創世之事

大宇宙、未だ成らざる暗界に、ギリシヤ神話に依りければ、カオス神、此の無質暗満に一点の光熱原を起發しければ、その大爆烈より物質生じ、光りより時ぞ生れ、宇宙に星座、億兆の生誕を成らしめたりと曰ふ。依て、ギリシア神話にては、星座みなながら神聖に存せり。然し乍ら、かくある神話の基たるは、古代シュメール国なるギルガメシュ王なる叙事詩、アラ・ハバキ神になる宇宙の黄道・赤道の交はる十二星座神話より加説しけるものなりと、バクダットの古老は曰くなり。

抑々、宇宙の創りを、シュメール神話に尋ぬれば、宇宙誕生の中心にあるは獅子座の彼方にて、無の時空より生れたるルガルと曰ふ神あり。無質暗界に大起火を以て光熱に大爆裂せるより、宇宙は成れりと曰ふなり。是ぞ古代シュメール国なる土版楔型文字に遺れる神話にて、オリエントの諸神話、アブラハム、エホバ傳説を基とせる旧約聖書、亦、天竺なる創世説、ギリシヤなる神話、エジプトなる諸神話の基たり。ルガル神より生れたるアラ・ハバキ神話に依れる宇宙神と宇宙の創りを説きたるは、シュメイルなるカルデア民族にして、その民族より生じたるジグラット神殿、亦、古代都ギルガメシュ王国の創りなしたるより生じたり。

吾が日本国になる一統信仰神アラハバキ神とて、シュメイル王朝の滅亡に遁民せしカルデア民にて、シキタイ・モンゴルを経て黒龍江を道として、はるかに渡来せしものなり。依て山靼民の諸族は、カルデア民族の租累にして智能たり。

東日流古代抄

古き国稱はチパン、ツカロ、ツカリ、ツガルの號に順稱され、人の住みける創ぞ、三十萬年の古世に即住せり。その古人をアソベ、次なるをツボケとぞ傳稱仕る。玄武に流鬼国・日高国・日高見国・坂東国、是を併せて日本国と曰ふ。もとより倭国とは異なりて、風俗亦和に睦ぶる民族にして、渡来の故国ぞ山靼なり。此の国に大河あり。満達の住民、是を黒龍江と稱しぬ。聖湖あり、バイカルと地民稱しぬ。ブリヤアト族の神にしてブルハンと崇むなり。アルタイより傳はりき神にして、その基なるはシュメイル国に創りし、アラ・ハバキ神になれる天地水なる三神なる、水神に當れる天然崇拝の一神なり。

古代シュメイル国に神信仰創むるは、ギルガメシュ王にして、その神典一切の記しきは、土版に刻文字にて今に遺りぬ。神々なる古聖跡ぞ、ジグラットと稱せる歴史の古けき丘ありて、榮枯の跡ぞ、ツグリス・ユウフラテス両河の辺に遺りぬ。卽ち、吾が国に傳はりしアラハバキ神ぞ、古代シュメイル人国亡びてよりアルタイに遁じ、更に蒙古に渡り、黒龍江を降るまま流鬼国にたどりて、吾が国に傳りぬ。依て吾が国にては、天なる神イシカ・地なる神ホノリ・水なる神ガコを併せし神とて、是をアラハバキ神と崇拝し国神とせり。古来、山靼より紅毛人の来住あり。吾が国人とて、是を嫌ふべくに非らず、和を睦みたり。依て、日本国に金銀銅鉄、鑛採の創りを先とせり。以て、アラハバキ神ぞ一統の信仰を得たり。

慶應丙寅二年三月日
小田桐藤吉花押

山靼人之日本採鑛

凡そ黄金鑛を採鑛せる秘法を易説せば、平地掘をミヨシ掘と曰ふ。亦、横掘を狸掘と稱し、地底に掘るを熊掘と曰ふ也。抑々、金を採鑛易きは、河に砂金を得るは人労易き法也。日高見国・日高国には、古事より金を以て山靼に通商よろしく、都度なる暮の益を得たり。日高見国、安日山を中央にして世祢志呂川・安日川・日高見川、山澤にその鑛多くして富めり。古来、金鑛あるべく山澤の見付たるは山靼人にして、是を鬼と稱しぬ。依て鬼神を祀るる社、日高見に多し。その祭文に曰く。

〽浂こそ見付くる黄金山、掘つる金鑛、石臼碎き、鑄かせる黄金牛荷にて、千両萬両の牛追果し、西も東も、やのさんさえ、今朝もはよから、ただら焚き、夕べに炉出しの金光り、からめやからめ白金黄金、妹背の稼ぎ、長者への芽吹き、かちむしだんぶりは今に金色染むるあかね空、雲も黄金となりぬらん。唱へ奉るや、あらはばきかむいも、躍る夜なこめて、玉八重垣も一夜に破れ、金藏いやさか福々し。

文久壬戌年正月元旦
飽田鹿角和田邑住 由利善造花押

陸州・羽州、安倍金山控

寛延己巳年八月二日
飽田火内住人 浅利由太郎花押

安倍産馬抄

古来より陸州・羽州の馬種は異りぬ。羽州にては山靼馬にて、陸州は奴利化无馬なり。馬産の秀なるは陸州にて、名馬代々に不盡なり。羽州にては山靼馬にて、背丈ぞ底にして、飼易き故以て諸国に飼はれたり。

倭人の好むるは陸州駒にて、代々に牧戸を設し、八幡駒・糠部駒・閉伊駒・三春駒、等しく求めたり。馬産に以て祖産の地は陸羽にして、六十餘州に相渡れり。

享和壬戌年十二月一日
糠部之住人 米内山土佐花押

日本国太古城柵之事

日本王第一世の安日彦王、その副王長髄彦王を以て、日本玄武の地より王孫、西に高倉の御坐を移し給へり。山靼ママより稲作傳りて、その適産の地を求めたる移なり。王系代々をして荒覇吐王を號し、中央高倉、東西南北の分倉を連併し、荒覇吐五王とて国を政りたり。

太古より代々に千代一系にして、その稱名ぞ日本將軍、亦安東將軍、亦日高見王とぞ民稱さるも、基なるは耶靡堆王・阿毎氏を祖とせり。世々さながら榮枯ありて、故地を侵され放棄せるまま、臣民を卆して日本国へと遁北し、東日流にて王土を復したり。折しも、東日流にて晋の敗北民・群公子一族と世謀の政事を習へ、亦、稲作を以て生を計りて安じ、亦、山靼流通を以て益したり。

阿毎氏より安倍氏とぞ姓を攺め、紅毛国山靼の識を学び、丑寅日本国の王土を擴む。五王の他、興国の爲以て、縣主・郡主及び邑長に至れる治政に全ふしける道造り・人造りにぞ代々に一統なし、ゆるぎなく人心に神聖の理りを荒覇吐神なる西山靼の傳導に以て、信仰を唯一とし、地神と併せ、是を天地水の三神即一神と結び、全能の神とて信仰を深く一統せり。依て、民族をして相和を以て交りぬ。依て、今にあらはばき神の遺れる故縁にして、古き世の歴史を愢ぶべきなり。

寛政甲寅年九月十九日
羽州土崎之住 秋田孝季花押

丑寅日本大鑑

此の国に古事を尋ぬれば、人跡三十萬年に及び候。世に人の誕生以来、大地の陸海に隔つる八方に渡りて子孫を遺したるは、萬物生々の先を爲せるは、人類の他に非らざるなり。人脳に知識の候は、未知に求むる実践に候事の由に他候はず、新天地に望むる心身の究る信念に抜乘せる安住生々を求むる故に候。

人類生々異にして爭ふるは、獸に等しく、亦知識に離る暴徒にして、一族滅亡への候、他魂の持たざる輩に候。和を以て交り候事の由は、人族相久しく榮ふる故縁にして、爭を脱し、新天地に求むる民族の程に候は、子孫保持に以て利に叶候。古代より丑寅日本の民ぞ、無上の生々に候事の一義に候は、人命尊重に候ぞと生々に荒覇吐神なる信仰を以て策とし、その理りを度し候。生々は安からず、心に萬事叶難く候。依て、古世より山靼に知覚を求道し給へき流通の候は、暮しなる安乘の故なり。異土紅毛人に嫌はず、知識に習得の候は、吾が丑寅日本国の古習に御座候也。

安永乙未年正月三日
和田壱岐花押

安倍氏史抄

古代倭国に於て国主と相成るべくの條は、和珥氏・物部氏・春日氏・葛城氏・蘇我氏・天皇氏・巨勢氏・平群氏・紀氏等なる世襲・力量に依りて皇位ぞ定む事多し。互に虎視眈々と時勢に便乘し、權謀術數常に優を爭ふ。丑寅日本にては、王位に爭ふはなかりき。受継王位の定まりぞ、總て陸羽・渡島の長老に議決ありて定まれり。例へば先王の長皇子とて、国治一統の智覚非らざるは、次子亦は五王の中より選ばるるなり。然るに身に弱ければ、長老談議してぞ退位に立君を推挙せり。国政さながらにして、五王の一致に定まるる他、執可能ならざるなり。

安倍日本將軍執勢代々をして、五王政廢してより土族相反せる故に、安倍貞任をして滅びぬ。古来より丑寅に進駐せし倭人多くして、地の民を倭風に俗しめり。佛道及び八百萬神の社を民心に流布しけるも策にして、機至りては征夷とて討伐を號令せり。古きにては、上毛野田道、挙兵せども誅滅さる。後、朝臣引田氏・阿部氏・安曇氏より海師・安曇氏選ばれて丑寅討伐にいでむきたるも三度びも敗れ、以て坂上田村麻呂丑寅に入るるも、倭史に傳ふが如き史談に非らず、知謀をして征夷の功とせり。卽ち兵挙に非らず、信仰の弘布、衣食住なる便利を以て、諸職人を從卆せる丑寅への侵駐たり。田村麻呂自からも、荒覇吐神を祀りて多賀に居住し、奥州各處にその居住を移して柵を造りぬ。

延享丙寅年六月廿日
飽田火内の住人 河田常重花押

外藩古事録に當りて

朋友高山彦九郎、林子平殿と塩釜にて會食す。彦九郎こと、祖は上野国新田の土豪なり。祖父・高山正教、尊皇にして幕府の彈罰にて隱密筒井家の刺客に暗殺さる。依て彦九郎、叔父なる剣持長藏のもとに食客せり。兄なる專藏は是を心よしとせず、彦九郎を反幕の徒とて訴ければ、彦九郎投獄さるも、剣持長藏の願ひにて出獄せり。彦九郎、常にして刺客に狙はるが故に妻子を捨て浪人せり。寛政元年、江戸に前野良澤に食客し、郷里の妻子と三下り半を以て離縁のやむなきは、彦九郎脱藩の科ぞ妻子に及ぶるが故たり。寛政二年、水戸に藤田幽谷を訪れ、心良く迎へられたるも、米澤に赴きて藩校興讓舘にて世襲の論議を説きける彦九郎、是れにも留らず米澤を出で、秋田・津軽に菅江眞澄及び秋田孝季・和田長三郎に會はんとて、史集に出先の外浜宇鉄に尋ね来たり。渡島に渡らむとせども、津軽藩の見張りきびしく果せず、依って野辺地より辺地の飢饉に荒茫たる地を通觀し、仙臺に入りて林子平に留客せり。旅同にして拙者も林家に逗留せる間、林子平・海国兵談の著稿を拝見にあずかりて感無量たり。

海国兵談に記逑あるは、既に版木に半巻以上刻了しけるも、寛政三年、津軽の安東水軍、伊達藩遣欧サン・ファン・パプチスタ號なる安東水軍参照造船法ら、記載よろしからずとて、江戸に呼びいだされし評定審議の結果に於ける審判に相成りたるは、板木・既稿、皆没収焼却され、身柄をも蟄居と相成りぬ。林子平の歌に心情曰く。

〽親も無く 妻無く子無く 板木無し
  金も無けれど 死にたくも無し

彦九郎もまた京師にて伏原宣条・岩倉具選らと接し、世襲の政事を攺めんと欲し、久留米に旅立って、熊本より薩州に至りけるも、奥州にて立志を同じうせる林子平・秋田孝季・菅江眞澄・和田長三郎との密約も、彦九郎は森嘉膳宅に訪れて世情を知りける。卽ち世襲攺政の志ぞ挫折し、今は諸国遊説も断罪の憂目に追はれる身と相成れる彦九郎、寛政五年六月二七日、自刃して果り。

津軽にても亦、菅江眞澄、記録一切を奪はれ、その審選に半數以上に綴らる丑寅日記を焼却され追藩と相成り、秋田藩に遁行、地の風俗誌になる他、世襲への書筆を断てり。

〽物部の 語る翁や いみづくも
  秋田の風は 吾れに淋しき

菅江眞澄も亦逝きたり。時に文政己丑年七月なりと曰ふらむ。彼の故地は三河にて、白江邑に生る。幼名を廣一と稱し、詩文及び本草学を求めて丑寅に旅立ちぬ。ターヘル・アナトミア、和蘭陀醫学に用ふ手術麻酔に用ふ麻薬草を津軽宇鉄に栽培を密として、藩録にあずかるまま、丑寅日本国の覇王・安倍一族及びその上なる荒覇吐神を尋ねて、渡島に渡りてその古事を綴りたるも、津軽藩によろしからず、津軽藩追放とて史実の筆触れるまゝにかくありけるを、知人ぞ少なき。

秋田孝季亦、三春藩主の藩令に諸国を巡りて綴りたる史書修正中にして、土崎日和山の宅に灾られ、ことごとく焼滅せり。依て、今に遺りける安倍・安東・秋田氏にまつはるる控へ耳、茲に保たれり。天保辛卯年十一月廿日、拙事乍ら、老令盡きなん身は、無常の風前の灯なり。

辛卯年十一月廿日  孝季翁

長三郎日記

歳の移り逝く速やかなる事、八十年の昔も過ぎぬれば昨日の如し。孝季翁に從へて卅十餘年の歳月を渡りて、諸国の候に旅歩くまま、その史傳完遂を得られず、吾も亦、老令盡せり。生々流轉・會者定離、娑婆に在りて安からず。貧に堕入りて、吾も亦、逝く日も近からん。末期に望むる願ひは、唯一向にして是を修成あらむをば、末代にぞ賴み置く他、非らざるなり。

今にして安倍・安東・秋田氏にまつはる丑寅日本の史は、世襲にはばかりて、世浴に達し難く、茲に、翁に追從し一筆、添へ奉り給ふ也。

天保二年十一月廿日  長三郎

孝季入滅之事

天保二年十二月三日、長時咳に苦しみ、丑の刻に逝けり。遺言ありて、石塔山に埋む。佛事法要一切辞し、戒名亦辞したり。唯、荒覇吐神の唱題耳にて葬むれり。

天保三年二月七日
長三郎吉次

山靼記行之事

古代に荒覇吐神、世に起れる聖地を遠く究むるも、人生に得難き大事たる機会なり。老中田沼様の御召しに依りて萬機を得たるは、安永庚子年にして、三春藩を通じて赦し在りぬ。道を北西に黒龍江にとり、蒙古・天山を北路に進み、トルコなるアララト山を経て、ギリシア・オリュンポス山に至り、海路ナイルに至りて、エジプトなる巨石築殿に仰ぎ、エスライルよりシュメイルの聖地ヅグラットに至る。チグリス・ユウフラテスに至りて、吾等が本懐なるアラハバキ神に拝すを叶ふ。シュメイル太古六千年前に創まれる、ギルガメシュ王の聖地にルガル神を祀り、アラ・ハバキ神を祀りたる神殿ぞ、風砂深く埋りて、地民是をジグラットぞ稱しける丘こそ、その遺跡なりと曰ふ。各国に拝授せし貢物ぞ十二駄に及び、アラビア商隊に、蒙古に驛傳送達を賴みたるは、凡そ百四十種なり。

吾が紅毛国・山靼の旅になれるは十八人にて、何れも健全たり。旅の往復に六百二十六日を費し、その役目了り、東日流に歸りたるは天明壬寅年正月六日なり。バイカル湖にブルハン神、天山に西王母神、オリンポス山に十二神、ナイルにアメン・ラア神、そして念願なるシュメイルのルガル神、アラ・ハバキ神を遺物に戴きて、吾が聖地東日流石塔山に祀るを叶へたり。念じては通ぜるを、心身を以て我は得たり。

古になる發祥の神々とて、今は一人の信仰もなく、オリエントの諸国にてはキリスト教・ムハメット教の二系に信仰にあり、今上に流轉す。太古にてカルデア民族にて、宇宙の黄道・赤道に十二星座を運行に見て創り、ギリシアにては更にプトレマイオスのアルマデストに画くは宇宙に四十八星座を結びぬ。抑々、古代シュメイルに創まれるギルガメシュ王の叙事詩、北斗の小熊座・大熊座に觀測せる春夏秋冬に廻る卍卐の輪廻ぞ、紅毛人諸国及び天竺までも、神聖なるをこの印に表したり。荒覇吐神ぞ、諸国に今に以て崇拝を遺すこと多けるも、神なる古傳に知るべく人も今はなかりける也。

太古、阿毎氏に崇拝さる荒覇吐神、その拝禮は三禮四拍一禮になるは、天なる神・地なる神・水なる神・東西南北になる神、そして明暗を以て萬物を育む日輪を崇拝せる理りを旨とせるが故なり。祈りにては、唯一向にしてアラハバキ・イシカ・ホノリ・ガコカムイとぞ、天に仰ぎ地に伏して崇拝を大要とせる他、何事の解き難きは非らざるなり。天道・地道・水道に人は末代に交りて、和睦を旨とせば、神の悦びなるも自益自尊にして、人を憂はしむれば必ず以てその報復を神に誅さるを心に思い取るべし。非理法權天とは神を冒瀆する勿れと戒むる戒言なりと曰ふなり。

寛政丙辰年十月一日
秋田孝季

天地水三道之要譯

丑寅日本国の古代国神の由来を尋ぬれば、天地水三神を以て無上神とせり。宇宙の創より成りませるイシカの神、次に地の神ホノリ、次には水の一切なるガコの神を以て、宇宙と大地と萬有の水を創りなさしめたるを外教・外学・外法、三要の譯と曰ふは、古代天竺に佛教の以前に於て、外道とて遺れり。外道とは諸教学にして、その導師として知らるは、一には數論・勝論・尼揵子・菩提子あり。蓋し、其類甚だ多く總じて九十六行の要法あり。

その中に外道四執あり。四計・四見・四宗・四種と曰ふなり。
その一、四計を執するものは、一切萬法は因果にして火と熱との如く、因離れて果なく、果を離れて因なし、差別不可得なりと曰ふ。
二、四見を執するものは、一切萬法は因は因、果は果にて異ると主張せり。
三、四宗を執するものは、一切法の因果は因なれば果なく、因あれば果あり。恰も、燈なければ明なく、燈ありて明あり。燈と明とは同處を占めざる故に、因は因にして、果は果なりと曰ふ。
四、四種を執するものは、一切法の因は因にして、果なければ、因と果は何れも生ぜずと曰ふ。

依て、是は非理として宇宙の創めは、因なる針先の如き大暗黒、一切無質の無限の一点に光熱起り、その瞬時に果起りて擴大し、その光熱に遺りける物質塵は阿僧祇の時差を経て、集縮して成れるは宇宙萬天の星にして、日月地はその一星の類なりと攺めたり。この因果の神とせるは、三目八臂の白牛に乘りて白拂をとり、大威力を以てその神通力全能とせる神を感得せり。外道にては、此の神を世界なる本體とし、また宇宙創造の神とせり。此の神が悦びては衆生安樂となり、嗔れば衆生苦しみ萬象が滅すれば、皆此の神にぞ歸すると曰ふなり。天竺語にして羅摩耶那とは宇宙の崩壊を曰ふ。これを掌握せる神は大自在天神、梵語にしては摩醯首羅または摩醯伐羅とも曰ふなり。また天竺古代移民なるアーリヤン族はこれをシブア神とて祀る多し。

かく信仰の渡り来たる故地は古代シュメールの地にして、その住民カルデア民の信仰神アラハバキ神なるを知るべきなり。此の国を波斯国と稱し、古代民の偉人多く、家住にして都を造り、神を想定し、文字を以て人との契約に固き王国の創めに、世にぞ文明開化を起せし大王国なり。

コプト、ペルシア、エスライル、トルコ、ギリシア、シキタイ、天竺、支那、モンゴル、山靼と渡り、吾が丑寅日本国に是くの如き神を以て、信仰を固定せしむ民たり。依て、アラハバキ神とは外道よりはるかに太古に在りて、古代オリエント諸国の神を世に、救世の爲に遣せし元祖たるを知るべし。

寛政六年十一月二日  秋田孝季
書写 長三郎 右原漢文なり

諸世界遊巡日記抄

山靼より黒龍江を登舟してモンゴルに赴り、神の湖たるバイカルの大湖にブルハンの神に祈りき。湖岸に住むる民、モンゴル民にして多けれど、天山の西方より此の地に移住せる紅毛国人も數多し。大草原の地平は擴大にして、人は羊・馬を放つて生々す。居住常に草地に求めて移り、住家組立になる木細工組に獸皮の天幕を張り付けて住家とし、古来より農耕せざる民なり。遠路に渡る商隊あり、地産物を賣買す。依て、諸国の言語あり。衣食住の要品を商ふ。信仰各々自在にして、紅毛人国なるオリエント諸国の神信仰ありき。吾が国にては禁制なるキリスト教・回教・摩尼教・景教らその信仰たるや自在たり。大擴野に点在せる住家パオまたはゲルと稱せる移住の住居、四季毎に草を求むる民族の種の多く、今上に変ることなかりき。

モンゴルにこぞりて崇むはブルハンと曰ふ神にして、種族に依りてはラマ教、最も多きなり。小數なりとも、民族傳統を重じ、太古よりの西王母・東王父神、またはトウテツ神・九頭龍・女媧・伏羲神あり。更にして紅毛人系にしてギリシア神他、コプト神、スキタイ神、トルコ神やペルシア神、シュメール神をも各々崇拝せる習あり。吾が族は、その神々の故地への旅に巡禮の旅なれば、砂丘を越え山嶮を越え、天山を紅毛人国・波斯に至りぬ。

寛政二年六月一日  秋田孝季
右は原漢文なり。和田長三郎、書写

紅毛人国、砂砕之遺跡

萬里の長城とて砂漠に果つれば、ひとまたぎの土壌に遺るのみなり。コプトの金字塔とて、古代に造営せし巨大なる遺跡とて砂に埋り、古き代の神々、今はその遺跡、掘盗人に荒さるまゝただ大石片の壊場にして、盗掘未だやまざるは、住人の移り、古なる信仰の滅したる故なり。古代シュメールの遺跡また然りなり。石の神殿、古代ギリシヤなる廢處の跡や、神々の五體散々に石片となり、その信仰も今に遺るなし。幾千年の古事来暦、今は知るべき人なき。人は他民族の居住にして空し。吾が旅は、故国を出でてより七百八十日に過却し、天竺・支那を経て歸郷に赴く途中なり。巡禮の各處、収集の遺物、大荷と相成り、船旅を以て企つなり。

明暮れ、海濤の旅をして支那揚州に罷りきより、若狹丸にていよいよ吾が羽州土崎湊に着きにけるは、田沼殿老中失脚にて、積品皆々国禁なる故にて、詮なき隱れ歸郷となるゝは悲しきなり。此の幕政、如何程の治政を保つや、海の外なる国の文明開化に幾百歳のおくれあり。今はたゞ憂ふ耳にして、秋風ぞ寒し。

天明丁未年記  秋田孝季

石塔山法場抄

丑寅日本国、陸奥東日流中山なる石塔山は、太古にして信仰の聖地たり。住人此の山を八方にして住居し邑を築き、代々その崇拝に奉り、上は荒覇吐神より、修験の道場とて役行者が本地垂地を感得せし處にして、本師の陵を在し、亦安倍・安東・秋田一族の諸陵を遺せる處なり。なかんづく修験の役小角仙人の遺せし石塔山東宮・西宮の辺に遺る法場に遺跡の多くは、今に以て和田一族を以て護山し、信仰の故縁ありきも、藩政の權や世々に此の山を侵しける難事ありきも、地民の護山に今尚遺りけるは幸なり。

寛政五年四月二日
石塔山荒覇吐神社別當
和田壱岐

山靼記抄

流鬼国を黒龍河口にぞ航して至る明国の、更に河登りて至るは山靼の国なり。部族十方にて住居せるも、そのゲルの点在を隔つる国なり。山の森林、果なき擴野、たゞ擴きに阿然たり。人は岩のそゝる山に居をなさず、草原・流河の辺にゲルを設くも、四季に轉じて移り、定かに住着なかりき。

人相を相くらぶるに、モンゴル系民は吾が丑寅日本の民と同じゆうして、慰歌の曲また同節に似たり。モンゴル民・諸族にクリルタイあり。ナーダムありて郡衆集ふなり。種族の長、このときに於て諸事盟約して爭を造らず、反く者を誅すと曰ふなり。諸族こぞりて商隊の往来をさまたぐなく、若しこれを犯したるものは、一族皆滅さるゝの掟ぞ固し。神なる湖、バイカル諸族はこぞりて崇拝せる巡禮の地なり。ブルハン神の常在せる神湖にして、□は神の化身とも曰ふなり。

寛政五年六月一日
和田長三郎

〽ぶるはんの 神とぞおはす ばいかるの
  水面に泳ぐ □の波立

〽故郷を 遠く隔つる 異土の旅
  擴きに夕日も 尚くれなひに

荒覇吐神之渡来

太古にしてシュメールのカルデア民が宇宙の運行を望視し、赤道と倶に黄道あり、是の日輪にかゝれる十二星座をアラ父神・ハバキ母神とて、世に創めて神たるの信仰を遺して以来、諸国に信仰相渡りたり。

初大王グデア王の文字に依りて遺れる神の聖典こそ、今なる聖書の基にして、神々の民心に起れる創たりと曰ふなり。コプトの神話、トルコの神話、エスライルの神話他、古代オリエントの神話の起りぞ、今に傳ふる聖書の總てなり。人はこれを説ける者を聖とせるも、信仰を以て人心を惑すあり。權にあるものは、自からを神とて衆心に説くは、まさに神への冐瀆たりと曰ふ行爲なり。かくあるものは久遠に神の救済なき邪教とぞ覚つべし。神とは大自然にして、人をして造れる如何なる論譯に及ぶなし。神とは天地水の總てにして、人の造作になれる造像神に何事の靈顯なかりきと知るべし。

寛政六年五月一日  秋田孝季