序言・省言ほか
序言
東日流外三郡誌の筆巻、遂に二百餘書。愢へば十有餘年幾辛苦、諸國の史跡寺社に一宿し乞飯巡りの旅は時には野に床し、他家の軒に風雨吹雪を忍びし史著めぐりは筆舌に難きものなり。然れど茲に安倍一族の實史をほぼ完結せるは、ひとへに秋田孝季獨りの功に非ず。從者和田長三郎の助筆、亦旅に会ふ人々の眞心に依りて得たるものなり。依て茲にその情に感銘し礼を申し置く者なり。
寛政五年十一月二日
奥州平泉之住
秋田孝季次男、安倍睦季花押
省言
拙者縁ありて秋田氏の訪史究明に感ずる處ありて、秋田氏の究史實訪の旅をし、浅学乍も筆記に著さるをただただ感じ入る耳也。
寛政五年八月十六日
奥州東日流飯積之住
和田義盛一族之胤奥州宗家
和田長三郎吉次花押
安倍一族之東日流駐在図

紅印〇番人、金井城、唐土城、吹浦城、土崎城、舞戸城、巌鬼山、大舘、盛多城、新法師城、石川城、矢楯城、髙舘、櫻庭舘、藤崎城、天皇山、行丘城、原子城、髙楯城、嘉瀬城、油川城、中里城、乙部地城、田茂木城、權現城、青山城、□田城、鏡城、福島城、十三湊、羽黒城、唐皮城、墳舘、柴崎城
天文二年朝日水軍要図より
寛政三年六月二十一日
秋田孝季是㝍
安倍一族祖来之墳跡考
金井墳跡図

金井湊、春国神社、安倍荘園、久遠寺、関、小童子、大童子、山手陣、下陣、本陣、中陣、南陣、東陣、金井城
安倍一族之秘墳處
第一巻
十三湊入間崎明神本坊なる壇林寺は湊迎山壇臨寺と稱して、安倍太郎義季の再興なしたる處なり。壇林寺(亦は松林寺とも稱す)は山号を羽黒山と稱し、中島鬼門方位に在り。十三左衛門尉藤原入道秀栄殿の開山にして、四方に曼荼羅壇を以て松林を巡らして法城とし、水戸口水道切通しの東位に存す。
亦湊迎山壇臨寺とは水戸口船橋の西に在りて、是亦藤原入道秀栄殿が開山せしも、是の法城を十三湊住民の菩提寺として隠居寺と稱し、秀栄殿が福島城を息子秀元にたくして後、寺住一世となりける。依て是の寺境に秀栄・秀元の墳を存すなり。
第二巻
福島城鬼門方位御瀬堂に土深く永眠せるは安倍一族の太祖安日彦・長髄彦及び代々にその一系の君を埋葬せし處なり。亦此の外、江波丘(立里か)の墳・亀丘(西砂山か)の墳・砂羅丘(盛多大舘か)の墳ありて、その所在未ださだかならず。
安倍一族之墳跡 第三
極秘密篇
望潮山神護寺は安倍一族代々の墳墓處にして、世に秘を以て幽閉され、亦寺僧を無住とし一族の他立入るを禁じ、犯す者は断罪に處され、永代にその掟を以て護り来りし處なり。此の地位は彼の南部氏が安倍一族討伐に山王金剛界阿吽寺、胎蔵界の各々寺社を焼討つとも、此處神護寺のみは其の處在を知らず安全たり。然るにや、文明五年中落雷にて焼失せるは惜むべきなり。
抑々望潮山神護寺(墳舘とも稱す)は安倍一族が住僧をも無住せしめ、亦十重の柵を圍みてあたかも城郭の様をなして邊周に護り、唐川城の鬼門方位に建築しその道も秘として地中に洞間を掘り、唐川城に通ぜしめたり。
神護寺の創めは、安倍氏季が孫父賴時の首を源軍より奪い、此の地に埋葬せし夢枕に感じて出羽衣川関の首塚より孫父の白骨首を堀り運び来、此の地に埋めて以来なり。爾来、十三福島城主の一族は代々をして此の地處を墳墓と爲すなり。
望潮山(精霊山とも稱す)神護寺は左のしるべを以て案ず。

山王、龍興寺、大沼、世知岳、三井寺、大原、唐川城、熊野宮、田畑地、砂山、道、磯松川、田地、畑地、墳舘、神護寺、五輪像、猿山、勝軍山宮、四方拝宮、巌鬼山、分光、權現山、荒磯宮、西海
是の如き神護寺の地位なり。
寛政五年六月十日
秋田孝季
神護寺縁起之事
抑々神護寺の開山は山王の法印・導済阿闍梨が安倍氏季殿の發願にて建立せし者也。寿永元年七月三日、安倍賴時の夢告に依りて建立の兆となり、茲に城郭さながらの築棟と相成り、その一切を密とし十重の柵をめぐらし、空濠を堀り近視・遠視に断じて木立を伐らず、建物・立木の枝間を破らず、神秘禁断の境とし、住僧も断じ不踏、更に掟を固くせり。
依て是處の明細永く世視に閉し、安倍一族の君主葬禮の砌耳、幾多招客の者の他知るべきもなけれ。神護寺とは安倍一族の墓處にして、安倍髙星・安倍氏季を祖埋墳とし、一族の者皆是處に永眠せしは幸也。是の寺境は南に唐皮城、山王日枝十三宗の金剛界法城阿吽寺、胎藏界の法棟龍興寺・三井寺・長谷寺・禪林寺・壇林寺を望み、十三湊はるけく浜明神・壇臨寺を一望に視るべきの地位に備はりぬ。
亦西風を巌鬼山に防ぎ、磯待川の水清く、中山峯の山麓に在り。少なきとも稲田あり、山の幸・里の幸・海の幸に寺護の者は暮し豊けくして、永く安倍一族が菩提處を護りたる、亦安倍一族が一族のわざはいの起るべきに備へて軍資・兵具・兵糧を密藏せし處なり。
依て南部一族が安倍一族を永きに渡る攻防の戦役にも、安倍一族を完敗に勝されず無傷のまゝに渡島脱却を得、それに南部勢はあたら兵馬を失へて、戦荒の奪領地十三を却らざるを得るべきもなく放棄せしは、如何に安倍一族の軍策たくみなれや。はたまた祖来の神護寺あくまでも南部勢の視察攻害にさけて難あたはず、寺得なれやと曰ふ。
元禄十年孟春吉日
秋田賴季
神護寺之秘図(別稱墳舘)
苔むせど安倍の一族これに在り
安けくねむる夢のあと跡
孝季

墳舘奥坊、大檜林、供養塔、歴代墓處、靈院、空濠
寛政五年十月
秋田孝季
安倍一族寳剱由来之事
抑々奥州日下將軍安倍一族遺寳之一品存風斬丸之剱是錬造刀工稱寳壽風斬丸。即往古安倍一族之大祖安日彦及長髄彦之用剱之㝍造也。刃長二尺六寸三分、兩刃直刃也。
是寳剱安倍一族之守剱、安倍賴時是賴錬代々是一族之臨君主者是自先君授與者也。是之剣安倍賴時─安倍則任─安倍氏季─十三左衛門藤原秀栄─藤原秀元─藤原秀直─安倍宗季相繼、十三湊浜明神奉納、後精靈山神護寺秘藏。
天文二年孟春
安倍信季花押
神秘山安倍一族之墳跡
勝軍山の麓なる秘處に安倍一族の永代君主が永眠せる神護寺ありて、その境域は警護きびしく十重の柵を施して永く踏入るを禁じたる掟域なり。依て遠視にその處在さだかならず。南部義政の唐川城攻めにも、この神護寺耳は知る事なく安全たりと曰ふなり。地人是を墳舘と稱す。
元禄十年八月三日
秋田賴季花押
安倍一族中山要塞図
抑々安倍一族の要塞は山海に舘を築きてその選考は天然自然の要害を相考して難攻不落の要をなす。

大山祇神社、中里城、猛子山、經伝寺、大藏岳、漢崎、田光、流島、行来川、泥島、乙部地柵、林島、田茂木柵、葦島、外濱、世捨山、馬越峠、鏡城、鍋越山、唐崎、青山城、砂川、目抜島、平山、福島城、御瀬堂、禪林寺、鰊崎柵、山王、世知岳、長谷寺、金剛界十三宗寺、十三湊、羽黒城、胎藏界阿吽寺、壇林寺、中島柵、船橋、權現、江留間明神、龍興寺、三井寺、猿山、唐川城、大沼、大原、中野島、壇林寺、勝軍山、神護寺、墳舘、熊野宮、磯松、水門切通、砂出島、浜明神、巌鬼山、分木、荒磯宮、水戸口、検非違使庁、砂山島、前沼、立山、岩骸山、柴崎城、尾崎神社、小泊、西海
文永之頃之図面㝍。
寛政五年六月
秋田孝季考図
明治十年五月十一日
奥州津輕飯積邑
和田長三郎三代末吉
祖父之志を継ぎて謹㝍奉る
敬白