東日流外三郡誌 編終之巻

秋田孝季
和田長三郎

注言一句

此の書巻は他見に及ぼし不可。言々事眞相なれども世襲現世に叶はず門外不出とせよ。

寛政五年七月日
秋田孝季

東日流大要史

夫れ天地之開闢果無く、砂原に人類生じ、狩漁を求めて異土に移り、風土の候に習へて裸肌色・言語異にして種を遺さむ。吾が耶馬台國の人祖皆是の種に累代す。太古は候異なりて寒冷海を泳ぐ魚は氷下にあり。陸海上は歩を叶いたり。依て萬國人の移り住まざる處なし。東日流大里は太古にして海濤なれども、創世の地下泥は荒吐きて海を埋めたる地位なり。

抑々、是の國に渡り住居ける人祖を阿曽辺族と稱し、氷上渡り来たる種族なり。東日流は陸海なる幸多くして狩漁得ること易く、子孫大いに遺せり。石を割りて具を造り、獣皮を衣とし、冬間湯湧なる辺に住居ける。湯湧は卽ち巌鬼山の未だ無ける代の地位にして、古人是を阿蘇辺盛と稱しなむ。阿曽辺族なる稱に號したりと曰ふ。阿曽辺族の命脈三十五年を一期とし父母兄弟姉妹といへど長じては男女契をなして子孫を遺したり。一族の掟とて婚ずる女は牙歯を抜き、男は力勢にして多妻なり。神なるものは天・日・月・星にて山海を崇む習へなり。誠に遠き太古なりせば神稱祭祀の證さだかならず。老傳に、おごしとは天なる神、ほのりとは地なる神、とさとは海なる神なり。

世々を經て南なる獄を越えにし移民大挙して侵駐せるは津保化族と曰ふ。馬に乗り犬を飼ならし、舟を造り住居を築きける狩漁の才を以て阿曽辺族の安住を犯しけり。依て茲に両族長期に渡りて流血闘い、脈命を限りに自領を護りたりと曰ふなり。津保化族は能く器を造り戦いて敗るるなく、阿曽辺族を從しめて邑を造りぬ。而れども是れに從はざる者多く、獄地に隠住せる處今なる巌鬼山麓なりと曰ふ。阿曽辺族に天運なく、一刻にして住居地は大震を起し、地割れ火泥大爆憤なせる災いあり。一挙にして阿曽辺族は極滅せり。

亦、東日流安東浦は海底起上りて大里となり、災去りしあと鳥獣群なす豊國となりぬ。依て茲に津保化族は大勢力を以て東日流六郡に領住しけるも、異土より渡り来たれる民多く亦、耶馬台國より敗れ来たる安日彦・長髄彦の一族ありて攻防せり。東日流辨に曰ふぐわつめぎとはこの戦なる稱語なり。耶馬台族は初め敗る事多けるも、異土移住の民と合勢なして戦いければ、津保化族次第におとろひて敗れ、遂には和解なして同住せりと曰ふ。而るに永く是に反く津保化族なる残党ありて、皆伐長期に至れりと曰ふ。

茲に耶馬台國主たる安日彦・弟長髄彦は倶に東日流國王と君臨なし、阿曽辺族・津保化族・異土移住民及び耶馬台族ら相混血なし、荒羽吐族と稱せる大強勢力なる王國を創めたり。 卽ち、しばけおてなとは荒羽吐王のことなり。荒羽吐族となりき一族の奥羽・奥陸の一統ぞたやしく、たちまつにして坂東・越州までも勢下になし、日向族に追はれし故恨を晴らし、一族より安東將軍孝元天皇を君臨せしめたり。亦、出雲族と國合せ築紫をも國合せし日本國たる一統國の創なりきと曰ふなり。而るに倭國王の國司と荒羽吐王の國司たるや異にして遂には坂東を境とし、東北南西の区を分つ、永く國交を断じたる間、倭國人は荒羽吐族を蝦夷とあなどり、荒羽吐族もまた倭人を砂毛と曰へり。倭國王は荒羽吐討伐のために征夷大將軍を位与なし、代々して討伐に赴むかしめたり。

荒羽吐族は戦利あって攻め、亦不利なれば退き人命大事とせるも、倭軍は不惜身命にして攻め寄せたるも、戦利に至らずあたら戦殉をいだしのもなり。 遠きは田道將軍より阿倍比羅夫の他、奥州を朝領に做して、賦貢を献ぜざる奥州人を朝敵とて重なる征夷の討伐をくりかえしたり。

(※以下断裂)