本巻東日流外三郡誌は…

本巻東日流外三郡誌は天地開闢の創に人跡を踏遺したる古代人の祖先より、古今に通じて歴史の實相を究明し綴りたる基本目的を以て、私考を加へざる書巻也。依て編者は諸國の歴跡を脚訪し、疑しき史傳もそのまゝにて記したれば、餘多相違類似の史編となりけるも、是れ編者が創作に非ず。年號日月の相違と氏名異稱もさり乍ら、事件に於ても諸説雑多にて正傳に判断を惑ふこと暫々なり。而乍ら是を選抜せるもおぞましく、疑問は後世に委ねて皆記逑せり。

抑々本巻は史實に達する裏張を强く保つが故なる拙者の筆法にて、諸家が是を解讀判断なして正傳に近からむ断定を乞ふものなり。凡東日流外三郡誌の本旨は日本史古事記・日本書紀らに便らざるは、吾が郷土に於ては征夷の地に記されざるが故もさりながら、奥州人を蝦夷とぞ日本史の化外に置きたる歴史の偽説甚々しき故なり。奥州も倭に陸續く本州にて、住むる民ぞ地祖人なり。

天皇とや幕府の藩政にゆがめられたる歴史の實相を世にいだせむ日の當来を欣って、本巻三百六十八巻を記し遺せるは、いつ世にか見聞の判断を平等に攝取されむを信じてやまざる故也。

寛政五年記筆
文政四年記了
孝季花押

東日流外三郡誌 附巻第二十

髙楯城攻防抄

天上無日輪二、地殻無天光不至、萬民皆天命、子生世平等、以無常道也。而乍人心各々、於生々異慾望、己々起爭、衆挙起戰、侵住民安居、略奪殺生、犯天命掟、無罪悔常也。天正六年、大浦平藏為信自望野心、東日流一統、挙兵恩公、攻行丘御所、北畠顕村殿討亡、此年十月飯積郷髙楯城主攻朝日左衛門尉行安殿、時髙楯城領下住民皆兵、是討返。

天正七年原仔柵之戦、同八年野里神山三合戰、同九年尻無葦原之合戦、同十年惡戸泉之合戦、同十一年藤巻吹旗之合戦、同十二年長舎盛之合戦、同十三年中山瀬戸川之合戦、同十四年戸澤白山姫神社之合戦、金山舘之合戦、同十五年盛越野之合戦、金神舘之合戦、天正十六年忌良夷地之合戦、加瀬明神之合戦、白旗野之合戦、大坊野之合戦等、以髙楯城自炎上、朝日一族主從、茲於大光院自刃、爾来飯積領民脱飽田旭川秋田實季殿袖下、救済飯積邑築羽州亦幸哉朝日氏之流胤脱大原郷、子孫中野稱號今世血脈遺族給也。

寛政二年五月十一日
吹畑之神職 壹岐守吉次口傳
木作邑僧侶 砂川日惠坊口傳
飯積邑百姓 長三郎是記