記
丑寅日本國史繪巻 十二之巻
秋田孝季
丑寅日本國之歴史を世襲の實相に當て未だ眞に傳ふるはなし。亦神佛の済度にても各々霧中にして眞の救済なかりきなり。古来より衆生ありて信仰あり。その行、衆生に叶て信仰遺り、邪教なるは遺らざるなり。
然るにや世襲の權者、衆生を圧し強引なれば、その正邪何れにあらふとも遺るなり。歴史の事も亦然なり。丑寅日本國たるの歴史ありきに是を滅し、諸策を以て倭史を以て諸傳に布し、信仰をも滅し倭神を以て衆生を制ふる、今上に尚在りき世襲のさまなり。
如何なる權政に世を掌据せるものとて、生死の轉生ありせば、末代にはびこるなかりき。世々に輪廻せる生と死・善と悪、倶に常在せるが故に、世襲は浮沈し、泰と乱その正邪をして起没す。人は生々流轉をして安心立命を求めて神を信仰し、その求道に信仰を以て心の安らぎとせり。
然るに平等攝取たる信仰界に權政起こり、その成道に正邪あり。衆生は常にして圧制のなかに救済の導師に成道を求めたり。依てその信仰に於て支脈を生じ、本支の道義相爭ふ信仰の据權兆しぬ。衆生の求道を、据權の者は己が信仰の他を邪道とし是を刑罰せるありきも、信仰とは心にしてこもるものなれば代々に子々孫々をして傳遺りぬ。
吾が丑寅日本國古来なる荒覇吐神信仰の今上に遺りきは、是の如くなればなり。この信仰はもとより天なるイシカ即ち宇宙、地なるホノリ即ち山川、水なるガコ即ち水の一切を自然の運行を神とせるに創りたるものなれば、人をして造れる偶像信仰に非らず。またその論師・祈禱師の基に非ざるものにして、神たるは人をして造れるものは一切何事の因と果にも化縁なかりきとて、その信仰はたゞ一向に天地水の一切を神として崇むるは荒覇吐神信仰なり。
寛政四年十二月卅日
秋田孝季
注而 右は原漢書なり。
荒覇吐神信仰要
古代より丑寅日本國に住むる民の信仰に、荒覇吐神と稱す全能神あり。その信仰にかゝはる大要は、天なる宇宙、大地なる自然、水の一切なる川・沼・湖・海・雨・氷・雪の一切を神とせるは、荒覇吐神の大要なり。
イシカとは古代語にして、宇宙・天なる一切を神とせるを曰ふ。ホノリとは大地の一切にして、ガコとは水の一切なり。萬有を蘇生し生死を以て活生を新生し、天地水の要素に生命の保つ生老病死の一生に、各々子孫を遺ては神なる神通力なくて一刻の生存あらずと曰ふなり。
荒覇吐神とは古代人が宇宙に仰ぎ地に起床して、水に成れる萬有の生命を餌食とし、成長の間その連鎖にて生々を保つなり。依て生々のものはその生命體を餌食とせずして生々なかるべし。神はその故に萬物をその連鎖に萬有の生物を蘇生せしめたり。
天より明暗を大地にそゝぎ、寒暖の候を以て萬物の蘇生を起しめ、その生々各々子孫を遺むる對生の進化に活成す。神は宇宙の成れるゝ肇より、無なる大暗黒より針を突きたるが如き光熱の因起りて無辺の間に擴爆す。これぞ果にして、陰陽の誕生にして、宇宙の成れる創めなり。
この爆烈塵に依りて、萬天の星誕生せる。その一星ぞ日輪にして、月や地界とてその一星なり。地界に萬有せる生々のものは、地水に因と果に成合し、一種の生命より萬有に化成進化せしものなり。萬有のなかより人間と曰ふ先端の智を得たる吾等の祖は、宇宙の誕生より阿僧祇なる歳を經して成れり。
知識に人間は神たるを感得し、波斯の國に生息せしカルデア民の宇宙觀より、茲に日輪の黄道と赤道にかゝる十二星座に想定せる神なる星座をしてアラハバキ神を感得せしは、神と號くる創めなりと曰ふ。
此の國はオリエントのシュメール國とてアラハバキ神の崇拝をなせる地王グデア大王、次にギルガメシュ大王にて成れるものなり。古代にして農を営み國法を以て民族の掟を固くして護國せども、その世襲に政の攻防激しく民族、新天地に四散す。カルデア民の落着はペルシア・トルコ・コプト・ギリシア・天竺・支那・シキタイ・モンゴルと分布し、その一派にしてアルタイ、モンゴル、黒龍江河辺平原を降り、サガリインより渡島そして東日流に漂着せしあり。先住の民と婚血し、古代祖民となれり。依て、この國に荒覇吐神と曰ふは成れり。
寛政四年十二月卅日 秋田孝季
注而 右は原漢書なり。
荒覇吐神大要攺
- 古代丑寅日本
宇宙天神イシカ
大地神ホノリ
水神ガコ - 古代山靼モンゴル
天地水一切神ブルハン - 古代シキタイトルコ
グリフィン - 古代ギリシア
宇宙創造神カオス
天空神ウラノス
大地神ガイア
海神ポントス
萬物神エピメテウス
神王ゼウス
女神アテナ - コプト古代
ハトホル女神
天神ヌウト女神
アヌピス神
ラー神
オシリス神
アメン神
トト神
ホルス神
ケブリ神
イスス神
ソカール神
アメミット神 - シュメール古代
天神アラ
地神ハバキ
水神ルガル - 天竺古代
シブア神
宇宙神
ヤクシー女神 - 支那古代
西王母
東王父
女媧
伏羲
右以て荒覇吐神の世界神たり。
寛政四年十二月卅日 秋田孝季
神への請願文
一、丑寅日本國
おゝ荒覇吐イシカのカムイよ、吾れ天に仰ぎ、朝な旭日に、夕べの夕日に請奏す。亦、夜半に不動たる北極の星に、祖魂安かれとおろがみ奉り、カムイヌササンに請願す。
おゝアラハバキイシカホノリガコのカムイよ、吾が請願は信仰の念力を以て天空を飛躍し、宇宙に神なる陰陽星に達し請願に叶はし給ひとこそ、今ヌササンに坐して安心立命を祈り曰す。願はくは心に日輪を、體に安らぎを与へ給ふことの由をかしこみ曰す。
おゝアラハバキホノリのカムイよ、吾れ耕作せし蒔種苗に植にける作物の稔りを幸とし与へ給ふことの由を成就なさしめ給はんことを祈り曰す。
おゝアラハバキガコカムイよ、海幸の採漁を叶はせ給はん事の由をかしこみかしこみ曰す。アラハバキカムイの鎭坐のしるべに、山靼はるかなる波斯に越え、その國その神名を以て奏上曰すは是の如きに稱名に曰す。
モンゴルにてはブルハンと曰して、シキタイにてはグリフィン、支那にては西王母・東王父、天竺にてはシブア・ヤクシ、ギリシアにてはカオス、コプトにてはホルス、シュメールにてはアラハバキ神と曰す。
幾萬年の古事なれば、その道の里程遠くして神の傳へし古人の故事に傳ふるは語部の他非ざるに依りて、拝詞の事はたゞ一向にアラハバキイシカホノリガコカムイと曰して神に通ぜるなりとこそ、吾が願ひとこそかしこみ曰ふさく。
寛政五年正月一日
石塔山荒覇吐神社
和田壱岐
社敷半里四方
建社十六棟掘立
荒覇吐神社本宮
西の宮東の宮
修験道場
胎臓堂金剛堂
十和田神社
大山祇神社
宿坊三棟
天神地神水神三堂
龍神堂
満月堂
風神堂
右の他陵域ありき。
寛政五年六月二日 和田壱岐
石塔山図
略図 和田壱岐
石塔山遺物目録
- 異土神像諸具若干
- 金胎両界佛像若干
- 髙麗具物若干
- 安倍氏一族陵八十處
- 太刀五百八十腰
- 大鎧三十六組
- 馬鞍五百組
- 古代神像七躯
- 書巻三千五百餘巻
- 茶道具二式
- 大壺四十八個
- 弓三十七張、藤巻
- 箙二十七組
- 楯三十七立
- 神具大鼓一式
- 法羅貝三組
- 陶器百八十六個
- 渡来陶器六百四十個
- 鐘二釣
- 神剣二腰
- 長刀十八振
- 槍三十六本
- 塗桶二十七個
- 長櫃十八組
- 直垂三六着
- 刀五百二十腰
- 裃二十七人着
- 塗笠二十組
- 武家像二組
- 版本二千六百冊
- 隕石、木化石、虫貝、化石、若干
- 支那古銭三百貫
- 諸國道中図
- 山靼図
- 波斯図
- 紅毛國図
寛政五年六月一日 和田壱岐