丑寅風土記 第全六ノ五

書戒言

此の書巻は他見無用、門外不出と心得よ。

寛政七年八月一日
陸奥津輕飯積之住 和田長三郎

序に曰く

歴史を知るべくは、未来に通ずべく大事なり。吾が丑寅日本國は、永く倭の圧政に下敷かれ、有史の書簡も焚灰と多くなり、今にして史證の貧しきも、北は渡島・流鬼島・千島そして本國なる丑寅の日本國にて、大海洋に圍まれたる國なり。

古代にして山靼より人祖来りてその智を風土に睦めり。古き世代の遺物、土中よりいでむ歴證にては、はるけき紅毛人國よりの古傳に浴し、民の心にありて今に用ふもの多し。器を石にて造り、土に型して焼造れる器、山野・海辺にいでくる遺物に富めり。三方を海幸に惠まれ、山に森林豊かなれば、人の住むる適生の地たり。その日本國に歴史の空白あるべからず。本巻は諸方の學に求めて、書修むる歴書なり。

古代にては倭史の如く荒唐無型の夢幻架空にあるを證とせず、專ら坂東・越より丑寅にあるべく諸土の歴史を記逑せるものなり。

吾が友に髙山彦九郎あり。彼は、はるけく陸羽を巡脚し、外濱にて吾れと語りしも、志途にして自らを断たれりと聞く。彼は、上州新田郷細谷邑の出なり。

亦吾が友に林氏平あり。學に長じたるも、海國兵談なる書物を版本せんとて、罪となり蟄居さるるなり。亦、菅江眞澄とて吾と旅に明け暮れし友なり。彼もまた史の上古を記して、津輕藩抱いを脱藩し、秋田に吾が義兄・秋田孝季と寝食を倶にせむ友なり。

吾等の史究にあるは、三春藩主・千季殿の依賴になるものにして、飢餓天明の年に、三春城下火災にて、城棟神社佛閣ことごとく焼灰し、文庫になる史書また灰となり、藩主千季殿は秋田の由利家に浪人せし長崎元外藩目付をせし孝季を賴みけるより、吾は彼の妹女を妻とせしに、本巻になる諸事歴史の収集に諸国を巡脚し、渡島・流鬼を更に越え山靼に到り紅毛人の國までも倶をせり。

孝季、蘭書に目明き、漢語・羅天語に通じたれば、何處にても意趣通ぜり。依て、世界の書歴多く入手せり。茲に吾れは、本巻の實相を倭史の作説に破る所存。能く講讀仕るべし。百論に盡しとも眞實はひとつなりせば能く心得よ。

文政五年六月一日  和田長三郎

史原耶靡堆解

吾が邦は倭史を以て世界の證となせるも、國史に實相を顯れず。神代たるは奇想天外なり。國の史とは、優恥たるも眞を遺すこそ秀たり。倭に成れるは天地の創造に筆頭せるとも、諸々収神話の話作なり。神代とは非らず。王とて人の創に非ざるなり。

抑々、若し此の倭國の如き神の造れる洲なりせば、神の望むる他に生々せるなきも、日輪はひとつにて萬國を照らし、萬物は日輪の候に從って住めり。王とて萬の種にあり。人を制してこそ王なり。神は信仰にあるものをして、信仰なり。信仰なくば、神はありてなきものなり、と古人は曰ふ。

丑寅日本國の一統信仰は、天なる宇宙の總て・大地の總て・水なる總てにあるものを神として、人の造成になる信仰は神に非らずと、大自然を神とし神の相として、天変地異は神の怒りとて、怖れ敬い来たる古傳を大事とせり。

人は人を裁きける定法もありきは、神なる天神の裁きに非ず、權政慾しいままにせる惡王・從屬の思儀なりと曰ふなり。此の世は人間なるもののみの界に非らざるなり。世にある總ての生々になる萬物のものなればなりとぞ。

丑寅日本國にては、古事不動にして、是をアラハバキイシカホノリガコカムイと唱へて、信仰の誠を大自然に捧げたり。歴史とは世の過却にて、人は歴史を學ぶるは、人の末代に子孫を想ふ故なり。生々萬物はみなながら、子孫生命の故に進化せざるものなきなり。自然を心して見よ。鳥にして翼なきもの、獣にして飛交ふ者、魚に非ずして水住せるもの。物の餌食になるは多産にして、世に生々輪廻を保つぬ。これぞ神のなせる法則なり。幼は成長し老いては逝く、生死また輪廻なり。

人は常にして生命の久遠を心に、亦病を怖れて神の法則を破らんとて、不老不死を願ひて、望みの神を造りて衆を惑はす妖教を造り、石や木を刻み、亦鑛物を鑄して神なる像造れども、崇みてなに事の験なかりけり。徒らに宗閥をなし信仰をして爭ふさまにては、神なる聖道・法則を冒瀆になせる行爲なり。人の世は和にして睦むこそ人の渡りとし、神の法則に從ってぞ泰平なり。

安倍安國の曰く、國を安らけくせるは、民の心に和をもたしむにあり。國を治むる者をして、民を憂はしむべからざるなり。人の生命尊きものにて、徒らに阿鼻叫喚・阿修羅の場に殉ぜしむ勿れ。神は殺伐を赦さず、己得の慾、誘惡の徒を赦さざるなり。一生を世に却りて後生に甦りては、神の天秤に罪罰を測られるは、人間の相にて世に甦り難し、と常にして民に説きたりと曰ふ。

文政七年八月一日  和田長三郎吉次

耶馬壹国史紀要□

倭史に耶馬壹国は無かりき。亦、卑弥乎も無かりき。日本書紀にも、只一書に曰くとありて、皇史の外にありけるなり。皇史とは倭史なり。亦、國を以て世界に公ずる史なり。僞にあれ、史趣に國主の印可ありければ世に通ぜり。

國をして吾が國は史に證ありけるも、世襲に應じて世界は趣勢にあるを認むなり。海の外なる智識の到るを封ぜし幕府、亦是從屬せし藩政、如何程に民を苦めむや。筆舌に難き過却なり。依て茲に、丑寅日本國史の要起にあるを記し置かむなり。

抑々、吾等が丑寅の國號は日本國なり。何事ありて倭國は日本國なりや、茲に一記す。倭國にして永く奥州を征すに及ぼし難く、世にもなかりける征夷談を造りぬ。上毛野田道將軍とは蝦夷に亡され、その墓を蝦夷にあばかるや、大蛇となりて蝦夷を誅したる夢幻の古話に造りきは、丑寅日本國征討の始談に造れるより、田村麻呂の征夷ぞ華々しく造れるに、何事の疑を人にいだかせざる史話に綴りたり。

されば田村麻呂の奥州征討果したれば、陸羽に恨讐こそあれ田村麻呂の崇拝ありまずや。討ちし者を討ちたる者の崇拝ありまずく、彼の奥州に入りたる脚跡に必ずや佛寺のありきに、田村麻呂を開祖とせし多し。磐州田村郷は、その例しこぶる多し。亦、田村麻呂を祖とせし系図をなせる姓、田村を稱せる多しも多きなり。

蝦夷征伐の猛將・田村麻呂なる人物、果して倭史の如くなるか。茲に審して見ゆや。その至らざる處とて、寺社に祀らる多し。奥羽の火祭りたる外濱なる念佛陀ネブタをして坂上田村麻呂の傳と曰ふも、此の地に来るなかりけり。かく讃えるは前九年の役以来にて、敵方を祭りて騒ぐ處は追討なかりけるとて、和賀にては傳統の鬼剣舞の衣装に笹りんどうをなしたるも、地人に後難のなかりき手段なりと曰ふ。陸羽にてかくも敵方をあざむきたるは、今にして史實の曲折となりて遺りき鬼剣舞は念佛舞とも曰ふなり。

鬼剣舞

衣川にては、衣に笹りんどうを付くるなく、古傳にして今に舞ふぞ、たのもしき哉。古にしては是を安日神樂とも稱し、糠部なる相内邑にて世々遺りきもの也。

文政七年六月七日  和田長三郎

白江記

天明のけかづ、人は幼兒をも喰い、犬猫も人に狩られて喰はるる。山海の辺に藻草も盡き、餓死せる人を鴉のついばむさま、此の世の生地獄たり。

人飢えては、善人とてなかりきなり。骨に皮なせる者、歩きもならず道に伏し、ただ水呑みて腹満たせども、遂には死す。僧はその遺骸のひたいに南無と書き、いごぐ穴に死人を投じ蓋をなし、程なく次の死者を投じたるはまだよけれ。

野に白骨となり、濱の渚に漂いる死人に、うみねこ群がりて喰ふを、人たれとてみかえるもなき。松皮をはぎて皮餅とて喰らふもの、人それぞれに飢えに越ゆ。生き拔くに山のべと土を喰いて生くるも、鹿にぞ教えらるものなりき。

文政五年七月一日  和田長三郎

集史道中記

丑寅の古代に求む、集史の旅は、先づ渡島マツオマナイに渡る。時、寛政五年五月三日にて、未だ残寒たり。小泊より海にいでむ。潮吹く風に肌も鳥肌立って、追風肌に能く當りて、松前に着きたり。

夜を阿吽寺に一宿し、翌日に、木古内のエカシに會し、諸々の古話を聞書せり。エカシに山靼なる諸話にあづかりて、山靼語を學ぶるも、一夜漬にて覚能はず。五日の長宿と相成りぬ。

渡島の奥なる、國の擴きを聞図に画き、地主エカシの諸氏三百七十五人を記す。

先づ西北に巡脚を心決めて、江良・州崎・江差・乙部・熊石・久遠・瀬棚・壽都・歌棄・岩内・神惠内・積丹・古平・余市・朝里・石狩・厚田・濱益・猿毛・留萌・小平・鬼鹿・苫前・羽幌・築別・初山別・遠別・天塩・稚内・宗谷に至りて、近く流鬼嶋の國景を見たり。

これより北東に巡脚し、玄武の海風に七月の候は心地よく、知来別・濱頓別・興部・湧別・常呂・能取・斜里・羅標津・納沙布・切多布・厚岸・釧呂・白糠・音別・厚内・大津・於白別・猿萌・幌泉・様子・三石・淨内・門別・止澗小舞・白老・登別・輪西・虹多・長萬部・八雲・惠山・箱舘・上磯・知内・福島に一週せり。時に九月十八日にて、千軒岳に冠雪を見ゆむ乍ら船に乘りて、生干たるいかを焼きて酒を飲むる美味、また各別たり。亦、得たる史書帳十巻たり。

文政六年十月十日  和田長三郎

渡島記

通稱山靼人を赤蝦夷と曰ふも、愚稱なり。渡島にて諸々のエカシに与ふる珍品にては、ギリシアギヤマン珠・アラビア剣・シルク綿にて、諸藩の大名とて得難き品々なり。價千金なるものばかりなり。紅毛人國の進みたる技法に作られた耐寒衣・覆物。半弓とて熊を一箭にして射るもの、品よきは我が國の及ばざる進歩たり。

老中・田沼意次の如きは、是の紅毛人國なる交易をせんとて、幕職を失脚せりと曰ふ。三春秋田家にては、北方領に幕政を以て領土の擴大を進言せしも、常にして却下され、遂にしてオロシア領に山靼は占られたり。國交を封したる幕政の長久は、國亡を兆し、故に諸國にては勤皇・討幕志士は京師に浪々して機の到るるを策し居るを聞けり。

クリル族の豊かさは、彼の天明の飢饉に一人とて餓死せるものなきは、幕政のうえなせる生々なり。亦、北海の幸は、盡るなき資原なり。茲に、千島・神威茶塚・流鬼島を固有領土とせざれば、末代に惜失の悔を残さん。

寛治年間の頃より、東日流安東氏が朝幕にかかはらず施航して、日本領土たる標を建つるあり。茲に挙起を請ふるものなり。赤蝦夷とてなほざりに得ざる大事なるときなり。明朝・清朝にてはモンゴル・オロシアを怖れ、人を退きし今にこそ進むべき領有のときなり。

文政七年十月二日  和田長三郎

山靼旅程之案示

流鬼國自黒龍江水戸海至山靼。登黒龍江本流、川湊經己無昔森・布志久二股、至羅豪部。更至志流可川、經津多及辺呂倶、至宇蘭望倍刈潮至津判自貴地流、更天山天池、更至多志建止、經武原及亞志羽葉止、至己武、至羽志羅、拝流迦留神遺跡。更江流差禮無、至加似呂、海船至戸呂伊。更至於輪保志山。片路旅程了也。是山靼紅毛人國稱巡禮。

永禄二年八月一日  阿久津丹造

丑寅之神々

古代エジプトに在りきピラミット、古代トロイアに在りき神殿、それに吾が日本國の古代ヌササンは、何れも北魁星に向へて建立せり。

何事ありて北に向くや。人、死して頭を北に向枕せしむ。古代よりの習には来世の甦りを願ひての事なりと曰ふ。古代より神祈を宇宙に仰ぎ、昼は日輪を、夜は北魁星に祈りたる信仰の基は、北魁星を靈界の出入口とて傳ふるブルハン神仰祈に由来し、亦古代シュメイルのルガル神も同意趣なり。

古代天竺のラマヤアナ、シブア神、カルマ自在のヤクシー女神、古代ギリシアなるオリンポスの神々、エジプトになるラア、アメン神、古代オリエントなる宗教アブラハム神、エホバ神になるキリスト、唯一神アラア神になるマホメット、天竺になるブイーダ聖典、ブラフマンが布教なせしをバーサの修成になりきものにて創造・保在・破壊の神格は、是の三神ブラフマン・ブイシュヌ・シブア三神のもと、インドラ・アグニ・ヤーマ・スーリヤにて成れる信仰なり。是の神々の化身神にては、クリシュナ・アシュラ・カルキとて説ける聖典はプラナ・マハデブアになるより婆羅門のブィエダ、武門のクシャトリア、農商のブアイシア、勞奴のシュードラなどなどなる雑多になれるは先住のアリアン族、後住のベリア族に依る信仰相違と相成りぬ。

是に加へて、佛陀はブイシュヌの化身と曰ふ。人は世襲に合せて神をも信仰をも攺ふるは、その學は歴史に遺りぬ。然るに神は人心を離るなく、北魁星・大日輪に對照せる信仰は常に存せり。吾國のアラハバキ神も然也。

文政七年十月二日  和田長三郎

末代予言之事

筑紫邪馬壹の神司卑弥呼の曰く、世の末は日輪は夕日の如く大なれど赤く光熱ぞ弱り、寒冬永く地水の異変起り、生々萬物、陸を先として死滅せると曰ふ。かくして日輪は火粉と砕け、地界氷星となり、宇宙の果に砕け破ると曰いり。

人の生々は地に無窮ならず。日輪の極なる死光に絶ゆと曰ふなり。萬物然なり。生々萬物は常にして、天なる陽陰と地なる萬物共存、及び水の一切を欠きて生々ならざるなり。

卑弥呼は曰ふ、然るに萬物になる魂は不滅なるが故に宙に飛び、宇宙の新太陽・新地界そして水の波打てる界に見付けて定着し、生命を復活なさしむと曰ふ予言をなせり。

亦、吾が丑寅の日本國なる神司ゴミソの予言にては、此の世の終りにては先づ太陽が大巨し地界を呑むとも曰ふなり。何れぞ誠なるや。末世を知らざる吾等なり。

天喜年間に大巨星の光芒起りてより、安倍一族の滅亡を予言せしも、卜部の告げせし如くなり。亦、興國年間に起りし大津浪も然なりき。更にして東日流を去りにける一族の大移動、然る處にて、古来安倍一族は天運の雷澤歸妹二爻や風山漸四爻や地澤臨四爻と二爻、良爲山二爻をしての時運・動向・世襲・気運を判断せり。依て天運を測して、例を古来より書に遺せり。予言とても生れながらにし、神の予言を授くる奇才兒ありと曰ふ。

茲に、ゴミソ・イタコ・オシラの神司を大事とせる安東一族の今昔を、心して古習もなほざりならんことを記し置く者也。

文政六年十月二日  和田長三郎

奇意異實在論

世の中に、音より速く、光りより速く、何事の物質をも通り拔けるものありといふ。

光電にあらず、雷音にあらず、見えざる重力にあらず。燃えあがれる日輪より出づるもの、宇宙にありつる星間にありてなる赤き星より出づる、といふは人の信仰に非ず予言にも非ざるなり。

荒覇吐神なる祭文に遺れる一説なり。即ち日輪、宇宙なる赤き星よりいづるそのもの、宙を走ること音より速く光りより速やかにして、如何なるものを障害とならず、空も水も土石な大つらぬきて果つる宇宙の行方にも駐まるなし。是ぞ時素にして、絶えずして今昔より生々萬物をつらぬけども、感触も知らざる奇趣のものなり、と曰ふ一説なり。太陽と赤き星になるより、宙を瞬時につらぬくそのものとは何か知る由もなく、荒覇吐神祭文は次に續きてますます不解なり。

星は死すあり、生るあり。亦、暗黒中に消ゆあり。日輪も不滅ならず。宇宙も消滅の期に時限ありぬ。依て、生々に見ゆもの總てありて無かるものなり、と曰ふ。古人が遺せし是の祭文ぞ解くべきは何かぞ。

文政六年十月二日  和田長三郎

天変地異予論

ギリシア語にしてエリユシオンとは、極樂淨土を意趣するものなり。神なる國トロイアに戦起りぬ。天と地の父よ、暗黒より救い給へ、空を清め給へ、日の光りを与へ給へ。おん身の主權あらば、かくあらば、滅亡こそ伴わめ、といふ一説ありけり。かかる乱にありて神々に祈る人心には、難に救はれて事無きに到りては、のどもと過ぐれば熱さも忘ると曰ふ諺の如く、また自慾放第になりて、戦の兆を造ると曰ふなり。

昔、大洋の中に神に祝福されし幸福の島ぞあり。是を世に、アトランティス即ち和樂の國エリユシーオンとて、人々に極樂淨土と稱されたりしも、人のかかる横惡に神は怒りて、海中に沈めたりと曰ふ。これぞ、アトランティス大陸沈没傳説なり。亦はムウ大陸傳説も、然なり。

神の怒りにて人は水にて滅亡されたる傳説の古きは、ルガルの神になる古代シュメイルの神話あり、ノアの箱船傳説ありて、叙事詩に説く多し。

明治卅年十月三日  和田長三郎末吉

毛紅人之神、崇拝跡

古代オリエントの神々とその宗教の推移に物語多し。吾が丑寅の日本國にても、毛紅人の遺せし遺跡多し。糠部の戸来邑、東日流岩木山神社、南部盛丘なる報恩寺、千臺など毛紅人になる宗教色を以て遺る多し。陸羽になる鬼神もまた然なり。

渡来せる毛紅人の神はシュメイルなるルガル神、エジプトなるラア・アメン神、ギリシアなる神王ゼウスと女神、エルサルムのキリシトなるイホバの神、アラビアになるマホメットの唯一の神アラア神など、荒覇吐神の袖中にありて崇まれたり。

神々を修合せると曰ふは、知識を合す人の心を向上せしむる道に通ずとぞ古代人は想へり。然るに、實なき迷想にあるを除き、哲理に叶ふ耳を修合して神格せる荒覇吐神信仰ぞ、秀たるものなり。

茲に神をして説ける、安倍國東の巡脚あり。西海を船にて萩に至り筑紫に渡りて、小倉・中津・臼杵・延岡・日向・都城・開聞岳・坊之津・人吉・薩陽島・野間・八代・筑州・彦山・日田・國東に至りて一週なし、大元神社の靈感を授けたりと曰ふ。筑紫にありて、くまなく卑弥呼の跡にめぐり、磐井衆との神々を論ぜしも、迷信の深ければ、ただ大元神社耳の神趣を入れたり。

結言とて安倍國東は、
天は無窮の神處にあり。神への拝仰は北魁星にありき。大地の神處は、人にて穢されぬ、萬年凍になれる北極の夜虹國に在り。大海の神も然なり、
とて語り遺せり。地界に於て日輪の陽熱も白亞に解けざる玄武を、神處と定めし創なり。

依て國東は歸りて、北領に神々を求むを孫々に遺してより、北域の山靼往来を盛んならしめたり。筑紫に以後の往来ありきも、また大元神社の故なり。

文政五年六月廿日  秋田孝季

荒覇吐神之神託

一、天之事

宇宙の創は、無空一点に發した無限の擴大に成長せしものなり。その、しさまずける擴力になる密度の粉点より、大爆裂起りて成れるものにては、大重原物素の有機・無機化合にして、物質と相成り、宇宙の天體をなせる數限りなき星の顯成となる、時限の創まれる對照相成れり。

宇宙の創まれる以前を考察せば、無に盡きるものにて、時空もなかりけるより生ぜしは、宇宙となるべき大擴充のゆがめる重力の發端にて、是れに重力相寄りて大擴せしもの、無の時空そして重力になる密度の素粉にもたらぬ一点より起りたる大爆裂こそ、荒覇吐神なる一点の起りなり。宇宙かくして成れる星界も、黒宇宙・光原宇宙、無限に擴大し、なかに星は生れ成長し天體となりて死す。

星の死は爆裂にして、暗黒より生じ、光原雲を集して星と成長し、その重力にて恒星・惑星・衛星・彗星・準星の類に誕生すと曰ふ。青く白光せるは若き星にて、黄色なるは壮年、赤く輝けるは老いたる星なり。星の死は全體を塵と砕きて、子孫の生を誕生せしむ故に、その古體にある總てを破塵とせるなり。然るに、星の生命は億兆年に永ければ、吾等が地界・日輪の時限ぞ久しきなるも、何れは死ある、宇宙創生よりの運命なり。

吾が丑寅の日本國にありき、古代よりの宇宙天運を測りて是く覚れるは、天喜の年間になる大巨星の光芒を予言せしオシラ・イタコ・ゴミソの三神司らなり。人の生々に一生を生涯に運命を掌握せるは、總て天運星下に在りとて、古人は生れる子をその年月日時、覚留めて荒覇吐神の神託にて名を付くる。

是の神託とは神司の言葉ならず、祈行に非ず、流星判断にてなせりと曰ふ。北斗七星に眼芯を置きて、その東西南北方位に流星ありければ、その光長と方位一刻の仰天になる宇宙の神託に名命せる、荒覇吐神を信仰せるものの習ひたり。是くせざる者にては、背神の徒とて神事に參断せり。

文政五年九月十九日  和田長三郎

二、地之事

古来、荒覇吐神なる神託に諸々ありきも、その要とせるは地の創世に創りぬ。地界の創は炎熱の火海・火陸たりと曰ふ。日輪と倶に宇宙に誕生し、宇宙の位に固定なし、宇宙冷にて炎熱は冷却なし、地殻をなせり。

依て地表に湯気たる雲降り、大雷稲妻のもと大雨限りなく降りて、地殻の七割を占むる大海を創りたりと曰ふ。即ち、荒覇吐神なる地の造り、水の造りなり。神はこの水陸に神通なし給へて萬物を水中に造れり。

代々にして生物生命は萬化に種體を進化せしめ、水辺より陸に蘇生し、地界は大森林を繁しめ、草原に空なき華種木革の類は結實せり。動けるものは海より陸生にあがりて、是の草木の繁を餌とせり。人間、この種より誕生せり。

神は是の萬物より人間を選びて智能を与へけるも、神なる意に馴染せず、人は人を裁くる獨權の長あらはる故に、これを寒冷・旱伐・洪水・火山・噴爆や大地震及び大津浪・陸海没の災をもたらしめて誅せるも、人は未だにして神の御心を傷付くるにあり。

神は常に神なる使者とぞなるべく聖者を人間界に誕生せしむと曰ふなり。依て、古事にありき神とて祀りき遺跡の今に遺るなり。何れも是亦世襲に潰れて逝けるも、神の御心にてなせるものなり。

文政五年九月十九日  和田長三郎

三、水之事

古代より、水は生命の源にあり。水にて萬物は生成しきたるなり。一日とて生々に水を渇しては、生て耐え難きなり。依て、水を神とせるは荒覇吐神の信仰になる三大要の一なり。

人體をして、七割を水にて占むる造體質なり。また、地界とて七割を水にてなせる。流川・沼・湖・海に占らるありて、萬物はその生々を生死に輪廻す。一滴の水とて渇するものにては、金銀玉寶にも優る生命の糧なり。

亦水をして輕んぜば、生々にその水害に蒙りなん。水は天地を往来し、神の裁きになる使靈を爲せると曰ふなり。水は如何なるをも汲集し淨化せしむるも、人の思いぞなければ神の怒りを招くなり。

文政五年九月十九日  和田長三郎

再越、藤崎安東氏之事、即説

萩野臺の合戦にて、十三湊・藤原秀直を渡島に蟄居せしめたる日之本將軍安東貞季は、一握にして十三湊一切の領權を掌中にせり。
秀直は常にして藤崎方を視敵として十三湊の益を振い、十三宗寺に創りて阿吽寺・長谷寺・龍興寺・三井寺・禅林寺・壇臨寺らを建立し、城邸を遠設せるは盛田大舘・平瀧權現舘・十三湊中島柵・墳舘・唐皮城・鏡舘・本城福島舘・丘新城・唐崎城・乙別舘・中里舘らを園設の他、官領禁域なる小泊湊に柴崎舘を築きたり。

依て安東氏が出向きて、此の築城を即坐にて十三湊に移すも、内三郡の警護に危あり。茲に、宗家長子と次男を以て本副として城住三年、治司交住の策をなしたり。然るに安藤の庶家ら、各々この双脈をして爭いて派を對立なし、双城に季長對季久をして洪河の乱を越境にして始まれり。

藤崎方は十川落合までの領權になるも、長泥までも進みて陣布、津輕かしこに戦の巷と相成りぬ。糠部にありき南部氏の前氏にて武田是信ら庶家に援ずれば、秋田になる北浦衆・火内衆・鹿角衆ら宗家に味方せり。

此の乱、幕府の介入にも治まらず、北條氏の崩壊に兆したり。東日流得宗領は鎌倉方になく、六郡は安東宗家に復せるも、興國の大津浪起こりて十三湊は壊滅し、安東船を以て爲せる者は諸國に離散し、領中にて死者十萬をいだせる大惨事たり。

更にして北條氏亡滅の後、建武之親政、近の間にて足利尊氏の反乱に崩れたり。津輕は南面武士の落處となり、足利幕府立っては安東宗家に弓引く庶家の安藤氏ら、宗家に對せり。而る處に、南部守行来たりて津輕をゆさぶり、遂にして藤崎城主安東教季は挙兵せるも、落城し、十三湊とて全城を落城に迫り、茲に安東一族總挙して新天地を渡島及び秋田之地に開きて移れり。

是れぞ、今に遺れる秋田氏なり。諸氏に遺れる安藤氏を宗家と見る勿れ。宗家は安東氏なりて、正統なり。依て、安藤氏は庶家なり。

文政五年十月一日  和田長三郎

丑寅十五萬年史

わだつみの底より陸となりにし丑寅日本國。國の成れる創は、細長き弓の如くなる陸羽の島々とて顯はれ、代々にして大州となれり。

元海たるの證は、大古海に住める貝また海獣の骨ぞ、山渓にいづる多きが故の想史なり。陸に草木茂りき種の成りきは、風にて飛びくるもの、または氷土を渉り来る獣や鳥の糞にて生ゆる多し。

亦、人の渉り来たる證とては、石にて造れる割工の器あり。時には、石となれる人の頭骨らに想史の古きを想測せり。亦、山靼國になる代々の人史證書にも考定に催しぬ。茲に、わが丑寅日本國の土にいでくる不可思儀なる何ものなるや知られざる大巨骨、石となりていでくるあり。人は是を海なる大龍の遺骨ぞとて、はるけく海に沖いでて水葬せしをウンジャミと曰ふは古代よりの習ひなり。かくある水葬のなせし年ぞ、大漁にして人豊けむと曰ふは古今に傳はりき傳説なり。

森林深くして平地に葦の茂るは、豊葦原のまほろばにて、人は山靼より渡りきて人祖となり、雪の降ざる西南へと住家を擴めたる代は、十五萬年乃至三十萬にさかのぼれる古史に在りと曰ふ。人のくらしは海の狩漁にて餌とせしも、越冬にては木の實草の種實を保つ、亦草根を保採なして春に至れりと曰ふ。衣は獣物の毛皮を用い、住居はクケと曰ふ穴を掘りて住めり。

火を生ぜしを知りてより、人は金銀銅鉄を具として智をなせり。もとより神を祈りて天運を知り、季の至るを覚いたるは暦なり。人多くなりては生々安からず、保食の加工に覚り、塩に漬くる保食また天日に干せる保食より、更に實の成れる樹をも植しめたり。

人の智は醫藥も自然採りぬ。冬の故に人の衣食住は常に向上し、カッペタと曰ふ織法に衣を造り、モヂヤスミとて土をねり器を造るより、神なる像を造りて崇むは古る代のあとにて、器は貝なり。鍋なくも皮にて焼石を入れなし煮食し、また石焼に食す。川にのぼるる産卵魚、一冬を越せる程に干して保つは丑寅日本の大古なる人の歴史なり。陸に住む者、海辺に住む者、産物交換するも人の睦み厚く信仰の故なり。

文政六年九月十九日  和田長三郎

康季状

夫れ眞言三部經は、その根本法に説くは大日經・金剛經・蘇悉經にて、智惠と實踐と作法なり。是に大日經疏を加へて、常之疏・奥の疏にて眞言の主經とせり。

安東氏一族は世襲にして蒙難多ければ、勅願道場羽賀再興奉行に在りてこそ、今に知る眞言の奥義を傳へ申すなり。

胎藏界曼荼羅は、宇宙の靈気護得し大日輪を中央にして回歸之流にて右左三重上下四重、合せて十二部十二院にて成り、内藏せし尊格には四百十四尊に胎藏界曼荼羅を説く法力なり。

次に金剛界曼荼羅にては、九部九會にて成り、中央より右回に展開し是を下轉門と稱し、右下より左に回るるを上轉門と稱しける。

かかる教理にては、祖なる日本將軍安倍賴良が築きける衣川佛頂寺、安日川淨法寺、秋田なる古四王神社、東日流石塔山荒覇吐神社に贈寄せる中尊に即拝あり。茲に平川藤崎なる平等教院、十三湊なる十三宗寺阿吽寺にて崇證ありき。依て茲に、安東一族眞言歸依を此之状に託し事如件。

孟春月日  羽賀寺建立奉行

古四王神社之事

安東一族の神とて祀る古四王神社の鎭守神は、安日彦王・長髄彦王・大日子王・耶靡堆彦王を以て祀るを古四王とせり。

世襲にて大日子王一尊とせしは、後除なり。安東氏の古祖は、加賀に起りし阿毎氏にて、勢を耶靡堆に移してより王と相成りぬ。古四王を祀る神社は、若狹より東日流に至れる西海の邑に六百社を爲せしも、現にして少か陸羽のみと相成り、二十社少存なりき。

是れを、大元神又は大元師神とも稱せるありきも、何れも安倍ゆかりの地のみに存在す。大江戸幕府以来是を四天王とて祀る多きは、荒吐神を外門神せし如くなり。

文政六年九月十九日  和田長三郎

日本將軍守護神

阿毎氏の流・安倍氏は、賴良の代にて四天王を能く祀れり。此の神は四方を地護せる神とて、古代天竺の民に崇まれき神なり。持國天は東方に在り、増長天は南方に、廣目天は西方に、多聞天は北方に存して、賴良は國見の極樂寺に贈像せしありと曰ふ。

文政六年九月十九日  和田長三郎

賴良状 原漢書

日本國は丑寅の國號なり。古にして人祖の地也。古き民をしてなれる神、荒覇吐神一統崇拝の國神とて、諸國に渉れり。

此の神の成れるは、山靼より人の渉れるより、地民の信仰にありきイシカホノリガコカムイに創りて成れる神なり。此の神をして相無く、それを神とて見屆くは天地水の一切なり。神とは相は萬化なり、全能なり。

依て宇宙に以て神ありと求めたるはイシカなり。イシカとは無より起るる、人心に解難き一点になる起りなるべし。時もなく空もなき無より起りたる無限の擴界ぞ宇宙の創めにて、やがて輕重の力量起り、その圧に起りを、更になる一点より茲に大熱光の爆裂起りてより、宇宙の天體なれり、と曰ふは我國の神なる傳書なり。

日輪・月界・地界、宇宙に誕生せしより、火の玉たる地界に冷却の水、豪雨となりてそそぎ、地殻なり、海なりて、生々萬物生るるなり。是れみな、荒覇吐神なる全能の神通力なりき。善く信じ、外道の迷信に惑ふ勿れ。

天喜二年八月十日  衣川太夫賴良

陸羽の戒言

安倍安國は奥州にありて、拓田に國土を豊にせしめたり。更にして、陸羽の鑛山資源を産金なして、國運の隆興を謀りて、益を挙げむる諸鑛山を探究得て、陸羽の産金を量産せしも、人の手不足なりせば諸國に労夫を求めたり。

とき倭人はこれを機とて、防人を鑛夫になし、大いに入潜らしむ。程良き量金を得たるとき、征夷を以て陸羽を攻めなしたり。代々にかかはる倭の蝦夷征伐とは、是の如き裏計にありて内乱を起したるは、かかる潜夫に化したる防人の仕業たり。

依て安國は産金の藏處を密として、所在一族とて知る由もなかりき。北浦の海胴に藏せりとて、阿部比羅夫是を奪はんと、船師を以て羽州沿岸のおぼしき處を探せど當らず。坂上田村麻呂、亦然なり。依て源軍をして安倍一族を十二年に渉る攻防に拔くるも、遂にして巨萬の金塊を狙ふれど、その秘は安倍宗家の一人のみ知る耳にて、未だその處在ぞ、安倍康季のみ知れども入滅前に明かさず逝きたり。

文政六年九月十九日  和田長三郎

金卆塔婆の謎印

安倍國東は産金を振興せども、産金を常に秘して藏したるは、國を新天地に求むる資藏とせり。糠部なる都母を日本中央とて國標せしは、國土を北方に擴げむ心底にして、前九年の役をして世間に閉じたるなり。

倭人の到らざる處とて、産藏金なる所在ぞ、未だに謎なりき。諸説に審せば、陸羽の何處かの深山胴に眠るとも曰ふ。その窟は入口、一人ようやく通りきに苦しき狹窟なるも、奥に入りて大殿中の如き廣きに在りと曰ふなり。

後に、藤原清衡がこの産金跡をして益したるも、安倍氏が産金の千の分一に過ぎざると曰ふ。康季が羽賀寺再興にかかはる費ぞ、安倍氏の藏金とせるも、定かならず。

文政六年九月十九日  和田長三郎

オリュンピア技合

紅毛人國の古代神聖地ギリシアに、古来より人の技を競ふあり。眞夏日の五日間行ぜられたり。走る、飛ぶ、角力、鉄輪投げ、手槍投げの技にて、神王ゼウスの始めたるものとて傳はりぬ。傳ふる處にては、ギリシアのピュティア及びデルポイ、他にイストミア、コリントス、メネアにて行ぜられたり。

文政六年九月十九日  和田長三郎

穏史顯抄

國なる史書をして、事あらわに記せるは少なし。丑寅になる史書をしてみるに、正史に穏匿なかりけるはよけれ。紅毛人を鬼とて記しきあるも、鬼とは世の拔んずる智者また力量あるを、丑寅の史にては意趣せるなり。

鉄を造るも紅毛人の傳なれば、タタラのあるところに鬼神を祀り、亦は鬼面を焼火にせるも古になる紅毛人の神を崇せし名残りなりと曰ふ。抑々、紅毛人の渡来せるは丑寅にして早期なり。亦、歸化永住せるもあり。

古事にして青き目・紅き髪・白肌の人ぞありと人國記に書かれるを、恥べくに非らざるなり。人の世に人種をして白・黄・黒とありき人間、心に相違ぞなかりきなり。神の造りき地にありて、人は人を嫌ふ勿れとは安東が訓なり。丑寅日本國は、古にして山靼の人祖に血累して成れる民なり。神をして山靼に諸傳を授けたればこそ、智惠ありて國を造りきたるなり。

馬の渡り来たるは山靼よりもありけるも、東海の彼方、鷹羽族の連れ来たるありきを知るべし。此の馬こそ、秀たる種にありき。丑寅に駒の飼ふるは史の上にありて倭國と三千年の異なれるなりぬ。何故以て三千年と曰ふらむやと問はれむに、答ぞ易なり。古にして倭と日本國は海を隔てなしたる州なり。坂東・越州を境にして海溝たるを知るべし。此の地にあるべく髙山より、古にして海生の生物たる石の出づるを以て證とすべきなり。國の成れるは地殻の移動なりと覚つべし。

明治四十二年五月二日  和田末吉

陸奥密巡通告書 原漢書

坂東に銅あり。奥羽に金あり。羽州に掘るを得たる金の塊、十萬貫を越ゆと見る所相違なし。

越州沖佐渡に往来せる蝦夷船に、人の往来急増せしは鑛大の徒なり。安倍の先遣になる山師連の聞及ぶ山地にては桃生・本吉・加美・名取・柴田・栗原・磐井・気仙・膽澤・和賀・閉伊に八百六十人、羽の山地にて置賜ふ田川・村山・雄勝・平鹿・由利・仙北・鹿角・火内・飽海・最上・東田の四十八人の山師ありて、動きしきりなり。

然るに鑛處、何處にありや。鑛夫の集むを聞かず、今しばしの探究にかかれり。安倍氏の徒は今、鹽採り・炭焼き盛んなれば、何を今にと惑ふなり。

馬にして田村に千頭、亘理に二千頭、柴田に六千頭、その奥に入るを能はず、閉伊・糠部、數萬頭をなせる戸柵ありと聞くも、見屆けざるを無處なり。今情にして兵挙の兆何れにもなかりき。徒らに安倍氏の賦貢に取税の責をしては、虎の尾を踏むが如くなり。

長久辛巳春廿日  古佐美

陸羽の山史

古代より羽の杉、陸の羅漢柏とて天然の適生林、自然に備はるなり。雑木の山かしこにて、深山幽寂たり。陸・羽ともに金鑛に秘め、山靼の技を入れて産金す。深幽谷に人ありて暮し貧と見ゆも豊なり。

太古より安倍氏を以て國主とし、その忠誓能く渡りぬ。是、貧民を造らざる流通の交に依れるところにして、事ぞ起りては民皆兵に起つなり。代々をして倭侵ありきは、陸羽の財を奪取の爲なり。産金産馬の益秀なれば、如何なる山地に於ても道あり。馬聲を聞く谷に田あり。生々の穏里多く造れるも安倍氏の策なり。

木管を造りて、打音に通じて意趣傳ふ。敵をして徑を閉ぐは破橋、土石崩なり。依て冬雪も人にまさる守護たり。木を伐して運ぶは河川にて、城を築くは柵にして巧あり。死守とせず、多重に造りて襲はしめ、前後突くは安倍の兵法なり。依て山は、城籠りて飢えざる穏郷に、人長久し来たれり。

文政五年八月十日  和田長三郎

国民總決起之挙兆

天下の惡政、國主の權惡に左右さるは、萬民の衣食住を富ましめざる事なり。民貧しければ、反乱起りき惡と、惡權は是を國賊とて討伐せむ。依て戦國の世に到る萬民は、よるべなき無法のなかに衣食住を犯さるままあえぐなり。

時に天の叫び、地に聖將をいだして萬民を指揮して萬民を總決起に導て、惡政權に抗せる聖戦の挙を起しむと曰ふ。天誅、是の言葉なり。萬民に勝利は必至にて、萬民に選ばる法則、國司の選拔にて成れるを自由民權と曰ふ。人は皆平等にして、國政の運営なる申上の權に有權して、選ばる者は百姓にあれ商人にあれ、國家の國政議會にいでむ萬民の推挙にて叶ふ。

茲に、三春藩の大元神社に萬民總決起を挙ぐるは、安倍・安東・秋田氏に縁る胤族なり。明治の夜明ぞと、萬民は討幕の爲に賛否に惑いたるも、幕府は倒れしも天皇の御心と國政は裏はらに、武農工商の古習は相変らず權政にあるものの支配、幕政に尚変らざるなり。

明治十五年、自由民權は彈圧され、人の命を命と思はざる徴兵令に、日清・日露の戦こそ丑寅の民にその兵役ぞ多召されて戦殉せしめたるは、政府なる議なり。

萬民の義務教育になる學校、國史の科にあるは天皇を天神地神の系に神聖とし、古になる造話作説の史を民心に洗脳せしむ教育に、以て渡る未来ぞ正しからずと余は憂いむなり。

明治四十二年一月一日  和田末吉

憂國之辭

ざんぎり頭に文明開化の風が吹く、とてまげを切落せし明治の世俗、片西洋風の建物・洋服になるものは、一般民衆の遠望にて、地主・小作人の制度にや、幕政に尚変らず。納税無き者は、國會及び県村議に選挙の權なく、世は官武の私せるところなり。

古交にあるべく近國の朝鮮・支那に派兵し、その故土を植民地とせる英米弗に習ふるは千歳の遺恨を遺さむなり。徴兵にてかかる野望に皇軍とて、天皇の神令とぞ、民を下敷きにせる戦線に殉せる讃談記を民心にあおりて、軍國權威を政事の先とせるは、まさに神を冒瀆せる行爲に他ならざるなり。

茲に、憂ふるは軍國主政にて、以上の侵略をなさば天神・地神・水神の忿怒を招き、亡國の兆に到るは必至なり。考ずるに、是なりて久しからず、その時の到るるは速到せるの感、我が心奥に激予せる此の頃なり。

農になせるかたはらに、父習だけの學得にて、かかる書巻の長写にて、丑寅日本史を遺し置くものなり。若し余が滅後にして、此の史を天下晴れて何事の支障なく讀まるときに到りては、今になる世と雲泥の相違に生々文化の相違ありきと予測せる。移世の事に民心は向上しけるものぞと察す。されば本巻の役目終了の時にて、かかる愚書の無用たるものとなれるに依って、焚書にして余は恨まざるなり。然るに旧来の史傳、旧来の政事に民苦しかりければ此の書巻に歴史の誠を拔くときなり。

丑寅日本國は、倭人の歴史に添ふべからざるの大義にあり。民族總挙し、必ずや自由民權の至るべく世への證となりぬ。子孫よ學べ、大志をいだき民の指揮に起て。惑はず國の爲、郷の爲に世にいでよ。國は國民のものぞ。かまえて賣國土に群ずべからず。誠の人たれ。

明治四十三年八月一日  和田末吉

終示

本巻は主に和田長三郎吉次の書巻を写せり。依て、秋田孝季との志に異ならず。山靼、紅毛人國に巡脚を果したる仁なり。然るに財を欠し、今に遺れるは彼の遺したる史書耳なり。いささかも倭史に賴らざる、空白たる道奥の史傳を、今に虫喰いに防ぎても、甚々欠書に近く、保たれず。茲に、明治己巳年以来、書写にて仕りたる者也。

末吉