東日流外三郡誌
戒言
此の書は藩許なき書物なり。古来實相を消滅せる藩政の輩に相反して此の書を遺し置くは、東日流六郡の實史を永々末代に明らかならしむるの大望と安倍一族にゆかりある祖来の吾等が宿願故なり。依て此の書を徒にして他見に及し難題を招くなかれ。常に門外不出、秘藏を第一義としべし。
寛政五年七月六日
羽州土崎之住人
安倍氏之流胤 秋田次郎孝季
東日流六郡之秘跡
吾が東日流六郡に位せる仙峯を三千坊と稱す。阿闍羅山連峯・中山連峯・安東浦十三山王連峯を各々千坊とし、加之三連峯を以て俗に東日流三千坊と號す。依てその太古は修験宗の行者、南都を追はるゝ者あり。亦安倍一族の山伏信仰厚く、佛道の化縁は修験宗を以て東日流の草分けと覚りて然るべきなり。故につらつらその證跡を尋ぬれば大寶辛丑年、大和葛城上郡芦原の行者なる役小角、門弟若干を倶に東日流安東浦なる石化崎に流着し、修験の法道を弘布せりと東日流の古人言継げ遺すも、その實相やさだかならずしも、各處に修験道場の遺跡あり。
各處様異の傳説、亦神社佛閣の祭祀・行禮に永々と授け繼がれきし行事等をみつむれば、是亦偽説とぞ除くべからざるなり。先づ以て修験とは如何にと審さば、神道即ち日本國天地一切の神々を佛道及び世界諸宗教の一切神佛に修成結し、天なる日輪を父とし下なる大地大海を母として是を信ずるこそ天命に安ずるの境に達する悟道の求む處とし、無上なる離苦成道の求道と宣布されたり。天と下に不死なる者は日輪と海涛とし、この不死なる業に依りて萬物は生じ、生死を以て永世に命脈を保つなりと説き、亦々生死を輪廻して不死なる魂を不動ならしむ故の修験宗は、死すとも骸形耳にして魂は不死として亦その骸を異にし亦世に生ずといふ。
然るに生々に惡道を以て悔悟なき者は六生の輪廻、即ち人間・草木・魚貝・鳥虫・獣畜・蛇足虫等に生を迷生すと説く。人間に生まる者はその一生を人間の心にして終命安んずれば、末代永々として人間の生々不動なりと修験宗は説きぬ。依て東日流太古なる宗教の化縁は修験の道に依りて渡り継がれたり。安倍一族の修験の信仰なるものは求道第一義として永く東日流に遺れること事實なり。依て東日流六郡の峯々浦々にその神社佛閣の古事を尋ぬれば皆修験道に相通ずるなり。安倍一族は唐・韓に舶交し、更に佛道の信心を深め、交易の利を以て佛寺・神宮を東日流六郡の山里に建立して、是を城柵とも兼ねて一族の護りとせり。
然るに世襲は永々に安倍一族の意に叶はず、茲に難事の至るありて十三湊なる安倍一族・安東浦藤崎なる安東一族の同族爭ふ事、財をめぐりて度々なり。依てその親族各々柵舘を築きて、他國の勢を招くに至りて遂には鎌倉幕府の上聞に達して曽我氏・平氏を以て東日流六郡に割領なして、安倍一族・安藤一族は東日流外三郡に寄領されたり。依て茲に十三湊を一族の利處として水軍を盛んならしめたること、その益財を増して再び心信よみがへりて阿闍羅山に三社六寺、中山に六社十二寺、十三湊に八社二十三ヶ寺院を設せられたり。亦異土より得たる財寳を是の寺社に秘藏して、一族に異変あるべき刻にぞ積藏せし財寳を以て救はるべきぞと金銀を以て鋳造されたる諸神佛を幾百躯秘藏さるゝなり。左の図はその要處しるべなり。此の図は必ず一族の他に見聞すべからざるものと心得べし。誓秘す可。
東日流安倍一族秘図

行来山、金井、新法師、石川、蒼海、大里、阿闍羅山、行丘、白鳥舘、不二崎、飯積、嘉瀬、砂山、梵珠、歸来夷地、□夷地、嘉渡、中里、中山、乙部地、中州、八頭山、宇多前、午市、田尻川、行来川、青山、唐崎、權現、福島城、壇臨寺、世門北、外濱、山王、神護寺、鏡、羽黒、十三湊、審寺、大町、小泊、柴崎、砂原、中島、大水戸、前水戸、浜町、
注見
・は神社なり、卍は寺なり、・は柵なり、・は舘なり、紅色は寳處なり。
明治十年五月
飯積之住
再㝍 和田長三郎末吉花押