東日流六郡誌 壱

長三郎權七花押

序に曰く

吾が奥州の地は、古今相通じて日本史の表に遠く、幻だに留らず。依て、古代なる歴史の遺らざるは、官權の圧制のみならず、世襲の妨に多き古代の實證、みなながら皇家幕政の障りと相成る故なり。荒覇吐王とは、かく故に雪下に潜りたり。

然るに雪は消ゆものにて、事實證ぞいつしか世にいでむなり。永きに渡りて覚つたるを、實證顯れては洗脳の輩は、事の他に妨ぐるも、僞は事實より崩れ易きなり。

本書巻は、余の八十年諸國に巡脚なして、日下の歴史にその證を得たるるを記逑せしものなり。

寛政五年七月  秋田次郎孝季
和田長三郎吉次

注言

本巻の原書は全漢書なれども、虫喰の甚しく、書写の段、人の讀易きを参じ是の文行を以て遺し置くに定まれり。もとより讀書師事のなき私奴の至らぬ處多けれど、諸赦仕るべく願上まする。亦、字のあやまてるあり。識者をして御訂正あらば幸塵に存じ仕る。

明治四十四年 青森県北津輕郡飯詰村住人
和田長三郎末吉
和田長作 末吉長男

總序

東日流大要史とは、歳の創め、宇宙の成れる創め、日輪誕生の創め、かくして地の成れる創めより吾らを地に誕生せしめたるは、總て時、宇宙・日輪・地の成れるより到るなり。

抑々、古に尋ぬるを歴史と曰ふも、生々萬物みなながら、この化に過程の非ざるはなし。史は、人の遺したる書物に眞・粗定れるものに非ず。多くは架空・夢幻の想定に綴らる多し。亦、世に權力をなすもの自孤空昔なるなれば、自讃の先祖を造り、系圖盗に古貴なる家系より緣を結び我位となしける多きは、日本皇家・幕家・地の豪にあるべきもの。上に固りて作爲なしけるは日本史の傳なり。

神代をして我が國の先史とせしは、荒唐信じべからざるものにして、茲に前逑なし、本巻の主要史に筆を進めんものなり。東日流に古代を一点に尋ぬるとも、井中の蛙なり。依てその原始を尋ぬるは、世界なる諸民族の學師に智覚を求め、彼の書物より攝取せるも多きを、前逑し置くものなり。

紅毛人なる國にては、古代を探る學文に、一魂の石積土、萬物の石となれるものより測定す。微細なる算術、望遠鏡・眼鏡・磁石・計尺・藥物らを用い、迷信の障を除き、時代の推移・天候・海流・噴火・地辰・生物進化の究明より、微細なる解明に到ると曰ふなり。

吾が國にては、學者に權あり。智にある勉學の者は貧しきに出世を得られず、あたら學閥の底辺に消滅なして、現に到れり。然るに人類の智覚は常にして進歩なし、今日なる立證は、明日に崩さるるも亦進歩なり。然るに、吾が邦なる學者にては、己が主唱のみを永代なるものとせんにや、權力になびき是を維持せん處に、神代なる荒唐無實をも歴史となせるなり。

余の逑書ぞとて明日に一文の價なきに葬らるとも何ぞ恨みんや。文明に眞なれば、黄泉に吾れありとも、悦ぶる處爲なり。依て、東日流六郡誌各巻に心得て記逑を施せり。東日流、その歴史を尋ぬる處は、荒覇吐神なる信仰の原をして、古き世の支那に起りたるものなれば、求むる智覚は外藩諸に學ぶべきぞと想ふ處なり。依て茲に、得る限りなる外藩書を參考なしける處やむなし。

吾が國は貝の如く、廣く海の外なる交を欠きて旧来を脱皮得ざれば、外藩諸國の侵領を妨がむ術なき愚民に了ることを憂むなり。史原とは、鳥が親なるか卵が親なるかを論ずる處に謎とて著すものと、神の創り給ふものとする信仰師や、萬物は天地水の動化に依りて生命體となり世襲の環に生き残れる進化にあるもの、亦は生命體の原種は萬物一種より成長分岐せるもの、とせる學士らに論ぜらる。

想ふに、何れも聞き受くる人に依りて、何れが眞實かに賛否ありけるも、是の如くは好み、好ざるに非らず。眞實はひとつなり。諺に、盲目五人、巨象手探る如しとある。巨象は、鼻長く、牙は金剛の如く、太い足、壁の如き胴、綱の如き尾、それぞれ異なれども、象たる實體は何れも眞なれども、その一方にては象を知らずと曰ふ意なり。

まして古代の史原を尋ぬるも、是の如し。古今に、人とはその心に、好嫌あり、慾望あり、あり、あり、闘魂あり、惜念あり、自讃あり、盗心悲み悦び殺意怨念善意らの相、交差せる選示の實顯行爲にて、一生の譜を遺して却る生物なり。

依て、人の記逑せるを史とせば、記者に依りて、前十五心に依る障りに記逑相加る多し。依て、平等な天秤の計を、輕重何れにかたむけるや、衆の正心に選擇相定るなり。

石塔山神面由来

東日流奥法郡中山千坊石塔山大山祇神社秘藏の神面あり。傳ふる處に依りければ、久寿之年伊豆に在りし明雲大僧正が、前兵衛尉・源朝臣賴朝の夜な、物の化に夢うなされしを配所にて祈禱せしに、奥州に怨靈あり安日彦王・長髄彦王・安倍賴良・安倍貞任及び千代童丸の靈力强き怨靈、賴朝の夢に顯われなし、遺恨のたたりにて報復す。依て靈媒をもて尋ぬれば、奥州東日流石塔山に安日彦・長髄彦・安倍一族の遺族が祖先を祀りし石塔山大山祇神社のあるを告げたり。

依て、賴朝にたたれる怨靈を鎭むるの法は、怨靈にあるべき安日彦王・長髄彦王・安倍賴良・厨川太夫貞任・その子なる千代童丸の神面を奉寄せるに依て、鎭むなりと曰へり。

賴朝、三浦なる和田小太郎義盛を召し、鎌倉の刻師をしてその神面を造りぬ。かくして朝臣賴朝自から神面に開眼なし、義盛を東日流に遣はして石塔山大山祇神社に奉納せるより、摩訶不思儀や朝臣賴朝の惡夢去りにけり。

依て、朝臣賴朝が帶にし天國の太刀を奉寄せりと曰ふ。かかる石塔山の神面に由来ある安日彦王・長髄彦王とは、如何なる故史のものぞと尋ぬれば、倭の膽駒山北富邑白谷郷に高倉をなせる耶馬台國王にして、長髄彦王あり。倭の櫻井邑三輪山の大神高倉なる耶馬台五畿七道の神王、安日彦王あり。築紫日向の國王・佐怒王の侵略に敗れ、奥州東日流に遁着せし荒覇吐王のことなり。

依て、東日流國なる古事の深きを尚尋ぬその上なる史を、古事をしるべなる語部録にて、はるかなる東日流古事の創より史を極めたり。抑々東日流の古事ぞ左の如く語部録に記逑ぞ遺りぬ。

語部文字

是の如き語板六百八十枚、江流澗郡語神社に祀らる古事をあらまし傳へ遺れるのみならず、中山石塔山大山祇神社秘洞に總て記逑あるを、次に解記せるは本巻の要とせるところなり。

寛政庚申年八月一日
秋田次郎孝季

語板釋記 一

古き世の東日流に、阿曽辺族住居しける。住むる處、阿曽辺森なる故に、號けたるなり。阿曽辺族の祖にある故郷は支那にして、今なるランデン及びシュウコウテン更には支那黄土髙地下に住みたる祖人の流胤なり。東日流に移り来たるは十萬年前にして、通稱、紋吾呂夷土民と號す。

支那國に太古の祖人住むる處、四季異なりて、寒冷地の表土凍らしむ世永く、鳥獣東北なる草木茂ゆる香を求め、氷海を渡り来たるは、日下の祖人と相成りぬ。

次なる移り来たる民を、津保化族と曰ふ。支那國凍氷の候却りて、解氷の表土粉となりけるを、北風に吹き飛ぶこと常に、天日をも暗ますことやまざれば、人の住みける處、皆草木を枯らしむに依りて、不毛たる大地祖土を復さず、住人また移りぬ。

是を津保化族と稱すは、怒干怒布なる都母に住みたる故に號けられたり。彼の先住の民・阿曽辺族の住ける森ぞ、古き世に噴火なし、餘多災死なし、津保化族と併す。

津保化族始めより吾が國土に到らず。北國を今なるメリケンに渡りて、更に流潮に乘りきたる民にて、海をして暮せし民なりと傳ふ。依て、語印を子孫に傳へたるも津保化族なり。亦、病に藥を造るも、鳴物及び金物を造ること覚へたるも、然なるところなり。

常にして神を崇むも、日月の運行・蝕年の暦を覚つは、津保化族にて渡れり。獣物毛皮着衣より、草木の皮を採し糸をつむぎ、ガンビタ織器を造りて衣を織縫ふも津保化族にて渡れり。

神を崇むも、亦然なるところなり。天なる總てをイシカの神、地なる總てをホノリの神、水なる總てをガコの神とて崇むなり。世に萬物の生生せるは、總てこの三神より成れるものと意趣せり。三神の神像は天然とし、故に像を造らず。天に仰ぎ、地に伏し、水を聖なる生命とて三禮三拝の祀行なし、人の生死を常に神なる祀行にて司るも津保化族なり。

然れども、東日流に先住なる阿曽部族とて、信仰なきに非ず。日神シウリ・星神オゴシ・月神ガミ・草木神カポシ・氷雪神シガマ・火神シボド・水神カパリ・風神モホ・山神カチ・海神ジョジョ・雨神イガリ・雷神トゲル・地震神メマグレ・雲神ジリ・寒神シバケ・暖神ハシラギ。數ふる神は百神を越ゆほどなり。

阿曽部族は山住を好み、津保化族は海辺及び河辺を好みて住にける民なり。世降りて西南より大挙して移住し来たる耶馬台族ありて、東日流大里に住む。亦、とき同じゆうして支那晋の流民漂着し、耶馬台族らと地を拓き、畑にホコネ、水田にイガトウを蒔きて稻作す。白き米・黒き米を𩞯とし牛馬を飼ふ。犬を飼ふて用心とし、鶏を飼ふて時を知り、木を伐して屋を造れり。

依て先住の阿曽部族・津保化族、是に併せて、荒覇吐族となる。一族に王を立て是を日下王、亦日髙見王とて東西南北に地族を併せ、國領奥州五十二郡に廣むれば、初代王安日彦王、次なる長髄彦王ともに老令盡して入寂す。

依て長老ら謀り、荒覇吐王を五王を立君せしめ、治領の便を能くす。卽ち五王とは、中央に髙倉を置き正王・副王を以て司り、その東・西・南・北に分倉を置きて地領を治む。依て是を、荒覇吐五王と稱す。地領西南に及ぶれば、髙倉を閉伊に移しけるより、東日流より民多く移り、東日流なる髙倉ぞ北王分倉となりぬ。

更にして中央髙倉、宮城に移り、域擴ければ五王の間に県主・郡主を置き、是をハララヤと號け、是を中央髙倉・分倉の驛とせり。髙倉に役目せるもの千人にて、創むる王國より倍勢しければ、故地耶馬台國を奪回せむとて、安東將軍・日下將軍とて荒覇吐王とその副王を稱號なし、日髙見國挙げて兵を起し倭國を攻むれば、當るところ敵なく、日向族王何處にや行方不知とて、茲に築紫・南海道・淡路・木乃國・山陰・山陽・越国・坂東・(※この部分、判読不能)に渡れる國併せ、三輪にて荒覇吐副王なる根子彦王、倭王孝元天皇とて卽位す。

然るに次なる稚根子彦、荒覇吐族王の配下にあるを退け、開化天皇とて國を建てなむ。依て日髙見國・倭國の境、越の糸生より坂東三河に到る東西に國分れたり。

元禄十二年九月十日
江留間郡語邑住 語神社管主
語部百七十代 己之吉

語板釋記 二

東日流に荒覇吐王創誕し初代なる安日彦王、次なる長髄彦王葬ぜし御遺體は、夷語にしてアッケシ川なる種里郷に築墓なしけるも、この里常に洪水起り、安日彦なる一字を戴き日照陵、長髄彦なる一字を戴きて長𡶶陵を築くも洪水にて崩るる故に、十三浦なる於瀨濤オセトウ盛に再葬せり。

此の地を両王、生前の砌り勅して曰く、
山幸・海幸は此國萬歳に悠し、日輪夕映ふ彼方に日髙新國見ゆ。征きて治めよ。吾、此地に骨埋とも、故地に歸らず、
と安日彦王曰せば、長髄彦王曰く、
耶馬台の郷に見ゆ日輪は、山端に速く没せども、東日流なる日輪、昇日髙く、没日に久しきは吾が一族、久遠に久しきを兆す。萬代萬歳、吾亦是國に髄折、肉を地に溶さむを欲す。
かく古語の傳へなるものなればなり。

荒覇吐神なる土焼きの神像を衆に及したるは安日彦王なり。此の神なるイシカカムイ・ホノリカムイ・ガコカムイを荒覇吐神像に併せたるは、土焼神像にて誕生の悦びを祀る東の石塔山、死を祀る神威丘を聖地とせしも安日彦王なり。

元亀二年六月一日 於瀨涛安倍神社
語部 帶川一良

語板釋記 三

東日流、古き世に阿蘇辺族の稱するはツパン、津保化族の稱するはツカリ、晋の流民アヤ族の稱するはヅパング。耶馬台族が稱す東日流にて、津輕となれり。

東日流荒覇吐王髙倉の在営せるの間には六代にして閉伊に移りたり。東日流大里は豊葦原の國にて、稲を稔らしむも是國にて、民を併せしも東日流なり。亦、陸奥に産金貢馬の財をなせるも東日流にて創りぬ。

飽田の熟族、閉伊の麁族併せて荒覇吐王國と勢なしけるは、一族の掟に固き誓とて吾が一族の血は、人の上に人を造らず、人の下に人を造るなしと定めたる故なり。王の座にありとも國を護るは、大敵と怖れず小敵とてあなどらず。常にして民族皆兵の先𨦟に死す勇なきは王たるべきに非ざるなり、と戒あり。

民族は常にして一食一汁の飢を相分ち合うべきの睦みを、常時・非常時の心得とし、國護に忠誠、親に孝しべきの教へぞ常とせり。亦、世に運勢を欠き孤兒となり、子なき老人となりしを援くるも荒覇吐族の掟なり。一族に乞食をいださず、財掌握の慾を爲せず、労々常にして民族挙げて農に耕し、道橋を造るを身心にせしは荒覇吐王國の暮しなり。

文化元年五月十三日
江留郡語邑 庄屋手代