東日流内外六郡誌大要一

極秘之事 安倍軍資控図

嘉吉壬戌年六月  安倍太郎義季
安東潮方政季

十三湊髙丘鰊崎福嶋城、放南部勢野火攻、脆落舘、人馬脱鏡舘丘新城唐川城。時海交財運鍋越山、更移潮方、更中山石塔山、掘山面秘洞埋閉。是城如要害地位自昔、大光院金剛洞胎藏洞備天然、埋藏財六百両延棒千二百貫也。更渡島砂金千貫・太刀二百本・薙刀百四十七本・弓箭六千本・弓二百四十八張・神佛諸像百躯・法具若干也。

亦安東軍船渡島隱舶、更怒代檜山城秘藏。以是一族乃末代子孫之爲遺置者也。尚以祖安倍一族康平五年厨川合戦之再起軍資埋遠野貞任山二山。爾来隱處不知、是一萬貫。遠日一族是處探求日下國起可。

安倍安國之事

安倍一族にして日下將軍、奥州の覇者たるは荒覇吐王處を宮城に移してより、その榮を得たり。荒覇吐王に五王あり。北に東日流王、西に飽田王、東に閉伊王、南に越王を配しける。

日髙見國領とせるときに、西南に倭王ありて飛鳥里に宮す。更にして西國に出雲に九龍王、南海道に志満止王、西國筑紫耶馬壱王をして日本五王とて支那に聞こえあり。日髙見國は安東國となし、日本國五王を安東將軍と稱すはこの時勢を曰ふなり、とは東日流語部に傳ふなり。歴史の正なるは古代にして支那に書傳ありきも、是れ時代に於てをや、正なる傳あるべきもなし。

支那に交りき五王の國王にては、安東將軍・耶馬壱国卑彌呼女王のみにて、日本天皇とせる現帝の祖ぞ未だ越にありて五王の配下に從へたる一族なりと曰ふ。太古に西南日向に地族猿田彦を討にして、東征にありき佐怒王と稱すを神武帝とせるも、是れぞ後世なる倭王の作説なり。

荒覇吐王に安倍を稱せしは、倭國奪回し、大和の安倍郷に髙宮を築きしより、爾来安倍を姓とせり。依て、安倍を姓とせる荒覇吐王ぞ安國が初稱にして、爾来、安東氏・秋田氏とて現世に至るこそ、太古に耶馬止彦より一系なり。かくの如き歴史の實相ぞ、三輪山に深く秘藏さるると曰ふなり。

奥州金山秘傳

日本國採金せるの史は、奥州を以て先史なり。支那國人、羽州に漂着せしを山師とて安倍一族の採鑛師とて、奥州の山面に深鑛なし莫大なる黄金を得たり。その藏處ぞ卍海なる荒覇吐神の宮に秘洞を造りて永代金神とて祀り、荒覇吐王の他にその秘處を知る人もなし。

荒覇吐王の採鑛ぞ渡島に求め、砂金を得たるその量ぞ十萬貫と曰ふ。支那に黄金を獻ぜしより、日下國を黄金國と傳ふるは、君公子一族の歸者にて傳はりぬ。

東日流の古稱は津蕃ツパン國、次には津波流ツパル國、次は津刈國とて呼稱あり。今にして、東日流なり。支那にては黄金國津蕃具ツパング國とて稱けると曰ふ。

卍海とは何處ぞや。その海に陸なす處に荒覇吐の宮あり。秘金十萬貫の眠る黄金の地下宮殿ぞ、今にして夢の夢なるか、胸躍る也。

奥州タダラ師之事

金銀銅鉄の採鑛ぞ、奥州至る處に存す。亦、珠寶石また多く、古代より倭國に商益せり。石切・玉造の工師は、地民の造法に依れる多し。この造法ぞ、物部一族の傳教なりと曰ふも、定かなるなし。もとより東日流より起りし石切・玉造にては、後世なる物部氏の傳をはるけく越ゆる實相なり。タダラ師、亦然なり。

海辺洞穴城之事

安東一族をして湊を大事とせしは、古来より海賊に備しむ故にして、その武具とては飽田なる地湧油、ハタと稱す速舟、投弾と稱す火薬丸にして、その造法すべて支那傳来のものなり。硝石造法にて安東船の兵備ありて固けれど、湊に護るは備なし。依て海辺に洞穴を掘りてその留守居の護りとなし、亦冬居の寒けきを過せりと曰ふ。

山中洞穴の事

安東一族にして山住むるもの能く洞穴を掘りて冬期を過せり。その工堀ぞ山を抜き洞中に留井を造り神の祭壇を造り、更には一族の墓處をも造るに至るなり。

古代津保化族能く施工せりと曰ふなり。奥州東海に洞穴の多きは津保化族住居せるに依るものなり。亦、城を築き秘洞を能く掘り一族の難を救へたる史傳亦多し。落城に人死せざるは此の故なりと曰ふ。

東日流にては唐川城くけ、福島城くけ、柴崎城くけにて多く人命を救へたり。亦、佛閣にても而なり。佛像に火難盗難を防ぐるために施工せるも多し。もとよりその處ぞ秘なれば今に遺りきも崩れ危く、入洞究むも命がけなり。

安東水軍之事

西海を異土に航す安東船を護るは水軍にして、その速きこと安東水軍に越ゆるなし。帆引船・戦船・水先船ありて、千石積船を前後左右に護りぬ。

大弓を備へて、火弾・爆弾を備へては西海の海賊に敗れたるなし。安東船に船掟あり、是を護らざるものは下乘さるること固し。

一、
船中にて酒肴すべからず。異波乱風に労を備へよ。
二、
如何なるとも、積荷を破るべからず。
三、
出船の前に船腹・主舵・帆破を、修理をおこたるべからず。
四、
海航中に労交・眠交の順を、不公平とするべからず。
五、
水先の物見は、船航の避舵廻船に可能なる先をして、隱岩・流木の障害を気付くべし。
六、
寄湊に荷下なき湊にて、暴飲食すべからず。航船の水食物を速かに求め、船に修理を施して出船し、荷降の湊に先を急ぐべし。
七、
歸り買は、賣却金の三分の一とし、奥州に無き産物を積むべし。
八、
京に入りて古着を買い、堺にては船金具を買ふべし。奥州にて不向なる物を、價安きとて積荷すべからず。
九、
船商は、種を買ふて成品を賣るを要とし、地湊の求むる品を郷に産しべし。
十、
常にして海図を安航にその流潮を究め、天候に変流せる難處に潮路を見付くべし。
十一、
船中にての罪一切、船頭是を判じべし。
十二、
勘定は記帳・現金に相違あるべからず。亦、賣利を以て適記すべからず。
十三、
安東船にして他國の湊に下船せる身装ぞ、安東船なる印をなせる船新着になして、無禮あるべからず。

右以て安東船、拾參掟なりと曰ふ。

安東兵法之事

陸戦騎馬戦を古きジャパンドウと曰ふ。もとよりの馬術の起原ぞモンゴウルに發す。陀駆法とて、馬走を上下にせず足音を鎭め、敵に背迫し一挙に襲撃せるの法なり。兵具は小弓・馬倒・からみ・突槍にして、その戦法百戦勝なり。

歩兵にして、護ると攻法、その兵法を異にす。何れも重陣にとりて、散兵戦の敵を撃つ地型・地物を應用なし、敵襲に合せて應戦し攻むるの術は、草に伏し木立に走り、吹く風の如く敵陣に迫り、敵視を囮兵に意を誘へて、油断の一刻を突くなり。先手を弓箭とし、後手を長刀騎馬蹄に踏乱して百戦也。

安東一族をして、城柵は死守せるを要戦とせず。一族守命の護りとて、危ふければ捨城なしけるも、敵誘必殺のからくりに戦法あり。弓箭刃闘をせずして脱城なし、一兵もなき捨城に攻めて敵多く殉ぜしは、應永・嘉吉の東日流長期戦に、南部勢多く殉ぜるは、安東軍記の如くなり。

古来より護りて利なくば、捨城し、亦地領をも捨つるは、人命大事とせる故なり。生命遺りて、再興あり。死しては一族の影も遺らざるを恥とし、戦利ありて進軍し、戦利非ざれば退き、地の果に退くとも一族の生命を尊重なし、城を枕に死すること一族の戦法に非らざるなり。

神佛崇拝之要

古代に於てヌササンを、ミマタ神木にカムイノミをなし、イオマンテをなせるは、渡島に遺るのみなるも、東日流に民族併合なしける耶馬台族・支那漂流民のアヤ族・韓國漂着民なるクヤカン族らに東日流先住民なるアソベ族・ツボケ族の大併合なりて、農國を奥州に南下併合なし、是を荒覇吐族とて、世々に君臨せし大祖を安日彦王その副王を長髄彦王とせり。

一族挙げて祀るは古神なるイシカカムイ・ホノリカムイ・ガコカムイの天地水神なり。是れにかへて、荒覇吐神とて支那古神の西王母神・伏羲神・女媧神の三神を三輪大神とて、天然自然を神とせる信仰に加へ、クヤカン族の白頭山天池神・アヤ族の饕餮トウテツ荒神信仰を加へ、是を白山毗咩神または白神山・姫神山信仰をして、今に遺るは古代東日流信仰なり。神司を司るはイタコエカシ・ゴミソエカシ・オシラエカシと言ふ長老なり。

これらを併合せしはアラハバキ神にして、一族の住むる地に一統なして弘布しけるも、大寶元年に役小角仙人、東日流に来たりて神佛を併せて修験宗をして弘む。卽ち佛道とは役小角仙人が感得せし金剛界・胎藏界を本願成道とせる金剛不壊摩訶如来を本地とし、その垂地を金剛藏王權現となせる、天竺・支那渡来の佛法と異なれる教典を以て、是に法喜菩薩を感得し、荒覇吐神をその大本地とて東日流に弘布してより、奥州到る處に渡りぬ。

安東一族も是を庇護し、永く崇拝を遺し、東日流中山なる石塔山にその遺跡遺るは、荒覇吐神社聖に遺りぬ。

修験とは神佛に求道し、金剛不動の靈験に心身を修むの求道なり。依て一族の渡りし處に、役小角を今に祀る古寺ぞ、今尚以て遺りぬ。唱題はアラハバキ・イシカ・ホノリ・ガコカムイ・南無金剛不壊摩訶如来・南無金剛藏王權現・南無法喜菩薩と唱號なし、生々に於る諸障の伏魔を降伏せしむ法力を全能とせり。是れ秘法とて和田累代に傳へ遺りぬ。

寛政甲寅年  秋田孝季
和田壱岐