東北陸羽史談三

丑寅之古事来暦

凡そ人は世に誕生しけるは百萬年前にして、猿族より類を異にせり。野鼠の如き小動の獸物より猿の如く成長し、人と成長せる過程に於ては、數百萬年の自然對應の進化を要せりと紅毛人エドワード博士の言極なり。人は誕生永住せる地環の風土・条境に依りて、前後進の脳髄、肌色の異なるに類す。地上世界に分布せる人の肌色に分けては白・黒・黄に類人ありぬ。

人の智識に於ては、古代にして分布の多きは黄色人にして世界未踏なる国ぞ無かりき。衣は鳥の羽・獸物の毛皮を装い、その渉りゆく新天地に求住せる脚跡にては、オロシアに毛犀・毛象・大鹿・野牛・野馬を狩りたる極寒の地にさえ、仮住の窟壁にその時代なる画跡を遺し、亦石になる多様の器具を遺しけるなり。

古代人の分布になる移動に於ける理由にては、故地安住ならざる天変地異の故、亦は狩猟に獲物の移轉、亦は人との爭いに勝敗し敗れし者の遁走らは海をも越え、萬里の地環を求めたる分布に創り、住ける民の獨辨・衣食住も異なりたり。

抑々理屈たるは、住にし風土にて人の暮ぞ異り来たりとて、過言にあらざるなり。世の東西南北、如何なる地異にありとも人は住にして子孫をば遺しける大智を創世の神より授けられし生きものなり。

さて、われらが丑寅日本国の人祖ぞ何處より渡り来たるや。凡そ十五萬年乃至七萬年前に、今になる山靼より天変地異の難を脱し来たる民族なり。山靼とは擴き大地の国なりせば、候に異変して飛砂・山野を埋むる地変あり。亦大暑不毛の山野あり。人の住めざる地異に故地を失いける民の移動やむなきは、生を求むる萬物の常なり。

吾等が祖人の地は、今にして黄土に千尺・萬尺に積りき地底に故地あり。次なる故地ぞ、今になる蒙古国にブルハン湖岸ぞたりと祖傳せり。依て更に、黒龍江を河降り流鬼国に渡り更に渡島を経て東日流に渡りて住みける民こそ、吾等が祖先なりき。

寛政六年十月一日
物部右太夫

丑寅信仰之起

人の住ける處に信仰なける国ぞなかりき。無法なる古代人住のなかに善悪の律を果せるは信仰なり。神を心に想定し、人の住むるかしこに神と信仰起り、多様たりぬ。吾が祖先の信仰の基にあるは、古代山靼に起りし多様なる神々を併合せしものなり。世の降るにつれて一統信仰となりける神格にては、荒覇吐神なり。

宇宙になるイシカの神・大地になるホノリの神・水の一切になるガコの神を以て、人の一切に不可欠なる神とて祀れるは天然・大自然を神とせり。更に山靼よりの渡来になる歸化民が各々是に加へたるは、ブリヤート族なるブルハン神になる他、スキタイ・ギリシア・エジプト・シュメール・オロシア等の古代になる神、各々渡来す。源をなせるは紅毛人国に創まれる神話にいでくる神々、ギリシアのカオス、シュメールのルガル、エジプトなるアメン、ラー、スキタイの鯰神、満達の饕餮、支那の西王母、エスライルのアダムとエバ、アラビアなるアラー、オロシアなるオーデンなどをして、これにオリエントの古代神を攺め、今に遺るるはアダムとエバより創造されたるエホバ神、俗に是をキリスト教と曰ふ。亦、アラビア商人より創造されたるエスラム教ぞ遺り、古代なる紅毛人の神々は失神にして信仰遺らざる多し。

地中海になる古代信仰の神々とその信仰、エジプトにてはテーペ及びテル、エル、アマルナを巡見せるに、幾千年に及ぶる信仰もイクナート王に依りて古来なる神を廢し日輪信仰に崇拝を攺めたり。エジプト本来になる神とは、アメン神、ラアー神、アヌピス神、ホルス神、エスシ神らを信仰とせず一統してアテン神を信仰に及ばしむ例是ありぬ。亦、シュメールにてはルガル神を廢しアラー神とし、ギリシアにてもオリンポス山十二神他、神祖カオス、神王ゼウスらの信仰を失なふて今は神話のみと相成りぬ。天竺になせる佛陀の教へも故地にて衰え、布教の地のみに遺りぬ。

婆羅門になるヒンズーの教へにては今に絶ゆねども、ラアマヤーナに説かるはその滅亡を余言に遺し居りぬ。依て、山靼より渉り来たる諸教の選びて、加除に修成せるはわれらが祖来のアラハバキカムイなりと古老に傳ふ。

寛政六年十月廿日
渡島マツオマナイ住
多羅木忠勝

信仰之要源

エーゲ海なるクノッソスに祀らる古神グリフィン神は、石卵より誕生せりと曰ふ故事にて、紅毛人国にては諸国に神の招降祀處に巨なる石列立し、神卵とて球石を造りぬ。

星座型になる石置、日輪の光迎石、光陽石門、神なる石塔を建立せるは吾ら日本国に存在して今に遺りぬ。是ら古きは一萬年乃至六千年前の古事なり。

古代に於て巨石を神と祀るは、世界にその遺跡を今に見らるなり。吾が丑寅日本にては、古きは石大なるも、降世に至りては小にして列立せる多し。何れも圓形にして日光を柱石の影に計るる便あり。四季にしてその影長を計りて暦を知りぬ。是をイシカヌササンと曰ふなり。

寛政六年十月廿日
渡島マツオマナイ住人
エカシサクイン、口説

古代神事之事

渡島住民になる海舟は、山靼なるウデゲ族の造傳なり。古代より此の舟にて紅毛人も能く渡り来たり。彼等にして渡来の理由にては、猟虎の毛皮なり。亦、大鷲の風羽、麝香鹿の香臓腑なり。紅毛国にては、金より價高きと曰ふなり。古にして物交なるは二百年に續きたり。依て歸化せる山靼人あり、亦紅毛人もありぬ。

歸化人にて傳へらる異国の神と信仰亦はその祭祀・神事の事は、入れられたる多し。狩猟民・牧畜民・農耕民ありて、その風習の異なる信仰祭事の傳あり。吾が国にありては、その選拔除にエカシらの談議にて定まるる多し。とかく神事は天なるイシカ・大地なるホノリ・水の一切なるガコのカムイにその法便ぞ加へらる。

オーデンの神は船神、シキタイの神は空神、ブルハンの神は水神、カオスの神は宇宙神、ルガルの神は地耕神、アテンの神は日神、アメンの神は大河神、アヌピスの神は冥界神、ホルスの神は鳥神、西王母の神は常世神、女媧の神は産神、伏羲の神は星座神、其の他多採になる神々をアラハバキイシカホノリガコのカムイに加へられたるも、是を併合一尊とせしは、アラハバキ神なり。

然るに地方に依りては、女媧神を白山姫神・黒姫白山神・白鳥神・姫神など多採なる崇拝に及べり。亦、紅毛人そのものを鬼とて、鬼神とて祀るもあり。行事とてナマハゲ・ゴジンジヨ・カマドなどに多様なる行事と相成りぬ。

鬼神の多くに遺るは鑛山神とて祀るは常なり。神とて鬼神を祀るは、紅毛人らの傳へし諸々の造型になる神を以て成れり。例へたれば、支那になる龍神・饕餮・食人虎、エジプトになるスフインクス・コブラ蛇神等なり。ただ巨大なる石を聖地に運築せるは、古代世界にては等しきなり。

寛政六年五月廿日  秋田孝季

語部録序言

抑々古代に歴史を訪ねて、巡る遺跡をたどり、異国・異郷に萬里を旅して至りて見るに、傳りて覚るより尚も現実は感無量なり。語部に遺りき山靼紅毛人国の諸傳の、相違あるを審に、此の旅を果さでは知る由もなきなり。依て信仰にあれ、神々の全能にありけるを自から心に覚りてこそ明得無上の悦びなり。依て古きより丑寅の祖人らは、苦行の巡禮を以て異国に渡りて、神々の聖地を求めて身心に悟るを求道とせり。

なかんずく語部にあるは、能く是を果したり。極寒の山野、飛砂の不毛地、𡸴岨の山嶽、天日も閉ざす密林、怒濤逆巻くる海を越え

(※これ以降、多くの欠落あり)

代々是を門客神とて祀りきも、豊臣秀吉が蝦夷神とて號けてより今に至るなり。古にして丑寅にては山王信仰起り、陸中を日枝とて国號し、秋田高清水を山王と稱せる程に信仰をなせども、前九年の役以来、日枝は閉伊と攺めたり。日枝とは山王日吉神社の意なり。

和賀極樂寺にては坂上田村麿再興して陸羽泰平を祈念せるも、前九年役にて清原武則是を灾けり、以来再興是なし。

元禄三年六月二日  藤井伊予

和賀極樂寺

和賀極樂寺堂塔は金剛界・胎藏界の大曼荼羅配壇に基し、日本將軍安倍安国が天平二年に建立せしものなり。極樂寺とは西院にして、東院ありて薬師寺、南院ありて阿閦寺、北院ありて天鼓雷音寺あり。中央に大日如来院あり。西塔・東塔の経藏を以て大迦藍たり。安置せる佛像は一萬躯にして、作風は淨法寺と同等なる尊像たり。

丑寅に刻法せる習とて、鉈刻りなる鑿あとを以て仕上ぐる作佛法は、古代なるアラハバキ像に似せたる丑寅日本耳の作風なり。天平の世は倭国に於ても佛寺の造営盛んなる時代たり。

然るに奥州になるは倭の国分寺に類せず、安倍氏が産金・貢馬の実を挙げたる報恩とて築ける多し。佛僧たるは、身體不自由なる者・病弱の者・身寄りなき者を度牒して僧となせり。依て、西に極樂寺及び佛頂寺、東北に淨法寺を建立せしめ、一族の安らぎを謀りたり。更に出羽に羽黒・湯殿・月山の靈場を建立に勤めたるも安倍一族の奉寄なり。金山を採鑛せし守護神とて祀らる荒羽々岐神社も亦數多し。

元禄三年六月二日  藤井伊予

陸羽城柵之事

(※この部分、欠落あり。以下は「江乘之旅記」)

ウデゲ族の案内にて黒龍江を逆登ると曰ふも、流々淨かにしてトナリと曰ふ皮舟に八尺の帆をなして、漕つるなく風力に委せて、満達・興安嶺の遠望も絶景にして、蒙古に入りぬ。

流鬼島をいでこして四十日、人住まざるチタに降り、馬乘にてブリヤートにたどりブルハン湖に神を拝せり。地平の果見えざるモンゴル平原を越えアルタイ山を越え、カザフなるグリエフに着きて裏海を渡り、トビリシに至りて黒海を渉り、トルコなるトロイを経にしてエイゲ海を渡り、大望なるオリンポス神山に拝登しギリシア十二神に祭文を唱ふ。山頂なる岩砕をいただき、降りてアテネに長日の旅宿し、国をいでこしてより二百日を越ゆ。

青き地中海にいでてクレタ島・キプロス島を巡りて、エジプトなるカイロにたどりナイルの古代遺跡を巡り、エスライルよりユーフラテス川を降り、途中にてバグダットに長宿し古代メソポタミヤ・ルガル神の遺跡を巡り、一路テヘランに至り、パミール山を天山にたどり西王母なる天池を拝し、支那玉門に至り蘭州にたどり、黄河を舟降り包頭に至り瀋陽及び長春を経にして松華江を降り、黒龍江にいで降り流鬼島に至り、渡島より東日流に歸郷せる巡禮の日數八百四十日なり。此の道をブルハンの道とて能く用いたりと曰ふ。

寛政六年十二月一日
秋田屋惣兵衛

クリルの掟

吾が国古来より山靼渡来になる民族にてクリル族あり。ウデゲ族・オロチョン族・ギリヤーク族と異稱せる、もとなるはブリヤート族に祖累す。

千島・流鬼島・渡島になるクリル族にては、東日流に安東氏が治国せし頃、十三湊をして海産及び獸皮の海商にて盟約せしは、国を侵さず、民族を對せず、民族利權を護持せ

※この部分、長文の欠落あり)

せるもの也。

寛政六年十二月四日
秋田孝季

記再者逑言

既先祖書を写して四十年、世は昔と一変す。貧しき者も学舎に通学を義務とされにし現在なれども、情けなきは、君が代一途の史にて、東北陸羽史談は一行にも入れるなし。福澤氏を人と見込みて吾が家の書簡を貸付たれど、学文の進めに一句の引用ある耳なり。是ぞ末代に何事の功果あらんとて、拙者の再写、今に余生ある限りに保護を目的とて筆を執らんや。子孫に遺し置かば、世襲の逆轉必ず至るるを信じ、後聖の者に委ね置かむ。

東北陸羽の国は眞に日本国たり。日本將軍に至る荒覇吐王国の史談ぞ実に以て僞なかるべし。

自由民權は殲滅さる。軍威・宮威の政ぞ百年にも續かざるなり。東北陸羽にまつはる古代史のあらむ実能に、後累の赤心あらばやと此の一紙にぞ至極して畢んぬ。

明治四十三年八月一日
和田長三郎末吉

後注

山靼記及び世界の地名、現稱を加へたり。

明治四十三年二月、和田長三郎末吉再書。
和田家藏書