東日流外三郡誌 第三百六十八巻

此書は門外不出、他見無用と心得る可。綴史何れも實事なれども世視をはゞかるは朝幕政道に禁則項目に差障りあり。事政の安泰必ず至る迄に代々幾世に渡るとも家穏に秘事として能くぞ保つ置く可。藩政代々萬代續かず。必ずや崩る日の至るあり。さてこそ此の書は寳なり。人のおごりは神をも造り、歴史をも自讃に造り、衆をも惑はすは常なり。
寛政十年五月二日
和田長三郎吉次
奥東日流日本國發祥
吾が丑寅の國は國治大王を以て國を肇むる人祖、古代幾萬年の歴史榮ある國たりと祖傳語部録に記さるゝ也。抑々世の創まる億兆の大古になる世とは、たゞ暗黒にして今なる億兆の星の一界もなき無界にして、時空なりせば當つる時もなかりき。ただ無明にして冷々たりと曰ふ。暗黒になる中にただ暗黒は重なりて無辺なる無界宇宙に突如として今を去りにし二百億年前に重力起り、大光熱点ぞ爆烈し無辺の宇宙焼き、無辺の暗黒界を焼盡しその跡に残りける霧の如き残灰ぞ軽重の回轉力を起し、億兆の星ぞ誕生せり。是卽ち宇宙の成れる創めなり。大なるは小なる星を引誘し光熱をなせる星・岩質になる星・氷塊になる星等類を異にして宇宙はその星間を今に回轉し、日月の誕生を今に見ゆ星となれり。地界は日輪との星間に適當して水陸の表面をなせる星とて誕生せしむなり。
依て生々萬物を誕生せしむに至り、菌苔の如き原種より誕生に進化を以てその分布を適生し、我等人間も誕生に至るなりと曰ふ。語部録に曰はしむれば、かゝる宇宙を造りしはアラハバキイシカホノリガコカムイにして、全能なる神と曰ふなり。近代に田畑より堀りだされる素焼きなる土形は神を型造りたる古人の、是の神を崇めたる證なり。神とて崇拝せし古きものは石神たるなり。宇宙より地に落下せし流星塊、山に木の石となれるもの、川や海に魚貝の石となれるものをして神とて祀るは最も古き信仰たりと曰ふ。祖人をして名稱あり。古きはアソベ、次なるはツボケ、次なるはクリル、次にはアラ、次にはニギにして丑寅日本國と稱したりと曰ふ。コタンにエカシあり是れ長老にして、ハララヤには大王を選びこれをオテナと曰ふなり。丑寅日本にして旣に文字あり、エカシ及びオテナらの通用とせり。この北辰に人の住あるは語部録に傳ふるところ三十萬年前なりと曰ふ。東日流の國は日本の中央にして人祖を山靼と曰ふなり。
此の山靼の國とは古代ギリシア及びシュメール更にはシキタイ民にブリヤートの混血になる民にして、亡國になる流民を祖とせる民にして生々さながら故國たるの習をして吾が國に渡来せるものなり。古代東日流に言語として遺る異語にギリシヤ及びシキタイ更にはシュメール語の多く混るあり。これを東日流辨と曰ふ。古きより山靼との往来あり。倭國を先駆けて王國を造り、渡海の術を知りて山靼との知識を修得し、倭國を脱れ来る安日彦王・長髄彦王との併合にてアラハバキ王國ぞ、諸國にぞ覇をなせりと曰ふ。海と陸との耕作もまた古代より創りぬ。東日流の古史は迷信・偽傳なく、眞に非ざるはなし。
大正七年六月二日
和田末吉
北辰の月影抄
東日流中山石塔澤なる奥内と稱する山泉の湧くる處に神社あり。荒覇吐神を祀る古社なり。石神あり、イシカホノリガコの三神なり。その歴史は古くツボケ族が聖地と定め、爾来現に崇拝されし神域なり。此の社の由来は遠く近く奥州の歴史を秘む處なり。
〽苔道を
朝霧にたどる
石塔山
湲瀬と啼くや
神ほととぎす
〽苔むせど
古塔に讀むる
梵の字は
日本王の
歴史覚つゆ
石塔山荒覇吐神社に遺る奉納巻歌枕みちのく草紙なるを茲に記す。
丑寅になる歌の法則六義
ありてなれるなり。
一に曰くは風なり、
二に曰くは賦なり、
三に曰くは比なり、
四に曰くは興なり、
五に曰くは雅なり、
六に曰くは頌なり、
六義の他に
詠詩字調四種
あり。一には長歌にして字調五七五七を前句とし五七七にて後句を併せしものなり。
二には短歌にして五七五を前句として後句を七七に歌体とす。
旋頭と曰ふは前句を五七七・五七七とし後句を七七・七七・七七・七七を以て成る歌体なり。
四には混本とて前句は五七・五七にて後句をば同じ五七・五七にて結ぶなり。世に多く遺るは短歌にして萬葉集などその例なり。
倭國にては自詠に名を残すが、丑寅にては名を残さず何れも詠人知らずなり。依て歌体を神社に奉納せるはその故なり。茲に記すは石塔山荒覇吐神社に遺るみちのく草紙を數の限り記し置くなり。
歌枕みちのく草紙 第一巻
抑々陸羽の史實之候は故事一切を倭史に證をたどるも根本より自讃過多に綴られ、眞に當つれば偽に候へて是れを否するあらば重き科に牢置さるゝは必如に破り候。依て歌詠作者の遺名是無く御坐候。
寛政甲寅年十一月
秋田孝季
〽玉造るみちのく人の琥珀珠
懸けては涼し久慈の濱風
〽春盛り田畑のつまに花咲けど
鍬置き眺む人ぞとてなき
〽櫻花流れて淀む逝く春の
こぬか雨降る櫻川かな
〽鳴る鐘の泉ヶ池に舞宴ぐ
櫻の間をつばくらぞ舞ふ
〽かたひらの盃入るる櫻花
宴になほも酔を名残らむ
〽天ざかる満開櫻みごとにて
いぶせき住居花にかくるゝ
〽北國の春遠からず山里の
蕗花にほふ木芽ほころぶ
〽老撫の芽割れに集ふ山猿の
春をたはむる木渡りの群
〽老し夢心しあらばたまさかに
いかにあれなる山靼をゆく
〽なげくまじかかる浮世にせきあへぬ
夜々密々に琵琶を彈きこそ
〽山の端に楊梅桃李の梢こそ
まことの錦空冴えわたり
〽野もせ路の春を忘れぬ花なれや
すみれを踏まず目にこそうつらね
〽ゆゆしくも三世のよしみゆかる身を
末に吹くらん定めなきかも
〽衣関夕くれなゐに通れやも
誰に問はましもとの身にして
〽霞む木にいと鳴き移るほととぎす
わが身をかくし空かき飛びぬ
〽鶯の題目唱ふ峯々の
國見に立てば目かれ覚えず
〽安倍が跡厨の舘に木がくれの
鳴くやきじ鳩夕ぐれないに
〽世に在りて生としものはみなながら
土水に還るげにや逝く身ぞ
〽花咲けど闇にまなこは見えずして
香にかぐほかに覚ほゆもなし
〽月影を水面に迎ひて池鯉の
はねつ𨄌ればゆらぐ水月
〽霧立て木の芽も覚むる春なこそ
命ゆかしくいかにいはんや
〽岩崖に目もくれなゐに咲きほこる
石楠花見てぞ憩ふ鈴懸
〽北國の夜も明速く逝く春の
花は散りそめ花草ぞ立つ
〽目に見えぬ神をたよりて祈りても
明日の運命ぞ見ゆを給はず
〽千早振る道の直なる斎宮
あらはばき神を懸ておろがむ
〽岩手石苔抜く手指ありてこそ
神の石なる三つ神の宮
〽石笠を置きたままに神は去り
いつぞもどらむ笠懸けの山
〽姫神は石の剣に石門を
斬り置くままに光りぞ招く
〽かむいのみ焚きけるほのり安日山の
四方に黄金のありとこそ知れ
〽書つれど讀めざる筆の汝れ文は
空目せぬままわれ讀取りぬ
〽ほのぼのと明なる朝の春始め
こぶしまんさくほころびて見ゆ
〽月落て昴も消えし朝ぼらけ
岩木の山笠雲ぞ立つ
〽霧深く露けき袖をなほぬらし
厨をあとに涙こぼるる
〽明け鴉黒澤尻に楯垣の
矢をうつわたす敵はこぞりて
〽荒波のわだつみ深く綱おろし
秋田鰰 津輕鱈鮭
〽秋田蕗おばこ刈取る漬物は
はるけく屆く若狭京師に
〽シュメイルチグリス川のマデフウに
たどりて拝むジグラアト砂丘
〽オリンポス十二神山サイキ来る
吾が日の本のアラハバキ神
〽エジプトのアメン・ラア神石彫の
獅子を護りに墓は山なす
〽ミノワ神惡なすものを爆碎し
サントリニ島海に消えなむ
〽萬頭の馬ぞ群なすシキタイの
續く東北ブルハンの國
〽アルタイの草木續く北辰は
萬達山河なほ黒瀧流る
〽蓮の葉に華をこぼるる玉露は
しばしも風に駐むなかりき
〽山のかひ湲底深し釣橋も
霞に絶ゆる天架けに見ゆ
〽陽の光り傾く嶺の春隔つ
げにも盡きぬはみちのくの景
〽朝もよい目ざましぐさの花すかず
心そらなるあだたらの山
〽目路もなき今は昔に故里の
想ひの露とげにも盡きぬは
〽われからの世をば捨てつる蜘蛛のいに
同じ世にあり偽にはあだ人
〽外濱の大泻小泻三内の
丘にぞ大古愢ぶ趾あり
〽荒駒を朽たる縄に繋ぐとも
飼人なれば遁ぐともせず
〽わが駒は手綱脱るとも放つては
呼びていなきはねつ寄り来る
〽鳴る神に天開け地固の昔より
荒覇吐神旣にありこそ
〽消えほど因果は今ぞかこち身に
今さらこそに太刀を執りなむ
〽日の本乳の人にぞいくまれて
東日流に興す髙星の君
〽身を立つも仇なる因をうち祓ひ
潮路に越えて山靼に交ふ
〽月の笠世にあるさまをつれづれも
なきかづくたる人は運命ぞ
〽無の常に地獄極樂心置き
吾が逝く先は神も佛も
〽風便るげにや祈りのわけ迷ふ
夢む枕に涙ぬらしむ
〽風誘ふうきふし繁き葦の芯
弱しと見えどなかなかに立つ
〽夏はつる逢ふは別れのかねことぞ
賴みて根無き浮草の常
〽むつかしや劣慾常々貧りて
六慾未だ我を離れず
〽巢だく鳥ありしにかへる北空の
鶴や白鳥春な忘れず
〽架棧は鬼住む山の道しるべ
渡りをふさぐ倭人防人
〽戒定慧 三學 證果 修行す
圓融遮那の道に求めて
〽見えしは有為生死の空蟬に
露世の常に薄水を踏む
〽よしさらば涙は絶えぬ袖はしに
子を先だてて尚ぬらしつる
〽思はじと想ふ誓ひの心にも
思はいだす想いなりけり
〽獨りして生きてある身は闇うつつ
涙いとなき亡き親の夢
〽あと訪ひど草に閉じて郷の墓
行人征馬年月を經て
〽名にし負ふ日本國の君柱
石塔山にいましはねぶる
〽矢は叫び馬のくつばみゆるしまず
矢楯の陰に弓弭統替ふ
〽敵近し風も音なく戦の前
もる陣さえに蟻もはいでず
〽寂々とよろ代に眠る石塔山
苔むす墓にせみしぐれ
〽吾が君は千代にましませみちのくの
十三の湊によろずやいつき
〽ほの見えて風もうつらふ相内の
苔むす遺る寺社の跡々
〽金井濱関杉亀のかたちして
たらつね李 安倍の荘跡
〽梵の字に彫むる古碑のかしこあり
安東船の昔を愢ぶ
〽吹浦の西海渡る安東船
追風の潮路欠けたるもなし
〽鰺ヶ澤舞戸の湊夕映えて
赤き日の空古事を想はす
〽年も経ぬ照らさざらめや北上の
流れ昔の筋に流れず
〽吾が身よりあくがれ出づる衣川
訪ねて人の影もなかりき
〽落し身を風にまかするつれづれに
行方いづくか身の果さらに
〽汲水にもろ白髪を映し見て
我が老面の尚老いたりと
〽よるべなくただ旅乞いの非人なれ
いづくはあれど宿なさけあり
〽眺やる山の彼方に人住の
炊事の煙りのどかなりける
〽果つ日は呼ばでも至るものなれど
はや暮れそむる逝く日想ひば
〽いとどしく苔のさむしろ枕ふし
過ぎにし昔うつつにぞみる
〽みちのくにかくや人の落隠る
雪居にありしなれの果とは
〽まどろめばわがまだ知らぬ山靼の
擴野果なく旅ぞし夢む
〽情なく枯野に渡る秋風の
夜ながに通し蟲は鳴つる
〽茄花は千にひとつのむだもなく
實を結ぶるを能くぞまなべよ
〽たれはては生者必滅哀れあり
老少不定明日に知らず
〽かせき鳴く早池峯山の石神に
ヌササン焚きて姫神に告ぐ
〽神鎭む出羽の三山かけまくも
力ありきにくねる心は
〽さりともとみとしろまえに祈りたる
人目をつゝむたづき仇討
〽我が祈りまだ夜をこめて護摩をたく
念願成就あめはゝこぎ
〽曲水の盃せまる筆ならず
歌の綴りを聲ぞあやなす
〽みちのくは石を圓桓祈り場と
なずともつきぬ古きの習ひ
〽あひなくもゆひがひなきや倭の神に
弓馬の騒ぎ修羅の合竹
〽日の出づる千里の波濤八重潮路
わだつみ越えて國はあらむも
〽こりもせで山靼もとめまた旅の
みちのく人は幸をもとめて
〽ブルハンの神は清けくバイカル湖
水汲み吞みて天山に發つ
〽西王母足を洗いし天池に
沐浴果し旅はアルタイ
〽オリンポス聖なる山の頂きに
四方にかけまくはるけきの旅
〽山靼の邑なきチタにたどりては
モンゴル民のパオに宿らむ
〽地の下に氷百尺あると曰ふ
極北民の語る國果
〽晩春のやぶ蚊に遁げて砂漠旅
駱駝のり征く満月の宵
〽へりぬりと鎧直垂着ないては
弓は三物武岐は駒がけ
〽ものゝふのあまたの數も金剛の
文武二道に修め得てこそ
〽耕作に牛馬を打つはあはれなく
飼餌やらずば因果ぞめぐる
〽草壁のいぶせく住まふわれなれど
牛馬は太り田畑は稔る
〽眺むれば月落かかる西海に
あと追ふごとく漁士舟漕ぐ
〽三熊野や三輪山詣で果しつる
十惡八邪心救はる
〽澄む水にくみのむ泉清涼の
方丈籠り心修むる
〽分けゆくもまさきの葛や青つづら
ゆくえをふさぐ奥の細道
〽岨づたひに波うちかへす外ヶ濱
思はざりける善知鳥みるとは
〽朧月影をとむらん寂光の
あまねく照らすみちのくの國
〽なかなかにあるべき住居發下り
松吹く風も言葉ぬるかな
〽うつつ無きよしなかりけるありがひの
三途の瀬ぶみあるとこそとは
〽すずしめの鳥居の道をかけまくも
神のおはすを神さび思ふ
〽歌詠みに六義のありき知りつるも
風賦比興雅頌ぞ棄つ奥陸人
〽荒駒を糸もてつなぐ飼主の
そばに離れず奥陸駒の馴れ
〽みちのくの春は名のみに彼岸雪
かぶり這えたる花に辛きは
〽しば鳴くも谷鶯よるべなき
雪解に残る巢懸ぞ見えで
〽地熱吹く死の靈集ふ恐山
詣ずる人にイタコ黄泉説く
〽妹背とて逝くは片しく獨りなり
三界いづち人はみなみな
〽思寝は我だに憂しいたづらに
偏に盲の失杖に似る
〽老ぬればもとの心もたづきなく
ものいひさがなきわくらはに去り
〽闇に暮れ灯りもたではやごとなく
野宿をきめて朝なまつはむ
〽歳の矢をあさまうつらふ世の常を
歴史にとどむ陰はうとがず
〽行きやらで返るあてなきもとの水
淀の慈悲も流れにぞ添ふ
〽おこととて何を見るめぞおろかやな
朽たすまじまじやな己が蘆屋根
〽鍛ふれば石に立つ矢のたとひあり
舞草の鍛治は陸奥なればこそ
〽土けむり馬に駆けつる戦には
討物脅ぬ陸奥駒なれや
〽荒けなや黄海の戦ぞ一人だに
討死なきは冬神の楯
〽朝まだきほろほろ啼くは山鳩の
由ありげなる心すみにし
〽生々の人はあだなるむら雲の
心の奥の慾にそめにし
〽衣川せきの嵐ははげしきに
逆茂木血染む屍山なす
〽四季鎭め四色の面に毛蓋たて
眞刀振ふ鬼の剣舞
〽おぼつかな花の行くへを呼子鳥
身のなる果は若きに定む
〽たづねきし苔の香髙き石神の
數々多き陸奥の山里
〽いづくにも天つ空には日輪の
ふたつなかりきコプトの空
〽いふならく妹背となりてかきくらす
はたりちやうを日毎たてなむ
〽果しなき野もせにすだく馬の群
駆け駒地鳴り蒙古の野づら
〽たつか弓ゆるす時なく小松柵
護りて攻むる安倍のますらを
〽明けゆくやなびく嵐の岩手山
阿毘羅吽欠荒覇吐神
〽さまされていさや白波捕ふれば
敵な間者の舌嚙み死ぬる
〽うろくづの生けるを放つ猫ヶ淵
浮藻の絶えま魚泳な見ゆ
〽幽かなる音を泣さし童には
遠き寄手の攻めを知りける
〽なかばゆく慈悲のもれたるもつがほの
鐘は聞えてもとる客僧
〽みちのくはこや日の本ぞもとよりの
西に日の出は昇るものかは
〽とこしないわが住む國は日髙見の
八千代にこめしちはや掛帯
〽日は落て月待つ程の野良仕事
とかく申すによしそなかりき
〽むつかりのめのと背負ひしみどりごは
安倍がひとつぶ君たるが子ぞ
〽好みとてささら八撥打鳴らし
流轉無窮の西に打ち向き
〽譬へにも北は黄になることあらば
えめぐる蘇命路往事思へば
〽世々毎にわづかに住める浮世おば
うちな心のいづちあだ夢
〽まどろまん弓手馬手を休めども
妹引そばめ程久しけね
〽敵挙りおっとり込めて黒皮の
鎧を當てて手にたつ討たん
〽羽黒山苔に露けき履きぬれて
探りき出羽の時は虎伏す
〽丑寅の現世に祈りあらばこそ
心遅れはかけずたまらず
〽鳴子への心許なく馬進め
修羅となりては寄手なかりき
〽討死の友をのもせに野辺送り
心も憂つゝ川崎を去り
〽渡島なる國の丑寅千島こそ
更に渡りて夜虹國あり
〽船造る東日流の檜秋田杉
安東船は海果を征く
〽つゝがなく戦をかえるわがててを
狂をしう迎ふ妹の涙は
〽片そぎの落しつ迎ふ討死の
子に泣く母のあわれなるかな
〽世もたけて心うつろふ夜もすから
若き日の頃思い出づらむ
〽さればにやくる年の矢をふんぬいで
生れぬ先の因果ぞ捨てむ
〽たぐいにも月をも日をもさきかけて
野末に下臥すわが身もがなを
〽多賀ある瞋恚の敵拝み打ち
後をあわせの鉾を横たへ
〽牢者させ言語同断あらけなき
責にも刑も倭人は黙す
〽時ふりていしくも今は世の中に
そんしとそんいう遺してぞ逝く
〽咲かせねば若さほこるゝ今のうち
日の本國の山吹の花
〽七夕のたとへにかゝる天の川
妹背とならで明けには消ゆむ
〽今めかし討物造り國護る
天下泰平指すも引くるも
〽いそぢにて鎧をはふる戦場に
光りをかざるもののふの道
〽死華を咲かす老武者あらばとて
祖より戒しむ命なりせば
〽うたかたの流れに生れまた消ゆる
ものはかなしやつらきものには
〽たたずまひ身の置所いぶせきの
人のわくらは見ゆもつらけむ
〽怨みてもわが老體にかまへても
名にし負ふ身の是非もなかりき
〽おことには神と人との由知らず
天地の道理尚知らすかも
〽人なみの暮しをまもり今に生き
咲き散る花の理りを知る
〽寄せけらし鰊を見張りて苫くらし
潮騒ぎつるいざ出で舟ぞ
〽江差こそ胸に日の紋古剣舞
鷹羽山鳥あしびきの蓋
〽にしきなるもみぢふみわけきのことる
秋田の山に味覚もとめて
〽宮城野にかささぎ巣立つ七夕に
陸奥人こぞり天架け飾る
〽あぶくまの流れつ水はちはやぶる
速瀬は常に北にさしゆく
〽子の病われにあたへよ神ませて
祈りき母の想いかなしき
〽藏王山雪解に沸きて流がる川
木氷も消えて春なそよかし
〽栗駒の峯の白雪消ゆるころ
秋立つ風は旣に来た来る
〽駒岳の火吹くふもとに湧く湯水
不老不死なる奥玉川に
〽春うつゝ光りのどけき山里の
三春の櫻咲きほころべり
〽老木とて櫻は櫻春の陽に
若木にまさる香を髙ましむ
〽春は鳥夏は蝉鳴き秋は蟲
冬にほゆるは狼の群れ
〽秋の夜をたづ鳴きやまでつとむれど
冬はけつらし恨みざらめや
〽奥山のむらさきつつじ見ゆまなく
春はうつりて陽に草いきれ
〽夏はじめ野添へのむらは田植どき
蕗やわらびの今は採りごろ
〽雲雀啼く春空幽む霧立つて
森の木立も浮々に見ゆ
〽はかなしな夢にいでくる味覚をば
いかに喰へども腹に未足らず
〽かくれがさかくれ蓑にて身を忍び
目もくれなゐに夢路さまよふ
〽濱風に眞砂は描く砂山に
風なす模波踏むもいたはし
〽風に打つ竹の林に立つぬれば
陽の陰動き光りぞ走しり
〽水面立つ蓮の葉のまに巢懸蜘蛛
糸の玉露拂ひやらぬは
〽なかんづく泥にいでこし蓮華は
水にいでこそ佛台となり
〽さむらふも愛人留守居さなからに
しのぶ草生ふ舘荒れしまゝ
〽面ふらずいしくもいまは書を讀みて
心こめぬる陸奥童かな
〽そこもとの通ひ馴れにし宮澤の
舘跡野もせ狐狸ぞ住みける
〽来朝には夜も灯りの絶ゆぞなし
安倍の舘ぞ移りてぞこそ
〽筑紫より磐井民ぞ落住みて
わがみちのくに故名を遺しき
〽かがり火を群れ焚く灯り多賀城の
防人怖る火箭に焼落つ
〽そつなくも事難題に乱因を
造りて兵挙ぐ倭の防人ぞ
〽あまつさえ火を呼び起し炎挙ぐ
倭人の住居陸奥に非ずや
〽ときならぬ雨のあしべにぬれそめて
いづこにもとぬ倭の防人は
〽惜めどもかなはぬ命戦場の
げにや決めなす腹に逆太刀
〽もとよりも暮しの常に相異あり
國盗る倭人圓融陸奥人
〽あのくたら遮那の菩提今にこそ
なきかげいざや安倍の古寺とは
〽世を厭ふ今更こそに悔ゆばとて
腹水かえぬ言ひもあへねば
〽五常の師文道入れて陸奥武士の
文盲なきに蝦夷とは如何に
〽老身にも若衣を着なば心湧く
なづともつきぬ思いつづらむ
〽霧深く風もくれゆく象泻の
島に浮立つ松かげぞ見ゆ
〽そことしもとうにつらさもささめごと
同じ心のささに一夜を
〽たまさかに笹栗ありと聞き及び
いづこと知らず旅にいでたも
〽つゝましや老くらの恋通い道
人目をつゝむわがよばいかな
〽さりとてもうつる夢こそ心消え
夜雨は戸うつ目もくれ覚めぬ
〽あとしるし光りのかげを程ふりて
ゆひかひなきも遺すみちのく
〽玉きはる感應瞳に銘ずとも
はやて敷浪丑寅に立つ
〽あけぬればあるべき住居知り乍ら
思はざりけるみちのくの変
〽かりそめにひとりぬる夜のうつゝなき
あくる夜のなほうらめしきかな
〽うつゝなきゆくすゑまではありがひの
いのちともがな弓矢の家門
〽ふるさとの瀧の音には知りつゝも
たえて久しくただ夢のなか
〽灯のあかりも暗く外は風
しとみかけぬにただ暑くるし
〽おなごとて身に湧く恋を知らぬまに
わが肌なれに契りゆるして
〽なれとねて胎に子をなす妾には
やさしき汝の情けありこそ
〽恋しきは得たらん人を神かけて
想ひに枕ついぬれかゝる
〽いづくんぞなからん父の想いには
これなる童心もとなく
〽我はしも罪障常に煩悩と
弓矢の家は數をあまたに
〽道芝の踏まれて死なず生きる身の
ひくく暮しも浮世さながら
〽老髪の□いかひなくもむしばづば
尚しびつけのみたならで見ゆ
〽童には教への道こそしつけなり
金も石くれ除きてぞ成る
〽山菜摘む湲水吞みて奥山の
こだまに啼くはこのはづくかも
〽波に寄す根切れ昆布を濱して
冬のそなへにありがひけるを
〽子を叱り泣くをやまづと尻たゝき
親にしあらぬ愚かさを知れ
〽松に聞く日和の音を心得て
海に綱引く海人の漁
〽わが妹は玉にもぬける餅肌の
小野の小町にさも似たりける
〽めづらかや沖にくじらの吹く潮を
追はぬ漁士は子連れと見たり
〽さもしくも川に尻くそ洗う奴
魚とて逃ぐる夏の童に
〽おほどかに鷹にて狩るゝ鷹匠の
笛はうとかじ腕に降りくる
〽ふつらふもまみえぬときのあだとなり
心すみにも憂き恋せずと
〽むすほぼれ残るる髪にびんつけて
人目にけがる老身清けく
〽足びきの旅かきくらす様をかへ
なからん跡をたれに頼まん
〽とことはの夜明け渡りてしののめの
朝だつはやしにつくい山伏
〽けしからずふりにし人のよどればや
老婆の執心いうこそ程も
〽もんたはず心なくれてすみころも
宇曽利の山に追うかげろふ
〽おっとりて太刀はく武士のすはの聲
手にたつ敵をおくしとどめず
〽かしづくは馬と人との共家して
駒こそたからかんなぎにけり
〽ましからぬ倭の説く古き歴史とは
ななりはすべて架作りかな
〽こつじきや日本書紀ぞみなゝがら
わがみちのくを無史に巻く
〽立しがり袖ふれつづく市暮れの
十三の湊は黄金とびかふ
〽春風を袂にうけてさえかえる
やどるか袖のいくばくの風
〽あづきなく世を渡るるはしのぶにも
嵐さえぎる生垣もなし
〽夕なぎに金波に映ゆる西海の
彼方に遠き山靼想ふ
〽かべわれに鳴くや秋夜の蟲の聲
夜冷にさけて秋いくばくぞ
〽ながらへばここも故郷みちのくの
大里まさで月影ぞさゆ
〽想い出はかこち身の上思はする
春の霞ぞわが涙かな
〽明けやらぬ雄物川原の川魚釣る
げに糸引くをうつつ覚いて
〽ながむれば米代川の尾去舟
金堀山の山師を乘せて
〽残月の山のあなたにほととぎす
最上の川も舟唄ばやし
〽ながたびを果して歸る鮭の群れ
岩木川原に梁簗かけ渡す
〽鳴くからすマツオマナイに發つ船を
どこまでまとふ安東船に
〽雲間より光の線や丑寅の
糠部の海に昇る旭日
〽あだ波をさらひて空にまきあぐる
たまさか起る沖の龍巻
〽手枕にうつろふ春の日方には
蝿にくすがれねもやりがたし
〽いにしへのひのもと國はみちのくと
證ありける都母の石ふみ
〽たれかくす都母の石碑を失なふて
名こそ流れて絶えて久しき
〽こりづまのあはれと思ふ山吹の
花よりほかに知る人もなし
〽心にも寂しきゆえにわくらはの
想いの人としかるべくこそ
〽いづくにか染べく人のありにしを
なぜわれ一人秋の夕暮れ
〽あだ波はあらぶる楯神にして
あざあざしくは世の相たなれ
〽よくみれば返らぬ水の流れとて
やたけの人の修羅ざくらかな
〽名に流るはげしかれとは衣川
あらはれ消ゆるうつつうたかた
〽摩訶如来天魔鬼人を降伏し
衆生済度ちはやぶるなり
〽東日流より干うろくづを陣中に
屆く戦の敗るなかりき
〽親となり子をかしづくは扶持なして
人とのすはをいなとはいかな
〽戒めのかつさきそむる疑ひの
あだし心はいさやの月ぞ
〽ありつるにせもたけなせばしらま弓
轉びてもただ起きざるはなし
〽天仙は丑寅さして鎭まりぬ
白山神は西王母なり
〽白鳥は北より渡り往来す
ゆゆしき翼こぞりかまえて
〽わかめけし大事のことを告げむとて
鳩は千里も飛び歸るかな
〽うきつつも罪には沈む人心
生きてある身は唯命なれ
〽草露は人の歎きを思いてか
朝の光りにあへなくも散る
〽ふりさけの夜空に架かる天の川
満月さして渡るかりがね
〽月冴えて道芝白き露を見る
夏の夜旅はたのもしきかな
〽海の風山の嵐もわがいほは
音に満たりみちのくの郷
〽ほのぼのとながめせしまにときこがし
見とれし舞鶴暁の空
〽七草の雪に閉ざせば詮もなく
けの汁つくり東日流正月
〽三陸の岸に寄る波昔より
濱みなゝがら巌立なむ
〽しばらくもわきやむ水のなかりける
白神山の泉ヶ池は
〽白百合の咲きつる郷の鷹の巢は
人目草もしほつるぞなし
〽安岳の野菊に香る道分けの
金鑛ただらむかしをしのぶ
〽宇宙なる星を測るるみおつくし
船をも知るべしおがまの杙
〽流鬼の國白樺生ゆるやどり苔
神の賜はる火起しの木
〽さざなみの潮に續く上磯濱
波立つ前にあわび採りなむ
〽あわれなり憂き世の旅に白露の
かゝるべきとはありつるぞ知る
〽身を砕く物のさびしき木枯らしも
かくや時節のものは悲しや
〽ながれ雲ゆくへも知らぬ果てつ空
月をも幽めなぜ速走る
〽故あるもげにつくせぬはさなきだに
心空なる人は白玉
〽空木の四鳥のねぐら定めなき
天命なれば廻るが如く
〽たよたよと猶ありがほの面忘れ
あだなる露のつれづれもなき
〽ざらり立つ渡島の海のあらけなき
江刺の島のかぶと巌波
〽黒百合は恋なる花とききにしも
色採り咲かぬ北のくにばな
〽北見濱流水寄にしきしむ音
大鷲群れて鱈ぞついばむ
〽あざらしは浮氷に子産み白毛子は
自から護る神の衣に
〽千島なる丑寅續く島々は
猶果つくはカムイツヤツカ
〽角陽の日輪拝む北峽の
動く夜虹カムイ相と
〽北の海幸なる漁場ぞ極北も
神のめぐみか不漁なかりき
〽白熊の白毛になるる神衣
白夜常夜の極海に住む
〽北辰は日の本國ぞ陸海は
倭にぞ異なす神の國なり
〽失なはん生世幾千世丑寅の
護りし神は荒覇吐神
〽神業か水も無く見え敵衆は
岩切川を渡りてぞ死す
〽花咲かば便りあれかし赤淵の
うぐいす宿は山吹の湯泉
〽仙北の鹿の子うるはし嫁とらば
訪ねゆかれよ秋田在野に
〽和賀岳を流れて下る生保内の
姫塚詣で縁事ぞ祈れ
〽相川は大阿仁小阿仁の水流がる
山は森吉 泰平童子
〽きさらぎの達別岳に神祀る
八千代しずしめ岩戸むば玉
〽ゆうつけの啼く聲早し比内鶏
酒は美味にておばこは美形
〽道せばき髙瀧森の神水を
石川流がる宮古奥浦
〽金銀の大秘を謎にねぶる山
中岳稲葉三澤の鑛
〽時雨山北上川の源に
いつき祀れる石神を知れ
〽月も日もわが生きざまかぎりあり
わが日の本の北天開け
〽矢叫び血は涿鹿のたとへあり
子孫の住家を北に進めよ
〽オリエント古き智覚これありて
学び修めよ萬里に越えて
〽大鷲は北こそ住ふ神鳥ぞ
ふくろう併せし神相なり
〽トルコなるアララト山に舟着くと
ノアの傳説ギルガメシュぞ
〽わが國のアラハバキとは天地水
一統神にて人祖来なり
〽聖りとは權握誅に剣執らず
おのれをさらし救世主なりける
〽山靼の道は擴野に續けども
子孫智覚の道なればなり
〽馬を駆け騎乘百法みなゝがら
わが日の本の未来なりける
〽みやびたる倭の政どころ常にして
救ひを伏して侵すを進む
〽敗れまづ倭の攻めあるも日の本は
護りありこそアラハバキ神
〽侵敵を討つより先に住人を
安住に脱し民命護る
〽戦には利ありて攻めむ危にあらば
退き謀り要害に誅す
〽敗れしも人ぞ死なさず再興の
渡島東日流に移り備へよ
〽誠救は人の命ぞ神よりの
授けに自他はあるべきもなし
〽いたづらに物を棄つるな一切の
物の元なはみな命遺なり
〽一粒の米も命ぞ人の身の
生きてあるべき飢ぞ知るべし
〽貧しくも人とし道をそれまずな
他人も吾れも人は等しく
〽失まずなままなる心我に勝つ
不断に戒を善導たれや
〽手束弓箙虎皮鷹羽矢に
熊毛靴なる陸奥の武士
〽つゝましや哀力日増し老の波
とてもの憂身出陣控はむ
〽淨かなるただ淨かなる淨かなる
うつつのなかにわれはねむりたし
〽山ゆかばたゞ憂愁に海ゆかば
いとも悲しくわが昔あり
〽いとしくもなれ花なればわれはしも
旅路のうさにたをりたくなし
〽過ぐぬれば永き月日も昨日の
逝きこそ近め老いし我こそ
〽土くれと移る栄枯の歴史には
跡の苔香ふ世の先代かな
右以てこの歌枕草紙上巻了る
世評風聞
明治の世にして西洋の易なり。益々洋學の智識大なるを知りぬ。天文・地理・音學・ローマ字・算術・工學・設計・藥學・武器・武學・法律などなどの相違事雲泥たり。宗教また然り。衣食住のことごとく文明におくれ、急挙児童に學校を設けたるも科目の程は天皇主義・軍律一義に言論を圧して自由民權を遂に國法に降したり。女人は政權に無用として男だけなる政治の選挙。貧しき者・納税なきものはその投票もならざるなり。かくあるはアメリカン合衆國政府にくらぶれば自由民權の民主政治は一法だになかりきは、薩長土肥旧藩尊皇の維新にかゝはる者に掌握され、幕政より猶生々に救ひはなかりきは現代なり。
世界先進の英國・米國に追進せんとて、これより末代にいくばくの國政に護持を保つや。長時は保つ難く、國民皆兵とて國治論を主義とせるものなら亡國の因とならん。國民を下敷く權政にぞ泰平なく、西洋先進の主義に習ひて事変を起し支那・朝鮮またはオロシヤに進軍せし事あらば、この維新政府は列國に降らむ憂あり。百年の計も保つ事叶はざるなり。依て自由民權は必ず再起存續をして民主の政治に復建せん。
三春有志
歌枕草紙 第二巻
〽名にとゞむ歴史の跡も老木の
枝に語るか嗚呼風ばかり
〽まなびやの教えいと疾し師習への
露もそむかずやよ忘るるな
〽恙がなく雨風暮す父母に
十五で出でしわらわ郷里
〽あまねくも日輪照らぬ郷ぞなく
惠みを浴びし日の本の國
〽かねこともやぶりて犯す清原の
今は形見の遺るとてなし
〽いふならくたづきの敵は源氏とて
安倍の戦は打つ引くもろ刃
〽鞍造りまだ夜をこめて手織たる
いづれ軍はなづともつきぬ
〽のぶかにも弓馬の騒ぎみちのくの
防人田夫を挙て陣立
〽いたはりて心もとなや臥す父の
代りて息子手束弓とる
〽思いには電光石火心きめ
いぶせき苫を發つや戦に
〽こなたへとさかしの道を分けゆくに
思はざりける敵の陣見る
〽まぼろしの城を秋田に築地せる
生保内鷹巢落もせで消ゆ
〽名のみしてまだ見ぬ人のよばれには
しかるべくとは何なかなかに
〽よりをちの狛の渡りにほのめかし
あふさきるさの空言なりき
〽花の色移りにけりぬいたづらに
わが身にぞふる無常の夢
〽ちかひてし身をばいましにしのぶれど
かたみて袖にたづ涙かな
〽さびしきにつれなく別れ今だにも
行方も知らで秋は来にける
〽さよふけていでそよ人を遠ければ
なほありあまるもゆる身もがな
〽しのぶにも渡しの舟に櫻川
人目あれこそ身もこがしつる
〽永らへば来朝の舘もいでかまず
みをつくしてや弱りもぞする
〽蟲の音にあはれと思ひ野駆けをも
しばなく断つは人こそ知らね
〽東日流をば都の鬼門いふならく
あしたに嵐吹くを怖るゝ
〽峯にはふ松の雫やよるべなく
妹背の松ものれなく見えし
〽あけぬるをなほうらめしき二人寝の
窓さし光り宿立つ出でめ
〽あじきなく穗にいでそめし伊治沼の
廣き稲田刈り占めのはさ
〽しののめの山に鹿啼く山閑の
妹背は鍬もて築舘の畑
〽みちのくの月にもうとくかりがねは
渡りにおぼつ行方あらまし
〽常住の住居をいでてわれからと
佛寺の門に何を求むや
〽無砂太にもすゞしめのこえ耳にして
ありがひ祈るやたけますらを
〽天光も鬱に蒼幽し郷の社
愁非はめぐる幼な頃想ふ
〽翔ぶ如く髄に短かき童衣にて
路傍地藏とわらべ戯むる
〽夏いたる川辺の岸で鮒を釣る
老いにし父の持棹うつゝ
〽刀研ぐ舞草の冴えは失せねども
老いにし我白髪髭かな
〽雨あがり社の蟬音絶えずして
代田の蛙尚鳴ききそう
〽風さそう道に鼻つく草いきれ
陸奥はいづこもいま夏ざかり
〽わらべらは川に水浴ぶ日やけ肌
老いにし父母は木陰に涼む
〽弓を張り箭を蒸す造る討物師
眼汗手ぬぐい鷹羽付なむ
〽蚊に騒ぐ馬屋にいぶし青杉葉
燃ゆを留水 駒をなぜやり
〽やごとなく田に引水は昔より
わが田引水寝もやらずなり
〽腰たたき田草了りて宵祭
豊年祈る村は總出に
〽朝露の草にかゝるその間にと
馬の飼葉を刈りに早起き
〽あさぼらけ一番鶏の鳴く聲に
昴は消えて月もうすれん
〽井戸にさげ生瓜いだしひとかじり
夏こそうまし涼むひるとき
〽汗息を父の浴びぬる釣瓶音
もろ見ゆ裸に妹はわきむく
〽夏濱に濱ぼうふ採る童らの
茱萸もうれにし十三の砂山
〽盆踊り昔も今も変らねど
去りにし人はいまは走馬燈
〽山に入り冬焚く薪鋸引けど
蛇の襲へにはらだち乍ら
〽馬洗ふ川瀬の水も温るければ
毛震い浴びてもろ濡れつらん
〽夏がれの堰に留れる泥水に
鯰手掴む童のさけび
〽夏の宵ゆかた姿の乙女らは
胸腰つやな白百合に視ゆ
〽夏の雨ぬるゝにまかせ道行きの
軒に立寄る人ぞなかりき
〽灯びを求めて蟲は翔びかふる
なぜ寝もやらず羽を焼きぬるぞ
〽夕涼み西に陽のある空明り
東に月は旣に昇りぬ
〽逝く夏の夜空にかかる天の川
月冴え照す青さまさるる
〽かく汗も夏こそはしる氷職
病めるを癒やす醫師もと通ひ
〽朝夕の涼し招ねき夏は逝く
稲も花穗をいま盛りなり
〽夏肌を日に黒染めて冬强し
穏れて白きは病ぞ招く
〽蚊帳がけも外して秋の訪れを
稔りの秋の稲穗波立つ
〽土用波日和見山にながむれば
雨風告ぐるまえぶれを知る
〽蚊帳に入り乳やる妹の子守唄
聞こしわれもいつぞねむりき
〽みちのくの秋は𥟩どり栗はぜる
どんぐり落ってりすぞはせ翔ぶ
〽秋月を羽根に照らしてかりかねは
鳴きつ飛びゆく夜半の空冴ゆ
〽秋告ぐる鴨と白鳥はやきたり
湖沼の岸も彩は散り逝く
〽秋空に花綿舞ふ野末には
天女織つ糸くずと曰ふ
〽秋風に稔りて重し穗の垂は
鎌にてごたふ稲は豊作
〽天髙く幾數知れぬかつむしの
翔ぶや秋空あかね彩どる
〽川のぼる鮭の群なす綱引きの
聲もかすれむ漁ないそがし
〽山幸はきのこに満る秋の味
松たけなめこまひたけしめじ
〽秋なれば山はにしきに色彩て
くれない染むる山の湖
〽逝く秋の枯葉に満る道ゆけば
鹿の鳴く音にいとたちどまり
〽なつかしきわが故郷の秋だより
屆けし鮭の味に舌づむ
〽淨かなる山根の村は秋稔る
柿の實彩付き豆打つ老婆
〽道ゆきは稲荷駄通ふ人々は
つるべ落しの秋暮れ急ぐ
〽稲打の音は村村相渡り
籾引く臼の米ぞ俵に
〽秋更けて山に初雪見やる頃
冬に備へし秋葉漬込む
〽馬草刈る野山干草積みなして
冬の飼葉に秋はせはしき
〽落葉焼く和尚は老にし掃き跡に
猶散り落る公孫樹葉かな
〽銀杏の實はくさけれど種うまし
とちはにがけど餅にてうまし
〽酒は藥青き杏葉を漬にして
呑むる酒こそ不老長壽なり
〽秋を啼く蟲の音聞けば物悲し
稲田のかゝし野焼き祀りて
〽秋襲ふ村時雨れには笠もなく
ただいづくんぞ雨やどるなり
〽山くずれ家は土石に埋りける
秋の嵐は神無しの月
〽夕映えは秋ほど赤し山里の
草木彩ひて空ぞ澄ける
〽秋日和藁のむしろを織る音も
水車に米をつく音ゆかし
〽蟻のごと秋の斜陽に労々の
人はただただ安らぎもなし
〽年貢とて秋の納めに差引けば
残るは少か貧乏暮らし
〽秋萩を好みて牛は能く喰めり
肥りて冬の籠り備へむ
〽馬は肥ゆ秋の牧場に野放しの
駆けつ𨄌りつ群にいななく
〽ひとしほに手飼の駒も市いだし
別れは名残る栗毛畠白
〽一群の白鳥来たりまたきたる
白羽の天使冬に越す
〽みちのくに秋は終りて立つ冬の
雪に備へて葦垣の柵
〽北國の冬立つぬれば鱈来たる
濱は大漁ジャッパ汁の宴
〽ケの汁は冬の名物シグサ汁
ケガヅの冬の命まつなぎ
〽ニニヨゴとジネジョだば體の藥
ドスもチユゲもみなぼったぐる
〽俵あみサベシあんでの藁仕事
馬のシダ煮でも空火焚がいね
〽炭焼は冬も休まぬ山仕事
足にはノッペと身はケラテケシ
〽バツを引く丸太の馬だし
杣仕事冬のシバレもみな山宿り
〽握り飯ツトに入れては冷ゆぞなく
ワッパの飯もシベ詰め背負う
〽山に焚く生木の薪飯ときの
煙を見ては杣の斧やむ
〽寒中にシミ餅造り軒かけに
コモに包みて干餅となり
〽吹ぶく日の雪道埋り道印は
枯芧のしるべ人は便りの
〽湖は凍り大寒なれば切だして
夏まで保つ氷藏かな
〽冬嵐雪は地吹ぶきなぐり吹き
息をもむせぶ木枝はうなる
〽冬なれば鍛冶はシキ鍬ナタ鎌を
春に備へて能く打つ造り
〽カンジキで雪踏むあとに
童らの冬のあそびの橇すべりかな
〽正月は鎭守詣に初日をば
昇るを前にまづ拝ぐべき
〽若者の神に捧げる裸參り
冬井の水を浴みていでなむ
〽海人は海に向へて酒捧ぐ
正月舟もいつき拝みぬ
〽冬の海灰色とばる荒波に
鱈くる漁に命かけなむ
〽オオヨ釣る尺釣針にてごたひの
舟揚ぐまでの力ゆるせず
〽鱈白子湯がけのさしみ冬の味
鱈子塩漬夏尚保つ
〽干鱈の味はみちのく貝焼も
北の海こそ幸はめぐりぬ
〽毛蟹漁甲らのみそに酒そそぎ
漁士の宴宵を通しぬ
〽冬雪は鰰きたる兆しにて
舟に備はむ綱浮積ぬ
〽春近し日和に解ける山の雪
マタギは熊を狩にいでなむ
〽ホヤとウニホタテとアハビナマコ添へ
カシベの焼も北の味なり
〽貝鍋に味噌煮のツブを飯かけて
一はい飯の漁間食ぞ
〽冬は逝く雪解の水も髙鳴て
春一番の福壽草咲く
〽ゆきずりの旅の一宿共にして
春のコブシを酒肴に呑む
〽まんさくの咲き散るさまを見過して
あとは櫻をまつばかりなり
〽春うらゝこぶしまんさくふくらみて
早咲きほこる福壽草の華
〽おぼろ見ゆ夜のとばりの月明り
うつろふ花の春は逝きける
〽霞む山若緑なるみちのくの
岩木の山は冠雪残り
〽大里の稲田に水引く田植どき
山より見れば東日流大泻
〽あかね雲春陽暮れてなほ残り
野辺空高く雲雀啼く
右以て歌枕草紙第二巻を了す。是れ何れも即興にして成れるみちのく人の遺歌にして、詠人の知るをあたはざるなり。
文政十年五月
和田長三郎
東日流外三郡略史
凡そ坂東より東北の古史に於てはたゞ蝦夷と曰ふ他、古史の傳を空白の公史とせるところなり。然るに丑寅に傳ふる古傳には倭史の如く神代なる歴史の筆頭一行だに非ず。神を人祖また大王の系累とせず、生々萬物みなゝがらその因源を學證に以て歴史の要とし、架想夢幻の作説は歴史より除くを常とせり。依て眞如實相にして十萬乃至三十萬年前になる東日流及び丑寅日本の歴史は綴られたり。抑々丑寅の國史に迷信のたぐいなく、實なき傳説の事は除きたり。
我等が人祖の事は山靼にあり。更に遠く尋ぬれば、紅毛人國に至るなり。人のくらしに信仰あり。その神とせるは天なる宇宙・大地なる一切・海や水の一切を神として、生と死は神の裁きに依りて運命を左右すとされ、生々萬物みなながら天地水の神・荒覇吐神に救済求むこそ信仰の要とせり。古代人は天に仰ぎ、地に伏してアラハバキイシカホノリガコカムイと稱へてヌササンを設け、カムイノミを焚きて祈りたり。イシカとは天のすべてにて、宇宙に満天の星、光りと暗、更には寒暑、空中には風・雲・雷・電・雨・雪。ホノリとは大地・草木、生々萬物一切にして、ガコとは海・湖・沼・川・泉ら水の一切なり。
またそれに生なす萬物一切にして人の生々に要たれば、神とて崇むることにて飢ることなきと信仰の要とせり。次には人の暮しに人は集住し、衣食住の保共あり。コタンにはエカシ、國にはオテナを立て民族の一切を統括せり。丑寅の住民は祖訓として人には心得べく戒あり。神は人の生々に、人をして人の上に人を造らず亦、人の下に人を造り給ふことなかりき。爭はず怒らず乱さず、和を以て互に一汁一菜をも相分つが程に暮しこそカムイの悦ぶところなりとせり。(原漢文)
秋田孝季
古代丑寅民族誌
山靼黒龍江よりサガリイなるナニオに上陸し、南に移り渡島・東日流へと渡来せし古き民をアソベ族、次に渡来せしをツボケ族と曰ふは語部に遺る通説なり。彼の民族はモゴル・シキタイ・シュメイル・コプト・トルコ・支那など混血の民族にして、故地に黄土嵐起りて安住の新天地を求めて移りき民なりとも曰ふ。丑寅の民は三靼に於てはクリルタイとて、民族をして和を護るべくの誓あり。商人を襲はず、是れを被る者は誅滅される掟に固ければ、紅毛人の西蕃より脱着せる安住の地たるも、大草原の自然火・黄土嵐らの災害に東北を神の國とて移りきは若き者の習たり。
民族を異にして爭はず、信仰を異にして對せず、その生々自在たるは古代ギリシヤの政事たるに習ひたりと曰ふなり。東日流語部録に遺るは古代ギリシヤの神々・ブリヤートの神々・シキタイの神々・シュメールの神々・コプトの神々・エスライルの神々・トルコの神々の傳説ありて、吾が丑寅のアラハバキ信仰はかゝる諸宗教の善要を併せし如きなり。然るに東日流及び坂東に遺るアラハバキ信仰にては、石神にて神像とせる多く、天なる一切神イシカは流星の地に落下せし石にて、大地なる一切神は木の石となれるものなり。亦、水の一切神は魚・貝の石となれるものなり。もとより人の造れる偶像を神とせりは石神より幾千年も後代なりと曰ふ。
神々は三神のみにして、多神を加ふることなかりき。世に素焼く器の造りし世に至りて、女人にて神像の多く造るに至りぬ。それは今より五千年の前になると曰ふ。山靼より丑寅日本に歸化せし後世に至りては、今は土砂に埋れし古代の廢神を持来るありて、神々の多くはアラハバキに相加りたり。更にしてはゴミソ祈禱師・イタコ靈媒・オシラ占師の神司、世にはびこりてより東日流にても多神多く顯れたり。
寛政九年
孝季
歌枕草紙 第三巻
〽花咲かば手折き人もあるまずや
老な若さのうちけ隔てず
〽月の影に幽すむ身をおくも
おもえば夢かなぜか流れて
〽磯傳へ眺め晴れたるなぎさ石
いともかくなるかたちありける
〽船まてば海の西より東より
土崎湊こうも交りぬ
〽名にきゝし荒覇吐神しおがまに
もとの鎭座ぞ心し拝む
〽鳴子邑湯煙り立って朝早に
ゆあみの出店こけしでならび
〽宮澤のはららや跡を尋ぬれば
是れぞ安倍なる住城の址
〽伊治沼のまこもにゆれてよしきりの
啼く聲きけば昔を愢ぶ
〽乙女子は風に通はす夢多く
涙はもろくたをらるをまつ
〽長月の秋夜にしをる枯草の
なかに冬越す蟲もありつる
〽初吹雪解ては消ゆる冬の入り
空は灰色海またとばる
〽夕影を長く映して童らは
家路に歸る牛を追つゝ
〽ふるさとはありきのうちの父母に
不孝の涙忘れまざるゝ
〽夏の夜はあけぬるはやく朝あかり
生きてある身はいふべくもなし
〽おのれのみ身を砕きつる寄せ波に
巌は砂に消え逝くなむ
〽あへなくもゆひかえなき命ちさへ
さしもうらじな死なれざれけり
〽春雨にけぶる山里郭公の
鳴く音はのどか若葉沸けく
〽敵と見て手束の弓をいがえしに
生保内駒の仙岩越えとは
〽夕づけの人もうらめし旅一人
ふり逝く年のわが末いかに
〽死に入るを闇きと想ふ献灯は
逝く日に心尚くらやむと
〽のならひに太刀振り覚ひ出陣し
いざ戦ひば我流に勝つぬ
〽松が枝をこぼれに照らす月あかり
戦の陣に矢楯のかりね
〽春の里霞にけぶりてのどかなる
ひばり啼けどもいづちなりこそ
〽さやかなり山みな染むる秋なれば
藁屋の庭も柿は色付く
〽思ひわびかだみていまはわけ迷ふ
世を秋風のさけてあへねば
〽つゝが蟲目にぞ當らぬ蟲なれど
身にさされては生死を分かつ
〽里わたり宵の灯びともるころ
なきなき夜鴨水田に降る
〽待つまさん秋の稔りをさきくませ
出羽の大里茜染めなむ
〽焚きすてる秋の陣發つ夕まぐれ
嵐も荒びくさずりゆする
〽ほろほろと落葉風舞ふ山路の
峠の風はわれにささやき
〽目をかすむ霧は流れて石狩の
濡れにしまゝに黒百合は散る
〽冬は逝く大地の雪は陽に溶けて
若草もゆる春遠からず
〽海風に起る龍巻空に舞ふ
黒くねづれて天空閉ざす
〽逝く近きわれは諦らむ世の常を
かなしからずや死出の門出も
〽天の川月に照らしてすみ渡り
めぐる星かげ果つるはなし
〽浮雲の大空青く雲雀啼く
花の香髙き春の大里
〽夢ほろゝ風の便りも絶え果てゝ
永き郷出の吾れは老いにし
〽さめやらぬ寝窓の軒にもずがなく
病にわれを心なぐさむ
〽閑古鳥みやま木穏れにこだま呼ぶ
春のうららにときなわすれそ
〽ありがたやくれない匂ふよもの山
花も若葉もよろぼさぞらひ
〽幽かなる光りにのこるかげろふの
思ひうちより心こもるは
〽□薦花雪解うちこそさやかなれ
冬の名残りと春の日和と
〽ゆゝしくも山みな染むる秋の景
夕くれなゐになほあかねさす
〽三界は隙行く駒の輪廻にて
泥に生れし蓮は咲きなん
〽わずかなる人世の常にありながら
疑ひ波の淨むまもなき
〽滔々とひゞきを絶えぬ水音は
瀧と潮騒天然の曲
〽うるはしく月の雫に濡れながら
匂ふ白百合いましが面かげ
〽老い穏る思ひこちよりたまさかに
夢か現つか故郷の景
〽目かれせず山路に分かつ松たけの
匂ふ風かたさして採りなむ
〽あわれとも嫁にいだしむ父母なれば
別るゝ裳裾に涙や雫
〽やごとなくよろぼそぞろに井戸の水
汲けるうちはわが命かな
〽白雪に神も交はるみちのくの
をかしとこそはなまはげの聲
〽世に埋れ花にうつらふ中山の
石楠花染むる春の日方を
〽たよたよとつれづれもなき奈落道
世を秋風に仇となりせむ
〽わけ迷ふそれわが先の世末とて
憂き身に積むるなきかげいざや
〽老いし身を思ひいでじと想いども
長らふ命げにありてこそ
〽うきながら生きてある身は月も日も
風もうつろふ尚しをりつる
〽衣川こゝにも敵立つそことしの
とうにつらさも名をぞ穏さで
〽かねことも破りて攻むる清原の
たづきし敵ぞあらかね末期
〽荒覇吐なづとも盡きぬ陸奥神を
跡のしるしにゆひがひもなき
〽年ふればうつゝか夢かもののけの
心に襲ふまよなか目覚む
〽いづくとも夢路を添ひてみちのくの
弓は三物おしへあまたに
〽いぶせくて出で入る人もかひぞなく
弓も朽折れ刀錆びにし
〽月がしら燈りも暗くすずしめの
神さびかへし覚むる心は
〽いづくにか彼岸に到らん厨川
北吹く風に鷹は巣立たん
〽こつじきにまことはあらず偽はるゝ
雲居の都虎の尾ぞ踏む
〽冬立つや由ありげなる姫神の
巌戸剣石天運祈る
〽かた糸のおどしに綴る鎧袖
前世の戒行きりぎりす鳴く
〽ものゝふはいつをかぎりに運命とて
生ありながら薩埵の印明
〽道芝は朝日にかゝる玉露は
散せで消ゆる魂の寄せぐさ
〽敵をして于□百夜に寄せくるも
こゝは日の本あらはばき國
〽わが駒は穏るゝ敵もおぼつかぐ
みちのくそだち野もせを駆くる
〽夜もすがら天に浮かめる月みむと
弓馬の家に宴灯もれる
〽かゝる身を薩埵の悲願星月夜
明けて消え行く虎も臥すらん
〽鳴るは瀧なびく嵐の澤道を
一期の浮沈うたかたに見ゆ
〽おぼろ月世は末世にもんたはず
われはわれなり心なくれそ
〽とこしなへかたちののこるものはなく
八千代を願ふ心ぞあわれ
〽むば玉の月待つ程のいとまなく
いさや白波阿久利川
〽行き過ぐる妹背を呼びて道しるべ
奥はあらずと外濱の海
〽名にめでて多かる花々かげろうの
あくがれ出でてたおるをとどむ
〽えめぐりて小松の柵に刀研ぐ
あだ波立てど明日は向かはん
〽夜をこめてはしたの數で敵を討つ
まどらまんなるゆうづけの攻め
〽くろかわのおどしにかゝる血を洗い
手にたつ敵を思い謀らむ
〽足ためず進むも退くもはし鷹は
時は虎臥す黄海の楯なめ
〽謀らうも木竹はつげず大事の手
かけずたまらずわたがみぞぬく
文政十年
秋田孝季
東日流雑談
一、
東日流の古事や倭史より先なる世の歴史ぞ深く、その世々ぞ明らかなり。凡そ天地の創めよりその論に固定し、爾来の史談は絶えまなく續くは語部録なり。抑々宇宙の創りより説かん。宇宙の創りとは時もなく物質皆無にして、たゞ暗黒にしてその濃度薄度に漂ふが如く濃きは重く、薄きは輕く幽動せり。今より阿曽儀になる大古に、これなる暗黒輕重の起動ありて、摩擦せる暗黒量力にて大爆烈を起したるや、大暗黒は大光熱に焼誘してその焼塵如き物質は宇宙間に漂ふたり。光熱冷却せるや、輕き物は重きものに誘合し阿曽儀の星ぞ誕生し、宇宙を構成せりと曰ふなり。星の生命も久遠ならず、星の死は大爆烈し塵となりて暗黒に抹消し、更にしてこの暗黒より數をして誕生し宇宙は擴大せり。
吾らが天上に日輪あり、宇宙の創れるより阿曽儀の時を遅れて誕生せし陽星にして、宇宙に日輪如きは幾億にも存在すと曰ふなり。宇宙の遠きにありては、天喜年代に爆烈せし星の死は今もありきと曰ふ。地界は日輪をめぐる星にして、月は地界に廻る星なり。此の地界に生命の誕生せしは日輪との間適當し、菌の如き生命種ぞ海中に誕生し爾来萬種に類を分岐し現在に到るなり。吾ら人間もこの萬種より生長進化せし生物にして、人間構成に相成りたるは百萬年に足らずと曰ふなり。野猿より智能に以て分岐し、人間とて世に歴史項を成したるは五十萬年前にして、衣食住の常住に達せるはまた後年の事なりと曰ふ。是の如く説きたるは紅毛人博士にして信じべく論理なり。
寛政二年
秋田孝季
二、
東日流の國は日辺の北位に在りき國にて、古き國名をツパン・ツカリ・ツガロ・ツガルと古稱の順ありき。古き世に安日彦王・長髄彦王、倭國より落着以来、民族を併せ日本國とぞ國造り、稲を耕作せしむより衣食住を集合し王國を成せるより、日本の中央を東日流とせり。東日流とは上磯・下磯・奴干怒布の三郡にして、秋田を火内・仙北二郡になし、岩手を荷薩丁・閉伊二郡とし、米澤を屋内・砂泻二郡とし、宮城を来朝・伊津・宮澤三郡とせり。更に吹島を岩木・白川の二郡とせる、荒覇吐五王代の世なる政たり。更に渡島を日髙十二郡とし、流鬼國を差賀利江・奈仁於の二郡とせり。
坂東は安倍川・糸魚川を東西境として倭との境界とせり。東日流は古き代より山靼とクリルタイに相加はり、黒龍江を道として交りぬ。遠くはシキタイ・トルコ・ペルシヤ・シュメール・コプト・ギリシヤ國に交り、モンゴル及びマンダツはその往来自在たり。古代にして人の爭ふなく、ナアダムの祭は人の種族多様にして、吾が國に歸化せるもの亦移住にして異土の民となるも多きなり。依て信仰をして自在なり。テングリとはモンゴルの神にして、吾が國にてはゴミソなり。ブルハンは水の神にして、吾が國にてはガコと曰ふ。
安倍氏代々にしてこれを吾が國の信仰に應用し、シュメールなる荒覇吐神を入れ、更には支那の西王母、ギリシアなるオリュンポスの十二神、コプトのアメン・ラア、エスライルのイホバ、トルコのグリフィン、天竺のシブア。各神の通力を全能神なるアラハバキイシカホノリガコカムイとて祭文とし、一統信仰とせるは丑寅日本國なる根本信仰にして、是れ倭國までも弘布なり。かしこにアラハバキ神社の今に遺るはその證なり。古代より人を殺生せるは神に背信行為とて、前九年の役を末期として倭の併せるところと相成りぬ。然るに丑寅日本史に雲泥相違を公史とする倭史は信ずべからざる多し。
寛政二年
秋田孝季
三、
人の祖は山靼より渡り、丑寅日本國に満ちたり。世界に人の種を分つは白・黄・黒の肌にして、國土風土にてその種を分つと曰ふ。吾が人祖はその黄肌にぞ種をなせるは世界に最も多けるは黄色人にて、赤道・黄道下南北東西をして住まざる處なかりきなり。人は人をして征伐し、降る者を奴隷とし畜生もどきに酷使し、その人身を賣買する如きは人をして鬼畜なり。
古き代より倭人の丑寅日本國を侵略し、防人の地民を苦しむるさまは怒りを覚つ事多き事のみにて、救済心露もなくたゞ税収の目的に民を憂しむ多きなり。敗れし者は北地に追はれしも、安倍一族をして生々に困苦はなかりけり。もとより北辺は一族の古来領にして地民の救ひあり。たつまちにして復興せしは安倍一族たり。
十三湊に安東船を航し、山靼・支那との交易に益を挙げ、一族は安泰たり。交易は遺恨なる源氏を亡ぼし、北條氏をも亡ぼせしは安東船の戦はざる戦法たり。國難とて歴史に遺る朝幕の怖れし元國にも、安東船は揚州に往来し亦、北方領に進撃せしも安東領と知りてその謝遇に糧秣を安東一族に献じたり。依て凶作に重なる重税に苦しめる奥州民を救ひたるはフビライハンとマルコポーロとて、寺社に像を造りて祀りたりと曰ふは今にも寺社にその像遺りて證す。ときに北條氏は亡び、倭は戦國の世となりきも東日流は安全たりと曰ふ。
四、
東日流に遺りけるは今は西洋と曰ふも、モンゴル及びシキタイ・トルコ・シヤム・ギリシヤ・コプト・シュメールなる紅毛人國の歴史ぞ傳はりぬ。依て安東一族の學ある者は巡禮とて彼の地をめぐり智識を得たるは産鑛にして、金・銀・銅・鐵をタダラに鎔産せり。その品ことごとく商易せば奥州は富たり。東海辺山は鐵、西海辺山は金・銀・銅・鉛にして山靼船の訪船、常たり。彼の地より積みくるは荷麦・瓦茶・ポルツ・岩塩・玄米・錦衣・毛織らにして頂寳たり。
北海船はその造り、山靼に習ひて風雪に健固たり。張帆また三角張りにて向風に速し。北海船路は千島・日髙の東海にして、山靼・流鬼は西海たり。この造船法の絶えたるは南部氏の進駐にて、安東氏はこれをことごとく消滅せり。また山靼でのクリルタイまたナーダムにも參絶せりと曰ふ。東日流の貧しきは安東氏の秋田に移りて以来なり。
寛政三年
秋田孝季
五、
淨法寺は荷薩體にあり。古来安倍一族の菩提寺たるも、安倍富忠はその東に西法寺たるを建立し、宇曽利・糠部・仁登呂志の住民を離宗せしめたり。依て日本將軍賴良は幾度びか意見せども、心得ず遂には反忠し、賴良を憎みて江刺にて不意を討てり。これを奸策せしは金為時なるも、富忠は貞任に討たれり。爾来西法寺は灾られて焼失し、淨法寺のみ安全たり。
康平五年源義家この寺を天台寺と改め、安倍氏の證をことごとく抹消せり。山なせる日本將軍の史書を墓もろともに東日流にぞ移して、寳財も亦移したり。依て、淨法寺とは地名に遺るのみなり。抑々淨法寺とは安倍安國の建立にして、唐僧慧淨にして第一世たり。寺院の尊佛は長安なる白馬寺より渡来せしむも、是れ失ふるを案じて是も東日流にぞ移しめたり。
寛政三年
秋田孝季
六、
語部録に曰く、神の信仰とは何を神とて崇むるや。人の造れし偶像に何事の神通力ありや亦、人の作説せし神たる佛たるの論師らの説く法とは是れみな人の造りたる奇語にて、實に照らして何事の救済もなからめや。信仰とは生々のため、逝く人の心安らぎのものなればなり。説法に用ゆ地獄・極樂とは皆無の、實在なきものにして魂は死して残るなし。生死とは輪廻にして生への法則なり。生れては老いて死すを覚りの要とし、人との睦みを保つ、爭ふなく生々住みよき生涯を安全たれば無上の家徳なり。心常にして死を輕んぜず、天命を全うするこそよけれ。神とは、人心に叶はざるの運命に起る自然のわざはひは人の命と背を併せるが如く災難・病傷ありせば、先づ生命を造り給ひき。
天なる宇宙イシカ、地なる山里のホノリ、萬物を造り給ふ水の一切ガコこそ神にして他はありまずや。能く想ふべし。吾らを世に遺せし父母またその上の祖先代々は、かくある理念に神と信仰を遺せしものなり。徒らに祖先の遺せしを排斥する勿れ。亦、人師・論師の誘教に迷信をその眞實なき説法に心奪はれ、その邪道に惑さるべからざるなり。罪と罰は己が判断にて降りかゝるものにして、人をして言語一句にも敵を造るべからずと戒め置くものなり。老親をいたはり、子を育み妹背と倶に能く家風に習ひ相和してぞ、誠の福徳なり。神とは天然自然みなながら神とぞ想ひて、何事のあやまりぞなし。常にして身心強健にして、心貧かるべからず。能く人の生々に己れを負かすべからざるを心得べし。祖来の荒覇吐神こそ無上神にして、天地水の一切を聲に稱ひて己が命運をアラハバキイシカホノリガコカムイと念じべし。されば安心立命に達せん。
寛政三年
秋田孝季
奥州史談
一、
奥州の狩人はマタギ神とて安日彦を祀りき。安日彦とは耶摩堆大王にして安倍氏なり。古くは阿毎氏とて加賀の犀川なる三輪山及び白山を神とて祀りき古族なり。耶摩堆彦大王の代に倭に出で蘇我郷に庄を移し、磯城山を三輪山としその七郷の大王たるも、安日彦王の代に天皇氏を大王とせる佐野王に近郷の巨勢氏・春日氏・葛城氏・大伴氏・和荷氏・物部氏・蘇我氏らの祖に當る併合の軍に敗れ、奥州に落着し坂東の兵をもその地郷に落住せしめたり。
安日彦王に從ふは弟長髄彦王にして膽駒白谷郷の王たるも、兄弟なれば倶に北落せり。東日流に到るまで坂東のニギ族・白川の麁族・出羽のヒナイ族・陸州のヒエ族・糠部のウソリ族・東日流のアソベ族ツボケ族らを併せ、更に渡島のクリル族をも加へて日本國大王とて君臨せり。この併合民を併せて荒覇吐族と稱し、奥州を日本國と稱したりと曰ふ。海幸・山幸溢るゝ程の豊けき衣食住になる住民は雲を突くが如き石神殿を三階にヌササンを造り、天なるイシカ・地なるホノリ・水なるガコの神を祀りて祈るさま、部族のエカシが神司せり。
エカシとは長老にして、ヌササンとは神殿なり。やがてカムイノミを焚き卽ち神火を八方に光々と燃える頃、テングリが祭文に併せて合掌す。四拍三禮にして稱ふるはアラハバキイシカホノリガコカムイと限りなくくりかえす。テングリがやがて神がかりして一族の吉兆・凶兆を舞ふが如く、神前に乱舞して神の告げを曰ふ。テングリとは神なる靈媒師を曰ふなり。やがて女人らがフッタレチュイとかけごえ併せてヌササンのカムイノミを廻りて躍る。七日七夜ヌササンにカムイノミの絶間なく焚かるなり。世にこれイオマンテと曰ふ。
寛政三年
秋田孝季
二、
丑寅に日本大王とて立君以来、荒覇吐五王とて東西南北の渡島にそのハララヤを設けたるを、これを五王と曰ひり。大王は領域中央にありて五王の治領に指揮せり。五王のもとに常住せるは部の民とて智識ある者専念すと曰ふ。部とは語部・占部・天文部・樂部・狩漁部・駒部・船部・稲部など三十三部ありき。なかんずくその郷に於ては地産にかゝわる部ありて、防人は民皆兵とせり。鍛冶は二部あり、鞍造も亦二部ありぬ。葬儀はおごそかにコタン挙げて行ぜられたり。ビッキダミは父母をして埋葬し、再び父母に甦りを祈りき。依て家邸内に埋むを常とせり。
地話にして葬儀をダミと曰ひ、ビッキとは童のことなり。墓をヤントラと曰ふ。古人は童を大事に育てぬ。衣は毛皮を用ひて、シナマンダの木皮に織りなしたる袋に水鳥の羽を入れ夜具としてぬくもれり。酒はブドウを以て造り、不断の常食なるは荷麦・犬稗・栗・栃・楢の實にて渋抜せし干糧を粉とせるものなり。食は多く山菜・海魚貝を干し、亦は塩漬として保つぬは大古なる食生たり。更には稗芽をもやし飴を造りきあり。童ら好みたりと曰ふ。古代なる奥州は皮にてハヨクベ卽ち鎧をも造れり。
寛政三年
マツオマナイ
エカシ クシカエン談
三、
相馬文書に曰く、處は平將門坂東にありて、平家八氏の覇を以て東國に日本國の新天地を興さむと奥州の日本將軍安倍氏と對面仕り、武州に倭の執政を制ふるも、その實を挙ぐに至らず。朝賊とて討伐さる。將門自ら神皇と宣したるは、石井の地に天皇記及び國記を奉じて古来の日本歴史に誠實ならん事を覚り、蘇我氏に傳はるこの二書を挙して倭朝の愚政を正さむとす。
坂東に於ては民貧しく、朝税重く、地治は何事も為らざる税制に苦むる他安らぎなければ、將門これを破り民の安住を先とし、國倉を開き民の暮しを安泰に農耕の實を挙げたり。依て税に苦しむる他郷より逐電し来たる難民を救ひ、筑波の山麓を拓きその農地大いに振興せり。將門はその農収を輕税に以て民をいつくしみ、石井の地に舘をなして坂東の到る處に在神せる荒覇吐神を復興せしめたり。農耕は順風なれば神の祭祀も大いににぎわふたり。武藏は人の満る安住の境地なれば、民は將門を神皇とて奉りぬ。もとより將門に蘇我氏の遺寳ありて藏す。
天皇記及び國記なり。蘇我氏は甘橿の焼討にこの二書の大事をとりて、事前に臣の豊島賴母にたくし坂東に逐電せしめたるに安全たり。豊島氏はこれを武藏の荒覇吐社に神巻とて奉じ代々に護持したるものなりせば、將門これを拝讀せるに倭朝のなれるさまこつじきや、日本書紀らの眞實を欠く歴史のおろかさに目覚たりと曰ふ。將門はまた大事をとりこれを筑波社に秘藏せるも、事あらばとてこれを妹背なる辰子に出羽の秘社に穏藏せしめたりしも、此の書は日本將軍安倍氏に渡り、更には何處にか秘藏の由とぞ。相馬氏文献に遺りきものなり。
寛政五年
秋田孝季
四、
秋田なる物部氏の文献に曰く、古事来歴を一讀せるに信じる由ありぬ。倭に在りき物部氏の祖にて物部十氏ありて各氏は和珥氏・巨勢氏・春日氏・大伴氏・葛城氏・蘇我氏・天皇氏と相肩なし倭政の要職たり。時に百済国聖明王より佛教の傳来あり。天皇氏これを頂寳として蘇我氏に委ねたりしも、國神を廢斥せるものとて物部氏は大いに對立し、にはかに献佛を向原寺を建立して祀りきを取潰し、佛像をば難波の堀江に投棄せしめたりしも、朝議には物部氏を否とし佛法を振興せしむ。依て物部氏は政に欠して四散せしは諸史に遺れども、佛法入りてより國神の崇拝を欠き、寺院の多くを各地に建立振起せり。物部氏は奥州に落着し、倭神の振興につとむれど、奥州は荒覇吐神の信仰に深く、振はざるなり。奥州に覇をなせるは安倍氏にて、祖を安日彦王・長髄彦王を以て不動の信仰厚く、丑寅日本國の國神は荒覇吐神を以て一統さるに依り、物部氏の神道は振はざるなり。依て茲に物部氏は安倍氏を奉り、金・銀・銅・鐵の鑛山に倭の技を為して、旧臣を寄せて振興せりと曰ふ。
五、
物部書に曰く、山靼より鑛山の在りつるを探鑛せるは諸々の智覚を要とせるに、其の知識になる歸化人を求めたり。秋田に埋藏さる鑛山は出羽連峰の諸處に在り。北峰ほどに多しと曰ふ。更には宇曾利諸處にその兆しありておもむけど、安倍氏に依りて制られたり。時に渡島より砂金の献上ありておもむけど、地人固く口を閉して語らず、ナフロと曰ふ處に探鑛を得たり。此の地は海峽ひだて流鬼國あり。冬寒きびしき處にて鑛堀もまゝならず、夏期をして労堀せり。事の他多産を得たれば、物部氏はその神恩とて秋田に神の社を建立せりと曰ふ。この社はかゝる鑛堀になる神を鎭座せしめたりと曰ふ。安倍氏も赦してその祭祀をとがむなく、渡島に赴くを自在とせり。山靼人は秋田に多くいての故なりと曰ふ。こぞりて物部氏は宗谷・留萌・網走・根室・釧路・十勝・日髙・空知・石狩・振膽・後志を巡り、その成果を得たりと曰ふ。
寛政四年、火内十兵衛談
秋田孝季
歌枕草紙 四、
〽あっぱれと末こそ久してがらをば
たてにし駒をわれは埋むるv
〽朝もよい山は苔路に露かゝり
かつさきそむるわらじはつよし
〽かけまくも神のしめゆふ岩手山
なれこそたよる日の本の末
〽いかで曰ふ戦にたおる留守妻へ
かたみ屆けむ我れは惑はむv
〽くわの字は風に任するさればにや
生れぬ先のこしかたよりも
〽駒を馳せ太刀長刀ひらめきて
箙に矢盡き修羅の太田川
〽北辰のとはにまたゝく星あれど
何處も同じ月影を見る
〽三つ神を千戸萬戸にいつきてそ
日の本國の荒覇吐神
〽身の程を隔給はぬみちのくの
人は人をば無疑に睦みて
〽音に立て砂塵蹴立て寄せ来るを
楯と逆茂木越ゆ敵ぞなし
〽時ふりて思い立つ日を吉日に
明日をも知らぬ防人は征く
〽かかるべき夜かと思ひば粟飯も
喰い立つ残る手づかみの味
〽さらばやと妾に向き言ふいとまなく
衣の陣に駒を馳せなむ
〽つらきもの遺るゝ者はみなゝがら
屍と歸る主に泣きつる
〽かたしくに波をかくして恋ふ人を
木影に見送る乙女ありける
〽人だまひ牛の小車思いかけ
屍はこぶる戦あとゆく
〽降りしきる雨の道はた地藏堂
しばしやどりに獨り言言ふ
〽藁屋にて田畑づくりのたゞずまひ
のどかなるゝは言ふことぞなし
〽仙北の稲田に香ほる草いきれ
祭りばやしは山にこだまむ
〽ためしなき八大龍馬の祭りとて
我れに頼むる鼓打て笛吹け
〽舟こぞり大事の渡り最上川
かまひ水棹のかどはされなむ
〽淨法寺鐘にさそはれ杉間ゆく
老若男女立霧に幻ふ
〽外山の錦織なす木の葉かげ
幸ある山に神なみぞ見ゆ
〽松島の龍神祀る海人を
見てのみやげに婿聟とつれたし
〽泥田にて三春男の寒行は
投げ合う泥にたれとは知らず
〽鳴子にぞ古けく遺るこけしおば
妹にみやげと賴みて賣らず
〽あへなくも祭りに焼かるねぷたをば
人は猛りて踊る外濱の宵
〽山猿と冬に寒立つ宇曽利駒
吹雪もなんの枯葉を喰む
〽雪と見し渡島の影は海幸の
人住む國とゴメは鳴きつる
〽もどかしや米代川の通い舟
まてどまてども霧にはばまれ
〽鳴る神の空に渡るを耳にして
雄物の川は越すに越されず
〽行き暮れて野臥の一夜木の下に
明けにしたどる遠野の里
〽唄のしな由来も知らず聞きほれて
仙北道は旅を急がず
〽音もなく鳥海山に降る雪は
西風起り天に逆巻く
文政五年
和田長三郎
陸奥今昔誌
山海に幸ある古代丑寅日本國の住人を外蠻民の如く化外國の蝦夷とて、永く歴史の外に除きたる朝幕の輩は未だに奥州は白川以北は一山百文とて、地差別・人差別を異にせり。古にしてなせる征夷とは丑寅に對して征夷大將軍なる官位を天皇の統帥を奉じて、奥州はその征制に苦しみきたり。たゞ貧窮にして地産の幸は租税とて民より奪ひ、あとは衣食住もまゝならず。朝幕の思ふがまゝに酷労され、まさに奴隷もどき自在のなき今昔をしてやまざるなり。人に生れ平等なく忍び難きに耐えて、暮しは今なる奥州の民なり。
かつては日本將軍安倍氏が治政の頃に、その祖訓とて一族をして人の上に人を造らず亦、人の下に人を造らず。是れ神のなせる天秤を犯すべからずとて民は能く國を護りたるを、今は倭人に習ふがまゝに人は人を疑ひ人を貶め、自己浮上に人を下敷くはまさに倭人にまさるゝ奥州人と相成りたり。吾等が國は日本國にして、倭國とは異なる大王の統治せし國たるを古に學びて知るべし。山靼より智識を入れなし、世に智識を求め、船易を以て近くは黒龍江をのぼりモンゴル・シキタイに赴きて、世界民族のクリルタイに參號せしものなり。まして東日流は日本中央にして大王の政居ハララヤの存在せし處なり。大古にして稲を耕作し、人は集議してエカシを推挙し、エカシは大王卽ちオテナを推挙なして一汁一菜も分つ相互の衣食住を固く護り渡らしめたり。依て民族一人とて衣食住に貧富なく、國安泰にして能く治まれり。
道造り橋を造りて國土は人の往来しきりにて、海道・川道とて船を以て尚往来に便をなせり。船を造るは山靼に習得してその航海をも可能ならしめたるは、山靼より天文の知識を得たる故なり。馬を駆しての傳達または荷の運送にては、魚貝の山住の者に鮮たる生魚の至る亦、山地よりの作物も濱住の者に屆く物商に、人馬は往来をまして人ぞ能く戸をなせり。神を祀りきイオマンテにはコタンを挙げてにぎはいたりと曰ふ。東日流に聖地ありて、その數多し。今にして地稱異にせしも、三輪の石神・大輪荷の石塔・稲架の大根子・カムイ丘のヌササン・トコマイのヌササン・中山のアラハバキ・サンナイのヌササン。糠部にてはイジョのヌササンなどありきと曰ふなり。
髙屋甚七談
明治十年 和田長三郎
歌枕草紙 五、
〽神鎭む出羽の三山かけめぐり
超世悲願老な隔てそ
〽花咲かば蟲の寄りくる常なるを
晩夏の雪解 立山の花
〽濱梨の花さかりなる香は髙き
書けど書けまずこの香りかな
〽いかづつにしば立つすくむ巌かげの
濱昼顔にまげぞからまる
〽定めなきしぐれの猛き野辺送り
ながす涙をわれ知るのみか
〽一言も遺すもならず箭に死して
やるかたなきか汝れは逝くなむ
〽骨となり奥のみ山に人知らず
採りにし黄金誰ぞ為なり
〽待ざるに老はきたりぬいづくにも
いつまで草のあるかなきかは
〽夕されば潮風越して道奥の
野田の玉川千鳥啼くなり
〽朽もせぬその名ばかりをとどめをき
枯野の薄形見ぞ見る
〽瀬音なきただ水鳥の櫻川
束稲山を影に映して
(以下切断記ならず)
文政五年七月
和田長三郎
奥道の灯び
若きより世のさまを知るを欲して旅にいでけむ折々に、他國の風は慈悲もなくたゞうつせみの空しきを吹き渡る。水の流れまた同じく見えて同じからずや。うたかたのあらはれきゆるさま、世の過ぐるさまを刻み逝くなり。若き日の望みは叶ふ叶はずも夢多けれど、世襲の移りきに望みの枯るゝ多く残るは空しき過却の想出なり。わが奥道はいにしより外なる夷の化外民とて、出世なぞおぼつかず。なれど若者は國を出でゆき、光りに當らむと欲す。
この國は生れしより人を異にせる、自在のなかりける國なりせば、いま思改め山靼に征かんと思立つぬ。さらば奥道よ。
寛政五年
和田盛幸
栄光道開く
大志に祖國の足かせは無用なり。出でて志ならずんば死すとも悔ゆなし。異土とはなんぞ。人とは移りてぞ道開き、國を造りなん。親を巣立つては歸るもねぐらなし。われはゆく新しき天地に求め、人との出合を世界に求め、身心の限りを盡くせん。親に別れ、故里を却り山靼の擴きに吾れは望みを求めてゆく耳なり。青き眼の紅毛人、言語の異なる出合ふる民族にも情あり。旅行く途に食宿迎ふあり。山靼の旅はたのもしきかな。くれなふ日、日輪はともにあり。やがては望むるアルタイの山河にたどる群馬。想ひにまかせ草を喰む。地平はるかにして日月の昇る方に吾が故郷はるか萬里を隔つ。
文政五年十月
越野友久
信仰論抄
國異なり風土の候異なれば、人の衣食住異なりぬ。地に生くるものまた異なり、人とて言語・風習異なりぬ。依て信仰をしても然なり。然るに人間はその境に移りて定住し、國を造りて子孫を遺しぬ。人の生々には衣食住の定まれば、信仰を以て人との交りを済度す。その信仰を以てあやまれば、生ける者を贄としてなる迷信を信仰とせるあり。おそましきかな。如何なる神とて生贄を欲するは非ざるなり。
亦、國主をして他族を征討し戦を以て戦利を得るべき蠻行は、文明にあるべく國ほどに侵略を企つなり。信仰また然るところにして、勝者の神を以て民に加害なければそれに従ふる他あらざるなり。吾が古来の神・荒覇吐神も然る處なり。久遠に遺るゝものは迷信なく信仰に誠あらば幾千代の信仰に生々絶ゆむことなかりき。吾が國の荒覇吐神とは宇宙の一切・大地の一切・そして水の一切を神とせる博學に神の哲理を求めたるものなりせば、何事の迷信ぞあるべきもなし。宇宙とは阿曽儀の古にして創まれるものにして、天なるすべてに大地の一切になる元素あり。水をして萬物を蘇生ならしめたるものとて、これを神たるの理りと説き生死は子孫になる生命の輪廻轉生とて、死を怖れざるの信仰たり。
依て信仰にあるものは生命の尊重、人みな平等にしてその權には天秤の如く人をして上下のあるべからずとて、神をこの哲理に依りて信仰要義とせり。古来より天に仰ぎイシカと稱へ、大地に伏してホノリと稱へ、水に沐浴してガコカムイと稱ふて古人は天変地異を怖れ敬ひたり。これを總稱してアラハバキ神とて今に信仰の遺れるは渡島・奥州・坂東のみならず、畿内までも遺りぬ。倭の神道は後世のものにて、古くはこの神に一統信仰を八州には満てり。かくある信仰の發祥は東日流にして、今に遺れるはたのもしきかな。稱へよ古き祖先からの眞實一系なる信仰にアラハバキイシカホノリガコカムイとぞ稱ふべきなり。
寛政五年
和田長三郎
東日流古史談
上磯・下磯・外濱をして東日流と曰ふ。亦ヌカンヌップとは糠部・宇曽利を曰ふなり。古来より人住あり。アソベ族、次にツボケ族なり。アソベ族とは岩木山の世になけるときよりアソベが森と曰ふありて、此の地に住みけるに依りて後世人は名づけたるものなり。亦ツボケ族とて中山のツボケ山に神を祀りをしてツボケ族と名付けたり。此の民の渡来はアソベ族より一□年も後代なりと曰ふ。代久しく両族は併合し、上磯・下磯・外濱・糠部・宇曽利に住み分けし地産の幸を物交して永く生々せり。
吾らに流る血脈の祖なるを知るべし。信仰ありてアラハバキの神を奉り中山を聖地とし、石の塔を建立して人踏まずの山とて入山をなせるは一年に一度たりと曰ふ。大古より海漁・狩獵を旨とし飢ゆなき國なれば、山靼よりの渡民も亦しきりたり。山靼とは大陸にしてモンゴル・シキタイ・トルコ・ギリシヤ・コプト・シュメールの國を總稱せる國稱なりと曰ふ。彼の國にては常にして戦ありて乱れ、この國より難を脱し新天地に求めて渡来せる多し。人の渡来は彼の國の文明をも心得たるものあり。信仰また然なり。
依て東日流にては倭國を超越して古代の先進に開けたり。文字ありきはカルデア民に流行し、馬を飼ふるはモンゴル及びシキタイ民たり。信仰にしてはシュメール及びギリシヤ民にて振興せりと曰ふ。船を造れるはトルコ民にて、その航海をも知れり。かくの如く東日流の人住を古にさかのぼりては三十萬年と語部録に遺りぬ。抑々神の代にして倭にその史を尋ぬれば、大王乱立して一統主に非らざるの代にして、未だ天皇氏など世になかりけるを神代とて上史を記しけるは笑止千萬なり。神代とは此の世に非らざるものなり。
寛政二年
秋田孝季
石塔山要史
石塔山とは古代にしてツボケ族の神鎭む聖地にして、イシカホノリガコカムイヌササンとて道を通さず、人は踏入らざるの神域たり。此の地に人の集ふは大王の卽位の他、年に一度びの祭祀の他はきわめて立入るを禁ぜし處なり。依て此の山を魔岳とも稱したり。石塔山とは山名に非ず。澤の名にして聖地なる石塔に名付くるものなり。永く安倍一族にて護らるも、今にして和田氏をして護らるなり。
此の山は大巨石をして神と崇め、古き代より神に奉納せる寳物多く、入山を禁ぜしはその故なりと曰ふ。祀らる石神は宇宙より落下せる流星、木の石となれるもの及び古代生物の石となれるを天地水の三神とて祀らるものにして大事たり。此の社は秘多く未だ解かるなし。安倍一族は此の聖地に墓所を定めたり。前九年の役より、日本將軍安倍賴良より代々此の地に埋む多し。亦、役小角も此の地に埋葬さると曰ふ塚ありぬ。倭人はこれを一笑して史に加へざれども、史實は史實なりと知るべし。石塔山は今なほ千古の苔に存在す。
寛政五年
秋田孝季
歌枕長歌
〽想いはかなく逝く春の
想いにしをる花こぞり
移し世に汝れあるかぎり
胸ははさぎなむ
〽熱い想をわれ一人
汝れをいとしみ一人燃ゆ
初恋の紅き血潮も
いまは果つる
〽いとしき汝れよいまどこに
さだめの風は吹きぬけて
せめて汝れ香り遺せよ
我が胸底に
〽白百合匂ふわびづまも
今日は別れのにが酒を
酔ふほどに汝が濡れにし
瞳おもいば
〽乙女の涙男には
悩みのたねと振りつゝも
いざ別る浂れが面影
なぜ消えやらぬ
〽我は生きたし耐えかねて
汝れ名を呼べば帆もかすむ
泣く波よ我れを泣かすな
はかなき恋を
〽ほのぼのと静かな夜は
薄あけのあかねに消ゆる
星あかり今さら想ふ
ふるさとの方
〽春に香りを放つ花
夏にはむせぶ草いきれ
秋立つは霜の柱と
冬をまつらん
〽海の青染まぬ白鳥
紅花も摘んで染はぬ
不可思儀の今宵は恋の
汝れに染ぬる
〽病しわれなれいでゆかば
駒にさえ水をも汲めぬ
いくさに傷討たるるよりも
なほ卒らきかな
〽あこがれは消ゆなにもかも
憎しきものはいくさゆえ
夫いづこ尋ねて今も
便より儚なし
〽影をやなせる月影に
何を祈らむ浂れこそに
死して無き影もとどめぬ
くりや川かな
歌枕草紙旋頭
〽樽たゝき鼓を打つ鳴らす
剣を振り舞ふ鬼もあり
みちのくまつり古きの由来
世にわざはいの襲ひ給はず
豊年萬作稔りを祈り
せめて今年は妻めとりたや
〽あやかにも照す下界を
見渡す神の天つ神
舞ふて降れるわだつみの神
山に腰かけ見渡す神は
田畑稔らす大地の神ぞ
斎きまつれよいなうすゞしめ
〽山海は神の住どこ
わが丑寅の三神を
いともまつりて焚くかゞり火は
ほのほにうなる聲と相たぞ
あらはれいでむ荒覇吐神
やれめでたやなやれ叶ふたり
歌枕草紙混本
〽かがやける朝の光りに
あかねさす雲の流れと
人の世は逝きてかえらぬ
昔をばたれに問はまむ
〽わが胸に愁つろふものは
光陰の速きに想ふ
いとまなくみんな夢々
いつしかにわれは老いつる
〽風かなし白髪うすく
月日にぞ移して久し
吾が影の去る若き日は
ありてこそ生がえぞ知る
〽わくらはに方丈建てゝ
道に入りあといくばくの
余生をば一心行拝
學びてそ逝くまで勉む
文政十年
和田長三郎
奥州巡脚記
旅ぐらしは山路にて峠越えにつかれ覚つほどに、若かりきを去りにけん、行き暮れて宿るはたごに地産の味ありて地酒また美味なり。こゝちよくねむり朝は軒に雀のさひずるを耳に目覚む。ひんがしの旭日に朝ぼらけ。こゝは生内の郷にして菅江殿の案内にて今日は生保内なる辰湖におもむかん。傳説なれども猟奇なるに依り暫くは筆執るもおぞましきかな。生保内邑に入りては姫塚と曰ふ遺跡是ありぬ。
〽山吹の
花にも似たる
將門の
遺姫はねぶる
生保内の郷
此の姫塚なるは昔より坂東八平氏の平將門の息女楓姫の塚なりと今に傳ふるなり。將門は坂東武藏に知行し、石井に舘を築きなん名君たり。然るに朝租の税重く民の憂ふを心して、再度皇宮に免税の段申請に及ぶれど、その願ひ叶はざるに國倉を破り地民の飢餓を救済す。然るにこれを皇宮に訴人あり。將門討伐の勅ありければ、坂東の八平氏にあり乍ら將門討伐の挙兵に加はるに、怒りし將門は是に向ひ討てその戦運に長じ國府を次々と討破り、その國倉を破りて民に施しぬ。世に是を天慶の乱と曰ふ。然るに將門武運に崩れ遂には討死せしめて、遺族の者を奥州安倍氏のもとに逐電せしめたり。將門に息女あり、名を楓と曰ふなり。妻辰子の方に遺言し、安住の地を秋田なる生保内郷に落しめたり。
此の地は辰子の生郷にして世穏の郷なれば、母子は泰平に暮らせども、朝臣藤原秀郷の追手に依りて遂には母子倶に死出に安住を求めたり。楓姫は未だ乳児なれば従女松蟲にたくし、辰子は駒岳が麓湖に落身し青龍大權の生贄となりて、將門の遺姫を倶に死したる如く世視にくらませたり。然るにこれを目安せるものありて、十八年の年降る四月に楓姫捕縛の防人は生保内に赴きて、女人乍ら楓姫は斧を振ひ遂には討死せりと曰ふ。今に遺るゝこの塚は金剛夜叉となりて死したる楓姫を愢びて埋葬せし塚を、今に郷人のものあわれて姫塚とて今に尚供養にたむけし由来遺りぬ。
〽あねこもさエー
ほこらばほこれ若いうち
〽櫻花さエー
咲いてののちにたれ折らば
〽折りたくばさエー
尋ねてござれ澤雨に
〽恋しさにさエー
空とぶ鳥に文をやる
〽この文をさエー
落してたもな
たのみおく
毎年の如く盆踊りに姬塚に奉納せる行事は今に以て絶えざるは、將門を愢び辰子をば村神として楓姫を哀れむ故事の、今に傳はるゝ誌情にして生保内人の人情たり。
寛政十年
秋田孝季
金光坊脚跡記
金光坊こと圓證と曰ふ。京師鹿ヶ谷の師法然坊源空の門僧、鎭西の聖光坊と双肩の佛弟子なり。金光坊は望みて念佛往生を北辰に布教をなせり。閉伊の遠野に善明坊にかゝはる業障を拂ひ邪誅して、一路仙岩峠を生保内に入りて念佛往生の平等攝取不捨なる宗旨を布教す。卽ち是を淨土宗と曰ふ。
金光坊は秋田を巡りその脚跡を遺し、東日流に入りて外濱の蓬田に至り、その谷川より一躯の阿弥陀如来像をひろひ給ふ。この谷川ぞ今なる阿弥陀川名付の由来なり。金光坊は東日流かしこに布教し他宗を改宗せしめたり。十三湊なる湊迎寺及び柏邑なる淨圓寺、更には飯積邑なる大泉寺、藤崎なる施主堂、行丘なる西光院にて入滅せり。
寛政五年
秋田孝季
金光上人遺鈔
佛の救済に叶ふものは、自からも求道の念に心不動にして轉倒せず、他宗支派に暗に惑ふべからず。身に湧く諸慾を断つ心の精神をば向上せしめよ。佛は衆生をして一子の如く平等攝取不捨なり。是れ佛道の大要にして成佛道に富貧なく亦、善惡もなかりき。乃至十念阿弥陀佛と稱ふるは求道の一義にして、往生に諸々の支障を祓うが故なり。
本願の根本は念佛に在り。念佛を稱ふことに於て心に雑多の障りはあるべくもなし。末法なれば念佛本願に叶ふはなく、往生には自力にて叶ふ術もなく、たゞ他力本願の由をば念佛を以て叶ふべし。念佛即ち五佛の本願にも相通ぜり。もとより佛祖は獨りにして釋迦牟尼をして衆生に遺しきものは、往生の哲理にして
諸行無常是生滅法生滅滅已寂滅為樂
と曰ふは往生に無上道なり。
寛政五年
秋田孝季
北辰極抄
吾が國の北方に流鬼國ありて地民はサガリエン、明人は樺太と稱す。住民はウデゲ族及びクリル族・オロチョン族・ギリヤーク族ら多住す。ナニオ湊より黒龍江に近く船にてさかのぼれるは、モンゴル境なるチタに至るなり。チタには邑なく古きより市場たるも、クリルタイに盟約ある民族の商易地なり。冬期は人住なく野鹿のみにして、人影ぞなかりきと曰ふ。地名に吾が國の付名ありて古事なる来歴は知る由もなかりき。古きよりわが丑寅の國より人の移り来たるは地民の曰ふところなり。西に進み黒龍江の盡きる處にブルハン湖あり。ブリヤート族はこれをバイカルと曰ふ。
果しなき草野をシキタイに至りてはモンゴルの如く馬を牧して、紅毛人を見るに眼青く騎馬にて馬追うさま神技の如く、弓術優れモンゴル民と双肩せり。住居は固定せず、パオなる天幕を以て仮家とし草を追って移動せり。羊・牛・馬を群と飼ふは古代よりの暮しなり。これより西に進みてはトルコ・ギリシヤ・ローマに至るなり。南下してはペルシヤやエスライル・コプト・シュメールに至るなり。幾百里の砂漠。山靼は陸に續く大國にして、吾が國の及ばざる擴大さなり。シュメール國は古代カルデア民の住むる地にしてその智識に優れ、農耕を創めたる國にて、王國たるの創むる先進の國たるも代々に戦起りて崩壊せり。吾が國の荒覇吐神の根本なるは此の國より傳はりたりと曰ふ。國主ギルガメシュが亡び、難民となりし者ははるかシキタイに至り、更にはモンゴルを經て来るははるかなる古事なり。
寛政五年
秋田孝季
山靼しるべ文書目録
一、オットー年代記
二、マシュー・パリス年代記
三、プラノ・カルピニ記
四、ベネチア通商條約記
五、トプカプ集史
六、モンゴル元史
七、五族譜
八、イフラシーニア年代記
右の八巻に見ゆは山靼なる古事みな知るを得る古書なり。もとより何れも原書なりせば解讀の労ありぬ。
寛政五年
秋田孝季
奥州風聞記
古代人は川及び海辺の石を集め、聖域と定むるところに運びて一重乃至三重までに圓型に列石し、宇宙の運行を計れりと曰ふ。東西南北に定石し、一重なれば月暦、二重なれば日月暦、三重なれば日月星暦なり。方心に石を敷き、芯石を建つるは時暦なりと曰ふ。
寛政五年
和田長三郎
ヌササンの事
ヌササンとはイナウを建て、三股の神木をしてカムイノミを焚き神事をなせるをイオマンテと曰ふも、これはエカシの神事たり。然るにオテナの神事たるは事大にして、民族總出の祭祀たり。雲を抜くが如き石神の髙樓を建立して三階として天・地・水の神を祀りき。髙楼は六本柱の堀立にして各階にイナウヌササンを設く。上階にイシカ、中階にホノリ、地階にガコを祀りその贄物は鳥・獣・魚と生あるまゝに捧ぐ。テングリはイシカ、オシラはホノリ、ゴミソはガコの順にてイタコは各階に神事せり。卽ちエカシは長老にしてオテナは大王ゆいにかくの如き相違に祭祀せしものなり。イオマンテは一族に禍あるときにその安泰を祈るものなり。
寛政五年
秋田孝季
古事傳来記
安日彦大王・長髄彦大王を祀りき社は、畿内はおろか坂東・出羽・陸州・東日流・渡島に至るゝ荒覇吐神社に存在す。もとより大王は耶摩堆彦大王にして加賀の犀川三輪山に宮をなせし大王にして、是を阿毎氏亦は安倍氏と曰せり。抑々、筑紫より東征せる佐野一族に安日彦大王の代に敗れ、丑寅に落着し日本將軍とて子孫を遺しきは襲世代々その覇に君臨し、安東水軍に至りては世界の海に航す商易を以て是ぞ航益大いに振いて、更には北海を黒龍江に航し北方民族と盟約しその益もまた大なり。山靼との往来は民族生々の智能を敬發せるは悦ばしきかな。北の道を以て民族の信條を得て、茲に代々を同族の如く往来せり。
寛政五年
秋田孝季
安東水軍之事
生々流轉、今は十三湊をして安東船の名残もとどめざる寒村なれども、安東水軍の盛なるとき十三湊は日本七湊の一にして山靼船や唐船の寄港せし處なり。支那の商法とて銭貨を以て通商とせしも、安東船にては物交なり。依て唐船は支那地産のものを十三湊に荷降し、市は大いににぎわいたり。
寛政五年
秋田孝季
古代史探判
余思ふに吾が丑寅日本の古代に原史の諸事實明らかなれども、學閥權政の者は是を伏して世視に閉じ、神代を以て民悩を惑はしむは、まさに佛法に曰ふ末法の世たるを憂ふるものなり。吾が丑寅日本にこそ總ての古史にかゝはる實相あり。その證また明らかなり。三十萬年以前より人跡を遺しける此の國は、人の渡りよりこの陸・海に幸を𥟩り生々豊かなる惠みに人の暮しを遺したり。なかんずく神を祀る信仰の深きには天然自然をして聖地を定め、その行事さながら歴史の深きを知るべく證、今に遺りぬ。抑々吾が丑寅日本の國は遠く近く彼の山靼より人祖の渡りをなせしものなり。
山靼はアルタイ・モンゴルを道として古代人の世界に人跡を遺しける證は、アラスカなるエスキモー、メリケンなるインディアン、アステカなる地峽を越えたる國のインデオら、今に猶古代のまゝにアマゾン大河岸に住むる裸族らはその分布はるかなる大古の人の渡りとその歴史を今に遺したり。古代人は渡り道を北をして渡りたるは、大海を航し得ず陸近きマゼラン海峽を渡りたるは古代人なる心になりて考ふれば明らかに覚つところなり。されば心し思ひば、吾が丑寅日本國とてかくなればなり。流鬼・渡島・東日流と渡りその定着せし處に人跡を多く遺したる處の大なるは東日流上磯・下磯・糠部なり。
明治二十年
和田末吉
信仰之山に登りて
日本諸國に山岳信仰ありて神は山峰に降るものとして人々は登山せり。古代人もまた神を山にありとて崇拝せるものとせり。我が國は山帯多く、その生々を山住みにせし民多く、神事の要を山に求道せる多し。なかんずく荒覇吐神信仰はその頂に在りぬ。荒覇吐神は天と地と水の神なれば、古き代には民族一統の信仰を得たり。山を聖地とせるはけがれなく神を祀るにふさわしき處と定めたり。東日流にては神の聖地は山髙からずまた低からず、頂きまで木の繁る處を選びたり。
東日流中山は日輪を東西に拝す頂のある處を選びたり。中山に石塔山と曰ふあり、是れぞ神聖なる聖處とて人の立入を禁ぜし神掟ありぬ。昔より年に一度なる入山に人はこぞりて詣ずるなり。山を神とせるは木を伐し、冬の薪・家を建つる材となる神への敬ひなり。火事の起るは神の怒り。凶作また然なり。山は水を保つ天に近けく、四季に色彩を異にせる神秘を人々はこよなく神聖の感を深うせり。霞立てば麓を幽閉し、まさに神々しきを顕はすさま古人ならずともこの神秘に信仰の誠を感ぜざるものなかりきなり。
明治二十年
和田末吉
信仰に支障を祓ふ
いつ世にも人を貶め、神をも冐瀆せるものあり。然るに是の如きものは自業自得にして、その結果は業報を受くなり。三世界は常にして流轉し、業の深き者は神に悔いざれば救済に叶ふなし。代々にして栄枯のさまは移り易く、惡道に落ち易く、積善は人心を去り易きなり。依て人は信仰を旨としてかゝる惡業を禊祓はねば、八方は閉がり諸々の苦限を招くなり。神を冐瀆し信仰を輕んずる者は諸轉せども惠職を得られず、放浪に身を委せ、果は空しく逝くばかりなり。信仰は人との睦みなり。神とは心の望みにて、救はるべく心の修得なりせば、人とは言語一句にも敵を造るべからずと戒むなり。荒覇吐神は幾千年前より吾らが祖人達が自得せし神なりせば、何事の支障やありけん。心迷はず外道に惑ふこと勿れ。
寛政五年
和田長三郎
奥州を巡りて
古事を知るべく諸邑を巡り、名もなき古跡に古事を尋ぬれば驚くべく故事の證に當るありき。東日流より秋田に巡り米代川なる沿郷にその暦史を尋ね聞くに、阿部比羅夫にかゝはる古事ぞありき。米代川の河口は能代にて、近く檜山城あり。安東一族の城閣たり。米代川は鷹巢郷ありて相川郷ともに稲作處なるも、洪水しきりなる處なり。安東氏は一族を挙げ大阿仁川・小阿仁川の策堤を施せど、完全たるはなかりき。依て放水溝を幾筋にも通しければ、以前の憂はなかりける。米代川上には金の𥟩鑛あり。古きより安日山に至る八幡平山麓に實益を挙げたりと曰ふ。五十枚金山・尾去金山の他、穏金山とて安倍一族が末代に遺せし秘山あり。米代の湲は未だに密たる秘山なり。この隠し金山あるが故に一族の再興は成ること速しと曰ふ。
寛政二年
秋田孝季
恨讐を越えて
安倍一族にして忘却を許せざるは前九年の役なり。奥州を掌握せん野望に源氏の画策は、一族親近の者を反忠させたる奸策は非道のきわみたり。彼の奸餌に乘ぜられし宇曽利富忠・出羽清原氏の如きは、その牙に誅滅されたるも因果應報なり。厨川に脱し東日流に一族を興したる安東髙星は十三湊に水軍を興し、海航の商を以て山靼と交易せるより、厨川なる恨讐を越えたる安東一族の再興にして、恨むべき源氏を皆滅にせしは、安東氏が平氏に献じたる貢に依れるものなり。爾来安東水軍は海航を以て支那は揚州にまかりて商しぬ。安東船を水軍と名付くるは、船團を連ね北海の幸を異土に流通せしに益に當りぬ。世襲は移り北條氏の執權となるゝや、安東船は諸國の湊に北海の幸を商じ、東日流十三湊は榮ひたり。唐船・韓船の来舶まさに恨讐を越えてこそぞ成れ、泰平たり。
寛政二年
秋田孝季
東日流しるべ
東日流の野じらに萬天の星を眺むれば、宇宙の擴代なるを感銘す。東日流にては北極星を北斗・大熊・小熊座に仰ぎ、宇宙の創りを想望に更けり。抑々宇宙の創りはこの星だになく、たゞ暗黒の無辺界たりと語部録に曰く。この宇宙なる運行を天文知識と曰ふに學びて宇宙の創りを覚る。抑々宇宙のなれるその因は暗黒の重なるゝ重力にて、密度過満の一点に突如として光熱、その暗を焼き誘爆す。これをカオスの光熱とて、神が宇宙を造りなせる肇めと曰ふ。
この光熱に誘爆せし跡に遺れるは灰塵たるも、宇宙暗黒の重力にて塵が集縮し星が誕生せりと曰ふ。この星にも生命あり。星の死は爆列して塵となり大暗黒に溶るも、やがては光熱を發し數を増して誕生す。萬天の星はかくして宇宙に遺りきものなり。日輪とて星なり。また吾等が住むる地界とて日輪に系九星の一つなり。古代東日流にては宇宙の神秘にその運行を知り、暦を造りなせり。
寛政二年
秋田孝季
古事東日流誌
阿部比羅夫と曰ふありて粛慎を討つ云々は偽傳なり。亦、東日流を征討せしも史實ならず。幤賂辨島のことは奥尻島のことなり。古来粛慎とは靺鞨にて暮せる民族なり。比羅夫はこれを東日流有澗武とみて海戦せるも、敗れて東日流吹浦に遁げ来たり。ウマノタケルに救はれたり。安倍比羅夫は東日流を征せんとせるも吹浦にて敗れ、次には外濱にても敗れたるに、渡島に海航せる粛慎族を東日流軍團と思ひ攻めたるも敗れたり。
然るに日本書紀にては、かゝることと雲泥の相違たり。比羅夫が秋田を攻め東日流に来たるも、一歩の上陸も得られず遂にして軍を和睦せしめ、歸る途の出来事たり。粛慎族とはモヨロ族とも曰ふなり。彼の民族船團には阿倍比羅夫は如何なる海戦法をして戦ふも撃滅不可能たり。
寛政二年
安藤光季
和睦征々之奸策
倭侵の策謀とは陸進に奥州を掌握せんとするにも叶はず、遂に海をして征せんとせるも有澗武や青蒜に敗れたり。古来、東日流には宇曽利と俱にハタと曰ふ軍船ありて、比羅夫の軍船をして是を敗るは難し。倭史を讀む限りはあたかも比羅夫の船團は東日流を皇化せる如きに記したるも、一人だに從ふはなかりき。亦、馬武とは有澗武にてこれをマブと讀むべからず。有澗武とぞ讀みて正しきなり。
寛政二年
秋田孝季
荒覇吐神之事
石を以て刃物とせる古代より、古代人の信仰は今に遺るはまれなり。荒覇吐神とは古代に一統されたる信仰になる跡を巡りては、西は築紫の宇佐及び國東の大元の神とて荒覇吐を曰ふなり。出雲にては四山に祀りて荒覇吐神社ありきは一にはアラハバキ、二にはイシカ、三にはホノリ、四にはガコを祀るが故なり。更に畿内にても荒覇吐神社多く存在しけるに、これを客神とや門神とやに本殿を離して祀るは後世のことなりと曰ふ。坂東にてはアラハバキをはゞからず遺れり。是の如く古代神アラハバキ神の威力は、未だ地に失せざるは倖いなり。
寛政二年
秋田孝季
蝦夷とは何ぞや
倭史にもの申す。この國はもとよりの日本國なり。國號を奪ふのみならず、吾ら住人を蝦夷とあざけり、此の地をばまつろはざる化外地とし生々のさまを獣物の如く評して史に遺したる段、ゆるしべからざる行為なり。世にあるべくもなき神代を作り、神々を作り、荒覇吐神を廢斥しけるはまさに天に唾を吐くが如し。然るに吾が國の史・吾が國の神は不滅にして、いつしか世にいでむときぞありけるなり。人は祖ありて吾らあり。その血潮にたぎる祖魂は絶ゆなし。今にこそ吾等が神は甦えらんときぞ近し。久遠なる宇宙はイシカなり。草木の繁る大地はホノリなり。波濤千里の大海はガコなり。
神とし相と見ゆるは是の如き大自然なり。人の造りしものゝ神とは末代ならず。たとひコプトの金字塔とて、砂と砕け逝くなり。アテネなる石の神殿パルテノンとていつかは崩れ逝くものなれば、人の造りき神は久遠ならず。天・地・水はときの流れと倶に是れを消滅せん。然るに吾らが神は天地水そのものなりせば、金剛不壊なり。宇宙のある限り、大地のある限り、波濤の海ある限り荒覇吐神は不滅なり。この神を神と崇む吾らに必ずや陽光あらん。全能の神アラハバキの平等・大慈大悲の救済は天秤の如く平らかなれば、救ひ救はざるの差別ぞなかりき。幸いなるかなこの神を遺したる祖に對し、吾らは稱ひて曰す、アラハバキイシカホノリガコカムイ。是の如く朝夕に稱ふれば必ずや神の救済あらんをば信じべきなり。
たとひ吾らが命脈盡きるとも、この魂を安心立命の母體に胎ませて新生せるものなれば、死を怖るゝ勿れ。死とは甦りの門出なり。惑う勿れ。心して信仰を坐折するべからず。たゞ一向に稱ふべし。悲しみにも病めるときも、ただ神の救いを信じべきなり。神は久遠なりせば来世の出世を見護らん。吾等此の神を信じ、餘多人の造れる神格に誘はれず、惑はず、たゞ一心に稱ふこそよけれ。アラハバキイシカホノリガコカムイ。たゞこれをくりかえし神の救済にいだかれよ。今に吾らが老いて死に果てるまでも、信仰に誠あれば救はれん。徒らに人師論師の巧言に誘はる勿れと茲に戒むものなり。
明治廿年
和田長三郎
了言
此の書は祖訓のまゝに書写せるものなり。依て他言他見無用と心得よ。此の書は一族に縁るものに遺したるものなり。一書たりとも失ふべからず。心して大事とせよ。いつ世にか必ず救書とならんや。
寛政七年十月
秋田孝季
和田壱岐
大正七年六月
和田家藏書