東日流六郡誌 再書五巻

古代總結

寛政庚申十一年記 吉次花押

序に曰く

抑々世にある一切のものに、表・うらのあるべきを知るべし。まして人心をや。吾が邦の歴史に於て定かなる歴史の記にあるべくは、權の上にあるものをして作爲の史傳なりと曰ふ。

依て、本巻を以て奥州の實史を子孫に遺し置く者なり。吾らが祖先に史の要を尋ぬれば、累血は支那に祖先を爲し、日本踏分なる阿蘇辺族・津保化族・支那晋の君公子一族・耶馬台族ら併せたる混成民族にて、號けて荒覇吐族と曰ふ。

本書史料にては、異藩紅毛人の學士に學識を請ひ、眞の史傳を遺さむと志して記逑を試みたり。吾が邦の史傳は神代とて古代史を架空に想定しけるは、末代に恥可き國史と相成らむなり。依て、諸學に照して綴りたり。

もとより残令少き老骨にて浅學なれば、世に恥べく文面なれど、眞に欠くるなきを一途に書遺し置くものなり。

和田長三郎吉次

創世史記

大宇宙に日月星の未だ誕生なける億兆年の無明界に、幽動化起り、加速に力動なしたる宇宙塵、固まりたる原始の宇宙誕生せり。卽ち是れを紅毛學士は、原始的宇宙體と稱せり。而るに、この宇宙體に星雲・星體もなき光熱の固界にて、その限りに達するや大爆裂し、無限界の空間に原始體を散じたり。是れ卽ち星雲となり、恒星・惑星・準星・衛星・彗星と相成りて、宇宙に天體を顯せり。

星雲は星の親にして、星また恒星をして惑星を從がふ。また衛星また惑星に從ふ順あり。吾等が地界また日輪の惑星とて圓週をめぐり、月は地界の衛星なれば地界を圓週すと曰ふ。地界、日輪の次に誕生し、地表固定しければ水湧きて海となり、海なる水にて茲に天光の熱と地養にて生命體の誕生を得たり。苗の如く微細なる種原生物より成長進化をなし、萬物の生物種原より成長せしは生々萬物なり。

凡そ海生なるより、陸生に生々を進化をなし、今に生きとし生ける生物のなかより人類のいでませるに至るるは始祖にして、菌の如きより泳動せるくらげの如き生物より魚型類と相成り、陸に生息を求めて手足をなしたる蛙の如きよりネズミの如き體型と相成り、やがては猿類と相成り、更に進化をなし直立歩行なる原始人類と相成れり。

更に人類は智能の進化に相達し、石を割りて刃を作り、火を用いて暖を取り、更に獣物の毛皮を衣となし、やがては衣食住の造作を考じて四季の寒暖に備ふに至り、更に飢を耕作なし、或は鳥獣を飼ふるに智能を得たり。亦、海に魚貝を漁し、水を渡る舟を考ずに至り、土より金銀銅鉄を鋳工せるに至るや、群衆なして人類が殺伐の闘爭を起し、弱き者を從労にして遠征をなしける歴史は世界に遺りける古代の物語なり。

吾が邦にても然なるところなりせば、地住一族爭動なくして國主たるはなく、古代にては親子とて闘爭せり。然るに人類の智能は是を信仰をして神なるを想定なし、人の睦をなしけるは女人にして成れると曰ふ。

生々萬物は、その生々を、渡りに住む鳥の如くあり、海を廻泳せる魚の如くあり。人類また安住の天地を求めて移り、生々の故地を離れ、その息生を分布せること地界の極寒地より常夏の国、亦不毛の砂原にさえ住むも人類にして、その智能自から得たりぬと曰ふは摩訶不可思儀なり。

寛政己未年 紅毛人グレゴリサンタ
秋田次郎孝季
和田壱岐

東日流六郡史

日本本州の北端なる東日流國は、宇曽利の國と相互なして、海洋を三方に波涛を受く。古今をして海幸・山幸に天然の惠あり。生々の民、爭いなく、日本王國の發祥を起したる地なり。稻作太古にして既耕なし、黒米・白米を𩞯とせる瑞穂の國なり。

東日流の古稱ぞ、チパンとぞ曰ふは阿蘇辺族にして、ツカリと稱したるは津保化族なり。亦、耶馬台族移住し来たりてよりツカルと稱したるは、語部の曰ふところなり。

六郡とは二区にして、内と外をして内三郡・外三郡とぞ曰ふなり。内三郡とは稻架郡・平河郡・華輪郡の南部にして、外三郡とは有澗郡・璤瑠澗郡・奥法郡の北部にして、東西の海濱を上磯と稱し、東日流内陸を下磯と號したり。

宇曽利とは都母縣・糠部縣・宇蘇利縣と稱し、古代より貢馬の地なり。東日流の稻作、宇曽利の稗作とて古来より稱され、魚漁また宇曽利の鯨、東日流の鮭とて、その暮しぞ異なる故に人なる気質また異りぬ。

古代にては、津保化族の發祥地にして、祖君・安日彦がこの國を日出之國とて號けたり。海にハタとや、舟を造り、無敵の海士たり。外濱に阿倍比羅夫征夷のとき、宇曽利の荒覇吐族、このハタに乘りて比羅夫を降伏せしめたりと曰ふ。

依て東日流六郡の事如件。

寛政五年一月 工藤丑之祐

女オテナの事

東日流にコタンをなすオテナは、代々にして女子を選ぶる習へあり。オシラ、亦はイタコより出づること多し。生涯をして婚ぜず、能く衆のために導くこと奇才なり。ゴミソは男子多けれど、イタコ亦オシラは女子にして定まりぬ。

オテナに位せるは、上なる郡主よりコタンの貢を納む荒覇吐族の務めにて、貢物は干魚・塩取・米や稗にして、御藏納め・髙倉納めとに割當てぬ。

古き代に、畑なるホコネ稻は黒米にして、水田なるイガトウは白米なり。吾が祖人の稻作は二千年の昔より耕作なし、安日彦王の代より始りぬ。オテナは各戸にその作を検見なして、割當るに論爭招かざる故なり。

古代なる荒覇吐族の職別にては、漁士・杣夫・農耕・狩人・神司・語部・船師・曲師・塩焼・馬飼・鑛師・藥師らありて、道造りや橋造りらはオテナの通達に依りて出稼ぐなり。

寛政五年五月
語部 帶川子之助

東日流大里

古き世に岩木山噴火なし、平らなる往来山またの名を阿蘇辺盛ぞ、岩木山となりける。亦、東なる八甲田山も噴火なし、安東浦たる内海の潮、海に却って歸らず。爾来、内海は大葦原と相成りぬ。

東日流東西を流る川筋に、岩木川・平川・汗石川・十川・田光川をあつめて、岩木河となりて十三湊に流る。河岸、大葦原に茂り、サギ・鶴・白鳥らの渡来は風物たり。川袋なる處にヒシ藻の實能く結實し、住人の飢を満す。マコモを束ねて舟とせるもあり、故葦を刈りて住家の屋根とし、亦カッチョに用ふ葦は丈以上の長きに頂寶なり。葦を組みて造れる家あり。唐人の教なりと曰ふも、紅毛國のシュメール人なる造作法なりと曰ふ。

葦屋・葦寝床

葦屋に住む者は、マコモの敷物、沼藻の寝着物を用いて暮らす。焚火も葦根にして冬を越す様、風流なり。

東日流大里の冬期にては、雪の降ると曰ふより横なぐりに吹くこと多し。かく湿帯に暮らす人々の生々は川の幸、葦に巣造る鳥の卵にて、山住み・海住みの人との物交第一品なり。水鳥羽根は十三湊商家に賣りて、諸具を得る。人みな住むる處に、幸ありぬ。

寛政五年六月
砂力コタン カシム口傳