東日流古事録 第參巻

秋田孝季、和田壱岐守吉次 記

序言

古今に通じて奥州はその歴史の實相を妨たげられ、朝幕の洗脳作説の圧制に强導され、黒き鴉も白鴉と答へずば生々安からざる民の自由なき世々久しく、常にして奥州は蝦夷の國、まつろわざる化外の民族とて史傳に遺りぬ。

抑々、奥州は日本正史に載する如く、古代に民族の文明非ざるや。

茲に、東日流語部に遺らむ東日流古事録に史實の秘ありて、日本史の奥州にありき史談の僞を突く正傳を物語れり。本巻の要は、榮ある奥州日下王國の歴史を末代に遺さむが故に、その要細を記し畢んぬ。依て、本巻序言如件。

享和壬戌年六月一日
秋田次郎孝季
和田長三郎吉次

第一章 東日流古事録

宇宙の創めは、陰陽の原素爆裂に依りて、億兆の天體誕生しける。日月地界ぞ、その一星にして、地界のみ生命體海成れるや、苗の如き微生の種因より、萬物に生々分岐なし、人類その生物より進化を得たれり。宇宙創誕より二億年歳に至る今上の世に、人の生々安き事なく、常にして生死流轉の中に爭奪し生命を輕んずるは、世界史談にその興亡を遺跡に以て知るべきなり。

生命を輕んずるが故に、護りあり。城を築き武具を造り兵を募りて備ふも攻むるも、空しき天命への反きなり。天運の怒り、地殻の怒りは、水火の忿怒となりて、人の惡業を餘滅せるを知らざるが故に、人は常にして惡因を報ざるの因果業報に苦悩せるなり。

神佛を造り、是を法となし行となせども、人の心身に救はるるの法便非ざる也。世に生とし生けるものは、これ生命なる祖を吾らと種因等しきものなれば、なぐさみにも、ものの命を断ち勿れとぞ、吾等が日下國の祖代より是を荒覇吐神の信拝を以て子孫に傳へけるも、朝幕の權はこの全能神・荒覇吐信仰を邪神とて、是を天下の法度となし、その信心一切を禁じたり。

然るにや、奥州より坂東の地に到りては、今にして祖来の崇拝留むるなし。荒覇吐神とは、天なるイシカ・地なるホノリ・水なるガコにして、神とはカムイとて天然自然みなながらカムイにして、我が身そのものとてカムイのものとて大事とす。依て戦起りても、人の生命を大事とし、徒らに己が身命を賭けにして好まざるは、古来の習へなり。

ただ心身をして常に一日の生命を尊び、明日なる生命の保つなんを天に仰ぎ、地に付し、水に身體のけがるるを淸淨とせり。語部の曰く、あらばきいしかほのりがこのかむい古ことの世より傳ふる大事なり、とて今に遺るるゴミソエカシまたイタコエカシ更にはオシラエカシを以て、イオマンテのノミを焚き、カムイなるイナウを神なる捧獻の靈降としけ

(※この部分、ページ欠落か)

傳行とし更には巨石を建立なして神像とし、住居に於て祀るは土を練り造りて神像を造り、是をカムイノミに焼きて靈魂を宿し、朝夕行願を修したり。

カムイ、イシカ・ホノリ・ガコの印

上の如く石に印なして崇むは通常なり。吾らの祖は阿蘇辺族・津保化族・耶馬台族・支那族・韓族・鮮卑族。古き民族の太祖ぞ、紋吾露夷人種なり。依て荒覇吐神の起原なるは支那なる太古饕餮とうてつ神にて、水なる神を西王母・天池神、即ち白神・白山神・白神山神・白山姫神とも稱す。

オシラとは、是の法願を司るエカシの事なり。亦、イシカとは伏羲神のことにて、ホノリとは女媧神にて、ガコとは西王母にて、萬物生命の母とし、是の法行を司るはゴミソとぞ曰ふエカシなり。

然るに生あるは、死して形體、水土に歸して却り、是をダミと稱し、その靈を媒して語るはイタコなるエカシなり。この行願何れもカムイノミを焚き、是をネゴタとぞ曰ふなり。東日流古代なる人の創めぞ、七萬年前なりと語部に傳ふ。是の如きは、東日流耳ならず日本州全域なる信仰なるも、築紫より佐恕一族の侵さるより歳を過ぎしかた、今に到りて征断さるるぞ恨めしき哉、如件。

寛政庚申年一月一日
秋田孝季

第二章 東日流古事録

抑々、東日流古事に當り忘却しべからざるは、役小角仙人の史實なり。修験道とて、世に流布のあるべき法行は、台宗眞言にあるべく傳行にて、東日流修験宗とは根本より異なれるものなり。

役小角とは、大和國葛城上郡茅原の人にて、物部・蘇我をして神佛崇拝を以ての爭ひを心痛なし、茲に神佛混合を本地・垂説とて、金剛不壊摩訶如来を感得なし、是を本地なる全能の尊像となし、金剛界・胎藏界をその智顯一如として、その垂地とて金剛藏王權現を感得し、法身・報身・應身の本願をも一如とて結び、その願祖たるは、みちのくなる荒覇吐神なり。役小角、是を大元神とて修験曼荼羅にて神佛の大慈悲を顯せり。是の法は行願をして神通力を心身に以て得らしむる故に、荒覇吐神一切の古行を用いたり。

凡そ天地水の神ぞ、佛道にして異るなく、是を東日流中山なる石塔山に大光院とて草堂を建立なし、永く信仰の大事とて、茲に役小角自ら金剛大乘經を記し遺しぬ。亦以自からの姿を水鏡に映し己が尊像を刻み遺し、太寶辛丑年十二月二十日石塔山に入滅せり。

爾来役小角、大光院に祀らること久しくして、今に崇拝を續行せり。日本佛典になき金剛不壊摩訶如来、石塔山耳に遺れる古代神佛行なり。蝦夷地とて日浴なき奥州の史跡、是の如くなればなり。

東日流中山石塔山なる石塔の神秘ぞ、太古の津保化族なる神、イシカ・ホノリ・ガコガコカムイ、未だ息吹ける聖地なり。石塔山の神佛ぞその靈験、亦打っては鳴るる鐘の如く心して、崇め奉るべき事如件。

寛政庚申年一月一日
秋田次郎孝季

第三章 東日流古事録

抑々、古代東日流なるチセに祀る神ぞ、三本のイナウを供ふ。亦コタンにては、神なる祭壇ヌササンにても亦同じなり。渡島民族なる祭祀とは、いささか行法を異にせるも、本願は同じなり。自然崇拝せるは信仰の本願なるも、東日流にては石神及び土焼きなる造像の神をヌササンとせるなり。衆は踊を捧げ、フッタレチュイとはやして踊るは、渡島なるも東日流にてもホオイシヤホオとてはやしぬ。アラハバキイシカホノリガコカムイ、是の唱號は古代なるより今に変ざるものなればなり。

十三湊なるカムイ丘、中山なる石塔山、東西を以て聖なる處なり。古代アラハバキ五王なるハララヤ及びタカクラに於てもヌササンを祀り、イオマンテは法行されたり。宵祭にてはカムイノミを焚き祖先の靈を迎い、亦送靈し、流るる河にネブタを送り火とせるは、役小角が是を念佛陀とせるより稱せられたり。

古代にてはシビ流しとて、サベシに灯を焚き流したりと曰ふなり。今にては灯籠流しなれど、起りの創めたるは、暗なる黄泉にある祖靈に、再度その魂をこの世に生れくる孫々の體に甦せむとせる。娑婆往来を念ずるは、己れもまた死後に再来せる爲にぞ、是の如き法行を今に遺せりと傳ふなり。

寛政庚申年六月一日
秋田孝季

第四章 東日流古事録

耶馬台國なる王位に累代せる東日流の中祖、安日彦王・長髄彦王にては五畿にありては、そのタカクラを三輪山・膽駒山・那智山をして、荒覇吐神天地水の神を祀れり。何れをしても、三の數にて神なるヌササンとせり。耶馬台は日の當る處なりせば、天なる神を三輪山に祀り、地なる神を膽駒山に祀り、水なる神を那智に祀れり。

耶馬台國とは、耶馬台王とて耶馬止彦を太祖とし、初の王位に君臨せるより五十三代を經て安日彦王に到るとき、築紫より日向族の侵略を蒙りぬ。依て、一族を挙げて東北に落ちにける。安住の地を東日流の國とせり。

秋田系図に曰く處ぞ、その神印に次の如く遺れり。

三輪明神、膽駒明神、那智明神

とて天地水の神印とせり。即ち是を荒覇吐神と曰ふ。

寛政庚申年七月一日
秋田次郎孝季

第五章 東日流古事録

今に遺れる大いなる遺跡、東日流中山聖地、十三湊なるカムイ丘の東日流東西をして、神を祀れる古代なる遺跡ぞ残れり。

石塔山にては、安日彦王が荒覇吐王とて弟なる長髄彦を副王とし荒覇吐帝五王の基をなし、茲に、日本將軍安倍貞任が厨川にて討死せる代に以て二百三十一代たり。

貞任の遺兒髙星丸、東日流の地に落来たりて再興なし、安東盛季に至りて二百四十八代。一族の新天地を秋田に移し、秋田城之介實季をして二百五十六代なり。

爾来、三春藩に封ぜられ、その大名たる秋田俊季殿、五萬五千石とて家系を遺したるも、荒覇吐神の守護せるところなり。茲に謹みて、吾等の神なる荒覇吐神を祀り鎭め、子孫永代の榮をおろがみ奉り給ふこそよけれ。

荒覇吐神祭文に曰く、
あらはばきいしかほのりがこかむい、ちせかむいぬささん、こたんかむいぬささん、かむいみの、いなおぬささん、いおまんて、おてなえかし、かむいのみ、あそべかむい、つぼけかむい、ふったれちゅい。

石塔山荒吐神社

右の通り東日流古事録以て如件。

寛政庚申年七月一日
御申上

秋田孝季
和田長三郎吉次

三春藩主秋田倩季 印可