石塔山荒覇吐神社秘傳 大の3

役小角御遺訓

さながら世に會ふ人の交はり、善惡は互に相睦び亦怖れ、貧富を異にして憎しみ恨み慈しみ苦痛し、諸の人生に覚りて、生死の中に輪廻し刻は逝く。光陰は移ること速く、如何なる大事起るとも刻の彼方に消滅す。

人世の遺れる歴史の書にも、權にあるもの、實を離れて作説に遺さむ。後世の者知らざれば、それを生々の修めとせるも、導書に至らず求め惑う多し。世に神佛を道として説く者を聖者とし、その信徒に幾世を過却にして、元なるは光陰に移されて、代々の人師論傳せる新興に変りぬ。例へば、佛一にして世に起るるも、過却せば、宗に離れ、己々理を異にして、本流・支流を先に爭いて、何くんぞ源教に遠く、外道に是空邪教□ふぞ多かりし。

釋迦の悟道は、もとより是く非ず。
諸行無常 是生滅法
生滅滅已 寂滅爲樂
かく説き給ふ他、求道の要とせざるなり。古き世の聖人にて名に遺りし者の一代は、神の聖言を耳にせるも、疑心に山海をさまよい荒野に苦しみ、己れを知りそこに神なる修験の窮みにて説く多し。アブラハム國神・舎衛國神・支那國神・日之本國神を各々説く者は、非理法權天の裁きに何れ眞理なるや。

如何なる人世を過却せし者、地獄に堕つるや、極樂に住生を得るや。髙僧とて信徒にその證を與へ難きは、本來空なるが故なり。阿羅羅迦羅摩仙人とて婆羅門の神に救はれず、自から修得せしビシュヌ神を感得なして往生せりと曰ふ。

依て求道は修験に依りて悟を得る他、非ざるなり。法喜菩薩・金剛藏王權現・金剛不壊摩訶如来を感得せる、その本地を東日流石塔山にて感得せしは、吾が身體八腑命脈を盡る刻に得たりぬ。地神のアラハバキイシカホノリガコの神とて、吾が感得の神佛と求道せる者に於ては、眞如實相に在りて迷い無し。生死を以て輪廻轉生せる三世界に、魂魄を不死とせる荒覇吐神社の地に吾が生涯の法を遺して逝くも、吾れは甦りて必ず世の救世主とならん。

大寶辛丑年十二月 役小角優婆塞、口説
寛政五年十二月 大光院松野坊、釋書

金光坊圓證御訓

人生さながらにして、安しこと少なし。生死の中に求道、安心立命を天命に安ずと曰はれむ、東日流石塔山の行者達。體は逝くとも、是を死を以て新生への己が魂魄の脱皮と心得て、來世に甦るを安心立命とし、その運命を總て天命に安ずとて、死すとも永生に生々せるを信心とし、唯一向にアラハバキイシカホノリガコカムイとて稱名せるは、吾が説く念佛の教に相似たり。

建保二年七月三日 金光砂門
明暦元年 大泉寺・利天、㝍

日之本國主安倍頻良訓

天地一切は荒覇吐神に掌握さるるなり。人をして此の神に逆らへて生生なし。神とは相無く、天地一切の萬物に宿靈す。依て、人の造れる像画に一片の神通力無く外道なり。

亦、墳を如何に大ならしむとて、その葬者に一片の果報なし。神社佛閣を大ならしむる諸行の道場とて亦然なり。神を心に崇むる心には、先以て己が心に修験せよ。生死は如何なる者にても免れず。依て、生生に心轉倒し怖れ苦悩す。

然るにや生死は、萬物の如く生々陰陽に依りて成れり。死は嬉しからねども、魂魄なる己が新生に求むる至門にして、怖るるに足らん。荒覇吐神の信仰は、是く安心立命在りて無窮なり。己が總て天命に安じ、次世の甦に人と成り新生せるために惑う勿れ。疑い惑いて心不動ならずば、その生體を人間に非ざる者に生を得む。

己が死に至り魂魄となりせば、そよ吹く風と雖も無く、生前に修験なくば、己が魂を鳥獣の類耳ならず虫魚貝草木菌の如きに入りて生を甦す。心して荒覇吐神の眞實義に崇むを心に不動たるべし。

如何なる人師の、神を職とせる者の奇言に誘はる勿れ。人の力□にて救はるるはなし。病には藥を、喜悦には酒を人生とし、常に諸學を進歩に學ぶべし。依て徒らに迷信に堕ゆなかれ。

辛寅五月 頻良花押
大光院法印・覚明、㝍

平等教院覚書

東日流淵崎に建立せし平等教院は、正保元年に安東十郎高星が佛頂寺をなせる跡に、安東太郎貞季が壽永二年に建立せしものなり。是れぞ、東日流中山峰・石塔山下院として建立し、十三湊藤原權之守十三右衛門尉秀榮の寄進にて中尊伍佛を安置し、その一世を鷲眼和尚とせり。

平等教院なる佛閣は、奥院に荒覇吐神社を建立し、鼻和の三輪神社、平賀の中尊山大光院、稲架の根子神社、江流澗の白山神社の總拝處ともせり。

元禄八年五月二日 藤井伊予

安東貞季御遺訓

吾が氏は大祖の姓を阿毎氏と稱し、次に安倍氏と攺め、東日流に來たりて安東氏と號せり。祖の萬丈たるも、破乱に世襲を降りて、是くなれり。凡そ北辰に日之本國を建國なして、その累代を絶しまず今世に至るるも、荒覇吐神の加護なればなり。

文治二年八月七日 貞季花押
萬藏寺・仙山、㝍

安東太郎盛季の遺言

吾れ茲に、安東氏挙げて京師を護り、茲に京師管領の宣に從へて日本一統の親政に委領す。もとより奥州は日之本國にして、邪靡堆の安泰は佐奴王に破れ、故地を放棄なして建たる日之本國なり。

然れども、世襲に於て根子彦が累代、役小角が祖に當るる王家の爲に、一族挙げて反朝の輩を誅しべく、現今より京船十三湊に入舶せる事自在なり。

君令背かず、交に心せよ。

應仁二年正月日 大納言盛季

國興り民を司る主の君臨

國興り民を司る主の君臨に創まりたる東北の國號を日本國と稱す。その初代王とて、邪靡堆蘇我の國主阿毎氏の正累代・安日彦王を選びたり。その副王とて、舎弟なる長髄彦をも立君せしめたり。

もとより阿毎氏は邪靡堆國の王系たれども、築紫に起れる佐奴王の東侵に敗れ、故地を棄て、此の東北に落着せし大挙移民の長なり。その落着に定めたる國は東日流安東浦にて、地族阿蘇辺族・津保化族らも併せ、農を興したる晋民をも加へたるこそ國富たり。山海の幸、稻作の鉾稻、地に染みて越冬の餌に窮す者なく飢るものなし。

初王の王位に奉る儀は、東日流中山連峰たる石塔山陽仰門にて即位せりと傳ふなり。地族らの崇むる神はイシカ・ホノリ・ガコの三神にして、是れに晋の民ら支那古神西王母・東王父及び女媧・伏羲の信仰を併せたり。

是ぞ邪靡堆國にても白山神・三輪大神の大元なれば、地民の三神をも併せて、是れを荒覇吐神と修成せり。爾来、石塔山にてその聖地を此の地と定めたるも、餘人を入峰せるを禁じたりと曰ふ。

阿毎氏より孝元天皇・開化天皇出でたるは、故地を奪回し出雲と併せて倭國と興せるなり。築紫より進駐せし邪馬壹族またの號を日向族を追討し、茲に倭王に即位せるは孝元天皇にして根子彦王とも曰ふなり。依て茲に荒覇吐神、倭國に弘まるるも、開化帝に世継がるや天地八百萬神の神攺めと相成り、鉄武具に攺め銅を廢せり。

依て、諸國にありき銅を以て成れる諸器を地中に埋め、あまた破しめ、鉄採りぞ出雲に盛興し一切の諸具造られたり。然るに騎馬、倭國に無き故ぞ、種馬を東北なる日本國に求めたり。ときに、荒覇吐神を廢したる倭王となりし開化天皇に献ぜるを制ふれば、茲に坂東境をなして國、東西に分岐す。

即ち是れぞ、倭と日之本國とて相王權を立し、神の崇拝もまた異にせり。倭國にては崇神天皇と相成りて東征を試みるも敗れ、ときより日本東國を蝦夷と稱すに至るなり。日本國とは東北にして、倭國の日本と號せしは此の後世に創まりぬ。

元禄十年八月十九日 藤井伊予

荒覇吐神を己とする意趣

東北を日本とし民皆兵とせるは、上毛野田道將軍の東征に應じたる稱號とて、荒覇吐族を民族稱とし、荒覇吐王とて王名をも襲名なし、神と己れ名一致せるより、倭軍の東北に入ることなかりける。

然るに歸住て、倭の間者入りて地族を誘い荒覇吐王居を襲ふこと暫々にして治まらず。阿毎氏を攺め安倍氏とて立君せしは、安倍日之本將軍・安國なり。坂東の境、安倍川より西、越州糸魚川に到る境を固くして、その防人を配したり。

倭人はこれを嶋津神とて怖れたり。此の頃に荒覇吐族の防人達の名の多くに神を用ふるありて、己が身體八腑も己れに非ず、みな神よりの授りしものと、戦に臨みても人命を徒らに殉せるを戦法とせず、利ありて襲い、利非らざれば引きて、次陣に備ふを旨とせり。依て攻め入らざれば、全ての敵を敵とせず、自他に人命も輕んずることはなかりける。

泰平踏破侵魔輩
應無法起荒覇吐
攻利退危護國土
老木若木日本檜

安倍國東の一句なり。

元禄十年八月十九日 藤井伊予

石塔山神禮之事

神を祀り斎おろがむには、先づ以て六根を靜め給ふを。一義には、四季相通じて清水に身體を清む。次には、朝夕に欠くるなく供物御酒を捧げ、己が食前にして神祈・稱名を謹行しべきを常としべし。

石塔山に鎭む神をして唱斉の文は、アラハバキイシカホノリガコカムイと唱へて、他無用なり。

寛政五年三月一日 和田壹岐

石塔山神系譜

神の系図

寛政五年三月一日 和田壹岐

荒覇吐神祈行諸跡

古より荒覇吐神を祀るの條は、泉あるところにして桂の繁るを選べり。祭場に星座石あり。陽仰の土門亦は石門施し、神はジャラ木なり。石神に積むもあり。瀧及び湖を、川を神として崇むは多きなり。

神の祭りにては三門柱に施し、右通行は女人にして、左は男の通門とし、中央は神の門なり。是を、三輪鳥居とも曰ふ。

神社境内の草木は、參道の他に伐せず。神なる域とて保つべし。石塔山の西山・東山をして、半里四方を聖地として保つべし。此の地は二萬年前より、津保化族に依りて築かれし神場なり。流水の水源を汚しべからず。亦、山頂に至るべからず。山戒を能く保つべし。神洞は神のみの鎭座し給ふ處なりせば、神儀の他に立入るべからず。亦、洞内の遺物を一点たりと持去るべからず。犯しては重神罰のあるべく、怖れを覚るべし。

洞の群区に十二区あり。第一には天靈之区にして、第二は地靈区なり。第三は水靈区にして、第四は甦の区なり。第五は祖靈の区にして、第六は遺石藏なり。第七区には寶殿にして、第八は武庫なり。第九は神佛像洞にして、第十は遺棺場なり。第十一は洞内修理道具庫なり。第十二庫は淸靜区にて、ここにて六根を水行せる處なり。石塔に藏せる遺物の神だけのものなり。依ってこれらを人視に屆かしてならず。亦、持却るを赦さず。必らず意として護るべし。亦□洞、落石の危きにありて、物見に入るべからず。宣する勿れ。石塔山の秘は、今にして安倍安東秋田氏に渉りて久しければ、知る人もなきは幸いなり。

〽しるべなく
  千古に眠る神靈を
 いと護らむは石の塔なり

嘉吉の年に、此の聖地の道を造らず澤を道とせるは、脚跡の遺らざる故なり。

寛政五年八月一日 和田壹岐

紅毛人國之神傳稱

うらばや遠き西國の神なる傳稱は、支那天山の絹道より傳はりぬ。創世の神をアブラハムの神とて崇拝せし紅毛人達は、イサク神ヤコブ神創世の神とて、モーゼ及その弟子なるアローとヨシュアに依りて傳へたるものなり。

時に是を邪神とて、エジプト王はナイルの神ファラオ神、ソカール神を崇拝なせるも、衆に遠くただ廢處の神神となれり。古来より紅毛國に神神の多く、木神・金神・石神□偶像を造りて遺るるも、未だに崇拝さる神ぞ無し。

オリエントの聖地と稱さる紅毛國の地に誕生せし多くの救世主。そのなかにキリストの説ける聖書、ムハメットの説けるアラー神のモスクは、現世に於て盛んなるも、この縁源をたどりてはギリシアの神々より分岐せしものなりと曰ふ。

わが日之本國に傳はりしは西にして、佛道東にして支那古代神、東王父・西王母・女媧・伏羲の神にして、その添神とて紅毛國神は傳はりぬ。

是を奥州にては紅化神とて、古きより崇拝なせる證とて遺るるは、デゴとメゴなるコケシなり。童の守護神とて今にその型を造りて、童の持物とせるはこの故縁なりと曰ふ。

文治二年三月七日 江羅十郎継人

紅毛國之天地創説 第一話

創めなる神は、天と地を造り給ふたり。地は形なく、空しかり。暗は淵の面にあり。神の靈ぞ、水の面に覆りをり。神は光あれとて、光りを造り給ふ。神は光りと暗を分け給へて、光りを昼とし暗を夜とせり。夕と朝あり。是を創めと終とし、一日と定めたり。神は水を空と地に分て雨雪とし、その集れるところを海とせり。空なる上を天とし、日輪を光熱とし、月を冷光とせり。海に潜らざるを陸とし、萬物生々を陸海に満したり。

神の相に似せて土にて人を創り、是をアダムと號け、萬を彼の下僕とせり。更にして、神は女人を創りてアダムに與へ給ふ。是をイブと稱し、神は二人を祝福なし、その子孫を遺すためエデンの園を與へたるも、生死の實を食してはならぬとぞ戒しめたるも、イブは蛇に誘言され食したり。依って神は怒り、人の生生に善惡と、生々衣食住に安からざるをその子孫に遺し、魂と體とを分岐せしめたりと曰ふ。

是ぞ、紅毛人が天地創造とて遺る神話なり。

文久二年五月七日 和蘭陀屋儀右衛門

紅毛国天地創造説 第二話

天地創造ならざる前は、無辺の暗に原始の大爆發起りて混沌の火炎生ぜり。是をカオスと曰ふ。混沌と闇が結して併合なし、雑多の要素を生じ、夜と昼そこに物質と空気生じたり。それは霧の如くなる宇宙なり。そのなかより一個の熱パンドラ現はれて、その中味たるは善惡總ての要素が詰りて、パンドラは爆烈せり。

これぞ空なる星界にして、日輪及び地界を誕生せしめたり。土星クルヌス・水星マーキュリー・木星ジュピター、他の星々、そのなかに地なる星、誕生せり。地なる星に多くの生命ぞ生じ、創造霧より生る。

然るに、その生命なるなかに人間、未だ生れず。無となる至髙エッセンスが神となりぬ。彼らは月に住まいて、人と萬物の運命を決めたり。これぞオリュンポスの山にて、全能神ゼウス他十二神によりて天地創造、是くなればなりと曰ふ。

文久二年五月七日 和蘭陀屋儀右衛門

石塔山荒覇吐神社秘傳

抑々、荒覇吐神之社に祀らる神をして諸方の神社亦佛閣と異なるるは、安倍日本將軍・國東の代より攺む一大事あり。爾加之社には支那・朝鮮・天竺・紅毛人國に祀らる神佛をも祀りたる故縁ありぬ。

依て、石塔山の神洞に秘らる神佛の遺物數々に於ては、古代なる異土の宗教を異ならしむるなく、吾が國神と倶に鎭座ならしめ、四方八方の世界に民族をして崇まるる總てを混合し、是を修理固成なさしめて、アラハバキイシカホノリガコカムイと稱題し唱ふものなり。

神となせるは、眼に掌に触るる一切を神と奉り、生死の中に安心立命を天命に委ぬるが爲に、心に睦を保つ諸々の信仰に敵を造らず、天地水一切に和解せる心にて、此の石塔山に鎭め給へり。

神佛諸行諸法をして爭はず、神佛を選ばず、一切の邪見・邪權を棄て、唯己が心身の置處に惑ふ勿れ。世界諸行諸法に古来より遺りける求道の總ては、人師論師に依りて遺るるなかに、人を人と思はず、王權に以て萬民を下敷きにせし神のみは心に入るべからず。邪道とて是を崩滅せよ。

神は生けとし生けるものの一切生死のなかに不動なり。過却を暗に忘却しべからず。祖継の恩謝に報いよ。神佛は聖者耳のものならず。善惡とて人心に於て裁くるは、神佛の戒に逆罪す。神の道は平等の他非ず。日輪の光明の如く、過去・現在・未来に平等なり。地をして萬物の生死あり。生死ありて生命の輪廻あり。その不死なる魂に、人間たる身體をして末代に新生を得る、無疑の眞理を神に祈るべし。

石塔山荒覇吐神は、かくして今に傳りぬ、眞如實相の行法なり。心して神佛を奉じて、戒を犯すべからず。己れを知り、己れの邪心魔障を祓ふべし。

寛政元年正月元日 和田壹岐

紅毛八國記

古代オリエント諸國の神なるヘリオスを祀れる神殿なるは、ヅグラット亦はピラミットなり。南米國にてはカステヨと曰ふも、太陽を崇むる理点に於ては同意なり。

吾が國の古代より日之本國と號る要旨にも同じなり。抑々、神を想ふる人心の創は、大宇宙を神聖とせるもまた同意なり。未知なる億兆の星々、その宇宙界に神々の神話を以て星座とし、その運行を暦として春夏秋冬の候を占ふも、支那にて星運二十八宿に運勢を判断せり。

紅毛國の古代オリエントにては、ギリシア國・メソポタミヤ國・エジプト國・ローマ國にて、神を崇拝に以て乱起り、征者に依りて造られし神々大いに誕生せり。

吾が國に渡れる紅毛人の神々ぞ、山丹國より渡来せるは世に知らざれども、古代より都度にありぬ寒冬永き山丹國なれども、彼の國は紅毛國と陸徑に通じ、流鬼國より渡島に至り、東日流及び宇曽利に海峽を渡りきぬ。

東日流にては、晋の群公子一族の渡来續きて、耶靡堆より落着をせし阿毎氏の王安日彦王・長髄彦王の、東日流に民族を併せて荒覇吐國を造りて興しぬ。爾来、丑寅諸國を併せて代々統治せり。

山丹より渉り来る人に、紅毛人あり。地民これを鬼と號け、何事にも智に更る故、彼の崇むる神ヘリオスを日神として祀れり。是即ち荒覇吐神なる西天赤日の神とて、西王母之化神とせり。

寛政五年六月二日
(※この部分、一行欠落か)

安倍氏之流轉

耶靡堆阿毎氏の立君以来、荒覇吐王・安倍氏日之本將軍・安東大將軍・五王を經て至る累代に、衣川の役・厨川の役にて二千年の覇を水泡に歸せしむ。

安倍貞任の次男・髙星丸、東日流に一族を再興しけむより代々をして一族を降興せしめ、安東水軍を外藩自在に海交し、秋田氏に至り幕府大名とて三春藩主四萬五千石をして知行なし、今に至りぬ。

家系譜に、國の賊たる安日彦・長髄彦、その累末なる朝敵たる安倍賴良、その子息貞任を祖代にせる秋田家系にはばかりなく、當代主・乙之介に至る安倍家一族をして六十餘州に生々忍ぶる多くも、世襲に習へて君坐を保つこそよけれ。

寛政五年八月二日 和田長三郎吉次

荒覇吐神之像釋

荒覇吐神

抑々素焼に造れる像多くも、土岩にて造れるも存す。頭髪部毛髪一本に至るまで宇宙なる星數顯し、顔面は陰陽生死相なり。胸胴部は生命魂を顯し、腰部は子孫を、脚は行跡を以て末代の甦を示す。

依て此の像を以て天地水の全ての神通力を顯せりと傳ふなり。

寛政五年八月五日 越後屋甚造

奥陸産鉄之由来

宇曽利に鉄を鑄鑛せしは古く、安倍城鉄山にて産鉄を隆興す。鉄師を出雲より入れて、地山の鉄鑛を堀りてタダラを築きぬ。炭を藥研澤に焼きて鑛溶に用ひ、通風に牛皮を以て踏袋を造り炎盛なさしむは、金銀銅鉄溶け鑛、みなながら安東庶季が考じたるものなり。

鑄工型に砂型焼型に造りて溶鑛を流せり。是れなる鑄造法、山丹より傳ふるを安東庶季、更に究考す。

文政五年十月七日 向長四郎

天慶の不可思儀

平將門、坂東に自治せむを欲し、安倍頻良に兵馬の援を賴めり。依て頻良、長子・賴良をして白河関なる防人を援ず。

將門、一挙に官倉を破し地民の飢ゆる者に餌を與ふ。藤原秀郷、是に怒りて兵を募りて將門を攻むれど、安倍の軍その前途に逆茂木・垣楯をして將門を護りければ、詮なく將門討伐の軍を退きぬ。

然るに秀郷、策を以て兵を農夫に装い、將軍に穏し弓箭にて不意討ちければ、將門不覚にや流矢に討死せり。

ときに、一族をして主を失いければ、將門の遺骸を奉じて奥州に逐電し、その數三千六百人にて、安倍頻良は相馬郷に安住せしむ。異なる事に、その夜もしがら天空に星の異光ありて、幽かなる將門の幽靈ぞ彼の星に向へ幽馬に駆ゆくを見えたり。

(※ここに、図あり)

是を觀たるは一人ならず、將門の從臣に見ざるはなしと曰ふ。

寛政五年十月一日 秋田孝季

注言

明治廿年二月一日 飯詰住 和田末吉再書