丑寅風土記 第全六ノ一

戒言

此之書巻は他見無用。門外不出と心可。

寛政五年   秋田孝季

序言

本書之再筆は、原本虫喰失書寸前に付き、無才浅学乍勤書仕り、後世に遺しもの也。

明治四十年正月一日   和田末吉

歴史以爲眞事

古今にして歴史を綴るに當りて、既書之多くは事眞否を曲折し、讃美の余り枝葉華實に飾文を加ふる多し。亦、世襲に制あるべきを勇筆せるものなく、眞實は抹消さる多し。依て、古代よりの古事も旧隱亦皆滅せるあり。茲に、かくある世代に蒙むらず、本巻は丑寅の日本國を、代々に起りし史實を求め、茲に如何なる同説たりとも、一行の異説ありては記入に事欠かざれど、私にして史趣の評亦は収除是無く綴りたり。

依て、史讀判断は読者の心に以て賛否の勞考を仰ぎ、玉石混合とぞ評あるべきも勇筆なせり。元より百觀百論に盡しとも眞實はひとつなり。その一つを萬粒の砂より選ぶる心算にして、本書は成れり。老婆心乍右心得如件。

寛政五年四月一日   秋田孝季

日本國史宣

抑々、丑寅の日辺の國を古来より日本國と號し、山靼國との交流萬古に深し。人祖此の國に渡りきは超古にして、十萬年乃至三十萬年前に人跡ありきとぞ語部に曰く。亦、國の創・宇宙の創を説ける古傳ぞ神話ならず、天然の自創になる顯起として成れるとぞ説きけるなり。

神とは是の如く成れる全能の力原なりと説き、相ありて相なく、無になる満密度より無限の空間に宇宙を荒吐ける大爆裂にて、暗黒は光熱に誘爆なし、その煙塵にて億萬あそうぎの星なる天體日月地の界と成れりと曰ふを、われらが祖人は是を荒覇吐神とて崇拝せども、神なる像を造らず、天然の造りき石塊を神とて祀りき跡ぞ今に遺りける。巨石・巨岩を神なる仮相とて祀りぬ。

依て、古来より天に仰ぎて宇宙をイシカのカムイと崇め、地に伏して萬物生命の母とて是をホノリカムイと崇め、水なる一切を生命生死のガコカムイとて崇むを、荒覇吐神とて崇む他、何事を他信せざるは吾らが祖先なり。

人の智は山靼をして渡り、古代より紅毛人國の智能を得たりと曰ふなり。抑々、山靼に通ぜるは、語通に難ぜず、北斗の星をしるべに至る往来ぞ、今にして叶はざる法なり。道ゆきに飢ゆるなく、人をして爭ふなく、古代は寒気の他人の衣食住に欠くことなけむは、擴野果なかりき山靼なり、と語部は曰ふなり。依て、山靼にてはこの國を丑寅の日辺の國、日本國と宣いしは、支那なる書物、旧唐・新唐書に證記遺れる處なり。依て倭國は日本國ならず。日本國とはわれらが國土にして、蝦夷國とぞ號けしは倭人なり。

吾が國の史證は山靼にあり。陽洛に聞くべし。渡島に遺る貧しき者の船稼人足の唄に、追分あり。是ぞ蒙古なる唄なる、陽洛にて亦の名をコルデトと曰ふなり。是を、追分宿より北に傳りき、とは笑止千萬也。かく一例にても、西高く東底きは古来の倭策なり。東にあるべきもの、唄一節とても西に造りきものとし、國號までも西に奪わるは、必ずや神の報復あらんや。

太古より、日輪は西に昇ることぞなかりき。合掌して拝むべき日辺の國を、蝦夷とは何事ぞ。木は根枝葉華非ずば、水にして坂流・登流なし。

寛政五年四月二日   秋田孝季

阿毎氏之歴抄

一、

阿毎氏之祖は、津保化族よりいでたる西進の先踏民族也。代々にして賀州に定着し、犀川之三輪山及び大白山を神處として一族は隆盛し、支那及び韓の諸傳にて國造りをなさしめたり。

依て王を立て、國領を耶靡堆に擴め、箸香の地に王居を置き、神處を三輪山と稱して郷を造る。蘇我郷・明日香郷を主郷とし、國を八方に擴め、奈古國・木國・難波國・箕面國・津國・志靡國ら耶靡堆六國とて、是を倭國と國號す。

初の國主を、耶馬臺王と稱し、出雲赤川を投馬國と稱し、築紫に支那及び辨韓・辰韓・馬韓・濊・高句麗諸國の流通往来を、築紫に國造りぬ。是を西投馬とし、奴之郷・陽之郷・日迎郷・宇東郷・海州郷・岡陀郷・磐江郷・末盧郷・伊戸郷をして邪馬壹國と稱し、耶馬堆邪馬壹國なる西國川の副王を置きたり。是ぞ、築紫最古なる國造りなり。

築紫なる時の氏主に、熊氏・猿氏・隼氏・陽氏・流氏・邪氏・彦氏・狩氏の九主ありて、邪馬壹國統治せり。神なる信仰厚く、海幸神・山幸神を祀りきと傳ふ。支那諸韓の歸化人多く、國に稲田作あり。是ぞ耶馬壹國に速傳して國富ぬ。代々にして耶靡堆王國擴むるも、東國丑寅には交せず。此の國を東王父の國とて、魁の國と稱したりと曰ふ。

降世にして築紫日向族起りて、筑紫耶馬壹國一統併合し、倭國に東征し、投馬諸國は是に降りて、倭國耶靡堆を侵略せり。七年の長期戦を空しく、時の王たる安日彦王・副王長髄彦王ら、坂東に大挙して北落し、東日流にその主流は落着せり。

右阿北物部家文書也。

天文辛丑年十月五日 坂東太郎鹿嶋秀瑞

二、

時に、奥州及び坂東にては未だ國統せず、地主多立にて地を治めたり。東日流にては、上磯津保化族、下磯阿曽辺族に、その多勢なるは宇曽利族なり。阿北にては、火内族、由利族、鷹羽族あり。陸中にては、糠辺族、荷薩體族、鷹巢族、村岐族、鳥族あり。岩代にては猪族、磐族。磐城にては耶馬伊族、靡伊族。陸前にては嶋族、大人族。越にては宇留族、田京族。上野・下野・常陸・武藏にては熟族六十八主あり。下總・上總・安房には海熟族二十二主あり。信州・甲州・相州・駿河・伊豆にては熟族百八十六主、各々分布なせり。

熟族はもとより阿毎氏系にして、阿毎氏の祖に當れる一族にて、坂東より越州に多住せり。かく住分せる丑寅の國を、日本國とて一統民族にせしは安日彦王なり。支那晋民大挙移るを得て、東日流より稲作を布産せしめたる、無闘の併合なりと曰ふなり。

天文辛丑年十月五日 坂東太郎鹿嶋秀瑞

安倍氏姓攺之事

阿毎氏より安倍となりける故の一義は、故地耶靡堆の放棄に依れるものなり。語部古事録に曰く、東日流に阿蘇部族まかりし頃にては、安東浦・外濱・合浦の海幸は人の暮しに飢ゆるなき、神の國もどき處たりと曰ふ。

依て國治むる長を、宇曽利に嶋津神、東日流に國津神とて、國主を立て永く統治しけるも、宇曽利に東日流にまた飽田境山中に火吹く山と相成りて、人多く火降流火泥に死す。海を陸にて埋むが如く、安東浦は大里と相成り、宇曽利は嶋ならず陸にて糠奴布と續きたり。

此の山々は、今になる東日流の巌鬼山・八頭山、宇曽利の恐山なり。山の吐火泥終るとも、年毎なる津浪や大地震起り、地裂け濱は怒涛渦をなして、白鬚の水は走りて、人は中山に遁げたるのみ救はれたりと曰ふ。神なる聖を中山に選び、石塔を建立して、神なる拝處を造りたる處、石塔山也。

東日流は一挙にして荒芒とし、海辺に魚介もなく、山に鳥獣も住まず、人は西に新しき天地を求めて去る多し。然るに十年を經ぬ間に、大里は木なせる葦の大草原となり、蛇流れせる平川・汗石川・岩木川の州髙きに群れる白鶴や白鳥、草原を走る鹿の群れ、此の地に馬を倶なせる津保化族住める時に、東日流阿曽部族は國津神をしてこの津保化族の侵領を防がんとす。

然るに宇曽利の嶋津神、津保化族と併合し、阿曽部族を追討しければ、終にして少領をして爭ふは神に反くとして併合し、茲に津判倶とて民族共存の國を造きに、大挙して移り来たる晋民の漂者と耶靡堆一族の来着なり、双方とも土民の狩漁域は入らず、大里の葦刈り拓き、稲田を作りて耕作しける。即ち東日流稲作の創りなり。

東日流大里に人住むる處、拓田稲作なり、當にならぬ狩漁を農耕に、衣食住を固定せむに邑をなして住むるに、衆をしてなせる奉仕も長老をして司り、邑から邑へと道を通して是をば治むるオテナを選び、更に十里・二十里と國擴まりては國主を建つることと相成り、茲に立君せるは、安日彦王とその舎弟なる長髄彦を副王一説に富王とも曰ふ。となせり。依って茲に、阿毎氏を攺め安倍氏を姓とせり。

寛政五年八月一日   秋田孝季

誇滅後遺痕跡堂

倭に見らる山陵の跡ぞ、民を下敷とせる威權の固持を、後世までも遺さんとせる國司る者の愚骸ぞ、神への全能を怖れざる權者の行爲なり。

神は、生滅を衆に轉生なさしめて、三界の世に甦す。如何なる大墓を造りて葬ふとも、神なる御意趣に優れず、大墓にて屍を大事とせるは、新生に甦りぞなく、何事も空しき行爲也。無なる形相の魂魄に、肉體の衣を着用せる一着を一生とし、體質世々耐生を保れず、死しては一刻とて魂魄遺骸に駐るなく、己が生々の裁を神に判決さる冥界に赴き、過却の痕跡を形に遺し、亦人心に遺したる善悪に裁きて、神は次世へのその魂魄に生々萬物の生命體に甦えす。

是の裁きに依りて、人間の父母をして世に生るか、亦は畜生獣物か、魚貝鳥虫か、草木苔藻か、人身をして生るは望みて叶はざる神への信仰深きに依りて定まるるなり。王たる者になりせば、自から神たるの威權に以て人民をその命を命とぞおもふなく、奴隷の輩に下視せんは、神なる大罰を怖れぬ行爲なり。彼等にして、再び世に甦りなき無明冥界に、自らを大墓に造りて閉す自得行爲なり。

依て、生々にして神律を護り、己が必要以上なるを慾すべからず。慰めに生物殺生をする勿れ。神、常に汝が四辺にありて、神の与へし肉體を如何に生々せるかを見通せるなり。體は汝のものに非ず。神の与へしものなれば、汝に從へきは神の与へき時に耳なり。その時ある間、汝は體を從ふのみなり。汝は眠りても、體は自から脈を爲して生々し、そして神の定むる法則に從へて育つ。そして成人し、神の子を世に遺しめてを、汝はこれのものとてせるも、それは神ぞ汝に科せられたる役目にて、汝耳ならず、萬物がその輪廻に科せられ子孫を遺すべくの天命なり。

依て、汝が意趣ぞその望は身心を異にせるなり。亦、汝が身をして心に長寿を願ひども叶はざる多く、刻前一途の命脈は、神耳の御意惠に据されきなり。依て、衆心を惑して得たる財富にあり、亦權座にありとも、神なる特護のあるべきもなし。如何なる大陵を造りても、その行爲ぞ神に楯構ふる行爲なり。汝は汝にして、汝が身をしても汝のものに非ざるを覚るべし。

石塔山講義より

是の如く人生色々のなかに、己が心のあり方なる救済を説きたるは、荒覇吐神なる信仰なり。人は誰とて己が信じる神を信じて固ければ故に、知らず迷道・外道・邪道に脱皮を得ずして、運命を異にせる多し。信仰とは、心の正邪、道のしるべ也。人體必甦の法則に救はるの要点乍ら、人の作りし神旨多きが故に、世はままならざる多し。

丑寅日本國の神は、相ありて相無く、求道に透しては全能の神通力に救済を叶ふ信仰なり。茲に是の求道を解きて、吾ら一族の心を救はん。先づ、神とは無にして空なり。その無空より核を生じ、素粒の子を擴大し、重力を起し、無限の宇宙を造りて、星日月世々光陰す。まして地界は水土の星にて成れるは、日輪の子なる故なり。荒覇吐神は、かかる創世の時空にして生じたる總てなるが故に、天地水あるものをしてある總てを此の神とせし古代人の遺教なり。依て、宇宙に起る總て、亦地水に越る萬物生命の魂魄を相なくして造りきも、その魂魄各々に特質を与へたる故に、生命體得たる者に神を神とせざる人間の心ぞ、智度になる程に増長せり。

然るに以て、神は生死をして苦脳を与へたれば、尚神を造りて互惑し、己が欲しいままと相成りければ、天変地異を以て是を崩滅せども、人間耳は未だに己が智力に賴りて、化學・物質理學にて究明、科學に救爲を求む。亦、智度ある信仰を以て尚神に抗しければ、自他倶に魂魄の實在を未だに知る事能はず、心貧しきなり。神の信仰かかる一切を断って、己が一切を天命に安ぜる求道即ち信仰を心に不動ならしめたる時、自から開くる無上道なり。

寛政六年六月一日   秋田孝季

安心立命、安天命事

人の世界に説きたる神多く、亦信仰多し。然るに、救済・求道に何事の靈験とて顯はるなし。是ぞ世襲都合なる宗教信仰なるも、なかには神なる眞理にあるべきもありて、その智度髙きあり。

依て、丑寅日本の古代人はその求道を求めて、山靼萬里の水陸を渉りて、此の國なる荒覇吐神なる原点を證したり。山靼なる奥所はオリエントの紅毛人國界なるも、諸神諸行の神々を説ける末に至りては、今になるエホバ神なるキリストの教あり。亦、唯一の神アラーを説きたるエスラムのマホメット教あり。古代神なるアラビア諸神、亦エジプトのフワラオが遺せしカイロのナイル川域の神々、古代シュメールのルガル神とその土版教典、今にして讀むるものなし。天竺、亦然にして、佛陀の教たるゴーターマの教とて故地に無く、今にして遺るはシブア神を崇むるヒンズー教盛んなり。西北の紅毛人國にては、オオデンの神たる信仰あり。支那にては西王女神仰、モンゴルにてはブルハン神なり。

是の旧新の神にして、支脈に生ぜし信仰亦しきりにして、かたくなにも今に信仰せし民族も遺りて、多様なり。依て、この神々を要典に結せる處は一にして、他は加神なり。即ち、神を人の都合併せし地風土の相違に加ふるものなりき。貧しき者は貧しきに祈り、富になる者より富と權に欲して崇む神を神職に求めて造り、作説の神傳・聖典を讃美、達文に作りて説く。何事も求めて無常なり。己が信仰耳を聖なるものとし、他を外道の邪神信仰とて、權にある者は他信徒を断圧し、反抗になる者を處刑に及ばしむる惨劇ぞ、今に諸傳多し。

然るにや、武に強信を布せども久遠ならず。大衆をして心に入りたるは、今に遺れり。紅毛人國に到りては、神々の神殿造られし神像の數々は、山なせる廢墟の荒芒跡に見らるなり。

寛政六年十二月一日   秋田孝季

荒覇吐神之全能

一、

神の崇拝に萬願あれど、荒覇吐神は祈願に重きを爲さず。崇むる人の、心委ぬる者を救済す。亦、神柵を屋中に備ふるも無用とし、亦供物とて無用なり。不断にして、心中に神場を造り、積善の供物を心中に供ふ耳にして叶はるるなり。身體六根を常に清淨とし、朝昼夕に心中をして唱ふるは只、アラハバキイシカホノリガコカムイと念ぜよ。此の神を念ずるの他に、他神を念ずる勿れ。

是く心に冐頭あらば、神なる化度に外れて崇拝、仇たるべし。是くの心にしては、荒覇吐神を信仰に断つべし。荒覇吐神は心の神にて、大社の迦藍に降神鎭座せる神に非ず。天地水神の御成りませる處なり。依て萬物は神の造れるもの故に、供物無用にして、神殿また無用なり。

ただ神を衆にして祭るとき、ジャラ木の下にヌササンを設し、イナウを建て、カムイノミを焚きて、そのまわりをフッタレチュイと即興して舞踊せよ。肌に汗のいでむまで舞踊せよ。時に、神の靈相ぞカムイノミに顯れなん。煙と見ゆあり、火炎と見ゆあり。亦神司に靈媒なく告ありきあり。夢疑う不可。ときに土焼の器及び神代をカムイノミにて焼くべし。家に入れるときにして、入出、入口より入れるべからず、神窓より入れるべし。是こそ守るべし。

祭りなる二日前より清流にて、六根を清淨し、妻とのマグワイ一切断つべし。祭りにては妻とても、神のお召しなり。亦、夫婦事になる一切を解き、己れは己のもの身仕擇を爲すべし。祭事になる一切の食物、ヌササンに供へ、祭事終りて老若男女、是にて宴とし、酔いて神を送るべしと曰ふ。

マツオマナイエカシ  シャクシャイン

二、

神を祭れる行事にては、東日流・陸羽、風土にて異なりぬ。海辺に住むる民にては、ウンビスとてイチャルバをなし、イザイホーとて祭りぬ。特にして海辺になる神事にては、ウンジャミとて濱に舞踊せり。ホオイシヤホーサッサとはやしたてるに、是また即興の唄にして、これを今になるヤッコ踊りと曰ふ。何れも古き民唄なれど、神事に多く唄にして神に祈詞とせるは常なり。

〽よべなよべね行って
  ばばほちやまよた
 ばばもばばでねなあ
  もちやげでさひだあ
   アーホーイホイ

〽じやんときまらがして
  ささはらこげば
 ししもむじなこもお
  どてんしてねげだあ
   アーホーイホイ

〽してばさひます
  七つも八つも
 だばてひるもねでい
  わいさのりかげなあ
   アーホーイホイ

〽いぺといふもの
  おそろしものよ
 がものがんぺを
  ぎりっとくちだあ
   アーホーイホイ

〽痛でぢや放ひぢや
  がもあはなたらし
 痛ぢや放ひぢや
  がもあはなたらし
   アーホーイホイ

とかく祭とは一年の慰みなれば酒酔につけて唄の即興夜を明すほどに盛上げたり。

右、江留澗のヤイ唄より

荒覇吐の神に男陰・女陰の石神を奉納せるも、子孫繁営の願ひを唄にてまぎらふも亦、古代なる信仰、迎神よき哉。盛り上る宵祭には、また、はやし言葉も流行せり。

〽ホラ唄よりはやし
 はやしのきのご
 やだらねくたきや
 ピーピのチョーチョ

〽ホラ九月の宵宮
 あぱばもさねで
 せがれあたてまて
 ヂャンヂャのヂャンヂャン

〽ホラひでもふれどごあ
 めんたのあそご
 ゆびこ二本ひで
 ニチョラのゲチョゲチョ

〽ホラさびば つづごまる
 せがれど めぶぐろ
 だばて あぱなでだきや
 ピント タッテジャン

かかるはやしを誰ぞか唄い、間にはやしたてる也。笑ひぞ神事毎の風物たりて、人また睦むなり。

寛政六年五月二日   青山孫四郎

三、

荒覇吐神をして拝する奥義とては、古来諸法あり。紅毛人國大法、七祀あり。日本國大法、八祀あり。山靼國大法、三祀あり。支那國大法、六祀あり。天竺國大法、七祀ありて、荒覇吐神なるに入れたる要法三十一法とせり。

法は五國神の組合せに、神祀の答告相解す。即ち、碁なる十九本之縦横線三百六十一目になる、白七十・黒七十・赤八十・緑六十・青三十の神石を三百十石とし、是に中央東西南北なる各十神五十を加へて占ふの法に、黄をなせる六色の數各々に、各五の全能神五の魔神を得手とし、是に裁くる十神五十の黄石に囲まるに大吉とし、その囲に欠する方位にて、吉・半吉・大凶・凶・半凶の占に判断せり。

置石の法則とて、生年月日歳數をして六色の數目置縦横定まるに、神石なる布石是に對置なして判断せる奥義ぞ。百的の當判に外るなし。是法にて成れる除炎、亦萬疫退散・恨靈死靈生靈呪咀の障拔、亦生々萬物になる報復及び魔神の障を拔く法にして是をなせる三百六十一の首懸けの珠を常持して叶ふる法にて、古代人は多く是法に依りて神判断を爲せり。是の法をゴミソと曰ふなり。

四、

荒覇吐神をして靈媒、靈呼の法あり。是の法は、多年の得行要せる法にて、盲目人ならでは得られぬ大法なり。冥界より靈を呼ぶは、土遁・水遁・火遁・空遁の界境を開き、境萬靈より選ぶるは、世に光をして生る開眼の者に得る事難く、生れ乍らに無明にして生れたる盲人にして、女性ならずば是の法を得る事能はざるなり。得法一切にして秘なりき。

此の法は、北に向へて招靈せる玄武法、南に向へて招靈せる朱鳥法、東に向へて招靈せる青龍法、西に向へて招靈する白虎法、各々にてはイタコならでは知る由もなき秘事たるも、故人なる死因にてその方位に向へて招靈すと曰ふなり。イタコ法にては、今になるは念珠をつまぐりて佛を念ぜるも、呼靈に用ゆ弓絃を鳴らすは古代のままなり。

古代のままなるイタコは、今になけれども、茲に投馬の卑弥呼なる降神大法に、次の如く記逑を見らるなり。人の生命は紫星・白星・赤星・黄星・緑星・碧星・黒星、木・火・土・金・水の下に運命を法則され、生々是を攺むこと難き人の生々ありぬ。依て是を、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の生と死を、十二時の刻・朝・昼・夕・夜に當て、その刻限に靈し、三角二つを合はす五角の中央に坐臺して靈呼に及ぶれば、幽かなる靈體を顯す。

この靈相ぞ、縁れる人の他に見ること能はざるなり。また、故人に恨らまる者、故人は恩に受けにし人にも見ゆると曰ふなり。靈送は、靈の心にぞ委さざれば、禍ありぬ。依て、極まれる大事なくば呼靈せるべからずと曰ふなり。

宇曽利イタコ   盲人サワ

ママ

荒覇吐神を以て、雌雄の神を祀り拝すオシラ法あり。古き世より、丑寅日本國の都々浦々に渉りて神事をなせり神處、古きを尋ぬれば、支那の神西王母・東王父に當り、支那泰嶺大白山の東王父、天山天池の西王母、大黄土黄河の神・女媧、大揚子江神・伏羲を以て、支那大古神とせる幾多の傳法あり。

髙句麗の白頭山に降臨せる神、天山天池の天女とて、濊に連峰せる大白山信仰と相成りて、西海濱なるわが國に流駐せしは、白山神信仰と相成れり。濊國より渡りし大白山信仰は、加賀の白山神信仰と相成りて、諸國に傳へたるは阿毎氏なり。依て阿毎氏のある處、白山神あり。わが丑寅日本國に、オシラとて根置たり。

是に伴へて、九首龍信仰は大物主神とて、三輪山信仰と相成りて、是を加賀犀川の三輪に相成りしを、阿毎氏倭にいでてより三輪山大神とて根置たるも、亦神格を異にせり。

天女の傳説、濊國にては金剛山の八天女、わが國坂東の三保の松原に一天女の降りし古話ありきより、天の羽衣なる昇天の叶ふる羽衣信仰、即ちシルクの衣蠶神を道祖神とせるあり。亦、羽黒信仰、天狗信仰とて分流せり。何れも白山神なれども、その大元なるは支那になる西王母・東王父・女媧・伏羲の神より渡りきものなり。オシラとは、東日流・出羽・陸奥に渡りて、荒覇吐神と修成に結ばるも當然也。

遠野誥部   根上亥十郎

五、

ゴミソ、イタコ、オシラ、現に名稱のみに遺りけるも、古代なるは、是の如く原因にありきを知るべきなり。丑寅に倭侵なき古代の日本國は神格に輝き、全能とせる荒覇吐神信仰の輝ける王土たり。神をして説く一條に、神は人の上に人を造らず人の下に人を造るなく、神をして衆民を一子の如く天光致らしむ日辺の國なり。茲に丑寅日本國の神格を明細して遺す。

人祖の代に、此の地に住みにし民の崇むる神は、天なるイシカ・地なるホノリ・水なるガコカムイなり。人祖は山靼より渉り来たる民にて、山海の幸に満たる此の國に定住なし、十萬年乃至三十萬年の歴史を人跡に遺しぬ。人祖の崇むるイシカとは、宇宙にして、山上なる天池に星を映して星座を測り、斜十字の×木にて日輪の運行を測りたり。東山の端、西山の端に、春夏秋冬一年に通し、昇没の山点に測りて暦を知りけるイシカカムイ。天の總てを神格し、昼夜の天體を仰觀して神格を宇宙に求めたるはイシカカムイなり。亦、大地の山川草木一切をホノリカムイとして、地に起る一切の驚異即ち地震・津浪・火山・洪水・異常天候・凶作・流疫・飢餓・旱魃等をして、人の生々に降害になせる總てを神なる業と怖れ敬いて神格せるは、即ちホノリカムイなり。更には、海に起る一切の驚異、暴風波・龍巻・幻映・潮流の黒流等を神なる業とし、是をガコカムイと神格せり。

これなる三神を崇拝に臨みては、神像を造るなく、天地水なる自然を神なる相とし、その神靈を招く處を東と西に聖域を築きしは石塔信仰なり。丑寅に見らる巨石、人にて運ばる痕跡あるは各處に多し。石塊に人工を施さず、ただ聖地と定むる處に運石せるだけなる石神のあり方にては、神を人にて造るを禁ぜるが故の行爲なり。

神の授け給ふ石神ぞ、天然に型造られきを無上の神賜とし、人は挙げて運石安置せり。石塔と今に遺るる聖地こそ、東日流にては、阿闍羅石塔・中山石塔とて東日流外内郡に遺れり。神なる聖處に入るを禁足し、一年の夏至になる月日に大祭せる習へぞあり。聖域より草木一本を拔伐ならざるを掟とせり。

世々降りては、倭より耶靡堆族大挙して落着し、更には支那晋民の漂着ありて、稲作渡り、茲に王政國を創立なし、國號を日本國と稱す。依て神格一変せり。支那古人になる西王母・東王父・女媧・伏羲の神、耶靡堆族の三輪山大神・白山神大物主神らと、地神のエカシらに崇拝さるイシカホノリガコカムイを總合修成なし、是をアラハバキ神とぞなして一統信仰をなせり。

荒覇吐神とぞなりにける神に、加へて成りませるは山靼渡来人に依りてなる神々、即ち古代オリエントの神々なり。古代なるオリエントの神々とは、ギリシアなるカオスに創る神々・シュメイルのルガル神・アラビアなるアラア神・エジプトなるラアとアメン神・蒙古なるブルハンの神々・天竺のシブアとヤクシー女神・西北の國神オーデンら、紅毛人多く来たる程にて、その神格修成に満ちたり。更には世に降りては佛法傳はりきより、亦攺相の拝神となりて、古きは過却の神とて荒吐といふ略稱ともなりける。然るに、倭の侵駐ありて倭神の社建つるにてより、益々以て神格を欠くるなり。

右、阿北竹内文書より

寛政六年十一月廿日   秋田孝季

六、

古代より、山靼より人の歸化を追拂ふなきは、山靼に行きて地住せる者多けるありき故なり。古代の山靼渡来人の曰くは、北西に流るナイル川・東南に流るメソポタミア川・南西に流るインダス川・北東に流る大黄河・北北東に流る黒龍江、の大河五流にて人となれにし起原ありと曰ふ。

如何なる神を崇むとも、一人の獨權ぞ、衆に満つ他衆を犯しては滅亡すと曰ふ。人の智は、土石より金銀銅鉄を採したるも、總ては人を討つ討物となる多し。依て、安倍氏は金山の鑛鎔をなせるとも、倭にいだすを禁じたり。

鹿角金山誌より

寛政六年十月廿日   秋田孝季

耶靡堆王之事

古代なる丑寅の日本國は、川の落合・澤の落合なる分水嶺をして、地主をして領域を定めたり。大河のエカシ・中川のエカシ・小川のエカシ・澤のエカシ、是を統卆せるをオテナと曰ふ。オテナは大河の水戸にありて、その川上なるコタンの一切を仕切りて、諸物・地産を流通せしめ、亦その領域に起る諸事を調和せしめ、茲にコタン各々山海の幸に衣食住は相成りて安らぐ。

古きより、コタンに達せる道を通し、亦川に筏を浮べて水路ともせり。古事をして、人貧しけるとは感外なり。古事ほどに人の和あり睦みありけるも、稲作ありて互に富貧の差生じてより、古事の睦みを欠けり。盗みより群盗となり、攻防の世となるは、世の進むるに起り、稲城とてチャシの創めと相成り、ポロチャシなる構造となりけるは、城柵の前條たり。個盗より群盗となり、群盗より國盗りとなれるは、王の創めなり。如何なる國造りの史を讃美せども、王國とは人の殺戮に成れるものなり。

依て人は、神を救ひの主とて、世襲の救世主を、武具なき民は求めたり。然るに、その信仰また國王の求道にありては、衆の求むる安心立命を欠きて、大略大伽藍の造営に奉仕の苦しみと相成り、他宗の救世主に道を求むることと相成り、一法なる神の教へぞ、相對せる教閥となりて、衆の心を遠くせり。

荒覇吐神は、かかる人心に左右されざる神道なりせば、固く戒を護持せるが故に、國主とて私にせるを叶はず、是を邪道とてそしりぬ。一法たる天竺釋迦の佛法も、諸々に渉っては宗を派閥し、阿鼻叫喚の因となれり。亦、倭に起りし物部氏・蘇我氏の神佛騒動の如く、歴史に遺るるは何れも勝者讃美と相成れり。誠に以てやるかたなき哉。

耶靡堆王は、古代より世にある寶とは人の命と説きて、爭いを好まざる故に、丑寅に日本國を築き、民をも残さず故地の闘爭より脱しめて、北落せしこそ救世主たり。

日本國王とて子々孫々に護られたるは、挙國一致して山靼に英知を求め、その求先に止むなく紅毛人國の教理諸々を入れにしは、荒覇吐神信仰の骨肉皮となり、擴き心願を世界に開眼せり。依てその名残しは、マルコポーロ像・フビライハン像・ダビデの星・十字架を墓標とせしも、古代中代より現代に遺りぬ。

荒覇吐神も亦然なり。世襲權政に制圧さるとも、倭に越ゆる縁者のある如く、古代なる信仰の灯りぞ未だ消灯なかりきは丑寅日本國の神なり。

寛政五年十月十日   秋田孝季

荒覇吐神修成抄

古代イシカ・ホノリ・ガコの神に創まれる信仰よりアラハバキ神に統合し、更に山靼の紅毛人國に到る古神の哲理を求明して入れたるは、世界諸國に例なきなり。

世界の信仰になる叙事詩・教典を鵜呑とせず、吾が國風に馴むるを入れたる信仰の大要は、世襲に對し柳風して選入選拔せるは荒覇吐神の構成なり。祭文に曰く、神とは無より時空の一点より生ず。その神通力は光りと熱そして重力なり。その及ぶるは無限にして、宇宙をも滅し亦構造す。百千萬億の星をも、無の一点より生ぜしは、その一点なるこそ荒覇吐神なり。神とは、百千萬億に化神し、宇宙を造り亦滅し、その寸間にわが宇宙あり。地界をして萬物生命體生じ、歳を經し毎に進化をなせるも、生死を以て新生絶ゆざる也。

無とは、物質無く、時空とて無きを曰ふなり。ただ、無と雖ども始原の光熱をいだす重力熱ぞありて、その原点ぞ、粉粒の一粒にも物質たるは無し。茲にあるべきは無形の一点なり。その一点ぞ、荒覇吐神なり。神とはあるべくしてなく、事の起り、その起るべく原点ぞ神なり。依て神とは、無にして無限の創産の可能をならしむる原点を神とせり。

荒覇吐神とは、かく思想になる神なり。神はありてあり、無くてなきものなり、と古人は曰ふなり。神をば人の相になせる繪像の如きは、如何なる金銀玉寶に造るとも、神なる神通力は一粒にも空白なり。神とは、神なる空力・無力よりいでませる神通力にて、心と體との両苦にある者を救ふなり。依て權慾をほしいままにせるを、人間常華の都合に救済はなかりける。

寛政五年十一月十日   秋田孝季

荒覇吐神抄

地人はアラハバキ、正稱はアラハバキキカムイと曰ふ。此の神をして丑寅日本國の國神たるは、倭史になけれども、わが日本國にては不滅の神格なり。

荒覇吐神の根元とせる處は、人の生命、人の和睦なり。世に人ありて人を制するなく、亦圧する事なき一義に於て、代々の安住民にあれかしとて成れる神なり。神は國王に非ず。生とし生ける萬物のものなればなり。如何なる武威にあろうとも、神に優れるなく、神の裁きは人の律に越ゆ處に在りて不動なり。同じ生命を以て世に遇しとも、世に在りて神なる如き權に人を圧する者は、滅後の裁き輕んずるぞなし。神の與へし生命に在乍ら、神をも越ゆる權にあるは、一代の惡生より万代に到るとも神の報復は必到して、救罰の裁きを受くなり。心して正道に仕ふるべし。

口上は易く、行は成り難し。荒覇吐神は不断の心にありて、他意はなかるべし。人ぞあり、人に心ありてこそ、神ぞあり。その心に迷ひば、迷道果しなく、正道に歸り難し。一白に一点の黒は眼に見ゆれども、一白に一点の白点は見え難し。正道とは、白に白の積觀不見の信仰なり。依て茲に、我が一存の義を以て神を念ずる勿れ。

如何なる古神とて、古にあるを己心に許すべからず。神は、三界に多神と見えしに、基付く處は一点の核なり。世襲にして化度せし神の過却はなかりき。人心にこそ過却ありて、常に轉倒ありつこそ過却の歴史に見ゆべし。

寛政五年十月廿日   秋田孝季

陸羽風物誌一、

出羽なる山里に遺るる最上舟唄、秋田仙北になるあねこもさ、磐城の相馬ぶし、陸前の松島音頭、陸中の牛追唄、津輕の子守唄、渡島の追分に聞きては、旅情に満るあり。何れの地にたどれど、人情深く、障り無かりけり。

倭人は此の地を、化外の蝦夷國とて歴史の外にせるも、古代に求めてその歴史、倭よりはるかに深ける多し。世の襲に倭の侵領ぞ、何をもかも消滅しける忿怒のやるかたなきは、我一人耳ならずや。世は常に流轉し、道奥たる外濱に到れる國末にも陽光到るるときぞ、わが日本國は丑寅に輝けるなり。

寛政六年十月一日   秋田孝季

陸羽風物誌二、

渡島の鮭とこんぶ、千島の猟虎、流鬼の銀狐、山靼の鷲羽、宇曽利の金、東日流の羅漢柏、秋田の杉、陸中の馬と鉄、陸前の鯨、磐城の銀、出羽の紅華、みなながら奥州の寶なり。神に信仰厚く、諸話に童の教ふる多し。女人色白くして、餅肌なり。男は山海に能く動きて家を護るとも、倭人侵りてより古惠は奪はれ、地は化外ぞ、人は蝦夷ぞと、今にして暮しに手枷・足枷をして富むるを制ふるは、朝幕の武戦なき蝦夷征伐なり。心せよ、わが丑寅日本國は起つべきに起って、誇り髙き往古の歴史を甦しべきなり。

荒覇吐神は曰ふ如く、吾れに夢告あり。かかる世は永く非らず、先に幕府崩壊し、次には朝廷も崩壊し、民は自らの大政を執らんとて覚ゆ。

古事にして日本國が山靼に流通せし如く、安東水軍が大海に航易なしたる如く、永き倭の覇雲は今に世襲に流消せんや、時ぞ遠からざるなり。志をいだき、倭權の輩を討砕くべく、諸學に心せよ。倭神を敬ふべからず。造話作説の神にて、權者の造りきものなれば、何事の果報やあらん。古にしてわが祖先の仇神なり。わが國神は荒覇吐の全能神なり。

千幾百年間に及ぶる倭侵占領の此の國土、何事あって蝦夷なるや、歴史の死角外なるや。

寛政七年八月一日   秋田孝季

終辭

本巻に古紙を呈したる佐々木嘉太郎氏に深甚なる敬意に以て、有難く存じまする。亦、我とて生々常に銭不如意なりせば、紙代また仕擇にならざる貧に付き、佐々木氏に願ひたれば心能く進呈下されたる段、此の一紙を以て遺禮とす。

明治四十四年十二月   再筆者、和田末吉