石塔山之仙道

仙境に入峯して苔に坐し、寂然と明暗の無間に身心を生死諸苦を離れ、只一向に神佛の本願を修験して一切の迷悟に屬せず、阿耨多羅三藐三菩提・金剛不壊成果を正法と得道爲べきを以て無上の悟とすべく、謂ゆるの道理は心と心の修験に在りて他意のあるべからざるなり。

神佛崇拝の信仰ぞ誠はその心に依りて近遠せるが故に、常にして凡その道理に求道の本願を惑ふべからずと戒め置きぬ。餘多の法に心辨まえず、請誓の神佛を稱へ給ふこそよけれ。役小角の解き示したるが如く、一心は不乱にして稱名しべきなり。

萬天宇宙創造の神・荒覇吐神の祭文に以て曰さく。あらはばきいしかほのりがこかむい、全能の神通力を以て顛倒の衆生を導き病難災難に救ひ、降魔罪障を降伏し、福徳圓満をもたらし給と曰す求導への金剛不壊摩訶如来、その垂地なる金剛藏王權現に伏して願はくは、吾にあるべき三界の業報の因縁を断って、安心立命の境地に導き給へとこそ。叶ふれば己が心・己が身を倶に神佛の天命に安じ給ふなり。

寛政六年八月
秋田孝季

石塔山往古

抑々石塔山は丑寅日本東日流中山に存す、津保化族をして古来の聖地に定め、あらはばきかむいを祀りき聖山なり。中山とは南に梵珠山、北に十三湊・木無岳に連峯せるを曰ふ。石塔山は東に外ヶ濱、西に西海を望む處にして、深山までも大森林の繁る湧水秘薬にて、薬草の春夏秋冬に採れる秘處たり。

巨岩ありて神とぞ仰ぐ神石あり。古人は天なるいしか地なるほのり水なるがことして、神聖に仰ぎ永代なる神域とせり。依て一族の大王を定むるとき此の地に於て選ぶるは祖来の掟たり。

降りての世に安日彦王・長髄彦王、倭より落着し地民の長老に選ばれて大王と相成りぬ。爾来荒覇吐大王とて東西南北の離領に副王・郡主を補して能く治りたり。此の東日流とは大王が世々創めて君臨せし發祥の地なり。

寛政六年八月
秋田孝季華押

東日流民族之祖

丑寅日本國の民の遠祖は何處より渡り来たるかは、語部に曰はしむれば、阿蘇部族は遠きブルハン岳の地、ツボケ族はバイカル海より来たりと曰ふなり。この民は八系の民族を血に併せし民にして、ときには青眼白裸紅毛の児産る多しと曰ふも、世降りては民族一統の子孫と相成り、今になる丑寅日本の民族と固定せりと曰ふなり。

遠けき人祖の西北の地に、カルデア民のアラハバキ神とルガル神、シキタイ民のグリフィン神、ギリシヤ民のカオス神、他にゼウスや多神あり。トルコ民になるエホバ神、更に西北の民なるオーデン神などあり。モンゴル民にては支那なる西王母神、天竺民のヤクシー女神ありて、吾が國にては白山神とて祀る多し。

民族は八系なるに依りてその故地なる神を祀るは常なるも、丑寅日本國に一統の信仰にありきはアラハバキ神をして定まれりと曰ふ。この神は元は獅子と蛇なれど、丑寅の風土に染みて今に信仰遺りたり。

寛政六年八月
秋田孝季

石塔山こそ安倍の氏神

安倍一族、天喜の異星天空に顯れ消ゆありてより、永代榮ゆ日本將軍の滅亡、厨川柵を末路に前九年の役と曰ふ倭朝の賊として果たり。

然るに日本將軍安倍貞任厨川大夫なる二子・髙星丸をして、東日流に再興し安東一族とて覇をなしける。幾多の世襲にも君主の座を護り現代に至りぬ。

寛政六年八月
秋田孝季華押

石塔山墓地之事

石塔山に古きの墓地遺りけるは、安東一族のものなればなり。更に古きは、役小角が此の地に葬られしより、安倍日本將軍賴良、一族の靈處とて嘉吉年代に至る墓處たりぬ。

境内湲の水音、峯吹く風、みなゝがら荒覇吐神の聲と相と思ふらんは、安倍賴良が遺言に遺り給ふ處なり。

吾れは若し戦に骸となりしかば血肉を土葬に去らしめ、骨とならば東日流なる荒覇吐神の社なる湲水の瀬音絶えざる處に埋むべし。此の地にて、吾は魂を虚空に飛ばしむ魂靈と相成りて、一族の永代を護らんや。能く心得て吾が意を實に挙ぐこそ、一族永代の基崩ることなけん、

と貞任・宗任の掌を握りて賴み遺したりと曰ふ。石塔山に古骨を移墓せしは天喜五年に創り、爾来今上に至りぬ。

寛政六年八月
秋田孝季華押