東日流外三郡誌 第百十九巻

出羽の住  秋田孝季花押

蒼海郡三郷之事

蒼海とは金井湊より炚浦湊・土崎湊・鳥海湊に至る處を曰ふ。三郷とは金井・吹浦・土崎を曰ふ也。

金井郷は
小童孝之庄 安倍友季
舞戸之庄  安東継季
関之庄   安倍成季
金井之庄  安倍忠季
天皇山之庄 安倍光季
吹浦之郷
艫作之庄  安藤貞任
涛怒之庄  安藤定任
追羅殺之庄 安倍廉季
吹浦之山辺庄 安藤義季
風合之庄  安東宗任
風摩之庄  安藤時季
伊和崎之庄 安藤孝任
土崎之郷
土崎之庄  秋田季五郎
野城之庄  秋田景季

右の通り、蒼海三郷の安倍一族地頭十四人衆也。

元禄十年   秋田賴季

東日流外三郡之乱

應永十八年南部守行、奥州東日流の國守と當職す。古来、安東一族及び宮方の落人の安住地たる東日流にては、その風雲は急げたり。南部守行、子息・義政と倶に平賀郷の羽黒神社に司處し、貝走の如く安東一族の領に押侵せり。

然るに藤崎城主安東教季殿は、和を護らん爲に一族の血起を押へたれども、遂に應永二十一年五月八日、汗石川邊にて南部勢と分水の爭いに始りたるを口火と相成り、茲に戦起りぬ。

櫻庭騒動とは、是なり。安東教季、二度に渡りて南部氏に和の儀を請ふるも、ならず。日々兵を募りて、茲に藤崎白鳥舘攻め、企謀せり。

應永二十一年十月七日、遂に南部軍は挙動せり。櫻庭より平川添へに進軍せる福嶋天童之介、八幡より西へ追軍せる橋本兵衛五郎、平川越し萩野台に陣営をなす南部守行、汗石川添へに進軍せる藤本勘三郎賴義、何れも一騎當戦の荒武將を先頭に、藤崎城攻めに駒を馳せ參じたりと曰ふ。

元禄十年   秋田賴季

蒼海之変

日本王朝、南北に對して卽位し、諸國都々浦々に威勢を爲す。氏族・豪族の輩も、武家・宮方に相對立なして闘ふ。東日流とて、南朝方・北朝方に刃を交ふること、安東一族同志とても盡にまみえたり。

蒼海の金井にては宮方なれば、安倍廉季の謀りにて、巌鬼山鹿野にまつろはぬ幕府方の郷武士を討伐せり。然るに要塞建固なりせば、安東一族も勢のみにして平征ならず、遂に双者何れも兵馬の權を徒らに失ふたりと曰ふ。

元禄十年   秋田賴季

外三郡行状東日流之事

行来川の母流は、東日流の國を東西に境堺す。西南に巌鬼の峰、東南に八頭の峰、雲をきそうて峻嶺なし、南と東に連峯せる中山阿闍羅山の如きは、その往古にまつはる歴史を秘め、東日流の四季を異にす。神社佛閣の歴史古く多きも、古君安倍一族の爲なればなり。

西に廣野果てなしと思いきや、はるか西海の水平に續く故なり。行来川の水門は十三湊なり。是ぞ日本の名湊、七津港のひとつなり。往古は湊のかゞり灯、京師も及ばざる二千戸を越ゆる棟々湊辺に連ね、安倍の君臨せる福島城は、唐川城・鐘城・羽黒城・柴崎城・青山城・中里城をして、臣民はその城下に富を産み、山王日枝神社に十三宗胎藏界・金剛界の法場を設して、その雄をなせし處なり。

元禄十年  秋田賴季花押

髙楯城址由来

奥州津輕奥法郡飯積ニ位スル髙楯城ハ、藤崎城主京師役管領判官安東十郎五郎貞季ガ、弘安元年ニ夷治ノ柵トシテ築城セルヲ以テ創リヌ。

降リテ興國元年七月、萬里小路中納言藤原朝臣藤房公之胤景房殿ガ、安東三郎宗季殿ヨリ飯積ノ庄ヲ分領ナシテ君臨シ、茲ニ髙楯城ハ城郭トシテ建固ニ築城サレタリ。

爾来、城主継君十三代朝日左衛門尉藤原行安殿ノ世代即チ天正十年七月、行丘城主北畠朝臣顯村殿ガ大浦爲信ノ侵領ヲ受ケ一夜ニシテ落城セシメ、爲信ガ津輕一統ノ野望ハ北畠氏ヲ討テ破竹ノ勢ニ乘ジタリ。

依テ、古来北畠氏ト倶ニ宮方トシテ朝臣ニ屬セル髙楯城主朝日左衛門尉藤原行安ハ、大浦兵藏爲信ノ奸策ニ怒リ、一族ヲ蜂起セシメ大浦勢ノ侵領ニ飯積武士ノ挙兵ナシ、阿修羅ノ如キ大浦軍ニ應戦セリ。

攻防實ニ十有餘年、原子ノ合戦・七ツ舘ノ合戦・尻無柵ノ合戦・神山ノ合戦・惡戸柵ノ合戦・長舎盛ノ合戦・金山舘ノ合戦・盛起柵ノ合戦・金神城ノ合戦・弁良市舘ノ合戦・白旗八幡ノ合戦・大坊山門下ノ合戦・鎧留ノ合戦等、十餘年ノ才月、遂ニ天正十六年六月十六日、髙楯城主從ハ玉碎ノ意ヲ決シ、先ヅ以テ老臣ヤ女子童ヲ密ニ秋田旭川ノ地ニ脱難シ、更ニ城主行安殿室女妙ノ方ハ懐姙ノ身故ニ、重臣ヲ添ハシメテ大原ノ里ニ脱難セシ。

後、城籠ノ兵ハ主從ヲ合セテ二百十餘名、自ラ城ニ火ヲ放ツ。鬼神阿修羅ノ如ク大浦陣営ニ斬込メリ。主從ノ契ハ固ク、一兵ダニ生残ル者ナク見事ナル武人ノ最期タリト曰フ。

元禄元年   秋田賴季

十三湊町史

砂丘に海辺七里を圍みて、遠く渡嶋を望める處、洋々たる波涛に行来川の流れ出づる水戸口、是卽ち十三湊なり。

湊辺、西に軒を並ぶる二千餘棟は十三町なり。築港橋、二十六ヶ處。海船藏町・市場町・明神町・酒町・網元町・船造町・寺町・大路町。

右八町を以て十三町と曰ふ。

元禄十年   秋田賴季

十三湊町史

十三町

十三湊は、興國二年に大津浪起りて一挙に海の底に埋り、その昔影を遺すに至らず、今は住む人ぞ二十一軒なり。

湖底に眠る幾千人の靈魂は、唐崎の地藏尊に崇まるとも、その縁ずる者もなく、今は無縁なり。諸行無常とはかくなれや、悲しきなり。

安倍一族挙げて水戸口関湊に財を費すとも、旧湊に復すこと難く、更に南部氏の侵領となりて長期の戦、茲に十三滅亡の追手を蒙りて、廢處となりぬ。

元禄十年   秋田賴季