東日流古事録 第弐巻

秋田孝季記
和田壱岐守吉次

古代繪図

宇宙創誕之図

宇宙天體誕顯之図

日月星及地界誕生之図

東日流古事録に曰く、宇宙は、神にして造らるものならず。はるかなる時限の彼方に起りし、宇宙の原素爆裂に依りて、宇宙成れるものなりと曰ふ。

依て、神代如き荒唐皆無なるを信じ不可。古史傳とて學ぶべきに非ざるなり。神なるは信仰にして、歴史の置くべきは異るものと覚つべし。

本巻は、吾等が祖先にして如何なる暮しぞや、如何なる信仰ありや、史實に基きて信じべきものなる事を記載仕る。

寛政庚申年七月一日 秋田孝季

第一章

陸奥史大抄

一雫の雲滴も湲に流れ、瀧に碎け、うたかたの顯れ消ゆ。湲、石を縫い淀みにゆらぎ、大河に出づる水の流れぞ、人生の生々流轉にも相似たり。知らず生れ、死を覚り、その苦悩を神佛に求道し、人師論師の辨に耳をかたむけども、生々に安からず、老に進み死に逝く運命ぞ、如何なる諸行・諸法に於ても無常なり。

信仰を以て救はるは、ただ苦諦なる他、何事の救道も非らざるは三世に於てをや、変らざる同習にして、ただ身心は生死のなかに、心なくも故事に從ふ耳なり。

神佛をしてその行願に、不老不死の長壽ぞあるべきもなし。何事を發心して、心身の安らぎぞや。神佛に求めて、眞の理りぞ覚らる故縁ぞなし。哀れなり。信仰を以て夢幻に惑ふ勿れ。如何なる教へにも迷信なりと覚つ信仰に於てをや。是を断じ心に貧かるべからず。起って己を知り、身命一切を天命に安じて、己が生命の實相をぞ獨明すべし。

古今、奥州に遺るる信仰にあるべき要に於ては、天地水一切のものの總ては、己が過去・現在・未来に渡る生死の輪廻にて、萬物生々みなながら魂の轉ずるものとて、己が生々を渡り、老骸に死あるべきは、生命以て己が魂の甦える新生の到る天命なりと心得よ。

奥州の古人なる心に信じたる、アラハバキイシカホノリガコカムイと崇めたる求道の故縁は、何物も焼き盡すカムイノミを焚き、惡障・魔障を祖先が傳へたる饕餮神、即ち荒覇吐神とて崇めたり。古人の生々は喰ふが爲に生きるに非ず、生きるが爲に喰ふと曰ふ故縁なり。依て、徒らに生々のものを殺さずと曰ふは、語部に掟とて久しく遺れる處なり。

奥州の古人にては、かかる掟を以て、天然自然なるものみなながら神とし、怖れ敬いたりと曰ふ。父なる岩木山、母なる岩木川、その東西に阿蘇辺族を太祖とし、次なる津保化族・支那流民、次なる耶馬台族を併せて、茲に荒覇吐族とて王國を建國なさしめたる、その間七萬年を經たりと曰ふなる。

國の王たるを安日彦王、その副王を長髄彦王と曰ふなり。此の代に到りて、畑に水田に稻植にして保食なし、濱海にいでて塩焼採網を造り、舟を造りて漁をなせる営みぞ、奥州より渡り羽州に渡り、越州・坂東までも一族一統の治世に於て領域を擴めたり。國領擴ければ副王とて東西南北に配し、その間また離れたる處にてはハララヤを配し、縣主・郡主を配したり。是れ、古代なる奥州史抄なり。

寛政庚申天正月一日
語邑住、語部子孫 帯川祐重

第二章

日下將軍史抄

秋田系図に下國系図ありて世に示せども、上國系図あらざるは世襲にはばかる史實の故なり。安倍一族と姓號せし日下將軍・安倍安國以来、西國倭王の仇なる下賤の民・蝦夷とて、まつろわざる化外地民族を、征夷の軍は、陸に上毛野田道、海に阿倍比羅夫の侵略あれども妨ぎ、前九年の役にて安倍賴時及び厨川太夫貞任の討死を以て、日下將軍とて荒覇吐王の威系ぞ亡びたるも、貞任が遺子髙星丸、東日流藤崎の地に落忍びて、茲に姓を安東氏とて再興しける。

寛政庚申年一月一日 秋田孝季

第三章

安東水軍起史

抑々、安東水軍の起興ぞ、十三湊入澗城白鳥舘主・安倍則任に創り、その後継・藤原秀榮にて、北海・西海・東海はるかなる南藩海に航舵を進めたり。

然乍らその子孫なる藤原秀直、徒らに軍を備へ津輕一統を謀り、藤崎城主安東氏を攻め遂には勇敗せり。依て、十三湊安東氏が治領相成り、安東水軍とて盛榮せり。

然るに興國の大津浪にて皆滅し、諸國に航着して今に安東一族住むる處遺る多し。

寛政庚申年一月一日 和田長三郎吉次

第四章

安倍一族奥州菩提寺

孝謙安倍天皇が、奥州より黄金獻ぜらるより、日下將軍安倍一族に盧舎那佛寺を賜りたり。その古寺ぞ、平泉佛頂寺・國見毘舎門寺・北上極樂寺・和賀無量寺院・閉伊淨法寺及び西法寺、羽州に金剛寺・淨明寺・補陀洛寺、津輕にては大光院・大光寺・三世寺・盧舎那寺ら遺れり。

寛政庚申年一月一日 秋田孝季

第五章

奥州石神遺跡

逝く人の昔跡を巡りては、如何なる邑跡にても□石ありき。なかんずく古代なるほどに巨石神多くして、倭人は是を磐座また神護石と曰ふも、定かなる神を知らず。代々を以て異名を號ける多し。

天地水の石神

是れぞ一例なれども、自然造形ならず、人の工刻運設なるもの多し。即ちイシカホノリガコに型どりて神とし、代々降るほどに土を練り神像を造るに到るなり。

神像図

古代石神より土焼像と相成りては、ゴミソエカシやオシラエカシまたイタコエカシら神司をなせる到りては、神なる種岐多く造らるも、その要とせる處ぞ、イシカ・ホノリ・ガコの三神なり。能く覚つ置べし。

寛政庚申天六月一日 和田長三郎吉次

第六章

カムイノミの事

神を祀る處をヌササンと曰ふ。神の靈宿る神木を三つ股の枝芯のびたる老□とし、神供のイナウを刻りてヌササンを造る。一本より三本、五本、十二本と數に多きはイオマンテの行法に在り。是を司るはコタンのオテナやエカシに依りて行ず。亦神司にタブウありて諸々の舞を奉納なし神への靈使とて鳥獣魚のえけにえをなせるは古代に於ては選ばれたる人身もささげられたるあり。山の怒り・海の怒り・天の怒りを鎭めたりと曰ふ。

寛政庚申年六月一日
和田長三郎吉次

第七章

荒覇吐神之事

荒覇吐神のもとなるは、支那天山天池に起りし西王母・伏羲・女媧三神に基く天池信仰にて、韓國に渡り白山姫神とて日本に渡りぬ。出雲なる比咩神・大和なるオオモノ・攝州なるイシキリ・熊野なる鴉神・飛鳥なる石神・坂東なる富士山・羽州なる山神・奥州なるアラハバキなり。

住むる民族の地にしてその行法・稱號異なれども、神なる發祥ぞ紋吾露夷土祖に通ずるものなれば、神を異にして爭ふ不可。民族一如の和を保つべし。

寛政庚申年天六月一日
和田長三郎吉次

第八章 追而

唐天竺往来之事

宇曽利に鉄を鋳造し、出雲より習へたる船造りぞ、船の板胴して打浪に強けき船と相成り、三本帆を追風に安東船の潮路ぞ、唐人を水先にして、唐天竺に到るを果したるは藤原秀榮なり。

平泉より東日流外濱に到れる東日流街道・藤原街道を開き、産金・貢馬の財を築きたるの基ぞ、安東船に依れる便益故に成れるものなり。安東船にて天竺往来を果したる故は、應身丸・法身丸・報身丸にて、はるかなる佛陀の國・ガンジス河を逆登り、ブッタガヤに聖土を得たりと曰ふ。

平次郎爲継・清原典祐・安倍國季、船頭たればその往来を中尊棟木に書留めたりと曰ふなり。依て、中尊寺光堂に世界諸國なる佛品多く納められしも、重なる征夷の將に略奪さる他、災火の難に失せるこそ悔けれ。以上。