東日流外三郡誌 二百六十七巻
明治写本(巻物の先頭部分)
飯積之住
和田長三郎末吉
注言
加之書は他見無用にして、外聞門外不出と心得よ。朝幕藩何れの政道に反文なりせば重き科を蒙りぬ。依て、吾が注言一切を護るこそよけれ。
秋田孝季
序言
丑寅日本國は、古代シュメール國のギルガメシュ王の創國亦アラハバキ神を直入せし國造りにして、吾等一族の血に於て人をして生々を重んじ、人の上に人を造らず。亦、人の下に人を造るなし。
寛政五年一月一日
秋田孝季
日本國歴抄併世界歴
大古日本國は神代なる荒唐無實・架空夢想に信じ不可の事多し。神武帝紀元を史籍に載するも、支那・印度・紅毛國に干支の暦も併せ難く、茲に對歴を支那國に併して記逑し置者也。
支那王國継略
盤古氏─天皇氏─地皇氏─人皇氏─有巣氏─燧人氏─太昊伏羲氏=継王十六世─炎帝神農氏=姜姓八姓─黄帝軒轅氏=公孫姓─少昊金天氏─顓頊髙陽氏─帝嚳髙辛氏─帝陶唐氏─帝舜有虞氏=以上を支那太古代とす。
紅毛人王國継略
アダム・イブ─カイン・アベル・セツ=エース=カイナン=マハラレル=ヤレド=ヱノグ=メドセラ=メレウ=ノア=ハム・セム・ヤベテ以上を紅毛人太古とす。
天竺王國継略
チュラニヤン三十世=アリアン以上を天竺太古とす。
- 支那三皇の辛丑年、日本奥州に阿蘇辺族王國を起す。支那にては伏羲王國陣に都す。紅毛國にてはサーゴンのシャールキン一世カルジヤを總して王國となせり。また、メネス埃及帝國創建す。都をメンプイスに據る。更にギーゼ州に巨大なるピラミット建立す。
- 支那神農氏の辛丑年、日本に耶馬台國王朝建國し荒覇吐五王制を以て日本本州百八十縣を統治せり。支那にては伊□國を為し創めて五穀を植て農耕す。紅毛國にては第四朝諸王の金字塔卽ちピラミット建立しきりなりける。
- 支那黄帝の癸子年、日本國筑紫に熊襲族王國を起す。
- 支那五帝の辛丑年、日本國出雲に王國を起し初帝を蘇賀王とす。
- 支那少昊の癸丑年、日本奥州に大挙せる移民、坂東に住み日髙見王國を建國す。初帝を多毛宇津と稱す。
- 支那顓頊の丁卯年、日本奥州東日流に津保化族王國起り阿蘇辺族王國と併合す。
- 支那帝嚳の辛酉年、東日流の津保化族、治統区を奥州全國都々浦々を領す。
- 支那帝尭の辛丑年、日本日髙國・流鬼國・千島諸島・神威茶塚國之諸族に語部を為して史を傳ふ。
- 支那帝舜の庚辰年、東日流を日本中央域とて中山石塔山に筑塔なしイシカホノリガコの神を祀り是れ信仰の創りなり。
右太古之事如件
寛政己未年五月一日
秋田孝季
日本上代歴世界歴抄
支那國に夏王朝起りし頃、日本筑紫國に髙砂族漂着し島津に土着なして王國を築きける継略に。髙天原國とは彼之民の故地にて髙砂國なり。依て日本神代ぞ髙砂族歴代と覚つべきなり。
髙砂族之系譜略
天之御中主=高皇産巣日=神皇産靈=可美葦牙舅=天之常立=國常立・豊斟淳=泥土煑・砂土煑=角杙・活杙=大戸之道・大戸之辺=面足・惶根=伊弉諾・伊弉冊=天照=忍穗耳=瓊々杵=天津日髙彦=鸕鷀草葺不合=日子五瀬=日子稻飯=三毛淳麻=稚三毛淳麻
耶馬台族之系譜略
初代耶馬止彦より安倍氏・安東氏・秋田氏之系譜に明細す。依て本巻に省略を乞ふ者なり。
支那國王系譜略
自夏朝至秦朝
夏朝=禹─啓─太康─中康─相─少康─王杼─王槐─王芒─王洩─王不降─王扃─王廑─王孔甲─王皐─王發─桀王履癸以上十七世代也。
殷朝=湯王─外丙─仲壬─太甲─沃丁─太庚─小甲─雍己─太巳─仲丁─外壬─河亶甲─祖乙─祖辛─沃甲─祖丁─南庚─陽甲─盤庚─小辛─小乙─武丁─祖庚──廩辛─庚丁─武乙─太丁─帝乙─紂王辛
以て三十世なり。
周朝=武王─成王─康王─昭王─穆王─共王─懿王─孝王─夷王─厲王─宣王─幽王=以て十二世なり。東周=平王─桓王─荘王─釐王─惠王─襄王─頃王─匡王─定王簡王─霊王─景王─悼王─敬王─元王─貞定王─哀王─思王─考王─威烈王─顕王─慎靚王─赧王─以て二十五世也。
秦朝=始皇帝一世─二世─三世
右以て支那古代王朝也。
日本國皇統系略
佐怒─(空位亡滅)─川耳彦─城津彦─(空位亡滅)─荒覇吐彦─(空位滅亡)─觀松彦─(空位滅亡)─足彦─(空位滅亡)─根子彦─(空位併合)─大根子彦─稚根子彦─(空位併合)─城入彦─(空位滅亡)─結日入彦─(空位滅亡)大足彦─稚足彦足仲彦─(空位滅亡)─足長女─和気彦─(空位滅亡)大鷦主彦─(空位滅亡)─穴穗彦─大泊彦─白鷦績彦─海辺彦─祀石彦─嶋稚彦─小泊彦─太彦─廣國彦─小廣彦 以上二十八世也。
右皇統系譜は一系ならず。耶馬台國侵領せる佐怒よりの荒覇吐族故地奪回にて立君せし混成王朝なり。依て空位亦亡滅を輪廻せり。然れども、日本天皇系譜に是を順載し、更に上古なる髙砂族系譜と併せしにや、古事記・旧事記のあやまれる所意なり。右、秋田之住物部由来書なる白鳳壬申之古書に依る者にて物部惣宮太夫より謹㝍仕れる皇統譜也。
- 支那啓王甲申年、日本國に百八十の國主ありて、勢あるもの小國を侵す。
- 支那相王辛酉年、東海千里彼方に大國ありて怒干怒布に漂着せし流民、彼の國を報ず。その國とは日輪を神とて崇む石築の塔ぞ天に達するありと曰ふ。亦、神ぞ天にますませば岩砂の丘に巨繪ぞ書ける。一物の大なること一里に及ぶるもの少なからずと曰ふなり。王宮總て黄金にて築石山となす宮殿なりとも傳へぬ。
- 支那泄王乙巳年、東海千里の彼國より馬を半里の大木連船にて移住しきたる民ありて、是を麁族と稱したり。支那にては亞耶族起る。紅毛國にては聖人アブラハム生誕す。亦スカンヂナウイア人移住を北に求む天竺にてはアリアン族プンジヤブに侵略す。
- 支那孔甲王の壬寅年、紅毛國にてはフイニシヤ人海術を得て征海す。亦アシュル建國しニネブに都す。ヤコブ生誕してアブラハム逝く。
- 支那癸王の辛酉年、紅毛國にてはジョセフ生誕す。亦イサク没したり。支那にては夏亡ぶ。
- 支那成陽王の己未年、殷王國成る。紅毛國にてはヤコブ逝く。支那小里王の庚辰年、紅毛國にてはモセス生誕す。亦フイニシア國建ってシトンに都せり。更にはシカマンデルはトロイを建國す。日本國にては耶馬台王國を八方に分って代王政を執る。
- 支那祖乙王の丙申年、紅毛國にてはフエニジアのカドマス文字を遺す。亦イスライル族カナンに移住す。モセス逝く。
- 支那小乙王の己丑年、紅毛國にてはヨシニア没す。イスライル人偶像を造拝してカナン人と戦ふ。ヒニハスはヨシュアを著す。日本奥州にては石置にて語傳し亦縄結をして傳ふること盛んなり。
- 支那祖甲王の癸亥年、支那にては文字の定成一統せり。
- 帝乙王の康午年、スパルタ王トロイを圍み、丁丑年、スパルタ王トロイを討伐終る。
- 支那辛王の丁未年、紅毛國にてはアムエル生誕す。日本國にては築紫熊襲族建國す。支那周朝となりぬ。
- 武王庚辰年、日本國にては出雲族建國す。支那威王の庚申年、紅毛國にダビデ生誕す。日本國にては耶馬台王挙兵して出雲を討降す。奥州東日流にては津保化族海洋渡航を覚る。
- 支那昭王の康午年、紅毛國にてはソロモン生誕す。戊午年、天竺にては釋尊生誕す。壬申年、釋尊出家す。
- 支那穆王の辛卯年、天竺國にては釋尊始めて成道し華巌経を説く。辛未年、釋尊入滅す。
- 支那夷王庚辰年、日本國にては明香に石神イシカホノリガコの三神を諸國に造像す。耶馬台國にては是を荒覇吐神とて崇拝し、茲に神なる崇拝一統なせりと曰ふ。
- 支那厲王の庚申年より十四年共和政となれり。
- 支那幽王の乙丑年、紅毛國にてはオリンピア祭始むる。同王の康午十一年、西周王朝亡ぶ。依て支那國にては東周王朝建國す。
- 平王戊子年、始めて國史を作る。戊戌年、紅毛國にてはメッセニア戦起る。
- 戊午四十八年、奥州東日流に蛭子流着し、是を夷三郎と稱す。
- 乙未四十九年築紫島津に大挙して髙砂族流着す。
- 桓王甲子三年、髙砂族、日向國王猿田彦を誅降なして築紫を掌握す。同丁卯六年、髙砂族の王位に鸕鷀草葺不合王、卽位す。髙砂族の信仰にては己が祖先を神とせるに依りて、祖靈は日輪に住む髙天原なりと曰ふ。髙天原とは神なる靈界にて、生々萬物の魂ぞそれより天降るとも曰ふなり。依て彼等髙砂族はこの國を侵し乍ら天孫なる天降りと地民を誘へて心を洗脳せりと曰ふ。此の頃紅毛國にてはシエナス神を崇拝して祀る。
- 辛巳二十年、第二十回オリンピア祭あり。
- 支那荘王甲午十年、奥州東日流にては石塔山にて津保化族大祭ありて集むる一族五千餘と曰ふ。依て茲に天神イシカ地神ホノリ水神ガコらの石塔を建立せりと曰ふなり。
- 支那釐王辛丑二年、築紫日向の髙砂族ら謀りて耶馬台國東征を奸策す。時なる日向王五瀬にて是を企は佐怒なり。
- 壬寅三年、日向王ら築紫に兵役を募りて豊の宇佐に政所を移し、癸卯四年更に岡田に移したるも謀れず。更に日本本州に陣営を移して謀らんと
- 甲辰五年、安芸に渡らむも耶馬台族是を妨ぐること七年に及びぬ。然るに出雲族日向軍に反忠なして耶馬台軍戦謀に欠くるや、全軍耶馬台の故地に退去なして軍を起しぬ。依て日向軍は髙嶋に戦備なし、南海道・山陰・山陽の兵を募りて八年を終にして癸丑九年、八百艘の軍船を挙げ瀬戸内海を浪華に進軍せるも、日向將軍稻飯彦は海戦にて討死しその副將たる淳麻彦も討死しけるなり。依て安日彦なる耶馬台王の極地に入りて戦はんと浪華の津に屍を越えにして上陸しけるも、耶馬台軍の弓箭に討死せり。此の年支那にては晋の郡公子亡びてその遺臣遺族大挙して東海に遁船し、奥州十三湊に漂着なして永住すと曰ふ。
- 戊午十四年、日向軍敗退し己未十五年、日向軍の將軍佐怒自からなりて耶馬台國を攻むときに、長髄彦王軍謀に敗れ深傷を負いて退く。兄なる安日王の援軍また敗れ、庚申十六年、東國に一族を挙げて退去せり。
- 辛酉十七年、佐怒は耶馬台を全略なして立君なし、世に神武天皇とて日本紀元と稱したるも、史實に當らず。耶馬台國なる平征ぞこれより二十八年に及び、佐怒立君は非ざるなり。
- 支那惠王の甲午二十五年、耶馬台一族奥州東日流に地の民を併せ、荒覇吐族とて再興しける耳ならずその王位に安日彦を正王とし副王を長髄彦に任じたり。卽位の儀は東日流中山石塔山に諸族オテナ及び晋の流民らをも集へて地神・耶馬台神を併せ、是をアラハバキイシカホノリガコカムイとて唱ふる信仰一統にして茲に國稱を日乃本とて第一世の君主を天地に號したり。此の頃紅毛國にてはメシヤ教起る。
- 支那頃王の甲辰二年、佐怒葬じ爾来、支那簡王庚辰五年に至るまで日向族継君爭へて空位たり。紅毛國にてはクレース始めて日蝕史及び宇宙の史書を著したり。
- 支那匡王元年己酉、長髄彦葬じたり。
- 支那定王丁巳三年、安日彦葬じ倶に大長嶺御陵に埋葬しける。
寛政戊午十年正月
秋田孝季
和田長三郎吉次
菅井眞澄
右文献、秋田髙清水物部家藏古書に依る多し。
荒覇吐王國累代暦
日之本の奥つ國東日流とは古き民阿蘇辺族、次なる津保化族、耶馬台族、支那晋之流民らを併せて荒覇吐族と成れる民にして吾が大八洲な初創の國を統治せしむ王政をなしける始祖なり。東日流の古稱ツパンなるを紅毛國にてはヅャパンとぞ現今に稱する故は是に原因を為せる證なり。
東日流は日乃國の中央なりせば北に神威茶塚國・千島大列島・流鬼國・日髙國ら大領土を有し西南に本州・淡路島・南海道・築紫・琉球大列島に至らむ海洋國なり。茲に東日流之故事を知らずして何事の日本古史やあらん。都く是巻に筆記せるは言々眞に非ざるはなし。心して諸傳に迷はず心に憶しべし。東日流に安日彦王・長髄彦王崩じて以来の立君は萬世一系なり。
- 支那定王の丁巳三年、荒覇吐神とて安日彦王なる長子立君し、東日流稻架邑に拓田なして農耕衆に及したり。
- 支那簡王辛巳元年、紅毛國にてはクレース始めて日蝕を世に解明せり。支那にては老子、道教を衆に説く。東日流にては始めて土焼神像を造る。
- 支那簡王辛亥二十年、安比彦王崩じ安舎羅彦王立君す。支那にては孔子生る。紅毛國にてはスパルタ王ペロポンネサス全土を一統す。東日流にては荒覇吐族西南に一族の一統を擴むこと速かなり。
- 支那景王の己卯二十三年、老子没す。紅毛國にてはペルシヤ王神殿をジエサレムに再建す。
- 支那敬王壬午元年、安舎羅彦王崩じ奥法女王立君す。この年阿蘇辺盛再び噴火なし、更に八頭山噴火せるに依り東日流安東浦、水底隆起なし大里となりぬ。支那にては壬戌四十一年、孔子没す。紅毛國にてはサラミスの海戦起る。
- 支那貞定王の壬辰二十年、奥法女王崩じ荷薩丁王立君す。依て荒覇吐王政所を荷薩丁に移して、更に五王を羽州髙清水・渡島夷王山・陸州閉伊・盤州田村に移したり。依て東日流を荒覇吐神聖地とて祭事處となす。此の年、天竺釋尊崩じて五百一年なりと曰ふ。紅毛國にてはテーブル法典なる。
- 支那孝王の癸卯三年、支那龍門の河水赤し。東日流にては神威丘神殿に六萬の荒覇吐族集いて大祭し、中山石塔に於ても築塔大祭を挙行せり。
- 支那威烈王の乙丑十年、荒覇吐王政所を陸州宮澤に移し、五王を更に坂東武藏に移しめて域を擴むなり。依て県主・郡主を十方に配したり。
- 乙丑十年、荷薩丁王崩じ多羅彦王立君す。此年、多羅王崩じて讃日彦立君なし、大船を越州湊に造りて支那安王に交はると曰ふ。是れ卽ち安東將軍の始祖にして、荒覇吐王五十九代なり。讃日彦自から支那に赴き韓國より馬を得て支那馬術チャバンドウを練る。依て茲に日本國に始めて騎軍起る。
- 支那烈王の己酉四年、讃日彦王崩じ珍日糠彦王即位す。支那にては孟子生れ、紅毛國にてはリユークトラの戦起りスパルタ敗れる。
- 支那赧王辛酉十五年、東日流にては荒覇吐神祭司とて、オシラ祈祷師・イタコ霊媒師・ゴミソ占師始めて一族の師とて王より認ぜらるなり。天竺にては印度王ミットラケプタ立君す。紅毛國にては百二十回オリンピア祭あり。支那にては昆明池を造り水戦を習ふ。
- 壬申二十六年、珍日糠彦王崩じ済糠彦王立君す。甲戌二十八年、荒覇吐族騎馬兵五萬騎に達す。依て祖國・耶馬台國奪回の軍策を常に企つ。
- 丁丑三十一年、倭の那古に至る百七十國の國主を誅して、伊那に五王陣を置く。亦、信州日下辺に本陣を固むも、済糠彦王崩じ武波日彦王立君す。天竺にてはアレキサンダー王文庫成る。
- 甲申三十八年、埃及王七十人に命じ聖經を釋す。
- 丁酉五十一年、天竺佛教諸大師大會を開き佛説を結集し、布教の方法を議定す。支那にては東周君惠公のあと秦王政・丙辰元年となりける。此の年、荒覇吐王武波日彦王、故地耶馬台國卽ち倭國を攻めて奪回し、子の根子彦を日之本根子彦國奉天皇とて耶馬台國主とて立君せしめたり。然るに奥州の長老是れを忌みて坂東に興日彦を立君せしめて正王とせるに、荒覇吐族國を分境なして爭ふも、耶馬台國たりし武波彦王、荒覇吐族たるを退き日本天皇とて出雲・南海道・築紫・山陽・山陰らの國主を併せたり。依て甲戌二十年、両王朝立って那古に大戦す。
- 支那にては庚辰年、始皇帝立君し臣なる徐福を東日流に遣し十三湊に来舶なし、小泊崎に舘を築き渡島及び奥州諸國に不老長寿なる秘藥料を探し、その從者多く歸化なして子孫東日流に遺したり。
- 支那にては始皇帝の丁亥年に萬里の長城築くと曰ふ。倭朝にては天皇空位となりて諸國乱るる。支那にては呂公攝政となり、甲寅元年となり荒覇吐王にては日髙見彦を以て六十四代とせり。
- 支那文帝の辛巳四年、支那漂流民多く奥州西岸に流着す。
- 乙丑四年夏、日本國西國一帯に大雪降りて民飢ゆ。
- 支那景帝己丑五年、倭國一統の王なく、小國主各々八十七國に分布せり。
- 支那武帝の丙午六年、築紫に耶馬壱國建國す。是、熊襲族也。
寛政丙辰十二月
秋田孝季記
和田長三郎調
菅井眞澄調
右久世家文書より書㝍仕る者也。是如神代神武一世は架空也。
改元支那年㝍日本暦第一
- 支那西漢壬辰年、景帝は年號を改元す。依て此年を中元とて創む。年號の始とす。荒覇吐族にては語印とて三種の文字を以て意趣を傳ふる法を器・木板・皮などに記し遺すを得たり。倭國にては稚根子彦王、荒覇吐系より立君し、三輪山にて卽位す。依て倭國一統成る。
- 支那大初丁丑元年、東日流にては大船を造りて北辰海に幸を得たり。塩造りにて冬期の漬物を常とす。亦、海幸山幸の保つを久しくせり。ときに荒覇吐王七十七代三輪彦王なり。
- 支那後元庚子三年、倭朝また空位と相成り、木の國爭乱起りて長城を築く。
- 支那建元癸卯四年、南越國祖・趙陀没す。
- 元光庚戌四年、渡島五王、流鬼國を極む。地民、日髙國にて語るより荒覇吐族とて一族の史傳を説き、郡主イシカムインを立君せしむ。
- 元朔乙卯三年、神島大列島及び神威茶塚國をイシカムイン渡島五王に報じ、元狩癸亥五年に至る地極に確かむ。依て是を荒覇吐領とてイシカムインを五王と為してその子孫を地住せしめたり。
- 元鼎己巳五年、渡島を六分なして県主・郡主を置く。是を荒覇吐北辰主六將と曰ふなり。
- 元封丙子六年、東日流にては外安東・内安東・大里に区を分つ県主を置く。亦、大初戊寅二年、宇蘇利・怒干怒布を二郡とす。
- 天漢癸未三年、倭朝再挙せり。
- 大治乙酉元年、天下惡疫流行す。
- 征和庚寅三年、支那にては史記成りて國史とせり。
- 後元癸巳元年、倭に三輪神社を崇め荒覇吐神を祀る。亦天照大神を笠縫邑に祀りて神器を御神體とせり。時に荒覇吐王百代荒加志丸なり。
- 後元甲午二年より始元庚子六年に至る間、荒覇吐王世代を十六代を急継し、留彦王成る。
- 元鳳乙巳五年、陸州に十戸の大域牧を成し百萬匹の野馬を飼ふ。是れ戸の始なり。
- 元平丁未元年、任那人、飽田鹿角に来りて稻作を耕教し、地湧油を堀る。
- 本治辛亥年四年、新羅始祖朴赫居世生る。地節甲寅年、越州五王出雲を攻めて若州に政所を移したり。
- 元康丁巳二年、倭朝空位となりぬる。爭乱起る。
第一了