリ水なるガコなりき。卽ち天なる大宇宙の總てを神とし、地にあるべき一切を母體とし女神とせり。そして水なる一切を生命の司る神とし、茲に稱へて曰す。

荒覇吐神とは、耶靡堆國主・阿毎氏が神格とせる神にして、三輪大神・白山神の神格にて、その化縁するところの神々は西王母・女媧・伏羲の天地創造の神を以て一如稱號せるものにして、是も自然崇拝を主旨せる神なり。

古代より陸羽の至る處に祀られ、今に遺れる石神ぞ、その崇拝を的にせし神とせるものぞと曰ふ。石塔山に祀れる石神は、まさにその根限なせるものなり。石塔山なる祭文に曰く、

あやにかしこきあらはばき、天に走りて地に降り水なる𪯹にまぐわいて、世々に生とし生けるものはみな大地の胎に命受け、生と死とに覚め眠り、常に新らたに甦り、人と生れし今の世を仰ぎて今日を生きてなむ、眠りて明日に生きよとは、神なる御意に委しめ、我は神を讃へて唱へなむ、アラハバキイシカホノリガコカムイとぞ、天に仰ぎ地に伏して祓の水に身を淸め、いまこそ祈れ末代を、

とぞ人々は、ただ一心に石神を拝み奉る。石塔山に秘傳あり。山靼渡来の奥義にして、祈りて叶はざるはなしと曰ふ。病かかりて仙靈草を膓用して治りに至ること疑がふるべからず。悩ありてはジャラの木にヌササン供へてカムイノミを焚き、悩める事を空に書け、いかなる苦悩とて晴むらん。

亦、婦を別れ、夫に別れ、子に別るるものぞ、東の柱に縄結いよ、汝が思い叶ふらん。時をして人に恨らまる事あらば、汝は神に捧げよ。利剣をば捧げて、復ふり返えず社をいでぬれば、汝を殺いさんと祈りきもの、七日七夜に苦しみて、神なる誅事に世を去らん。

茲に一言戒むる。石塔山に祈るものをして、他神に崇みて祈りき願望耳にては、汝は狂ならく、神なる報復たちどころに至るらん。心せよ石塔山に祈る者をして信仰あれ、さもなくば祈る勿れ、と神曰す。

文化壬申年十月二日 和田壹岐

神器五種之事

石塔山秘寶に、神器五種在り。是れ、古き代の安日彦王及び長髄彦王の遺品なり。勾珠・銅剣・銅鏡・靈珠・金冠等は、無類なる古代に實在せし日之本國の證明せる王たるの貴重なるものなり。亦、この他に大事たるは聖地そのものにして、護るべきなり。

抑々この神域は百町歩に渉り、ひばなる原林中に永眠し、仙境の聖地なりせば、荒掘する勿れ。若しかく荒掘せる者あらば、神罰立所に降るものと覚へよ。和田神職が歸農しとも、石塔山だけの修法は、秘傳故に、他神職を以て攺られず。安東一族が總てを委ねたるものなりせば、よろしく末代に遺しべし。

西本殿は他人を入れざるの神域にして、東本殿亦然なり。この社は衆をして祭禮を無用とし、三年に一度びの放靈秘修法ぞ人視に避けよ。

文政戊寅元年八月一日
和田長三郎吉次

靈剣舞草乃神太刀

俗に曰ふ舞草刀とは、天走りの鉄に錬ふ刀也。古来、阿北の住人千𤰹久利といふ山師あり。此の地に鉄無きを憂いて、閉伊の釜石山にいでて、鉄山を求め、仙人峠に山越えせんとき、一天にわかに曇り、耳をもつんざく雷音に、しばしのやどりを半懸岩下に腰おろし、雷鳴の通り過ぎゆくを待てども、次にはどしゃ降りの大雨に、この窟を出る術はなく野宿と決めて寝そぶるや、暗に白狐が現われて走り却ったれば、この山師その方を見つるにやがて彼の白狐、なにをか喰へて山師の前に置きて去れり。夜明くるを待って、その置たる物を手取りしかば、重けき餅鉄なり。

山師は喜び勇みて、白狐の去ったるあとを探し行けば、一宇の草堂あり。その堂内より鉄打つ音聞こゆ。白き長髪の老人が獨り、火花を散らして刃物を造りし最中なり。了るをまって聲かけぬれば、空に消えて、草堂また跡かたもなく失せたるも、彼の山師の手に遺る餅鉄だけが残れり。是は神なる授け物とて、重けき乍ら里に降れり。

遠野とて邑落あり。地の鍛冶を訪ねて、この餅鉄を山刀に造らしむれば、斬れること以外や、一振り空草に振りては、あたらぬ野草も舞うほどに斬れて、飛び驚いたる山師、つい知らず刀を地に落しや、岩に當りて、刃のこぼれきを見るや、刃は欠けず岩が二つに斬られたり。

山師、これぞ人々の持つべき物に非らずと、名も知らぬ神社の神堂に奉納しけるや、彼の白狐あらわれて、その山刀を喰ふるや貞任山に去りゆけり。

山師、彼の鍛冶を再度び訪れ、事の始終を告げたれば、やはり白狐に納めたるかと曰ふ。此の地の人々をして誰となく、餅鉄にて造りし刃物一切は人の手に得難しと曰ふ。依て是を、人は舞草白狐の剣とて、仙人峠の白狐は、刀打たせの狐と稱されたり。

亦、古き我國に起りき前九年の役にては、安倍一族好みて地鍛冶の刀を寶壽の剣とぞ曰へり。

寶暦丁丑年二月四日
秋田屋利衛門