東日流六郡誌 第六巻
本巻は支那渡来紙に付き破れ易し。
和田長三郎末吉
日輪ト地球誕生學説
明治壬寅年發行、大英天文學書ヨリ、
五十億年前ニ太陽系天體銀河星雲ヨリ誕生スルノ図。
太陽系天體
惑星誕生四十五億年前
エドワアドトマス論
ウエゲナー學説
明治辛巳年發表ノ地球大古図ナリ
一億五千萬年前地球図
地球はひとつの大陸なる。
起大陸パンゲア
説明
現代地球図ハ四千五百萬年前ニ到リテ地ノ分裂ニ依ル地球図トナルナリ。
生命體誕生學説
古代支那道教説
記
微ナル水中化成分岐種皆、天地水ヲ萬物生命誕生ノ父母トス。
(五行木火土金水)老子教典ヨリ。
生物進化分岐學説 ダァウエン説
種→線虫→頭線虫→有骨魚→魚→離魚→水陸生→水揚陸生→樹上生→草原生
自猿類人分岐誕生
支那中央黄土髙原下ナル、
祖故地ニ發祥セシ人類祖。
古代人モンゴロイド祖人
十萬年前に支那より、
黄土嵐に移動分岐セル祖民。
祖人類移動分布依黄土嵐
正中甲子年北辰図ヨリ㝍。
夜虹國、鯨島、氷海島、角陽國、カムイチャッカ、神島、流鬼、日髙、日髙見。
モンゴロイド民ノ移動道、満達、朝鮮。
東日流初着民阿蘇辺族
山岳民
津保化族之東日流定着
海辺住民
耶馬台族東日流定着
平原住、農耕民
爲民族併合稱荒覇吐族印
イシカ、ホノリ、ガコ、アラハバキカムイ
祭、イヨマンテ、女出入、三輪〆、男出入
神社門
日髙見王國創立宮跡
石塔山、神塔
於東日流中山石塔山、安日彦王一世、長髄彦副王即位
安日彦、長髄彦
荒覇吐神之原 一説
支那古代神なる伏羲・女媧を宇宙創造の神、萬物創誕の神とて、是れを像作せしは東日流古代神なる荒覇吐神なり。此の神に饕餮・九首龍が使從なせるに依りて、天然自然に天候異変・山の噴火・地震・龍巻・津浪らの障害、及び生死のなかに萬物は生命を遺し居るものと曰ふなり。
抑々荒覇吐神なる稱號多く、天地神・白山神を女神とし、大神・山神・大山祇神を男神とせり。古代にては紅毛國の神ヌート女神・アトラス男神、アダムとイブ、天竺にてはシバ女神・ビシュヌ男神、支那にては伏羲と女媧、朝鮮にては大白山神・金剛山八天女、日本にては白山神・白神山神を是れに當る。
東日流にてはアラハバキまたはアラハバキの神と稱して祀りきも、厨川の戦にて敗れし後は荒磯神・熊野神・大山祇神・大神らとて攺稱されしは、津輕藩成りて法度令に依れるものなり。
寛政五年十月一日 秋田孝季
荒覇吐神之原 二説
支那古傳に曰く、女媧黄土をまとめて人を造る、とあり。東日流にては、晋の流民が東日流に定着して以来、土をまとめて焼造れしは今にして能く土中より出づる荒覇吐神像なりと傳へらる。乳房をなせし女像多く、大眼をなせし神相は宇宙を創造せし伏羲、萬物を創生せし女媧の両神を一尊に顯せし者なり、と古人は曰ふ。
東日流東西に、荒覇吐神の聖地は東の石塔山、西の神威丘即ち今なる亀ヶ岡なり。東方は現世なる祈處にして、西方は過却なる靈界への祈處なり。
荒覇吐神への祈願祭文は次の如し。
古語唱文(神威丘)
ホーイシヤホージョカカムイ
ホーイシヤホーフクギカムイ
ホーイシヤホートウテツ
アラハバキイシカホノリガコカムイ
是の如く幾辺なりとも唱へるこそ、神なる利益ありと曰ふ。
寛政五年十月一日 秋田孝季
荒覇吐神之原 三説
大寶辛丑年、役小角石塔山に来たりてより荒覇吐神の崇拝に加はりたるものは、役小角が諸國の靈山にて感得せし三尊あり、その祭文は古語より攺められたり。
金剛藏王權現とその本地尊・金剛不壊摩訶如来、その守護尊とて法喜菩薩なるものをして神佛混合とせり。この三尊、何れも佛教典になき、役小角が靈験にて感得せしものなり。
金剛藏王權現は天竺・支那・日本の神佛を修成、一尊とし、荒きこと饕餮の如く天地一切の魔障罪障を碎き崇むる衆生を救ふ忿怒尊にして、金剛不壊摩訶如来は無辺の神佛を修成、一尊として生死輪廻の一切を救導せる本地尊にして、荒覇吐神なる天地水の神々も是れに修成なすものにして、法喜菩薩はその求道にあるべく衆生を救へ給ふ主旨なり。
依てその唱題もまた攺められたり。
攺文唱題(石塔山)
(鐘打)
ノウマクサンマンダボタナンバン
オンサンマヤサトバン(三唱)
(聖火を焚く)
ノウマクサンマンダバアサラダンカン(三唱)
オンポウホテイリギヤタリタタギヤタヤ(三唱)
(法羅奉吹)
南無金剛藏王權現諸魔天誅神通力
南無金剛不壊摩訶如来生死救済導
アラハバキイシカホノリガコカムイ
(太鼓打)
南無法喜大菩薩求道衆生攝取不捨
オンアビラウンケンソワカ
南無伏羲女媧シバ・ビシュヌ神大神通力
天誅之法使饕餮天降地湧東西
南北爲破邪降魔散病誅敵滅怨靈
衆生護安天命吉祥安心立命
(抜剣九字を斬る)
臨兵闘者皆陣列在前 喝
是の如く稱念せば、如何なる障害にも身心は安全なりと曰ふ。
寛政五年十月一日 秋田孝季
荒覇吐神之原 四説
荒覇吐神は古代支那に於て天竺シヤァバァズガリ石塔山に起り、ラダックに傳はり西王母信仰に混合し、西王母が天に髙き山岳の池に身心を清淨ならしめたる
日本にては大神神社・白山比咩神社・白神山神社・大山祇神社・十和田神社・猿樂神社・熊野宮などに祀らる原は、耶馬台國のありし頃荒覇吐神とて祀りきを、日向族に國敗れ東日流に國王主從落着以来、奥州及び坂東のみに崇拝さるるのみにして、荒覇吐神は今に知る人もなく倭神に変化せらる現世なり。
いささか名をとどめしは白𡶶・白河・白骨・白糠・白川・白濱・白神岳・白瀧・白石・白馬岳・白鳥・白根・羽黒・白山などに在處をとどむのみなり。
寛政五年十月一日 秋田孝季
荒覇吐神分布 五説
はるかなるエジプトの女神ヌウトより、ギリシヤァなる女神ビーナスやアトラス、聖書なるアダムとイブ亦はモーゼ、南米なるアマゾナス女神やインカの神、天竺のシバとビシューヌ、支那なる伏羲と女媧、みなながら荒覇吐神の原をなすものなり、と曰ふは紅毛人なる博士の學論なり。
学説和蘭陀人學士 トマス・エドワード
寛政五年十月一日 秋田孝季
東日流天池信仰
東日流にて天池信仰は、猿賀池・十和田沼・十和田湖・中山天池・空沼・田光沼らの信仰は今にして龍神とせしも、支那天池・朝鮮天池信仰に原をなせるものなり。
その由来は西王母にて天女を意趣し、朝鮮金剛山傳説にては八天女にして、星姫・月姫・日姫・雲姫・風姫・雪姫・雨姫・空姫の八天女なり。この天女は、天界より下界の天池または聖なる瀧や湲流・海辺に降りて肌を清淨するとの傳説ぞ、支那なる西王母が天山連峰の天池に脚を洗いたると曰ふ古傳なるより、今に傳りし各國様々なる傳説と相成りぬ。
東日流にては天池信仰とて、ただ雨乞いなる祈り場とて傳はりしも、古代にては荒覇吐神の女神・男神交精のマグワイをなさしむる祭りを以て創むなりと曰ふ。
支那にては西王母の子なる伏羲・女媧の神が宇宙を造り大地を造り、その大地に黄土をまとめて萬物を造りたると曰ふ。なかんずく女媧は饕餮に護られ地に人の造りしを、支那にては女媧練黄土創人と曰へり。
寛政五年十月一日 秋田孝季
東日流荒覇吐神像由来
石神、ガモ、イペ、マグワイ、石塔山石神
石神は自然造型多く、古人是を海辺・川辺に見付くるを神とせり。
メノコ、ジョカ、オノコ、フクギ、ビッキ、ダミ、カメ葬。アラハバキカムイ、石塔山祀神。
土を練り神の像を造る方法を覚つたるは、晋の漂着民らは故國なる信仰に女媧黄土をまとめ人を造るに曰ふ古傳に習ふ由なり。東日流なる阿曽辺族・津保化族らの土民これを神とて習へ造るに到りては、かしこに尊像を造る處、奥州・坂東・越に到る。荒覇吐族併合王國の國神とて崇拝をなせるに至るなり。
此れ郷に依りては、白山神亦は大神とて今に遺りけるは荒覇吐神なりて、ときより土中より出づるあるはその證なりと曰ふ。
寛政五年十月一日 秋田孝季
東日流ポロチャシの創
東日流にポロチャシと曰ふ意趣は、大いなる柵と曰ふことなり。その立地となるべき處は川辺・湖辺丘、山岳に築かれしも、大なるは八町餘、小なるは一反歩に未足らざるもありける。何れも濠をめぐらし堤をなし、その上に柵を連ねたり。
一重より二重・三重に地形・地物を應用なし、弓矢射て屆かざる中央に舘を築き、見告を髙く築きて視界至らざる半里四方の林を伐る。柵内の木は伐らず、樹果實の成るを植ゆ。外柵・内柵の間に犬を放つ。是れを犬走とて曰ふ。柵目伏とて割板を施し、表より討物・箭の防ぐ備あり。投石、山と備ふる舘に干山菜・海産物・穀物・塩を備ふるを常とし、古きを常食す。
山岳チャシにては、落石のからくり一段二段三段に築き、柵圍の急崖に木を伐り、見當よくなせり。濠橋建固とせず、事あるべきに壊易きに造り、濠水の入處を不明とせるも心得たり。抜洞を施して脱するの施工も荒覇吐族の心得にて、古来より柵を死守せるの謀をなさず、人命大事とす。卽ち如何なる柵より人命大事とせるは武士道にありまずくとぞ諸國の武家に法度の事なればや、とぞ曰へけるも、人は命なくして子孫を遺せず。
命を棄てにして柵を護るは戦の勝運に通ぜず、と曰ふは一族の一義なり。戦にては柵は一に敗れなば二にこもり、退くも亦勝利の段取りたて、國を棄て却るとも一族の命を大事とせるは、心に報復の念を謀るべく、強き戦謀や覚るの道と心得たる故なりと曰ふ。
平河物語
はるけきいにしより日下の君、北辰の明星とて民草を安らぎ、泰平のぬくもり極寒の雪下にても絶ゆなかりしに、想へば怨めしき衣川・厨川の変、九年の役とぞ倭史にも遺りける。
哀れなる哉安倍の一族、阿修羅なる源氏に忠を反したる淸原奴、敵に通じて日下國を賣りしも、罪や降らむ同じ源氏の刃にぞ逝きにける後三年の役。霜月の萩・紅葉・楓の散りそむを、逝きける人の何をか告むかと想はるるなり。
主なる遺し兒の東日流に落しかた、長じて安東賴信とぞ東日流に君臨せしにや、平河の水清く流水の末、十三湊にぞいでなむ。國富み榮ゆる日下の西に沈みて東に昇るや安東の君。久しく平河の鳥、冬に泳ぐる風情をば、十三の冬鶴、平河の白鳥。詠人知らねど、飲越しの祝い宴に唱はるる。
〽さてもめでたやな大里の
この家は嫁入り祝い事
鶴は舞ふ祝家の庭で
池にて白鳥音頭とる
あゝめでたやめでたやな
古きより平河辺の田畑拓けたるホコネやイガトウ白黒に、米は子孫の命綱、平河水に耕らるる。
寛政五年十二月五日 杉野忠兵衛
津輕巡脚記
そほふる五月雨、岩木山の深谷に残雪まだら見ゆ。
狼倉の舘跡より望む未だ植やらぬ山田の蛙鳴く音ぞ、山蝉と併せてさわがしき。
ぬるるまま城跡を巡りたれば、箕の如き邸をなせる處、きわめて害なす妨げなければ、安東義季、秋田に落ちにける。
湛川のぼりぬは、遁ぐるに労ありけるを愢ぶ。
享徳の昔を一夜に落つぬ。
古城いまはただ梢に啼くカッコウ鳥の音のみ雨につたへぬ。
寛政五年五月 眞済
東日流城築考
耶馬台國古代陣 稲城
中柵、ムサ、犬走、逆茂木、ハサ
福島 チャシ
見告、カチョ、犬走り、内濠、外濠
ポロチャシ
衣川、ツメサク、馬倉、犬走、内濠、ダンジャク
ホノリチャシ
唐川、ツメサク、トガリサク、犬走り、ツパリ、ダンジャグ、イシダメ
楯垣
阿津賀資、矢楯、紫楯、逆茂木
迫
栗原一迫、落石、ヒシ、伐木、トガリ、矢楯
逆柵
厨川
久里屋川 夜陣
陣幕、見告、矢楯、ナルコ、メグラ
津輕洪河 仮陣楯
右七画は古代傳来なる安倍一族の戦陣城柵なり。
久安丙寅二年書、淨法寺秘帳より
寛政己未年八月一日 秋田孝季
東國討物考
安倍諸柵出土遺品より
陣幕鉄棒、馬胴抜、馬蹄斬、突落し、火炎槍、大熊手、長刀
坂東より東國の武具は造易く、戦に用いて便利なり。亦飾を施工せず、戦利に優る。
寛政五年八月五日 和田壱岐
日本將軍安倍安國状
人世に生れ、親に育まれ、生々少かに五十年。さながら天地水の化に身命を得、亦保つとも心身常にして安からず。世の乱れ、人の殺生は、その國に住みて満足ならず、人の安住を侵して人を生口に制へて己が權を満たす。
もとより天は人をして上下に造りしなく、光明は無辺に平等なれば、いかでや己れ耳以て満足に當らんや。依て吾が荒覇吐の血累は、主衆にして一人とも践下に制ふる験なし。主なりとて生命の保つこと久遠ならず。從なければ王ならず。民一人として無要なるはなかりき。
依て吾が一族の血には、人の上に人を造らず、亦人の下に人を造ることなかりき。光陰は移ること速く、心覚へなる幼心、五十歳を盡してかえりみしや昨日の如し。依て茲に、荒覇吐の子子孫孫にこの状を遺し置くものなり。
一族をして爭ふ勿れ、亦一族をして暮の貧さを招くべからず。
先祖は一にして二祖なりけるなしと心して、一族の内に仇すべからず。
一片の糧をも相分つ睦みを失ふべからず。
常にして相和なし、國運を護るべし。
抑々一族の血は吾れ獨り異なるぞ、と反心に及ぶべからず。
心して安心立命の悟りに達しべし。
古書の㝍
寛政五年八月四日 秋田孝季
安倍日下將軍安東状
吾が一族の遠祖をして耶麻止彦、三輪山に國を建つるなり。一系の累代をして諸難安しきことなけれとも、越にして子子孫孫今に遺る。無窮ならざる輪廻の時世に、代々生生に安らぎを請ひて國を護り民を導きたるは、常に安からず。
故地を離れ亦奪回なし亦分領に爭ふる故事は去り、隱世せる吾等が祖来の生方や恥なるはなし。常にして人の生命を大事とし、死して護國の益あらんや。生命續族してぞ國造り地を拓き、悦憂もあらん。依て吾が一族は蝦夷とや曰はれむも倭人なる言なり。
國を侵し國盗逆賊、神をして罪を天秤にせむや、何れが重からんや。吾らは、今にして田村麿が睦を以て日髙見國に駐せども、心に油断の空をなすべからず。彼の新業耳覚つ得べし。
古書㝍
寛政五年八月一日 秋田孝季
安日山淨法寺建立願文
奥州荷薩丁比叡邑日下將軍安部頻良、發願建安日山淨法寺勧進。挙一族發起趣意、故祖荒覇吐王安日彦王・舎弟富長髄彦王、代代爲菩提也。依爲山號安日山、稱寺號淨法寺。意趣五佛中尊法壇金剛界胎藏界本願佛頂故念也。爲本願成就一族衆生皆心等捧労盡心施財。
茲寛弘甲辰元年八月十二日、寺棟落慶奉建立五佛壇、内陣大日如来・阿彌陀如来・阿閦如来・薬師如来安置給也。中尊丈六尺四尊八尺像也。佛壇中秘尊金剛不壊摩訶如来・金剛藏王權現・法喜大菩薩・荒覇吐神・女媧神・西王母神・伏羲神・比趣怒神・紫婆神等、身尺像爲秘神佛。
唐僧款徹・髙麗僧天白爲日髙見國歸化寺住、安倍祖先爲菩提供養。
寛弘丁未年八月十二日
日下將軍胤頻良
安日山淨法寺末寺
- 延久庚戌年建立
- 東日流十三千坊阿吽寺
- 長和甲寅年建立
- 怒干怒布糠部小濱十王寺
- 寛仁己未年建立
- 東日流阿闍羅千坊中尊寺
- 萬寿丙寅年建立
- 飽田檜山霞澤淨明寺
- 長元康午年建立
- 東日流中山千坊梵珠山梵場寺
- 寛仁丁巳年建立
- 奥州衣川平泉佛頂寺
- 長暦戊寅年建立
- 奥州松島巌島日輪寺
- 長久壬午年建立
- 秋田髙清水安日山山王寺
- 寛徳庚申年建立
- 奥州阿武久澗津保化山大元寺
- 永承戊子年建立
- 武州陀摩山坊中尊寺
- 天喜癸巳年建
- 越州三國白山大白山寺
建久庚戌元年八月十二日
奥州荷薩丁安日川邑
安日山淨法寺控
白鳥大明神由来
古来より安倍一族は神なる化身とて白鳥を水神となし、鶴を地神とし、鷲鷹を天神なる化身とて祀りたり。依てその明神とて、奥州にては白鳥明神・鷹巢明神・鶴岡明神ら遺れり。
亦飛来地にては伊治權現とか舞鶴城・鶴田などなど、尋ぬるに苦しからざるなり。ながんずく白鳥・丹頂鶴・尾白鷲ら、神聖なるものとて狩を禁じたるは古来の掟なり。
然るにこの三鳥をして神なる本尊とせるはなく、ただ神なる化身亦は使者とて大事とせり。神事・神樂舞にては鶴の舞・白鳥の舞・鷲の舞を神前に奉納せしものなり。
寛政五年八月一日 秋田孝季
奉三鳥化身稱號せし安倍氏
- 日下將軍白取太夫安倍安國
- 日下將軍鷹巢太夫安倍國東
- 日下將軍舞鶴大元安倍安東
- 日下將軍天鷲太夫安倍頻良
- 日下將軍白鳥太夫安倍賴良
- 北島白鳥太夫安倍八郎則任
- 北浦白鳥太夫安倍六郎家任
- 伊治沼白鳥權太夫安倍景良
- 東日流伊治權現太夫安倍光賴
- 東日流淵崎白鳥城主安東髙星
- 東日流十三湊白鳥舘主安東氏季
右の如く三鳥を號せりは荒覇吐神なる化身とて崇むる故なり。
寛政五年八月十二日 秋田孝季
平泉衣川佛頂寺由来
皆黄金をなせる金色堂を建立せし藤原一族。 中尊寺なる建立前にありし佛閣は、安倍一族が淨法寺末寺とて佛頂寺を建立せし跡地なり。康平五年の役にて源氏に焼却されしより、淸原武則再興せんとて勧進せしも後三年の役にて討死し、藤原經淸が安倍一族・淸原一族・平氏一族を菩提供養せんとて平泉に毛越寺・無量光院・中尊寺を元治元年に落慶せるも、子息清衡に依りて各寺棟その屬閣三百棟を建立せり。
依て安倍祖代の安置せし大日如来を再像せしは基衡にして、無量光院を全棟建立了しとき安倍一族の佛頂寺跡に建立せる中尊寺本堂に、一字金輪佛頂坐像と稱す大日如来を安置せり。亦佛寺各寺棟木に藤原清衡・基衡自ら筆なせるは、安倍氏・淸原氏・平氏の菩提を念じて書染めたりと曰ふなり。亦三丈の金色釋迦像胎内に、安日彦・長髄彦・安倍賴時・貞任・千代童丸の像を入魂なしける。
釋迦堂を建立なしけるも、幸いに文治五年の戦に火を蒙らざるも、建武四年に南面武士・南部長信に灾られ焼却せりと曰ふ。長信、甲州源氏にて武田長信とも稱し、後なる南部藩・津輕藩の系に通ずる惡黨間者なり。源賴義以来、源氏に緣る者安倍賴時に緣る因縁ぞ、後なる東日流に南部守行が長信の子孫とて来たり。永き安東一族との戦をなし、その子孫たる大浦平藏に一統されしは深ける惡因果なり。
寛政五年八月十二日 秋田孝季
文政二年記より、明治卅三年再筆
和田家 華押