丑寅日本國史繪巻 十三之巻

秋田孝季

荒覇吐神信仰戒

一、信仰を以て人位を造る勿れ
二、信仰に金銭の布施を強要する勿れ
三、信仰に自己論を以て爭ふ勿れ
四、信仰に行禮を欠く事勿れ
五、信仰に他教を誹謗する勿れ
六、信仰に他望を前以て信徒を勧誘する勿れ
七、信仰に煩悩を以て神の救済を祈る勿れ

寛政五年一月 和田壱岐

奥陸史大要

秋田孝季

丑寅日本の國とは坂東を堺に安倍川より東西に越州糸魚川に至る地溝堺を東北に住地せる國土を以て日本國と曰ふ。是れより西南をして倭國と曰ふは古代の實證たり。

奥陸東日流に遺る古代傳證の語部録、耶靡堆蘇我鄕記、蘇我氏編天皇記・國記の史記を實史とせば倭史の作僞火を見るが如く明らかなり。

抑々、日本國とは倭國とは別にして古代大王國の基をなせる故國にして北系山靼民の渡来に依りて人祖とし、信仰また然なり。凡そ人祖をして倭國と異にし、その歴史また因を異にせるなり。住民代々にして山靼及び波斯、更には紅毛人國よりの渡来・歸化に依りて十五萬年乃至三十萬年の人跡を遺し、その實を諸處にして史證ありぬ。

語部録、善き哉、古代文字なるが故に世襲に遺りたるこそ幸なり。信ぜざれども、人祖の世は西海ほぼ陸にて山靼と続きけると曰ふは語部録の筆頭なれども、神代と曰ふよりはよろしけれ。是の丑寅の地は人祖より信仰深くして自然にあるべきもの萬有すべて神とし、天変地異、水の怒涛、風雨雷雪に至る一切を神とし崇めたり。

依て人工に依る神像を造らず、たゞ天地水の一切を神とし神なる相とす。

寛政五年二月 秋田孝季

巡禮記

山靼に波斯に、更には紅毛人國に巡禮し、丑寅日本古代一統信仰なる荒覇吐神發祥地にたどりては、吾が國に渡来せるに至りける民族の道程ぞ明かなり。

語部録に傳ふる記行に何事の相違なくモンゴル平原・アルタイ平原のシキタイ民のギリシア・トルコ・エスライル・エジプト・シュメールに渡る遺跡に巡りぬ。

その道程、民族の種多く、信仰また異にして古来の遺跡にありき神々の信仰ぞ今に遺るなかりき。巨大なる石像神殿も砂漠に埋るさま往古なる信仰の盛なる人の權も世襲には是の如く砂と砕くる世相のさまなり。

古代シュメールの地に發祥せるアラハバキ・ルガルの信仰より諸々に渡りて古代オリエントの信仰に基くはエスラム、キリストの如くその餘煙にあるものにして信仰を世に弘布せしシュメールのグデア大王ギルガメシュ大王にて諸國に渡りたるは實相にして旧約聖書に遺れるも餘多ありき。

依て図画を以て説き、能く考察あるべし。此の図は巡禮日記に現地㝍景及び諸翁よりの聞書なり。

第一画


カオス

第二画


ケンタウルス

第三画


メドウサ

第四画


獣鳥

第五画


天馬

第六画


一角獣

第八画


一角□人

第九画


ワニ獣人

第十画


人魚

第十一画


ゼウス

第十二画


アテナ

第十四画


グリフェン

第十五画


ギザ

第十六画


スフェンクス

第十七画


サッカラ

第十八画


メドウム

第十九画


ダハシュール

第廿画


ナイル川

第廿一画


ダハシュール

第廿二画


デル・エル・メディーナ

第廿三画


マルカタ

第廿四画


コプト神

第廿五画


コプト神

第廿六画


アブ・シンベル

第廿七画


ヅクラト

第廿八画


シュメール河

第廿九画


アララト山

第卅画


オリュンポス山

第卅一画


シナイ山

第卅二画


グデア大王

第卅三画


砂漠の幻影

第卅四画


ギルガメシュ

寛政五年六月 秋田孝季