東日流六郡誌 巻不明、断片史料

荷薩丁安日彦王遺跡

夫れつらつら太古をおもんみるに、陸奥の國・荷薩丁の地に遺りし耶馬台王安日彦にまつろうふ古傳を、吾自ら巡脚に赴き、以て史證せんは是也。

寛政十二年五月三日 秋田孝季

奥州津輕街道遺跡之事

羽州米代川水源、奥州北上川水源、糠部魔淵川水源の分水嶺を、陸奥國安日嶽と稱す。現號を以て、安比嶽と通稱せる山岳なり。

この山頂に祀らる荒覇吐神社ありて、荒覇吐王二十五代・糠彦王の建立せしものなり。この嶽頂に荒覇吐神を祀りたる要趣は、西に流る米代川・東に流る魔淵川・南に流る北上川、三流の源流なれば、天なるイシカ・地なるホノリ・水なるガコらのカムイの相なりとて、古代より地民の神なる聖地とて、イオマンテに選ばれたる處にて、東日流の阿蘇部オテナ・都母の津保化オテナ・飽田の熟オテナ・陸奥の麁オテナ・渡島の日髙オテナ、五族の集ふるイオマンテに狩る熊の狩場に易しき處にて、地湧ける湯治場三處にありて、南にイシカの湯・西にホノリ湯・東にガコカムイの湯、常にして湧ける仙境に連峰し、この三湯を湯治する者は、不老にして常にカムイの救いありとて信仰さるる故に、尚以て聖地たりと曰はれむ。

此の地に到れる地図しるべぞ、次の如くなり。

上図の如く古代なる秘境にて、日下王國なる神域ぞ、東日流石塔山に次ぐる靈山なり。

寛政十二年七月二日 秋田孝季
和田長三郎
菅江眞澄

荷薩丁古寺遺跡之事

糠部より陸羽街道を境澤に到り、陸南街道に入りて石切所より陸南街道・安比川に添ふて飛鳥に到りて、安日山淨法寺遺跡にたどるなり。亦、石切所より陸羽街道を一戸に到りては、登美山西法寺に到るなり。此の両寺は倶に、慈覚圓仁坊にて開山なるものと傳ふれど、康平二年八月、厨川太夫貞任の建立再建にて、その古寺は更に遠く和銅元年八月、安倍日下將軍國東の發願に依れるものと傳ふるは正傳なり。

卽ち西法寺を胎藏界とて、淨法寺を金剛界とて、荒覇吐神を本地とし、日下王國永代ならむを鎭護せし法場とて開山されたるものなり。史跡法場への道しるべぞ、次の如し。

上図の如く古跡なるも、今にして淨法寺は天台寺となりける。西法寺跡は基石もなきぞ、悲しき。

寛政十二年八月二日 秋田孝季
菅江眞澄
和田長三郎

陸奥稗貫古寺跡之事

奥州の黄金境を貫く寶山は、稗貫・和賀に在りて、安倍日下將軍代々に採鑛せし處なり。今にして、安倍一族の金山を秘にあれど、安倍一族をして和賀の赤澤山連峰、烏森山・明倉山・方面山・月山・荒澤山・女神山・眞景嶽・鹿子山・景盛山・髙平山・指倉山・甲山・靑鹿山・阿弥陀嶽・髙千嶽・四枚平山、稗貫の八方山・天山・小倉山・五間山・駒頭山・髙狸山・塚瀬山・圓森山・黒森山・台山・三鞍山・權現山らに金山鑛ありと曰ふ。

この黄金境を護らむとて髙圓萬寺及び圓萬寺を建立しけるは、延暦二年安倍日下將軍安東の開山と曰ふなり。寺號は安日山・富山、各寺に稱號せりと曰ふも、何れの寺に何れの山號やあらむぞ、定かならず。今尚以て、寺跡に金砂の見付くるありと曰ふ。

寛政十二年八月七日 秋田孝季
菅江眞澄
和田長三郎

閉伊安倍一族隱里、遠野邑之事

奥州閉伊遠野邑の古稱ぞ、十戸なり。安倍一族が願望叶はず、厨川にて果たる一族の隱里にして、再興を願ひてその軍資を遠野に秘藏せりと傳ふなり。亦、この地に荒覇吐神なる信仰今に遺りて、オシラの信仰ぞ盛んなり。

厨川の落人多く住にける里なれば、その地名に多く氏姓を遺し、現世に至りぬ。遠野郷しるべぞ次の図にて知るべし。

上図の如く遠野にては、安倍一族の落人に築かれしも、寛治元年に東日流に安東髙星丸がもとに再挙の召に移るも多しと曰ふ。

亦、この地にては念佛を弘布せし金光坊、遠野善明寺に縁りぞありける。

寛政十二年九月一日 秋田孝季
菅江眞澄
和田長三郎

奥州・羽州・越州・坂東之荒覇吐神社

抑々、荒覇吐神の本原は支那古代の崇神にして、天山の西に天池あり。西王母神を以て神祖とし、その孫神なる伏羲が宇宙を造り、女媧が人祖を創れりと曰ふより、民心に弘布しその信仰朝鮮に渡り、白頭山の天池に降り、西王母の孫神八天女が此の國を創れりと曰ふ。

かかる信仰ぞ、吾國の越州に渡りて白山神と相成り、その名稱は多し。白神山神・姫神・天池神・十和田神・白山比咩神・白髪山神・白鬚神・瀧神信仰・湖沼神信仰や山岳信仰に至るもの、みな荒覇吐神に依れるものなり。

寛政十二年九月十日 秋田孝季
菅江眞澄
和田長三郎

安倍・安東・秋田系の秘掟

古代より權を得るは、智謀・武威・財寶をして得たり。安東一族をして先づ以て、海・山にその三道を得たり。

智謀は倭に謀り、智覚を外藩に求め、海幸交易をなして、利益なし財をなす。財を以て一族の暮しを大事とし、山岳に金鑛を得たるは、わが日本國最先の民は安倍一族なり。海航まして然なる處なりせば、海賊の備へに武威自ら練ふ。三道得たりては權を求めざれど、四周に聞こゆ。依て亦、敵を造るなしとて、侵さるるの難ぞ至らむ。安倍一族は古代、耶馬台國・飛鳥に在りて亡び、陸奥に起って亡び、東日流に起って、渡島・秋田に移り、更には宍戸・三春の地に落ちて、現世に継ぐるも、その一族は日本六十餘州に子孫を遺しきことぞ、日本民族をして血縁最大なりと曰ふ。

安倍一族をして秘掟にあるは、

無日輪二天在一天、連一雫水、天地以造人産萬物。依吾一族血累人上下不造、生生常種平等、身心以一族掟三界安天命、安心立命趣。何事爲人命天壽大事、徒爭奪戦乱不起、及一族危急、遁新天地護人命可。是故、泰平時大事心得、積富備難事。山海密處、急事非常財秘藏。長老是永代財、信者継傳可。右以荒覇吐神之加護永代可。

天平寶字元歳 日下主國東

右の如く、安倍・安東・秋田祖之掟如件、拔自大光院記。

寛政十二年十月一日 秋田孝季
菅江眞澄
和田長三郎

玄武秘洞図

(※ここに図あり、省略。)

大光院洞之例、天明歳開掘。上図、例図にして既開洞也。

寛政十二年十月二日 秋田孝季
和田長三郎
菅江眞澄

日下將軍之秘藏軍資

秘寶をして、奥州東日流に固定せるは、祖来侵敵の入らざる故なり。亦、東日流にては雪深き秘境にて、その地位ぞ不解なりせば、未開之處多し。

本巻に記せし洞は、天明災火にて三春藩再興に費用せし開洞にて、石塔山大山祇神社・和田神職に開かれたるものなり。依て、安東一族の秘洞多きも、三春藩城焼失にてその秘図ぞ、亦焼灰せるは惜しきなり。

寛政十二年十月日(※以下判読不能)