石塔山大山祇神社秘傳 大の2

明治己巳年、末吉再書

戒言

此之書巻は門外不出、他見無用とせよ。

末吉

石塔山大山祇神社秘傳

奥陸五十三郡誌、
奥陸五十三郡風土記、
日之本王阿毎氏大抄、
東日流外三郡誌、
東日流内三郡誌、
東日流六郡大要、
石塔山荒覇吐神社秘傳、
安倍氏累代記、
東日流語部録、
東日流諸翁聞取帳、
山丹記、
紅毛人國一萬日行記、
渡島今昔記、
安東船海航大誌、
支那三大國巡脚記、
天竺渡海記、
坂東六十八氏録、
東西南北海図禄、
太宇宙天文大記、
世界図考、
安東大系譜、
松浦氏海陣記、
日下記、
京師往来記、
荒覇吐神社考、
語部草紙、
耶靡堆大記、
三輪大神古事禄、
白山神古事禄、
探鑛記、
産馬大帳、
山丹通辨録、
三十語解、

右、壹萬伍千巻、奉寄仕候也。

石塔山繪図

石塔山に神を祀れるは五千年前也。都母より移りきたれる民に依りて、成りませる神の名は、いしかほのりがこかむいなり。世々をして石塔を築きたるは、山丹傳来の古事なりて、天地水を神とし、神靈築塔に宿すとの一念なればなり。

神の祀りき築塔下に窟を拔きて代々國主の墳とせしも、山丹國なる傳道なり。此の図は、他見無用にして秘を保つべし。窟中に永眠せしは百七五柱なり。是れ閉じたるは秋田實季にして、安東宗主舜季を以て永代封印とせし者也。

代々をして和田氏に是を守護に置けるは、安東太郎宗季よりの主命なり。茲に、石塔山主系菩提を念じて、此の言如件。

石塔山繪図

明治己巳年 末吉

ギリシア神の異名

古代ギリシア神々をして異名あり。ギリシア語・ラテン語に依れる相異なり。
即ちギリシア語にてクロノス神をラテン語にてはサトウルヌスと稱し、ガイア神をテルヌ神、ゼウス神をユビテル神、ヘラ神をユノー神、アテナ神をミネルウア神、アルテミス神をディアナ神、アポロン神をポイプス神、セレネ神をポイベ神、ヘルメス神をメルクリウス神、アレス神をマルス神、ヘーバイトス神をウオルカヌス神、アプロディテ神をウエヌス神、エロス神をクピドリ神、ポセイドン神をネブロウヌス神、ヘスティア神をウエシタ神、デメティール神をケレス神、ディオニユソス神をバックス神、アスクレピオス神をアエスクラピウス神、モイライ神をパルカエ神、ハデス神をプルトー神、ペルセポネ神をプロセルビナ神、ヘラクレス神をヘルクレス神、等々に異なりぬ。

是如神々の實在無けれども古代ギリシアに於ては神話を以て宇宙星座に當つる多しと曰ふ。

寛政六年五月七日  秋田孝季

神懸之事

神に祈りて己が己れに非らざる物へ替ふるを、神懸り亦は靈懸りとて、古代より女人の祈濤師に依りて告ぐる多し。もとより神をして人に魂を入れて告ぐるは迷信なれども、古来より神を職とせし東日流にては靈媒のイタコ、祈濤師のゴミソ、占師なるオシラに依りて神懸り(※以下、判読不能)

寛政六年八月一日  秋田孝季

化身神諸釋

天に地に水に動化相加ふれば変化す。明ありては暗消え、暗にて明あるを覚る。地震いては動に怖れ、山に火を噴じては地なる生を覚るなり。寒ありて凍を知り、暖ありて溶を知る如く、水は湯気にて雲となり冷にて氷雪と変化す。

古人は是を神なる業とて、天を宇宙となして、日月星なる間を空とせり。地はその一星にして、水なるを衣とし陸なるを肌とせり。萬物の生々は、地なる衣と肌に宇宙の光熱を受けにして種源し、春夏秋冬の採を奉せしむ。

萬物は、互いに生命を生命に奉じ合て生々し、人間とてその一種にて、大元は種源一生物の分岐なりと曰ふ。神を化身にして像となし、是を信仰せしは人間のみにて成せるものなり。神は常に変化せども、大元は天・地・水の實體のみにして、是れに冷・熱ぞ起りて動化なし、生々亦起り相分岐の類に化身し、その生命相輪生せるを生死と曰ふ。是を神の成せるものとて信じ、神なるは天地水一切なるものとて信仰せしは、荒覇吐神の大元なりと曰ふ。

寛政六年八月十日  和田壹岐

人工の像に、靈力・神通力無し。凡そ神佛をして大像を造り、是を灯香・供物を捧げて拝むを、現世に盛んなれども、神佛の靈力・神通力ぞ顯る無し。諸行・諸法を以て何をか祈願せども、生老病死の輪廻を解脱はなり難し。人心にして如何なる論に盡しとも、有移必滅の不壊はなかるべし。

依て、荒覇吐神を天地一切とし、太古以来信仰に攺むなく、安心立命を天運に安じて無上の悟道とせり。その唱題も亦攺むなく、アラハバキイシカホノリガコカムイと念じて成道に達すと曰ふ、易き行道なり。朝夕の曙暁に念願し、一心不乱なれ。

寛政六年八月十日  秋田孝季

夢判断之事

人に生を爲し、幼少より夢を見ざるもの無し。抑々、夢とは魂魄の浮遊にして、肉眼にて觀じ難く、心眼にて見ゆものなり。依て身體と覚を倶にせるとき、夢ぞ至らず顯るる無し。

抑々、生を人體にして己が魂魄の宿りとせしに、眠りて夢を見ゆに吉凶の兆あり。能く心得べし。天に飛ぶる夢は大吉なれど、其處より堕ゆ夢ぞ大凶なり。頭髪白髪と夢むは長壽にて、金銭を得て夢むは破産なり。人を殺して夢むは憂あり。己が血に染まりて人に傷負ふは利を得る前兆なり。虎を夢むは萬事大吉にして、蛇を夢むは金運あり。白鳥亦鶴を夢むは良緣あり。鷲亦鷹を夢むは立身出世の兆なり。夜明くる夢は病を治し、歯の拔くるる夢ぞ忌事前兆なり。雨降ると見て悩事起り、雷に當ると夢むは難を免がるるなり。美形の妻亦夫を得ると夢むは多難に遇し、労々貧しき夢ぞ富貴の兆なり。戦に遇するは萬難に避け、悦しては諸苦に入る。神佛に遇ふる夢は事に叶い、神佛に願をなせる夢は事に叶はざるなり。

田畑を汗耕せる夢むは子孫に繁榮し、大邸に財なせる夢ぞ子孫に貧しきなり。大海を渉るる夢は望みに至り、地に道□きを歩むと見ては前途暗し。美食髙貴人と倶せる夢は人の迷惑に乘り、獨り膳に食すは出世あり。男女交るは別離あり。恋ふる夢は緣なく、婚じて夢むは獨身永し。大森中に迷ふは大吉にして、地底に入る夢亦大吉なり。老木を仰ぎ見るは己が前途開けて大吉なり。亦山岳に鳥□を拔出る夢は神なる加護に遇い、山頂に四方を望むは人の先導者とならむ。

洞に入りて出口閉がる夢は、人の穏謀を感知得る人とならぬ。水上を渉る夢は萬事安泰にして、溺る夢は病近きと覚るべし。死者と話せる夢は諸事に注意なし、墓地を觀せる夢は供養に忘るる告とせよ。子澤山に遇ふは福壽なり。花圍むと夢むは凶なり。棺に入る夢は延命を得るなり。天界に昇る夢むは智に優ぐる。魔障に追わる夢は災難に心得て、星を夢むは悦事あり。日輪を夢むは人に敬まるるなり。天曇ると見ては望み至らず、月光を夢むは身近きに葬事ありぬ。水汲むとみて火難あり。火事とみては道にて傷負ふ。屋根朽ちて天井に星を觀る夢は、大吉にて無上なり。

是の夢判断ぞ、オシラなる告なること如件。

寛政六年九月一日  秋田孝季

外濱史談

宇蘇利・東日流の半島を東西に上磯の湾是在候。東日流に寄たる濱を大波澗、宇蘇利の濱を樽濱と申候も、奴干恕布より宇濤を外濱、亦は安泻と稱し候。古来より糠部道・飽田道を飛龍道及び中山切通・飯積下切道に至れる交驛□油川にしるべ是在候。

中山に古けく荒覇吐神社石塔山に遺跡あり。空沼分水嶺の連峰にて、古代津保化族の神祀れるを耶靡堆安毎氏安日彦王を奉りて第一世の即位とせし荒覇吐王の君臨よりこの聖地を石塔山荒覇吐神社と稱し奉り候。

東山道五畿に通じ外濱に至れる道しるべ、衣川関より一里毎に標木を石塔山に至る間を建立致し候段、平泉鎭守府より金色塔をしるべとせしは荒覇吐王阿毎氏攺安倍氏の□巻に以て爲せしと傳遺候也。

寛政六年五月二日  壱岐守吉次

浮太刀天皇山之事

赤間関なる源平の合戦にて、安徳天皇入水仕るの史談御座候も、實に相違仕り候也。

御門は乱を國東に安座在□を大元神社に愢び候へば、安東一族をして是を守護仕り、東日流に御坐を移して御門を奉じ、京役領璤瑠澗浮太刀に天皇山御處を築きて奉じ給ふと曰ふは、實傳に御座候。

安政元年八月三日  江良清右衛門

清原氏羽後平氏を惑す

世に前九年の役とて傳ふる傳ありき。奥州之君安倍氏、代々に日下將軍と稱し、祖先阿毎氏の安日彦王より一系と□□。安倍氏と攺むは安國の代に□□、一族立華系より安倍天皇即位仕りてより攺むと曰ふなり。

奥州の羽後・奥陸をして金山の採鑛、山丹より傳ふれば大いに振興せりと曰ふなり。

世降りて、平氏六波羅の夢に盛んなるとき、坂東平氏を秋田に赴かしめ、安東一族の外藩交商を託し、安東船西海を韓・唐土・南藩・天竺までも通商せり。亦、海西の山丹黒龍大河を航して通商せるも益を得たり。平入道清盛が源家を降したるは、安東船よりの貢在りてこそ成れり。

此れより先にては平將門一族、安倍一族と睦みて勢をなし、羽□に清原氏・平氏を以て外藩益に家運を保てるも、前九年の役にては清原氏・平氏倶に、源氏の奸策に惑はされ、安倍氏に反忠し鎌倉八幡白旗宮奉寄の貢をなせども、後三年の役にて両者とも源氏に討れ、亦そのあとを継にし藤原氏も平泉の乱にて討れけむも、安倍氏への反忠に及ぶる業報なりと曰ふなり。

寛政五年十一月二日  黒川賴實

奥州探鑛之事

古代山丹より、砂鉄・岩鑛を採溶なし金銀銅鉄多採□練玉を造れる施工法ぞ傳はりぬ。亦、山丹永凍土下より掘りいでたる大象牙・犀角・鹿角、亦岩油石ら古人能く是を好みて用ふる多し。さび易けるも鉄なる練工にて、石刃銅刃の器を廢し、餅鉄玉刃鉄のただらを鑄溶せし法ぞ奥州□二千五百年の農耕を歴跡を遺せることよけれ。

宇曽利の砂鉄、飽田の金、閉伊諸山の採鑛は日之本國の優技の術なり。亦、東海をはるけく寒暖の潮に交流せし、東馬牛國の種馬を渡来せしむより、八幡駒・南部駒・三春駒の木戸牧をして萬騎の名馬を産せるも、古きこと三千年前なり。

錦石を玉造せるも然なりき。是の技を倭國にては三人を遣して習ふるも、軍を起し日之本國を侵しけるに依ること、引田之連田道將軍の奥州襲奪をせるより、都度に代々倭國とのいさかい絶むなく、康平五年□之將軍厨川に敗亡して、現□に到らしむそ遺恨なり。

奥州は産金工馬の故地にてその資、安倍一族にて末代に極秘とせる密事多きなり。

寛政五年十月一日  秋田孝季

役小角仙人、安倍氏に緣る事

耶靡堆之國主阿毎氏は、耶馬台の明日香郷蘇我の里に君臨す。初代を耶馬止日子と稱し、耶靡堆之國はまたの國號を耶馬台とも稱し、明日香郷は昔名を箸可とも號す。阿毎氏累代之王にて、安日彦王の代に築紫より佐奴と曰す敵將、此の國を犯し數年に續く戦に安日彦王敗れ、膽駒岳の富雄川郷白谷の里の弟・長髄日子を倶に故地を放棄し、日之本國東日流に落着す。

阿毎氏安日彦王、姓を安倍氏と攺め、日之本國を一統し、茲に荒覇吐王とて再興せり。一系に開化天皇とて、倭王に君臨し西國を併せたり。その皇子に日子座命ありて、役小角はその直系なりと曰ふ。依て、石塔山に入峰を赦されたり。

寛永六年八月一日記 奥羽飽田領主秋田實季説
秋田伊之介直胤

築紫松浦之安倍族

治暦三年、鳥海三郎安倍宗任その舎弟家任、伊予に配さる。亦、安倍入道良照を大宰府に配したり。

寛治二年、宗任筑紫に移りて肥前松浦・彼杵・壱岐の在庁官人と相成りて、叔父良照・舎弟家任を國東に知行なさしめ、一族祖先たる阿毎日之本將軍國東が開きける御許山大元神社を再興しける。大元神社主神荒覇吐神石神に語部古文字を以て由来を刻む。亦、宇佐神社に石神を建立せしめ、荒覇吐神の社を八幡神と倶に神鎭めて、茲に亦東日流語部文字にて由来を遺したり。

宗任は松浦に水軍を組して、唐・天竺・南蕃に往来す。宗任、永保元年七月一日寂し、筑紫大嶋に葬むらる。

正平十二年二月  松浦太夫賴基

カムイノミの事

古来より日之本國にては、神を祀るにカムイノミを焚く。土を練り荒覇吐神を造り、影干し、カムイノミにて焼入れ像固むなり。神とは眼に視ること能はざれば是を像とてなせるは安日山にて、カムイノミを焚ける跡に、下の如き焼土顯れしより創む。

焼土

此の像は人の造りたるものに非ず。イオマンテに獻ぐるカムイノミに依りて像型なせしものなり。イシカホノリガコカムイの像の原因は是の如くして創まれり。

寛政六年七月二日 渡島白老エカシ オショロコマイン

カムイヌササンの事

抑々神を祀るヌササンとは、神木のジャラをカムイとして設けらるなり。神なる招魂の聖地とて、神木を伐せず。若しこの神木、自然にて枯れ亦風仆せるあらば、次なる神木を求めコタンを移すと曰ふ。オテナとエカシらは、神木の見付くまで食せずとも傳うなり。

寛政五年七月一日 エカシ シャクシャイン

イナウの事

天なる神イシカ、大地なるホノリ、水の一切なるガコをカムイとし、日之本國の神は成れり。

イナウは神な靈力の通ふるものとて、古来より用いられたり。用ふる木質はガンビ木シナ木にて、石刃を以て割るなり。

イナウはイオマンテ耳ならず、コタンチセにも供ふ。また弓に、舟ユイ事に、ヤントラの墓標にもイナウは種々の型にて供ふ他、カムイに靈使とて遣はす熊狐の衣とも造れるなり。亦、イオマンテを司どるイカシまたオテナの頭冠も、イナウにて造らるなり。

渡嶋白老オテナ チュウブカルカエン

カムイ口説の事 現語釋

カムイのてくばりでムシケだワの體をアヤどアッパの親を以て世にでたども、ワの先の體は何であったべ。モッケだべが人のドンジヤさたがったシラミであったべがなんぼつめで動いでも貧しくビッキあヨゲで、それにガドどクニアラシどあくるし、アラハバキカムイに口説きモシてるで□コッタラ世の中早くトロケデこれどばシコタマ人にムシケせねでアレ□の魂ばガッパどモッケにしてけろ。

ワのカムイはイシカどホノリどガコのカムイの他にナも無いし、チセのヌササンにオロガムだげしぢや。

ホーイシヤホー、アラハバキイシカホノリガコカムイ、ホーフッタレチュイ。なんとがカマドケシねしねでけろ。セモナどヤメソとヤガラそれがらドスにしねでけへおたのもしし。

寛政五年七月一日  語惣兵衛

荒覇吐神祭文

あな尊し三輪大神、白山神。荒覇吐神の御加護にて、吾等崇むる徒に福徳を與へ給ふ事の由を、奏上し奉る。神よ常世におはしませど、吾が諸願に感應導行なさしめ給ふことを茲に請願し奉る。天地水に汚せるを祓へ、清淨の衣食住を欠す事勿れんと、神火に供物を捧げ參らせ、伏して御心に叶はむことを、仰ぎかしこみて祈念し奉る。

寛政五年七月一日  秋田孝季

神聖石塔山二萬年史

太古代に凍結せる蒼海を渡り、此の國に來たる民を阿蘇辺族と曰ふ。彼の民は山海の幸に子孫を増やし、日髙東日流日本國に渡りて定住の域を弘め、次に渡り來たる津保化族と東西に住み分けて、南に新天地を拓きたるは二萬年前と歴史に綴りたり。山海に地産、幸多ければ國をして主□なせること多く、日髙に五十六國、日髙見に六十八國あり、互にその境を爭ふ。世に强き残り、弱きは滅びたりと曰ふなり。

北に起れる天変地異の災に滅亡せるも多し。神なる信仰起りて渡り、その創めなる神とは天なるイシカ、地なるホノリ、水なるガコの神にて、民は自然なる災を鎭ま□□神を相とせるを造らず。石を積みて祭壇となせしは、ヌササンなり。亦、神の靈ぞ招きける聖處とて、ジャラ神木の繁るところを選びぬ。

神木、神印

是の如きは創めなる神事なり。

元禄十年九月十九日  藤井伊予

築塔之創

岩を神とし塔に築きける創□□、天然に不動なる巨石を積みて幾千代にその塔を遺すことは、子孫は天長地久に榮えありとて、古人は生々滅後までも安心立命を築塔に託したり。この神事は荒覇吐神なるより一万年以上前なる神なり(自語部録)。

寛政五年六月一日  秋田孝季

神招石笛之事

古人の神を招ずる儀にして、化石を用いて音をいだし、神祈りなる處に招きけるとは古の世の習へなり。また、草葉□茎を用ふもありける。これをコ□と曰ふ。亦、金音せる石を打たせけるもあり。弓絃を鳴らせるもありて、その樂や成れり。神事踊をなし、打掌にて音頭をとる女子にして神懸れるも女子なり。神の告を託すは生娘にして告げるも多し。是をギョギョと曰ふ。

元禄十年九月十九日  藤井伊予

神降し送神之儀

神を天地水に分けなしてその儀ぞ異なりぬ。天なるイシカを招きける行法はカムイノミを焚き、その昇煙炎に依りて判断とし、地なるホノリを招きけるは赤色・白色・緑色・黄色・青色の小石と鷲爪・熊爪を地にまきて判断とし、ガコを招きけるはフキ葉に木の實亦草實を包みて、泉または沼や湖水に投じその浮沈をして判断とせるありぬ。

文政五年八月一日  和田長三郎吉次

語印の事

神に用ふる語印ぞ四十八種にして、如何なる意趣にも相通ぜり。その語印に秘ありて通常に用ひる事なし。カムイ印は神にしてイシカはイシカホノリはホノリガコはガコなり。

神印は六流ありて、阿蘇辺流・津保化流・邪靡止流・物部流・九鬼流・荒覇吐流を以て□流せるも、砂灰書・石置・縄結は東日流耳に通用す。

元禄十年五月三日  藤井伊予

石神相定之事

凡そ古人の築きける石神は、積塔型・立石型・重型を以て石神とて神相を異にす。古き世の紅毛人國にも相似るありとも曰ふ。

荒覇吐神と修成せるより、支那・朝鮮・天竺・紅毛人國の神々をも入れて爲せるは、信仰に國境なく人の大祖・種源は同じなる故にて、その邪道を拔き善とせるを併せるは、支那なる饕餮とうてつの如し。荒覇吐神を女神に造れるは、紅毛人國に併せ、西王母・女媧の支那に併せ、朝鮮の八天女及び天竺の女神に併せたるものなり。

元禄十年九月十九日  藤井伊予

神祈作法之事

古代より神に祈り、その作法とて語部録に傳へ遺りぬ。即ち、天に仰ぎ・地に伏し・水に六根を清淨し・身心を無境になして、神なる稱名を念じ給ふ事の由は、アラハバキイシカホノリガコカムイと不乱にして祈らば諸障の降魔、諸惡の邪道、諸難を降伏せしむなり。

神を祈り、己が慾を願ふ勿れ。神に賴む願望を欲して、多願を祈る勿れ。總てに神の裁きと大慈悲に、無我心にて作法せるは、神に通ぜるの法なり。

寛政五年五月二日  和田壹岐

神禮に用ふる神器

拔之剣を帶びて、右手に仙杖をなして、神前に赴くべし。ヌササンに供へ置く可き神器は、鏡・勾玉・直劔・塩と水入器、カムイノミの□、祓のイナオ、神招の石笛等也。

神器一覧

右、神器之事如件。

寛政五年九月十九日 和田壹岐花押

紅毛國諸神録

紅毛國にては宇宙を図せるもの、地に測れる世界図を造れり。吾國にて図を造れしは、安東船に成れる北領海図なれども、その測すところ世界に先ぜり。

古代より夜にして北斗七星、白中にして日輪の運行を測して陸辺を海より測りて成せしは、州圍を型造り里數を陸歩にて測りぬ。河山髙地に測り角尺に測り、その曲に正測・曲測を當つ。

茲に六年を経にして測る河湖山海辺を記したるあり。縦書に記べむなり。先づは東日流吹浦より砂泻に航し、九州肥前松浦に寄りて一路揚州に寄りて中航修船を盡し、摩禮島海を□る。日々の風待六日八日をなし、一路天竺生露无島を亞羅比亞國紅海に至る。船を志伊治湾に入れ紅毛國に上陸なし、支那通釋人・李竹林に人積載荷船と賣却せしに黄金予に益したり。依て□山丹を巡りて歸途を謀り、紅毛人諸國を二年に渡りて、紅毛國を巡禮仕り、陸路をたどりて歸らむも、その船人ら黒海にて行方知れずと相成れり。然れど、紅毛國巡脚せる一切の手記は久壽三年、李竹林は屆けたり。

安東船、遠航果したるは今にしてこの航を越ゆる船、未だになしと曰ふ。船號、山丹丸と曰し、船主にありき安東三郎秀任と称す。

安政二年七月一日  越野兵右衛門

山丹丸

古代紅毛人之神々像

(※ここに三體の神の図あり)

紅毛人國の神像、石像多くして神殿内外に像の彫ありて廢墟に散ぜり。往古にして人の崇拝を以て造りきも、石像なれば土に型を崩さず遺れり。神殿、亦然なり。

吾國より山丹船にて彼の國に至れるも歸郷ならず、行方知れざるも唐人に依りて屆かるるこの三像、如何なる神像なるや知ること能はず。石塔山なる秘神とて納まりぬ。

寛政五年八月五日  秋田孝季

山丹丸船主從、皆歸郷

安東秀任をして卅八人、オリンポス山を登拝し黒海を渉り加差布國アルタイ山峰を越え、蒙古に入る。ケルレン川を山丹人渡来道、黒龍江を一路降りて流鬼國に至りぬ。東日流に至りて六年の歳月を經たりき。石塔山に二年前に来たりし紅國神像に拝し、山丹國の廣きを知りたりと曰ふ。

往きは海を唐天竺を經て紅毛人國に至り、その歸途を山丹往来にあるべき河を降り来たる者、世に無けれ。依て、紅毛國なる諸神を西天神とて祀りぬ。往世に是を船神とて、是を船首彫付も紅毛國の習と曰ふなり。

山丹丸の船乘、下記の如し。
船主は安東秀任・小杉祐作・中□忠利・□与三郎・爪田泰介・天藤又吉・由利左□・津田□三□・河田仁太郎・小坂次郎・向四□・髙階作之進・小島忠賴・本田通賴・今□佐市・生田甚吾・伊東久八・中本早苗・長□賴廣・竹内仁景・仁科義宗・加賀兵□・今賢持髙・髙田宇吉・太田次郎・津村□造・白河謙五・飯田衡次等なり。

寛政五年八月一日  秋田孝季

神像
山丹傳書第六巻写

寛政五年八月十七日  秋田孝季

勅號神変大菩薩

役小角優婆塞

役小角

佛陀正傳
諸行無常 是生滅法
生滅滅已 寂滅爲樂
東日流石塔山大寶辛丑十二月十一日入寂

石垣勅願寺別當金光坊圓證阿闍梨

淨土宗 行丘陵 金光上人

建保五年三月廿五日入寂

金光上人

末法念佛獨明抄 大要
衆生救済平等攝取不捨

建保二年石塔山入峯

弘智法印 出羽羽黒山行者

弘智法印

十三往來遺阿吽寺、来常石塔山

正平十年、淨法寺入寂

自耶靡堆、落東日流大里、安日彦王

安日彦

荒覇吐一世、於石塔山王位挙即位

富雄長髄彦王

長髄彦

東日流葦野、拓田畑耕稻作傳導者、支那晋群公子一族、東日流落漂着。併地民混、耶靡堆阿毎氏建王國號日本國、代々稱荒覇吐五王。

東日流稲架郷稔瑞穂。茲建大根子宮社山、飽田閉伊移王舎、復故地耶靡堆國。根子彦日本天皇即位、挙三輪山。阿毎氏根子彦王是、孝元天皇稱後世。

孝元天皇 稻子王

孝元天皇

右、奥陸五十六郡史之記巻也。

寛政五年十月   秋田孝季
和田長三郎吉次