丑寅日本史繪巻 第九巻

秋田孝季

記要

古代丑寅日本國語部録古字解譯

本巻は丑寅日本國諸處に見付らる古代の土中に埋りて掘出されし土器石器らの表に遺されたる語部文字より歴史の事實を図画を以て衆に説くを旨とす。依て他史に見解を賴覚の労を必要とせず、丑寅日本國住民が遺せし語部録を明細に解き、茲に明白實證すものなり。北端の地東日流にては語印にて地民耳用ゆるあり。荷薩體及び閉伊にてはめくら暦とて今に尚用ゆは語部印を以て要示せり。

語部文字に七種あり。古きものは砂書、石を置きて意味通達す。語部文字にては山靼印・波斯印・蒙古印・紅毛人印・東日流印・宇曽利印を以てなり。是を併せたるを荒覇吐印とて後世に遺りたるものなり。倭の侵討伐にて丑寅の民は能く秘なる意趣を通達に用ひたるこそ安全たるに依りて永く地民に必要と相成れり。倭人に知られざる語部文字ありてこそ、此の國は山靼諸國に往来しその救済に商易にクリルタイ及びナアダムの民族集合に彼の地に移住しまた歸化にも障り無く戦國の世まで自在たり。

此の繪巻はかくある丑寅古代開化になるを語部録に求めて綴るを丑寅日本の實史として遺すものなり。

寛政五年七月二日
秋田孝季
和田長三郎

語部印とは世襲に密として古代より丑寅日本民族の語らざる黙示史にして代々の史實を記せしものなり。康平五年厨川柵炎上以来、世は武家方にまた皇朝方にかたむき、奥州は平泉の乱以来倭人の駐住し、古来現住の民は北域に追はれ、新地を拓きければそこも亦倭人の制にきわまり蝦夷と稱され生さず殺さざるの環に置きけり。ときに、語部印を以て元なる住民の通達の速達にして倭人の政動に先んずる對策相渡りて、住民の貢税謀るも空しきたり。常にして倭流に信仰を改むとも、一統信仰になる荒覇吐神を排斥せるも、信仰の要達は語部印にて、とどこうたり。

寛政五年八月一日
秋田孝季

四季景流轉

覇白銀海山

春不遠

春華値千金

迎春去幻無常

新緑鳥聲川瀬蛙

清涼求山海盛夏

髙蟲音仲秋之月

草木實稔晩秋

繪巻第一画

序言

歴史の事は昔より繪草紙にて説く多し。地獄極樂の曼荼羅にて説くは十王曼荼羅とて世の善惡を説く唯一の説法たり。繪を以て説く金剛界・胎蔵界曼荼羅に衆生は諸々の佛陀に救済攝取さる繪説あり。以て本巻もまたその法便に習ひて丑寅日本國の民に語部をして人の道を説きたり。繪にて心に感覚するは語部に添ふて繪と口演に文盲とて能く是を理に盛覚せり。本巻は文盲にあるものゝために歴史の實相をくまなく渡らせむを以て民心に固守護持を永世に遺さむとて、茲に編画せしものなり。

寛政五年二月
秋田孝季

阿蘇部族初代エカシ

津保化族初代エカシ

第二画

序言

丑寅日本國の人祖は阿蘇部族と曰ふも、その以前渡来せし民あり。これを語部録に曰はしむればヌカンヌップ族と曰ふなり。天変地異の世に西海なく、陸に續く山靼より此の國に来ると曰ふも、これ傳説のたぐいなるか語部録のまゝに加へ置くものなり。津保化族の渡来は一萬年前のことなり。西の大陸黄土嵐荒び、鳥獸東北に移れるを追狩りて来り、此の國に永住しけると曰ふ。津保化族の渡来は六度に渉る移住にして、阿蘇部族と併縁しその住分をせしは西海の熟族、東海の麁族と曰ふ。丑寅の日髙見川なる地に移住し来たるは耶靡堆族にして、この民ら五族併合して荒覇吐族となりて大王を以て五王を位し、五族圓満に日本國と曰ふ國を肇むは倭國より先なる代なり。

麁族初代エカシ

熟族初代エカシ

耶靡堆族初代大王


注記 安日彦大王以為日本大王

副王長髄彦大王


注記 長髄彦大王以為日本五王司

第三画

序言

抑々丑寅日本國の肇國は耶靡堆族の大王安日彦、その副王登美の長髄彦に地主是を選びて大王に位せしめ、東日流中山石塔山にて即位の儀ぞ給ひきと語部録にぞ記行是在りぬ。地領の東西南北に王を配し、中央に在りきは大王及び副王たり。王居を古語にしてハララヤと曰ふなり。

五王何れの邑にもカムイノミと曰す六本柱の髙樓を掘建なし三階に造り、上階に天なるイシカ神、二階に地なるホノリ神、その一階に水なるガコ神を祀り給ふなり。その下辺にヤントラと曰ふ一族の墓地をなし、仲秋名月の宵にカムイノミ、即ち神火を焚き七日七夜のイオマンテ、即ち大祭を行ふ。老若男女各諸邑に至るまでヌササンに集い、カムイの降靈を奉請し給ひき。一枚の張り皮大鼓を鳴らし貝を吹き、弓糸を鳴らしてカムイノミの週圓三重の輪になりて舞ふ。祭の終日に贄を捧げて神を北極星の方に送靈して了りぬ。

丑寅日本國になる火祭りぞ、かくして今に傳ふるものに川に火流しの行事ありぬ。世々にして絶ゆなきネプタの祭りにて、大地を蹴りて踊り、流水に火を流して了る行事なり。然るに東海辺濱にては夜に行ぜず旭日の昇るを以て祭行し、夜に祭行せるは西海辺濱の住民になるを知るべし。今上にても東日流のネプタ、糠部の山車とて昼夜の別なるは大古に基く祭行なり。是の如く語部録に記行遺りけるを疑ふ勿れと戒め置くものなり。

寛政五年二月
秋田孝季

語部の曰く、吾等の祖の歴史に基きて今に遺れる荒覇吐神を絶ゆなく遺れる信仰の力、神なる全能の神通力を知れ。古代を知るは祖先への尊敬にして、靈魂不滅なる永代に生死を轉生し、人とし世にこそありて為すべく行ありき。歴史を知るは己が前世の生きざまを知ることにて、欠くべからざるものなり。信仰また然なり。人とし生れ萬有の先端におくれず親に孝し、妻と睦み子を育む。當然の責任を果せざるものは人とし世に甦る事のなけん。神の裁きありと心得べし。神の眼は常に昼夜をして吾等が諸業に不動なる北極星の眼に視得されにしを自覚し、世襲の困難に敗北する勿れ。

寛政五年二月
秋田孝季

千季状

一筆啓上仕り候。
昨日飛脚にて御書拝讀仕り、御貴殿の編纂の労忝く心中深く感に激し候。田沼殿の離政より松平殿の執政ぞ田沼殿より尚以て知行に苦しく候。依て三春にて先約の許仲々に相とゝなはれ候はず。誠に以て心痛耐難く一筆參らせ候事の由を茲に拝復仕り候。

猛春四月日
千季

孝季殿机下

了言

右の如く言々須く眞當らざるものなく、能く覚るべし。

寛政五年二月
秋田孝季