天明之三春藩大火にて、城棟・城下・寺社ともに炎灰と焼失す。時に、城倉文庫に藏せし秋田家祖先にかかわるる一切の文献ことごとく焼失せるを、藩主秋田倩季は、秋田に湊検番とて土崎日和山居住せし秋田孝季を召し、秋家累代の史證収集之爲、諸に縁る一族を探訪せる藩史構成の巡脚を命じたり。

依て孝季、津輕飯積に住せる娘りくの亭主和田長三郎に同行を求め、同氏の友なる白井氏をも加へ、道中人足とて石田邑の佐七を荷役とし、同中記録を長三郎妻りくを同行、巡脚の旅にいでたり。

道中安泰を願ひて山王に拝し奉納せし繪馬は右画にして、北に渡島・千島・神威津耶塚・流鬼の國より羽州・奥州・坂東・越・大和・山陰・山陽・南海道・築紫・薩陽を渡ること卅年に經す。

加之道中の初めにして白井氏耳は、津輕藩の法度にかかりて同行を断念せるも、後に秋田に脱藩し菅江眞済と姓氏を攺め諸史を屆く。依て一同の旅程無事収集に納めたり。

然にや成書三春藩に至らず、孝季が住居何者かに灾られて起りし土崎日和山の住家ともに焼失せるぞ惜けれ。依て今に遺りしは控書耳にして、和田長三郎吉次が秘藏せし史書耳ぞ遺れり。土崎火災より孝季飯積に来たりて終世す。申訳なきは、白井氏の綴りたる百七十巻みちのく検證の焼失なり。是の控無きは、無念至極なり。

文政五年十月
吉次